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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第2章「廻天の秋」
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第20話「五月雨の先、未だ見えず」

 五月雨が、身体を冷やす。

 病み上がりの身に、寒空の下での長陣は辛いものがあった。


「兄者」


 久々に聞く弟の声に、新田にった義貞よしさだは面を上げた。

 備前びぜん三石みついしから撤退してきたばかりなのだろう。弟・脇屋わきや義助よしすけはずぶ濡れになっていた。


「義助か。報告は聞いている」


 足利あしかがは陸路と海路に分かれて京に迫っている。

 陸路においては備中びっちゅう福山ふくやま大井田おおいだ氏経うじつねが敗れた。氏経曰く「敵の勢い侮りがたし」。


 義助は迷うことなく備前から撤退した。各個撃破されるより、義貞と一体になって敵の勢いを防ぐ方を選んだ形になる。

 あと一歩で三石を落とせる。そう思ってから随分と経つ。ならば、そのまやかしの「あと一歩」にこだわってはならない。そう判断したのもある。


「苦労をかけたな。この兄が不甲斐ないばかりに」

「気にするな。それより兄者、身体の調子はどうなのだ」

「正直、良くなったとは言い難い。だが新田を守るためだ。ゆるりと休んでいるわけにもいくまい」


 新田は鎌倉を攻め落とした功績から、後醍醐ごだいご建武けんむ政権で引き立てられた。

 元々同族だった足利には及ばなかったが、義貞はそれについて格別の不満を抱いたことはない。同族だったとは言え、もう随分と前から両氏の扱いには大きな隔たりがあった。共に並び立とうなどと考えたことはない。


 ただ奇妙なことに、今や同等の立場として並び立とうとしている。

 建武政権から朝敵の烙印を押された足利が、「新田こそが逆臣であり、我らは新田を討つため軍を動かす」という大義名分を掲げたからである。後醍醐天皇を直接非難することを憚り、責め立てやすい新田が生贄として選ばれた格好だった。


「鎌倉のときのような勢いが今回もあれば良かったのだがな。……否、そもそも鎌倉など落とさねば良かったのかもしれぬ。さすれば、妙に引き立てられることもなく、足利から名指しで非難されるようなこともなかった」

「弱気を申すな、兄者。すべては済んだことだ」

「お前の前でくらい、弱気を言わせてくれ」

「……少なくとも俺は、兄者の行動に間違いがあったとは思わぬ」

「俺もそう思う。ただ、間違った行動はなかったかもしれんが、何かが足りなかったのだろう、という気はしているのだ」


 今後の軍の扱いについて言葉を交わし、義貞は義助に下がるよう命じた。

 自分は十全の状態ではない。戦場に出られるようにはなったが、逆に言うと出られるようになっただけだ。この上義助にまで倒れられては軍がもたない。休んでもらう必要があった。


 少し前に京から来た使者は、次に使いを寄越すまで持ち堪えろとだけ伝えてきた。

 いつまで持ち堪えれば良いのか。雨のなか、義貞は西の海を静かに見据え続けた。




「新田軍の引き際は、見事なものでした」


 多くの武将が居並ぶ中、静かにそう語ったのは壮年の入道姿の男であった。

 長期間の籠城戦による影響か、以前見たときと比べるといささかやせ細って見えるが、その身にみなぎる生気は衰えていなさそうである。


「なにせ、これほどしか討ち取れませなんだ」


 そう言って男――則祐そくゆうの父・赤松あかまつ円心えんしんは軍忠状を差し出した。

 尊氏たかうじはそれを一瞥すると師直もろなおに回す。師直もそれを簡単に確認すると、今度は重茂しげもちに回してきた。


 お前が管理しろということらしい。こう一族の嫡流から外されても、兄からの扱いはあまり変わっていないように感じる。それを嬉しいと思うべきなのか、重茂は判断しかねていた。


 重茂の気持ちが別の方に向いていると察したのか、円心がにわかに鋭い視線を向けてくる。


(分かっておる。粗略になど扱わぬわ)


