第19話「新田軍の退却」
重茂たち直義軍は、備中福山城の戦いの後、勝利の余韻に浸る間もなく東へ進んだ。
勝ったとは言え、福山城にいた大井田軍は相応の人数が逃げ延びた。備前三石の脇屋義助軍に合流している可能性が高い。
脇屋義助は新田一族の惣領・義貞の弟として一族の中心にいる人物である。
兄・義貞共々後醍醐天皇の将として、相当な規模の軍勢を率いているはずだった。
「大井田軍は脇屋軍の一部が急遽差し向けられたに過ぎない。本当の戦いはここからと心得られよ」
足利高経、高師泰、山名時氏を前にして、直義は緊張を緩めぬままそう告げた。
備前三石では、そんな脇屋軍を相手に足利方の石橋和義が孤軍奮闘を続けている。
更に先の播磨では、則祐の父である赤松円心入道が義貞率いる新田軍を相手に粘っていた。
「足利方を支えているのは諸国の武士の期待よ。ここで石橋・赤松を救えなければ、彼らの心は離れていく。必ず救い出さねばならん」
そういう事情もあって、重茂たちは疲れを癒す間もなく行軍を続けているのだった。
「やれやれ。戦場での働きそのものはともかく、こういう行軍になるとさすがに年を感じますなあ」
治兵衛は息が上がっているようだった。
年齢の割には元気な方だが、さすがに少し堪えているらしい。
他にも疲労を見せ始めている者が増えてきている。
最近は天候にも恵まれず、雨が降ることが多い。
そのせいかぬかるんでいる場所も多く、移動による負担は大きくなっていた。
「重茂殿は元気ですね」
「そりゃ、働き盛りだからな」
なぜか重茂の隊にくっついてきている則祐に、重茂は鼻を鳴らしながら答えた。
一度同じ戦場を駆け抜けたからか、どことなく気安い空気が二人の間にできている。
重茂には、まだ則祐が何を考えているのかよく分かっていない。
ただ、嫌な奴ではあるまいと思うようになっている。
「どちらかというと、軍功の確認をほとんどしないままということが気にかかる」
「してる暇はないんでしょう」
「分かってはいるんだが、こういうのは後回しにすればするほど大変なことになるものだからな」
気になって仕方がないので、分かる範囲で自軍の軍功を個人的にまとめてしまった程である。
その話を聞いた師泰は「お前、真面目だな」と神妙な顔つきで頷いていた。
まとめた軍功の中に則祐の名を見つけて、重茂は隣を歩く若い男に視線を転じた。
「そういえば、太郎左を助けてくれたそうだな。今更だが礼を言わせてくれ」
「太郎左?」
「大井田氏経に斬られそうになったところを、おぬしが助けたと聞いたが」
「ああ……あの御仁ですか」
則祐は相変わらず表情を動かさない。
ただ、その声音には珍しく感情が表れていた。
「さては、あいつ何かやらかしたか」
「いえ、やらかしたというほどのことは。ただ、なんとも潔い逃げっぷりだったもので」
「ははあ、あいつらしい」
どこか懐かしむような重茂の言い方に、則祐は「おや」と首を傾げた。
「お知り合いですか」
「ああ。あいつは高師秋という。俺の従兄弟で、まあ幼馴染というやつでもある」
「御一族の方でしたか」
「最近はあまり顔を合わせられていないがな」
師秋は今も尾張足利の軍勢にいるはずだった。
そこまで離れているわけではないが、師泰軍とは少し距離がある。
吉備の地の山々に囲まれた風景の中に身を置いて、重茂は郷愁の念を覚えた。
心の奥底にほんのりと生じた程度の、僅かな想いである。
「止まれーい」
前方から駆けてきた伝令の声によって、重茂は現実に意識を引き戻された。
「しばし休めとのお達しである! しばし休めとのお達しである! 止まれーい!」
ここに来るまでの間に散々声を出してきたのだろう。伝令の声は擦れていた。
「おい、そこの者! ちょっとこっちに来い」
「止ま……む?」
重茂に気づいた伝令は、訝しげな表情を浮かべながらも近づいてきた。
そんな彼に、重茂は手持ちの水筒を差し出してやる。
「そんな声で伝令が務まるか。いくつか水筒を持っている故、持っていくが良い」
「おお、これはかたじけない」
「伝令は大切な御役目である。声が大事ぞ。水は必ず持ち歩くようにせよ」
与えられた水を慌て気味に飲み干す伝令に、重茂は尋ねてみた。
「ところで、ここで休みとは何かあったのか?」
「先程先行していた物見が戻ってきたそうなのですが、石橋殿が差し遣わした者と途中で鉢合わせしたそうで。どうも敵は、既に三石から撤退しているとのことで」
「ほう?」
「逃げた――ということですかね」
則祐が不思議そうに言うと、伝令は「わしもそう思ったんですが」と頭を掻いた。
「ここに来る途中、何人かの方とこうしてお話させていただいたんですが、当国の飽浦様などは『敵はわざと退いたのだ』とか『京で決戦になるぞ』などと申されてましたな」
