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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第5章「治天の秋」
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第208話「暦応の終わり(弐)」

 その日の朝は、やけに騒がしかった。

 年が明けてから少し経った頃のことである。


 昼過ぎになってから、重茂しげもちはその原因を知ることになった。


「軍勢が、集まっている?」


 急を知らせてきたのは、師直もろなおのところにいる家人だった。

 菖蒲あやめからの指示を受けて急遽駆けつけてきたのだという。


 先日から、師直は体調を崩していた。これまでの無理が祟ったのであろう。

 そのことは既に聞いて知っていた。おかげで師直がやっていた仕事の一部が重茂に回されてきているのだ。


「しかし、それでなぜ軍勢が集まるというのだ」

「見舞いと称して集まってきているのです。それで、御方様だけではどうにもならないので応援をいただきたいと」

「意味が分からん……いや、お前に聞いても仕方ないのは分かっているが」


 ただの見舞いならいちいち大勢を引き連れてくる必要はない。

 なぜこんなことになっているのか。行ってみなければ分からなさそうだった。


「五郎のところに行くなら、わしも行こう」


 話を聞いていたのか、奥から師泰もろやすが顔を出してきた。


「もし集まっている連中と揉めることになったら、お前だといささか圧が足りん可能性がある」

「まあ、そいつは否定しませんが」


 各地で武功を上げ続けてきた師泰は、今や足利あしかが有数の武勇を誇る将として知られている。

 かたや重茂は武功にとんと縁がない。要職についているから軽んじられることはないが、どうしても事務屋扱いされてしまう。


「それに、久しぶりに兄弟揃って会うのも悪くはないだろう」


 三人はそれぞれ要職についており、忙しい日々を過ごしていた。

 引付方ひきつけかた勤めかつ同居している関係上重茂と師泰はよく顔を合わせているが、師直と二人が揃って会うことはなかなかない。


「父上、叔父上。お出かけですか、いってらっしゃい!」

「いってらっしゃい」


 外に出ようとしたところで、あい委渡いとがお辞儀してきた。

 二人に軽く会釈して重茂たちは邸宅を出る。

 少し離れたところで、師泰は小さくため息をついた。


「すっかり馴染んでいるようだな。留守にしていた期間が長いせいか、わしの方がむしろ馴染めていない気がする」


 師泰は委渡の養子入りに難色を示していた。

 北条ほうじょうの娘を迎えるのは厄介事の元になりかねない、という考えらしい。


 ただ、他の家族が皆賛成しているのでやむなく認めることになった。

 一番反対しそうに思えた師泰の妻・上杉うえすぎ静子しずこですら賛成したのである。

 師泰も孤軍奮闘は意味がないと思ったのか、大人しく白旗をあげた。


「差し障りがあるようなら、俺と重教しげのりと委渡で出ていきますが」

「それはそれで困る。引付方の仕事に支障が出る」


 引付頭人の座は師泰に譲ったが、事務仕事に関しては重茂の方が長じているため、事実上のトップは変わっていないようなものだった。重茂が別邸に移るとなると、何かと効率が悪すぎる。


「まあ、わしもあの娘自身に思うところがあるわけではない。北条絡みの問題さえ気をつけているなら、それで良い」


 足利に敵対する北条の残党といえば、信濃に北条時行(ときゆき)の一派が残っている。

 戦力自体は恐れるほどのものではないが、北条の遺児という点が足利にとってはやや怖いところだった。


「なにかあれば、責任は取ります」

「なにもないようにしろ。お前を失うのは、わしら一族にとっても足利にとっても損失だ」


 難しいことを言う。

 そう思いながらも、重茂は黙って頷いておいた。




 師直の邸宅の周囲には、大勢の武士が集まっていた。

 正直、前を通り抜けるだけでも一苦労という混み具合である。はっきり言って迷惑な集まり方だった。


武蔵守むさしのかみの兄と弟だ。先に通してもらうぞ!」


 師泰が大音声を上げながら周囲を睥睨する。

 戦場で何度も味方を鼓舞し、敵を威圧してきた声である。

 騒いでいた武士たちも皆一斉に静まり返った。


 自然と道が開かれる。おかげですんなりと邸内に入ることができた。

 重茂だけだったら、もっとてこずっていたかもしれない。


「すみません、お呼び立てしてしまって」


 出迎えた菖蒲は開口一番そう言って頭を下げてきた。


「菖蒲殿も大変だな。いつからこんな状況に?」

「今朝、少しずつ人が集まり出しまして――」


 訪れた者たちは、皆見舞いに来たのだと言って来たらしい。

 ただ、そのとき師直はまだ就寝中だった。


 菖蒲はその旨を伝えてやんわりと帰ってもらおうとしたらしい。

 しかし、その話を聞いた武士は「起きるまで門前で待っている」と言ってきたという。


「無理にお帰りいただくのも気が引けたのでそれ以上は何も言わなかったのですが、そのうち次々と人が増えてきて、このようなことに。今思えば、最初にきちんとお帰りいただくよう話をつけておくべきでした」