 円心が怖いからというわけではない。自分の仕事への誇りである。


「まことに苦労であった、円心殿。その忠節には必ず報いようぞ」

「ありがたきお言葉。されど赤松一族の忠節は、まだこれからにございます」


 尊氏の労いの言葉に対し、円心は微かな笑みで応えた。


(まったく、元気な親父殿だ)


 二人のやり取りを眺めながら、重茂は内心呆れるような思いだった。

 新田軍の猛攻を引き付けて耐え凌いだだけでも十分だろうに、円心はそれでも不足と見ているらしい。

 あるいはそれは、相当の働きをしたにもかかわらず建武政権で不遇の扱いを受けた経験から来ているのかもしれない。普通の功績だけでは不十分で、誰もが認めざるを得ないような功績を上げなければならぬ、という思いがあるのかもしれなかった。


 重茂たち直義ただよし軍首脳陣は、田室という停泊所に辿り着いた尊氏軍の元へ集まっている。

 新田軍の撤退を受けて、今後どのように軍を進めていくべきか改めて相談するためだった。


「新田軍は加古川かこがわの辺りで布陣しているという話がありますが、此度の退き様を見るに、更に東へ移動している可能性もあります」

「できれば、京まで退かれるより早くに叩いておきたい」


 師直の話を受けて、尊氏が憂慮するような表情を浮かべた。

 後醍醐天皇と対立する光厳こうごん院の院宣を引き出したとは言え、尊氏はなるべく後醍醐と穏便に話を付けたいと考えている。京を戦場にして後醍醐の不興を買うことは避けたいと思っているのかもしれなかった。


「軍を無暗に急がせては、十分な準備もできぬまま戦になりはしないか」


 尊氏の意見をけん制したのは高経たかつねである。

 直義もそれに同意するように頷いた。


「海路を往かれるのであれば、この先は難所になります。行軍は慎重に行われた方がよろしいかと」


 播磨はりまの地勢に詳しい円心にまで反対され、尊氏は渋々頷いた。


「ここに集まりしお歴々に加え、我らには丹波たんば仁木にっき頼章よりあき殿や東国の御味方衆もおります。京を包囲する形でじわじわと追い込めば、帝もきっと根を上げましょう」


 尊氏を励ますように重茂が言葉を投げかけると、師直が嫌そうな視線を向けてきた。

 無責任なことを言うなと言いたいのが傍から見てもよく分かる。その圧に負けたのか、重茂の言葉に同意する者はなかなか出てこなかった。


「――おや、誰も同意なさらないのですか。私などはなかなか良いご意見と思いましたが」


 飄々とした調子で声を上げたのは、細川ほそかわ定禅じょうぜんという男だった。

 足利氏の支流である細川氏の男で、建武政権から足利氏が離れたあとの争乱で頭角を現し始めてきた一人である。


「ただ、包囲そのものは迅速に行った方が良いでしょう。また奥州おうしゅう北畠きたばたけにでも出てこられると敵わぬ。な、重茂殿」

「お、おう……」


 重茂の脳裏に、悪夢のような記憶が浮かび上がる。


 先の京での戦において、重茂と定禅は共に奥州の北畠・新田軍と相対した経験を持つ。

 あのときは奥州勢の急な襲来に対応しきれず、両者とも苦い敗北を喫したのだった。


 そのときの奥州勢の勢いは凄まじく、足利勢にとって「奥州の北畠」は後醍醐方の地方軍というより、北の怪物とも言うべき存在になっている。

 今は再び奥州に戻っているとのことだが、それだけに「いつまた来るのか」という懸念がある。


「迅速にとは言うが、海路の方は潮の流れ次第で行軍の早さが変わる。今の時点であまりはっきりとしたことは言えぬぞ」


 円心が釘をさすと、定禅は「ごもっとも」と頷いた。


「私も少なからずこの地で戦った故、播磨の海――播磨灘はりまなだの恐ろしさは多少なりとも心得ているつもりです。であれば、海を往く軍勢抜きでもできる包囲を考えれば良いでしょう」

