表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第2章「廻天の秋」
22/251

第18話「福山合戦(参)」

 城から打って出た大井田おおいだ軍の動きは激しかった。

 山を駆け下りてくるときから乗っていたわけでもあるまいに、どこに備えていたのか馬を持ち出し、徒歩が多い高経たかつねの軍勢を大いにかき乱している。


「うろたえるな。数ではこちらが勝っている、押し包んで討ち取れい!」


 高経軍も大きな乱れをみせず大井田軍に相対していたが、決死の覚悟と機動力の差はいかんともしがたいところがある。高経軍が取り囲もうという動きを見せるたびに、大井田氏経(うじつね)がさっと下知を出し、大井田軍は囲みを突破していく。


「くそっ、あやつらの体力はどうなっておるのだ」

「ぼやいたところで仕方があるまいよ、太郎左たろうざ


 大井田軍の活発な様子に顔をしかめる高師秋こうのもろあきに対し、大太刀を持って笑いかけたのは高経の弟・彦三郎ひこさぶろうだった。


「兄上、敵勢の見事な戦振りに血がたぎってまいりました。少々出てもようございますか」

「ん、んー……」


 問われた高経は、弟の顔を注視して唸った。

 彦三郎は一旦こうと決めたことはなかなか譲らない。

 こうして許可を求める体を取ってはいるが、これは無断で出ると後で問題になるからであり、戦うという意志は岩よりも硬いものになっているに違いない。


「――仕方あるまい。太郎左、貴様もついていけ」

「私もでございますか」

「不服か? 手柄を立てれば、師直もろなおなぞに遅れを取らずに済むやもしれんぞ」

「……ええい、承知しました!」


 敵の勢いと功名心との間に揺れながらも、師秋は半ばやけになって頷いた。


 彼は、重茂しげもちや師直にとって従兄弟にあたる。

 重茂らの父・師重もろしげと師秋の父・師行もろゆきは、交互に執事を務めて足利あしかが氏を支えてきた。

 だが、その子の世代になってから両者の系統に差がつき始めてきた。尊氏たかうじ直義ただよしという新たな嫡流が頼りにしているのは、もっぱら師直ら兄弟の方である。


 負けてなるものか、俺とて高氏こうしの一員だ――そういう矜持が師秋の原動力である。

 そして、そういう彼の一面を高経は好んでいた。


 矜持なき人間は、やがて堕落するしかない。高経は、自分自身にもそう言い続けている。




 馬を駆り、僅かな手勢を連れて敵を追う。

 ひしめく徒歩の兵たちの向こうに、大井田氏経と思しき立派な鎧武者の姿が見えた。


「太郎左、邪魔が入らぬよう周囲を固めよ」

「承知!」


 名のある将とみて殺到してくる兵を近づけまいと、師秋たちが彦三郎の周囲に陣取る。

 近づく者は大薙刀で振り払い、遠方からの矢に対しては楯で応じる。


 そうした周囲の奮闘の中、彦三郎は氏経目掛けて弓を構えていた。

 氏経の方も彦三郎の存在に気づいたらしい。鷹揚に笑いながら、馬上で弓を構えた。


 周囲も、彦三郎や氏経も、その間止まっているわけではない。

 戦場は常に動いている。止まれば弓矢の良い的になるだけだった。


 荒波のような戦場の中、自力で狙いを定めるのは難しい。

 狙った上で、相手に当たるであろう瞬間が来る。それを見誤らず、適切に射貫けるかどうかが肝である。


 互いに狙いをつけている二人がほぼ同時に矢を放つのは、必然だった。


「ぬうっ!」


 彦三郎の放った矢は外れ、氏経の矢は彦三郎の左腕に突き刺さっていた。

 どちらも狙いは正確だった。ただ、矢を放ったときの風の流れが明暗を分けた。


「彦三郎殿、ここはお退きくだされ」

「何を言うか、太郎左。やられっ放しで退いては恥ぞ」

「その腕で満足に弓が取れますか。不利を解さず討ち取られる方が恥でございますぞ!」

「ちっ、弁の立つ男じゃ」


 実際、左腕の感覚は痛みで狂っている。これでは狙いがつけにくい。


「大井田氏経、此度はそなたの勝ちじゃ! だが尾張おわり足利は負けたままでは終わらぬ故、また勝負してもらうぞ!」


 彦三郎が大音声で呼びかけると、氏経は哄笑をもってこれに応えた。


「直義殿の陣と期待してきたが、尾張足利の陣であったか! そなた、まさか惣領たる高経殿ではあるまい。その弟御とお見受けするが、いかがか」

「それならばなんとする」

「決まっておろう、逃さず手柄首とさせていただく、”また”はない!」


 言うや否や、氏経とその一党は凄まじい勢いで彦三郎たちの元に迫ってきた。

 道を塞ごうとする兵たちを太刀で払い、射かけられる弓矢を避け続け、あっという間に距離が詰められていく。


「彦三郎殿、早くお逃げくだされ!」

「太郎左、其の方はどうする」

「私も逃げまする! ただ先に逃げるわけにもまいりますまい!」


 彦三郎と師秋がそんなことを言い合っている間にも、氏経はすぐそこまで近づいて来ていた。

 まずは邪魔な師秋を切り伏せんと、太刀を大きく振りかざす。


「ひ――」


 冷たい感覚が師秋の全身を襲う。

 氏経が持つ太刀は、それくらい大きく、重く、恐ろしかった。