「それは仕方のないことだ。それで、五郎はまだ寝ているのか」

「いえ、横にはなっていますが起きています」


 菖蒲に案内される形で寝室に通される。

 かなりやつれている様子だったが、師直はしっかりと目を開けて重茂たちを出迎えた。


「迷惑をかける」

「気にするな。良い機会だと思って養生するが良い」


 それより外の連中だ、と師泰は話を切り替えた。


「追い返して良いのか」

「ああ。ただ、名前は控えておくようにしてくれ」

「何のためだ」

「今は決めていない。ただ、なぜこうも集まったのか、後日確認できるようにしておいた方が良い」

「向こうが何か用件を伝えてきたら?」

「取り合わなくて良い。どうしてもという用事があるなら、後々あらためて然るべき手順を踏んで来いと伝えておけば良い」


 こういうとき、適当な口約束を交わしてしまうと後々厄介なことになる。

 師直はそれを懸念しているのだろう。重茂や師泰も、それは理解していた。


 あまり病人と長話をするものでもない。

 二人は早々に師直との面会を終えて、集まっている武士の応対を始めることにした。


 集まっていた武士たちは、皆口々に「見舞いに訪れただけだ」と言った。

 また、多くの者は「武蔵守殿は頼りになる御方。ここで倒れられては天下の一大事である」とも口にした。

 一介の武士が天下の大事を考えているとは考えにくい。おそらくそれは方便で、師直に倒れられては自身が困る、というあたりが本音なのだろう。


 自分が見舞いに来ようとしていたこと、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい、と念押しする者も少なくなかった。

 中には、ここにいかに早く到着したのか、多くの配下を連れてきたかをアピールするような者たちまでいた。


 さながら軍勢催促状に応じて集まったかの如くである。

 武功を上げて恩賞を獲得しようとするときのような熱量だった。


 日が暮れる頃になって、ようやく集まっていた武士たちが解散した。

 引付方で仕事をしているときより遥かに疲れる。


「まったく、兄上の求心力には困ったものです」

「お前、それ本気で言っているのか」

「いやまあ冗談ですが」


 足利が武家の棟梁になったことで高一族の立場も上がったが、どこまでいっても「足利の家人風情」と見る者もいる。

 師直は寺社焼き討ちの主犯という悪いイメージもついていた。普通に考えて、そこまでの求心力などあるはずがない。


「それで、何か分かったことはあるか」

「見覚えのある顔や名前ばかりでしたな」

「どこで見知った」

「引付方です」


 この日、師直の邸宅に集まっていたのは、かつて引付方の審理で敗訴した者たちが非常に多かった。

 皆、重茂の顔を見て若干嫌そうな顔を浮かべていた。彼らにとって、あまり見たい顔ではなかったのだろう。


「兄上に接近することで、引付方の審理で不利になった立場をどうにかしようと考えたのでしょう」

「ああ、そういうことか。五郎には執事しつじ施行状あいぎょうじょうがあるからな……」


 引付方は所領に関する訴訟を取り扱う足利政権の公的機関である。

 一方、執事執行状は足利尊氏(たかうじ)の名をもって師直が発行する文書で、所領についても取り扱うことがあった。

 師直を通して将軍権力を引き出し、自身の置かれた不利な状況を覆したい。それが今日集まった者たちの狙いなのだろう。


「ちと怖いな。五郎の奴は直義殿の停止命令を無視して施行状を出し続けているんだろう」

「ええ。施行状は戦が続いているときの臨時措置。戦は一段落ついたのでやめるべきだと直義殿は考えていますが、兄上はそれに賛意を示していないので」


 師直からすると、吉野よしの勢力が残っているうちは戦時中なのである。

 平時体制に移行しようという直義とは、見解の相違が起きていた。

 施行状を出し続けているのは、その意思を表すためでもあるのだろう。


「両者がそれぞれ主張し合っているだけなら、当人同士の意見の対立で済む話だ。しかし、それでこうやって動く連中が出てくると事がでかくなる可能性がある」


 直義と師直の意見の衝突が、派閥抗争に発展するかもしれない。

 そうなると、話は一気に変わってくる。


 二人の個人的な意見のぶつかり合いはこれまでもあったし、当人同士慣れたものである。

 いざというときの落としどころはいくらでもあるだろう。

 最悪、尊氏や重茂たち周囲の人間がフォローすれば済む話である。

 しかしこれが派閥同士の争いになってくると、収まるものも収まらなくなる。


 今日来ていた者たちの中には、土岐ときや佐々ささき等、名が知られている一族に連なる者たちがいた。

 決して取るに足らない弱小勢力ではない。彼らが師直を担ぎ上げれて派閥を形成するなら、無視できない存在になる。


「引付方の決定に対する不満を持っている者がここまでいるとは、正直思っていませんでした」

「五郎が執事施行状の発給をやめれば多少は収まるんだろうが」

「それで吉野方に走られても困りますよ」

「そうか。五郎がいるからこそ、不満を持った連中が吉野方に行かずに済んでいる、ともいえるのか」


 師直が引っ込めば、今の不穏分子が吉野に寝返るかもしれない。

 直義が引っ込めば、引付方が信頼を失い足利政権の基盤が崩れる恐れもある。

 かと言ってこのまま放置すれば、派閥抗争になっていく危険性がある。


「頭が痛くなってきた……」

「一応直義殿には進言しておこう。回復したら五郎にも説明はしておいた方が良いだろうな」


 予期せぬ出来事から、思わぬ問題に気づいてしまった。

 気づけないよりは良いのだろうが、気づいたところでどうすべきかの答えがなかなか出ない。


 眉間にしわを寄せながら、重茂たちは自邸へと戻ることにした。

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