「なるほど。それはありそうだな」
重茂は新田軍の内部事情に通じているわけではないが、坂東武者が戦う前から敵を恐れて逃げるなど、まずありえないことだった。備中福山での敗戦とて意外なことではないだろうから、それで動揺したというのも考えにくい。
どういった理由によるものかは分からないが、備前三石で戦うのは得策ではないと見たのだろう。そうなれば、当然京に誘い込んで決戦に及ぼうとするはずである。
そういう方針であれば、備前三石だけでなく、赤松一族が籠る播磨の白旗城の包囲も解かれるだろう。
「良かったな、則祐殿。赤松一族は、どうやら助けられそうだぞ」
「京に退くとき、腹いせに総攻めされてなければ良いのですが」
「なに、ここまで持ち堪えた円心入道であれば問題あるまい」
重茂の励ましの言葉に、則祐の鉄のような表情が少しだけ緩んだ。
雨の中、恵清は太一郎たち僅かな供を連れて白旗城の近くまで駆け抜けてきた。
もはや大井田軍からは離れている。叡山からの援軍と偽って合流したのだ。あのまま行動を共にしていては、脇屋義助らと合流したとき、不審に思われる可能性がある。
「惜しゅうございました。二つ引きの旗が見えたので、直義の軍勢かと思ったものを」
休息していると、太一郎が悔しそうな表情で呟いた。
足利軍は日々その数を増している。直義の警固はより厳重になっていくだろう。福山城の戦いは、合戦に紛れて直義を討ち取る絶好の機会だったのだ。
ちなみに、二つ引きは足利の家紋である。
その旗が見えたからこそ大井田軍は狙いを定めて突撃したのだろうし、恵清たちも便乗したのである。
ただ、足利は直義だけではなかった。
「どうせなら高経にも挨拶をしておくべきだったかもしれんな。奴とわしは面識がある。さすがに寝返りなどはせんだろうが、揺さぶりはかけられたであろう」
足利氏は北条氏と度々縁戚関係を結んでおり、かなり近しい関係にあった。
更に、尊氏と高経は恵清の兄・北条高時を烏帽子親とし、高時の高の字を拝領している。
その後も両者は足利氏の若き代表者として鎌倉に滞在することが多く、北条一門とは何度も顔を合わせるような関係だった。
尊氏は北条氏が滅んだ後、後醍醐天皇から尊の字を拝領し、高を捨てて高氏から尊氏に改めた。
高経は、今も高の字を使い続けている。変えるきっかけがないからそのままにしているのか、何か思うところがあるのか、それは恵清にも分からなかった。
「しかし、これからどういたしましょう。新田軍は京に退いてそこで足利軍を叩くつもりのようですが、それまでに直義を討てるでしょうか。京に入るまでに片を付けなければ、功が薄くなってしまいます」
「新田は、京までは戻らん」
懸念を述べる太一郎に対し、恵清はそう断言した。
「確かに、京まで誘い込んでから決戦に臨んだ方が勝ちの目は出てくる。あそこは守りにくい場所だからな」
「では、なぜ戻らぬので?」
「都人がうるさいからだ。あそこから離れようとせず、さりとてあそこで戦おうともせぬ者が多いからだ」
勝てると言われても、自分たちの住処が戦場になることを都の人々は喜ばない。
これが鎌倉であれば、戦える者は弓を取り、そうでない者は早々に避難を済ませ、敵を迎え撃つこともできただろう。
だが、京はそれができない。それを許さぬ人々が、あの地を支配している。そして、新田軍はそういう人々の支配下にあるのだ。
「備前・播磨に留まっていては海路を往く尊氏らに京を攻められる。だから退いた。そこまでは都人も納得するであろう。だが、京を戦場にするとなれば話は別だ。連中はきっとこう言う。『摂津辺りで食い止めろ』と」
山陽・瀬戸内海から京に軍を進める際、陸海ともに避けては通れないのが摂津国である。
そこに軍勢を展開すれば尊氏・直義両軍を食い止めることができる。ならばそれで良いだろう、と言い出す者は出る。
「確かに摂津であれば両軍を止めることはできましょうが――そのかわり両面から攻撃を受けることになりますな」
「そうだ。戦というのは囲まれれば不利になる。完全に包囲されていないとしても、複数の方面から攻めかけてくる相手とやり合うのは殊の外難しいものだ。もっとも、それは戦を知らぬ者には分からぬことだろう」
かつて京で戦を担当していたのは、北条氏が率いる六波羅探題だった。
今はもうない。後醍醐天皇と北条氏の戦いの中、後醍醐天皇に寝返った足利軍に滅ぼされている。
今頃、新田義貞はいかにして京の人々に状況を伝えるべきか悩みぬいていることだろう。
鎌倉を攻め滅ぼした憎き宿敵ではあるが――恵清は少しばかり、かの男に同情の念を抱いた。