 だが、その刃が師秋に届くことはなかった。

 振り下ろされる寸前のところで、大薙刀によって弾かれたのである。


 太刀を弾いた獲物をすかさず構え直し、その男は静かに氏経の前へと立ちはだかる。


「ここは任せて、お退きください」


 そう告げたのは、赤松あかまつ則祐そくゆうだった。




 則祐が間一髪のところで師秋を救ったとき、重茂はすぐ側で別の人物と相対していた。


「どこへ行かれるのだ、僧兵殿」


 戦場にあってやや目立つ僧形の集団。

 そのうちの一人に目を止めてから、重茂はその人物をひたすら追い続けていた。


 大井田氏経の軍と行動をともにしながらも、やや距離を置いて動く一団。

 明らかに異質なその集団は、何かを探しているようにも見えた。


 今、重茂はその集団を包囲しつつある。

 相手はほんの数人だが、舐めてかかれば痛い目に合うだろう。


「その顔つき、俺が何者か分かっているようだな」

「見たのはほんの二、三度。それだけあれば俺にとっては十分なのだ、泰家やすいえ殿」


 名前を呼ばれて、僧兵は口元を隠していた布を下ろしてみせた。

 笑っている。つい自然とこぼれてしまった笑みが、そこにはあった。


「そうか、おぬしが高師直の弟か」

「高重茂という。覚えてもらおうか」

「ならばおぬしも覚えておけ。北条ほうじょう泰家は死んだ。今ここにいるのは恵清えしょうという怨念抱えた悪僧よ」


 言いながらも、恵清は重茂の元に臆することなく接近し、不意打ち気味の体当たりを仕掛けた。

 重茂は真っ向からそれを受け、どうにか踏みとどまる。恵清の力が並外れたものだということは、その一度の応酬で否応なく理解できた。


「その怨念、向けるべき相手が違ってはおらぬか!」

「違うということはあるまい。帝、足利、新田にった、向けようと思えばすべてに向けられる。皆、皆北条の敵だからな!」


 恵清は重茂の腕を掴むと、力任せに横へと押し倒した。

 そのまま大薙刀を振り下ろそうとしてくるが、重茂は身を回しながら起き上がることで難を逃れた。


 周囲でも乱闘が既に始まっている。

 恵清の周囲にいた僧兵たちは、重茂の兵を主に近づけまいと奮戦していた。


「だが、怨念だけで動くわけにもいかぬ。北条には時行ときゆきがいる。あやつがいれば、再起を図ることもできるであろう。そのためにやれることをやる。それが生き延びた俺の御役目というやつよ!」


 背後から近づこうとした兵を瞬時に斬り捨て、恵清は吼えた。

 聞く者の心胆を寒からしめる咆哮である。

 恵清自身の迫力だけではない。そこには、世に見放されて滅んだ北条一族の怨念があった。


「生き延びたのであれば、大人しく山林で余生を過ごしていれば良かったものを――!」

「これは慮外なことを言う。貴様にはできるのか、一族郎党を滅ぼされながら安穏に生きることが。地に落ちた一族の名誉を大人しく受け入れることが!」

「知らぬな。想像もつかぬわ、そのようなことは!」


 互いの得物を打ち付け合いながら、重茂と恵清は言葉を交わし合う。

 本来であれば、重茂などが対等に口を利けるような相手ではない。

 この状況そのものが、北条氏の治めていた鎌倉の時代の終焉の証とも言えた。


「恵清様、大井田軍が!」


 何度も打ち合っているなか、恵清に付き従っていた僧兵の一人――すぎ太一郎たいちろうが声を上げた。

 尾張足利の彦三郎たちと対峙していた大井田氏経が、そこを切り抜けて東に突き進んでいく。

 戦の潮時だと見たのかもしれない。このまま尾張足利勢を突破し、味方がいる備前三石を目指す算段なのだろう。


「なんだ、面白いところだったのだがな」


 そう言いつつ、恵清は不意を突く形で重茂を薙刀の柄で払い除けた。

 重茂は比較的体格が良い方なのだが、恵清の怪力はそれを苦もなく払えるほどのものだった。


「成果もあげずに討ち取られては敵わぬ。我らも孤立せぬうちに引き上げるぞ」

「く、待て恵清……!」

「重茂よ、直義に伝えるが良い。此度はアテが外れたが、次こそはその首貰い受けに参上仕る、とな」


 近場に残されていた適当な馬にまたがりながら、恵清は悠々と言い放った。

 起き上がった重茂が弓を構える頃には、その姿は既に遠いものになっている。


「想像以上の御方でしたなあ」


 いくらかの手傷を負った治兵衛じへえが、感心した様子で声をかけてきた。


「流石は武家を統べし北条一族の生き残り。栄華は失えど矜持は失わず、といったところですかな」

「感心している場合か。まったく、絶好の機会であったというのに」


 とは言え、直義を狙う刺客の正体がはっきりと掴めたのは収穫である。


「今後の戦では、あの馬鹿力に対する備えもせねばなるまい」


 備中福山合戦は、大井田軍の撤退によって幕を下ろした。

 だが、これは足利勢と後醍醐勢の戦いにおけるほんの一幕に過ぎない。


 両者の戦いは、ここから過熱していくことになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