第205話「光厳院と近臣たち(陸)」
今こそ元と交易を行う好機である。
そう発言した重茂に、光厳院たちの視線が集中した。
本来なら言葉を交わすことさえできないであろう人々の眼差しを受けながら、重茂は腹を据えて自分の考えを話し始めた。
「かの国は実権を巡って内側で割れている状態です。国全体の利益を考える者はおらず、勢力拡大を狙う者たちばかりになっているものと考えられます。加えて、内部での争いがなかなか収まらずに続いている。こういう国は、疲弊・消耗しております」
この日ノ本のように。
そんな言葉が脳裏に浮かび上がったが、さすがに口からは出さないでおいた。
日ノ本のトップと言える存在が目の前にいる。そんな相手に堂々と皮肉を言うほど、重茂は破天荒な男ではない。
「特に内乱が続いているのであれば、食料・武具を求める者は多いはず。それを交易の品として提供するなら、食いつく者は少なくないものと存じます」
言いながら、重茂はなんとも苦々しいものを感じていた。
食料・武具は日ノ本の武士たちも求めている。それを外に売りに出せなどと、彼らに聞かれたら斬り殺されかねない。
「それは、元の有力者と結びついて一味になるということか」
柳原資明が険しい表情で尋ねてきた。
彼が懸念していることは重茂にも理解できる。すぐに頭を振って、その問いかけに否と返した。
「特定の相手と手を組めば、他の者に睨まれます。また、我らは向こうの細かい内情までは把握できておりませぬ。迂闊に外れを引いて他から恨みを買うことになれば、後々問題になりましょう。そこまでやる必要はないと存じます」
「あくまで、交易相手という立場で臨むわけだな」
「はい。その一線は越えるべきではないと愚考いたします」
ちらりと古先印元を見る。
この場にいる中では、彼が一番元の内情に詳しい。
重茂の視線に気づいた古先は、問題ありませんと言うように頷いてみせた。
資明もその点は納得したらしい。
小さく頷いて、光厳院に向き直った。
「元との間で問題が生じる懸念が少ないようであれば、私としてはもはや反対理由はありませぬ」
「納得してくれたか。正直なところ、そなたを説得するのが一番難しいと考えていた」
「納得できるだけの理があれば、私は否定しませぬ」
どうも話しぶりからすると、個人としては交易にあまり賛成したいと思っていなさそうだった。
それでも、反対するだけの理屈がなければ認めるのだろう。
感情より論理で動く、それが柳原資明という人間のようだった。
「他の者はどうだ」
光厳院に答えを促されて、正親町公蔭と今出川実尹は小さく頷いた。
二人ともどの程度賛意を持っているのかは分からないが、反対するだけの理由は薄れてきた、というところだろう。
「公賢はどうだ」
「私はそもそもついでに呼ばれたようなもの。賛成も反対もありませぬ。私の言葉は参考程度にしてもらえれば良いでしょう」
公賢は光厳院の近臣ではない。
元々持明院統・大覚寺統問わず重んじられていた中立派の公家だったが、今のところ光厳院とはやや距離があった。
その理由について重茂は知る由もない。
ただ、吉野政権のトップである後村上天皇・阿野廉子との関係が危ぶまれている可能性はあると推測していた。
阿野廉子は公賢の養女であり、後村上天皇はそんな廉子の実子である。
公賢がもし吉野に駆けこんでいれば、帝の外戚というポジションを得られていたかもしれない。
もっとも、公賢は吉野に向かう素振りを現状まったく見せていない。
繋がりは持っているようだが、積極的に吉野に協力しようとしているわけではなく、時勢を慎重に見極めようというスタンスを取ろうとしているように見えた。
公賢の無愛想とも取れる答えに、光厳院は困ったような表情を浮かべた。
「そうだな、そなたの意見は大いに参考になる。できれば政の場に復帰してもらいたいとも考えているのだが、今はちょうどいい席が空いていないのだ」
「お気になさらぬよう。私は我が家のことで手一杯な身でございます」
「席についた方が、洞院家もいろいろと楽になる」
光厳院の言葉は、重茂からするとなんでもないもののように聞こえた。
しかし、公家衆の間にあった空気は変わった。一瞬、冷気のようなものすら感じたほどである。
「公賢の叡智をもって、我が王道を支えて欲しい。――期待しているぞ」
「……」
言葉は返さず、公賢は僅かに頭を下げた。
その姿はどこか気圧されたようにも見える。
光厳院と公家衆の間に、何かあった。
しかし、その何かが重茂には分からない。
そういうところに、武家と公家の境目があるのかもしれなかった。
