第18話「福山合戦(参)」
城から打って出た大井田軍の動きは激しかった。
山を駆け下りてくるときから乗っていたわけでもあるまいに、どこに備えていたのか馬を持ち出し、徒歩が多い高経の軍勢を大いにかき乱している。
「うろたえるな。数ではこちらが勝っている、押し包んで討ち取れい!」
高経軍も大きな乱れをみせず大井田軍に相対していたが、決死の覚悟と機動力の差はいかんともしがたいところがある。高経軍が取り囲もうという動きを見せるたびに、大井田氏経がさっと下知を出し、大井田軍は囲みを突破していく。
「くそっ、あやつらの体力はどうなっておるのだ」
「ぼやいたところで仕方があるまいよ、太郎左」
大井田軍の活発な様子に顔をしかめる高師秋に対し、大太刀を持って笑いかけたのは高経の弟・彦三郎だった。
「兄上、敵勢の見事な戦振りに血がたぎってまいりました。少々出てもようございますか」
「ん、んー……」
問われた高経は、弟の顔を注視して唸った。
彦三郎は一旦こうと決めたことはなかなか譲らない。
こうして許可を求める体を取ってはいるが、これは無断で出ると後で問題になるからであり、戦うという意志は岩よりも硬いものになっているに違いない。
「――仕方あるまい。太郎左、貴様もついていけ」
「私もでございますか」
「不服か? 手柄を立てれば、師直なぞに遅れを取らずに済むやもしれんぞ」
「……ええい、承知しました!」
敵の勢いと功名心との間に揺れながらも、師秋は半ばやけになって頷いた。
彼は、重茂や師直にとって従兄弟にあたる。
重茂らの父・師重と師秋の父・師行は、交互に執事を務めて足利氏を支えてきた。
だが、その子の世代になってから両者の系統に差がつき始めてきた。尊氏・直義という新たな嫡流が頼りにしているのは、もっぱら師直ら兄弟の方である。
負けてなるものか、俺とて高氏の一員だ――そういう矜持が師秋の原動力である。
そして、そういう彼の一面を高経は好んでいた。
矜持なき人間は、やがて堕落するしかない。高経は、自分自身にもそう言い続けている。
馬を駆り、僅かな手勢を連れて敵を追う。
ひしめく徒歩の兵たちの向こうに、大井田氏経と思しき立派な鎧武者の姿が見えた。
「太郎左、邪魔が入らぬよう周囲を固めよ」
「承知!」
名のある将とみて殺到してくる兵を近づけまいと、師秋たちが彦三郎の周囲に陣取る。
近づく者は大薙刀で振り払い、遠方からの矢に対しては楯で応じる。
そうした周囲の奮闘の中、彦三郎は氏経目掛けて弓を構えていた。
氏経の方も彦三郎の存在に気づいたらしい。鷹揚に笑いながら、馬上で弓を構えた。
周囲も、彦三郎や氏経も、その間止まっているわけではない。
戦場は常に動いている。止まれば弓矢の良い的になるだけだった。
荒波のような戦場の中、自力で狙いを定めるのは難しい。
狙った上で、相手に当たるであろう瞬間が来る。それを見誤らず、適切に射貫けるかどうかが肝である。
互いに狙いをつけている二人がほぼ同時に矢を放つのは、必然だった。
「ぬうっ!」
彦三郎の放った矢は外れ、氏経の矢は彦三郎の左腕に突き刺さっていた。
どちらも狙いは正確だった。ただ、矢を放ったときの風の流れが明暗を分けた。
「彦三郎殿、ここはお退きくだされ」
「何を言うか、太郎左。やられっ放しで退いては恥ぞ」
「その腕で満足に弓が取れますか。不利を解さず討ち取られる方が恥でございますぞ!」
「ちっ、弁の立つ男じゃ」
実際、左腕の感覚は痛みで狂っている。これでは狙いがつけにくい。
「大井田氏経、此度はそなたの勝ちじゃ! だが尾張足利は負けたままでは終わらぬ故、また勝負してもらうぞ!」
彦三郎が大音声で呼びかけると、氏経は哄笑をもってこれに応えた。
「直義殿の陣と期待してきたが、尾張足利の陣であったか! そなた、まさか惣領たる高経殿ではあるまい。その弟御とお見受けするが、いかがか」
「それならばなんとする」
「決まっておろう、逃さず手柄首とさせていただく、”また”はない!」
言うや否や、氏経とその一党は凄まじい勢いで彦三郎たちの元に迫ってきた。
道を塞ごうとする兵たちを太刀で払い、射かけられる弓矢を避け続け、あっという間に距離が詰められていく。
「彦三郎殿、早くお逃げくだされ!」
「太郎左、其の方はどうする」
「私も逃げまする! ただ先に逃げるわけにもまいりますまい!」
彦三郎と師秋がそんなことを言い合っている間にも、氏経はすぐそこまで近づいて来ていた。
まずは邪魔な師秋を切り伏せんと、太刀を大きく振りかざす。
「ひ――」
冷たい感覚が師秋の全身を襲う。
氏経が持つ太刀は、それくらい大きく、重く、恐ろしかった。
だが、その刃が師秋に届くことはなかった。