「海路を捨てるというのか、定禅」

「いえ、直義殿。海路を往く軍は新田への牽制として残しておいた方が良いかと存じます。播磨灘を渡ろうと渡るまいと、この海に多くの船を擁した軍勢がいる、というだけで敵の目はそこに向けられます。その分陸路が動きやすくなるでしょう」

「なるほど。新田の動きを抑えつつ、その隙をついて我らの方で包囲を進めるのだな」


 定禅の考えが読めてきたのか、直義の表情が少し晴れやかになった。

 今一番読めないのは、急速に撤退した新田軍の今後の動きである。それを抑えるための何かが欲しい。その役割を、尊氏率いる軍勢が担うことになる、という話である。


「しかし、敵も船を持ち出してきたときはどうする。直義殿の軍と連携を取らねば、孤立したまま新田軍と相対することになるかもしれぬぞ」

「おそらく問題ありますまい、師直殿。なにせ近隣一帯の大船は、軒並み分捕ってまいりました故。分捕れなかったものはだいたい焼き捨てました」

「ほう」


 しれっと言い放つ定禅に、師直は珍しく笑みを見せた。

 つまり、敵は尊氏率いる海の軍勢に対峙する術がない。これは戦略上非常に大きな要素だった。


「だいたい焼き捨てたとは、おそろしいことをするな、定禅殿」

「なに、やるなら半端はしない方が良いと思ったのだ。責任は兄上が取ってくれると言っていたしな」


 冷や汗を流す重茂だったが、定禅は特に気にする風でもなく、けろりとした様子だった。

 重茂は定禅の兄である顕氏あきうじのことも知っているが、ここまで割り切りの良い性格ではない。なんとなく、しかめっ面で「責任は取ってやる」と渋々言う様が思い浮かんだ。


「――では、陸路の軍勢をいくつかに分けましょう」


 意見がだいたい出尽くしたと見て、直義がまとめに入る。


「あまり細かく分けると、敵軍にそれぞれ破られる可能性がある。三手くらいが良いと存じます」

「ならば、一軍は私が受け持つことになるな」


 当然のように言ってのけたのは足利高経だった。

 師直はやや顔をしかめたが、尊氏・直義は素直に頷いている。


「もう一軍は我ら九州勢にお任せいただけませぬか」


 そう志願したのは、九州で大きな働きを示した少弐しょうに頼尚よりひさだった。


「我ら九州勢は、船の扱いに心得のある者もございます。海沿いを進み、尊氏殿と直義殿を支えてみせましょう」

「心強いことだ。では任せようかな、直義」

「はい。私としても異論ありません」


 当然残る一軍は直義本隊である。

 直義の副将として付き従ってきた高師泰こうのもろやすも当然その軍に配属されることになった。必然、重茂もそこに属することになる。

 一方、師直・師久もろひさは尊氏の船に同乗することになった。


「我ら海の軍勢は、播磨灘を越えることに集中しよう。その後は頼尚殿を通じて、相談しながら軍を進めていく」

「はい。我ら陸の軍勢は、新田軍の動向を探りつつ東進。可能であれば丹波の仁木頼章とも合流し、京を包囲いたします」


 異論を口にする者はいない。

 これで、足利の方針は定まった。


「次に会うのは京かもしれぬな、直義」

「それまで御無事で、兄上」


 尊氏と直義はお互いに拳を打ち付け合い、互いの無事を祈り合う。


「……もう少し、早いかもしれませぬな」


 京への地図を睨みながら、師直がぽつりと呟く。


「であれば」


 言葉を引き継いだのは、新田と同族の山名やまな時氏ときうじである。


「小太郎殿は、お気の毒なことにございますな」


 山名時氏にとって、新田小太郎義貞は古くからの知己でもある。

 どこか傷むようなその言葉の意味を、重茂はまだ理解していない。

 すぐそこに迫る決戦の舞台を知る者は――ここにはまだ、誰もいなかった。

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