「我らは良いとして、朝廷では交易に反対するであろう者が少なくありません。そういった者たちについてはいかがいたしましょうか」
西園寺公重がおずおずと口を開いた。
しかし、光厳院は「問題ない」とその懸念を一蹴する。
「帝には話を通していく。この件について帝自身は特に反対していないようだったから、それで終わりだ。私と帝の決定であれば、多少の不満はあっても問題なかろう」
今の帝は、光厳院の実弟である光明帝である。
光厳院や足利によって擁立されたような恰好なので、帝位にありながら我を出すことがほとんどない。
要するに、光厳院がやると決めたらある程度の無理は通るのである。光厳院が気にしているのは、手足となって動く近臣たちの見解くらいだった。
公重はやや迷いを見せつつ、承知いたしましたと頭を下げた。
「では、これで反対意見はなくなったということで良いか」
光厳院があらためて問いかける。
重茂含む武家、夢窓疎石や古先印元といった禅律派は元々反対派ではない。
公家衆の間にあった反対意見が除かれたのであれば、もう問題はないはずだった。
「――まだ問題は残っています」
すべて解消されたと思ったとき、一人声を上げる者がいた。
四条隆蔭。
光厳院の近臣の一人にして、上杉重能等が仕えている主でもあった。
「問題にならない見込みという点は理解しました。しかし、交易というのは利を得ることもあれば失うこともあります。我らとて余裕はありません。利を得る見込がないなら、私としては反対と言わざるを得ません」
他の近臣たちは「なるほど」と隆蔭の意見に耳を傾ける姿勢を見せた。
「確かにそこは確認しておく必要があるな。大和権守、その点はどうなのだ」
公重から話を振られて、重茂は言葉に詰まった。
商売のことになるとさすがに管轄外である。
利益を上げられる見込みがあるかどうかなど、分かるはずもない。
「そこは博多商人に一任することになるため、私から言えることはありませぬ。ただ、博多商人にも誇りはありましょう。必ず利益は上げて戻ってくるものと存じます」
「商いのことは専門外だが、どれだけ長じたものでも上手くいかないことはあると聞く。誇りだけで上手くやれるものなのか。曖昧な根拠ではなく、利益を上げられるという見込みが欲しい。それがないなら、私としては反対と言わざるを得ない」
隆蔭の言っていることはもっともだった。
朝廷や武家は、博多商人に対して投資をする。それが上手く転ぶかどうか、判断するための材料が不十分だった。
隆蔭の発言によって、消えかけていた反対の風が戻りつつある。
資明や公蔭の表情は再び硬くなってきていたし、実尹や公重は不安そうな表情を浮かべていた。
「どうしても博打にはなります」
助け船を出してきたのは師直だった。
「未知のことが多く、事前に調べられることにも限度があります。確約できることは非常に少ない、というのが実情です。ただ、過去の実績によれば成功したときに得られるものは非常に大きい、ということは言えましょう」
海を越えて他の国に渡る。
そうしなければ行き来できないような品物を商いで捌いていく。
労力がかかる分、得られるものはそれに見合ったものになるはずだった。
「それだけでは足りんな。得られるものが大きい博打というものは、失敗したときに失うものも大きい。そうではないか」
隆蔭はあくまで折れない。想像以上の難敵である。
実際、隆蔭の言っていることは正論だった。
重茂や師直は、交易案を通すため都合の良いところだけ提示している状態である。
その裏にあるリスクを気にするのは、投資する側として当然のことだった。
「一つ思ったのだが」
沈黙が訪れそうになったタイミングで、光厳院が口を開いた。
「そもそも、我らが元との交易の成否を気にする必要があるのか」
「どういうことでございましょう」
隆蔭の問いかけに、光厳院はゆっくりと考えを述べる。
「我らは博多商人に交易を委ねる。元と交易を行うのは博多商人になるわけだ。我らは直接元とのやり取りをするわけではない」
「直接はしませんが、博多商人を介して交易をすることには変わりません」
「博多商人を介して、というところの考え方を変えても良いのではないか。我らはあくまで博多商人に依頼する。そこだけを考えれば良い」
光厳院と隆蔭の話に、重茂は何か嫌なものを感じていた。
こちらが朝廷側を説得する。そういう流れだったはずが、別の方に話が進もうとしている。
「つまり、どういうことでしょう」
「我らは元との交易について一定の協力をする。博多商人はその協力への対価を払う」
光厳院は目を細めながら、もっとも大事な一言を付け加える。
「――交易の成否を問わずに、だ」