振り下ろされる寸前のところで、大薙刀によって弾かれたのである。
太刀を弾いた獲物をすかさず構え直し、その男は静かに氏経の前へと立ちはだかる。
「ここは任せて、お退きください」
そう告げたのは、赤松則祐だった。
則祐が間一髪のところで師秋を救ったとき、重茂はすぐ側で別の人物と相対していた。
「どこへ行かれるのだ、僧兵殿」
戦場にあってやや目立つ僧形の集団。
そのうちの一人に目を止めてから、重茂はその人物をひたすら追い続けていた。
大井田氏経の軍と行動をともにしながらも、やや距離を置いて動く一団。
明らかに異質なその集団は、何かを探しているようにも見えた。
今、重茂はその集団を包囲しつつある。
相手はほんの数人だが、舐めてかかれば痛い目に合うだろう。
「その顔つき、俺が何者か分かっているようだな」
「見たのはほんの二、三度。それだけあれば俺にとっては十分なのだ、泰家殿」
名前を呼ばれて、僧兵は口元を隠していた布を下ろしてみせた。
笑っている。つい自然とこぼれてしまった笑みが、そこにはあった。
「そうか、おぬしが高師直の弟か」
「高重茂という。覚えてもらおうか」
「ならばおぬしも覚えておけ。北条泰家は死んだ。今ここにいるのは恵清という怨念抱えた悪僧よ」
言いながらも、恵清は重茂の元に臆することなく接近し、不意打ち気味の体当たりを仕掛けた。
重茂は真っ向からそれを受け、どうにか踏みとどまる。恵清の力が並外れたものだということは、その一度の応酬で否応なく理解できた。
「その怨念、向けるべき相手が違ってはおらぬか!」
「違うということはあるまい。帝、足利、新田、向けようと思えばすべてに向けられる。皆、皆北条の敵だからな!」
恵清は重茂の腕を掴むと、力任せに横へと押し倒した。
そのまま大薙刀を振り下ろそうとしてくるが、重茂は身を回しながら起き上がることで難を逃れた。
周囲でも乱闘が既に始まっている。
恵清の周囲にいた僧兵たちは、重茂の兵を主に近づけまいと奮戦していた。
「だが、怨念だけで動くわけにもいかぬ。北条には時行がいる。あやつがいれば、再起を図ることもできるであろう。そのためにやれることをやる。それが生き延びた俺の御役目というやつよ!」
背後から近づこうとした兵を瞬時に斬り捨て、恵清は吼えた。
聞く者の心胆を寒からしめる咆哮である。
恵清自身の迫力だけではない。そこには、世に見放されて滅んだ北条一族の怨念があった。
「生き延びたのであれば、大人しく山林で余生を過ごしていれば良かったものを――!」
「これは慮外なことを言う。貴様にはできるのか、一族郎党を滅ぼされながら安穏に生きることが。地に落ちた一族の名誉を大人しく受け入れることが!」
「知らぬな。想像もつかぬわ、そのようなことは!」
互いの得物を打ち付け合いながら、重茂と恵清は言葉を交わし合う。
本来であれば、重茂などが対等に口を利けるような相手ではない。
この状況そのものが、北条氏の治めていた鎌倉の時代の終焉の証とも言えた。
「恵清様、大井田軍が!」
何度も打ち合っているなか、恵清に付き従っていた僧兵の一人――杉太一郎が声を上げた。
尾張足利の彦三郎たちと対峙していた大井田氏経が、そこを切り抜けて東に突き進んでいく。
戦の潮時だと見たのかもしれない。このまま尾張足利勢を突破し、味方がいる備前三石を目指す算段なのだろう。
「なんだ、面白いところだったのだがな」
そう言いつつ、恵清は不意を突く形で重茂を薙刀の柄で払い除けた。
重茂は比較的体格が良い方なのだが、恵清の怪力はそれを苦もなく払えるほどのものだった。
「成果もあげずに討ち取られては敵わぬ。我らも孤立せぬうちに引き上げるぞ」
「く、待て恵清……!」
「重茂よ、直義に伝えるが良い。此度はアテが外れたが、次こそはその首貰い受けに参上仕る、とな」
近場に残されていた適当な馬にまたがりながら、恵清は悠々と言い放った。
起き上がった重茂が弓を構える頃には、その姿は既に遠いものになっている。
「想像以上の御方でしたなあ」
いくらかの手傷を負った治兵衛が、感心した様子で声をかけてきた。
「流石は武家を統べし北条一族の生き残り。栄華は失えど矜持は失わず、といったところですかな」
「感心している場合か。まったく、絶好の機会であったというのに」
とは言え、直義を狙う刺客の正体がはっきりと掴めたのは収穫である。
「今後の戦では、あの馬鹿力に対する備えもせねばなるまい」
備中福山合戦は、大井田軍の撤退によって幕を下ろした。
だが、これは足利勢と後醍醐勢の戦いにおけるほんの一幕に過ぎない。
両者の戦いは、ここから過熱していくことになる。





