第201話「光厳院と近臣たち(弐)」
院の近臣たちが、一人ずつ歌を詠み上げていく。
重茂には、それがどれだけ良いものなのか分からなかった。
自分の歌に比べれば良い出来なのだろう、ということはなんとなく分かる。
しかし、それを具体的に批評するだけの力量が備わっていない。
「では、次はそこの者たちから詠み上げるが良い」
光厳院が指し示したのは、重茂たちだった。
夢窓疎石たち、あるいは尊氏たちの方が先に指名されると思っていただけに、重茂と重教はギクリとした。
「最後に詠み上げる方が責任も重大というもの。ここらで詠んでおいた方が気も楽であろう」
光厳院なりの気遣いということらしい。
確かにその通りではあるが、急なことなので心の準備はまったくできていない。
ただ、隣の重教はもっと動揺しているようだった。
冷や汗が流れているのが見て取れる。さすがにそれを見たら、緊張している場合ではないと落ち着きが戻ってきた。
「では、不肖大和権守重茂、詠ませていただきます」
周囲の視線を集めながら、重茂は深呼吸をして詠み始めた。
――初春の駿河で見やる富士の山、いと美しく足止めたもう
技巧もなにもあったものではないが、素直な気持ちを詠ったものである。
鎌倉から京に向かう折、駿河国でふと見上げた富士の山はまことに見事なものだった。
一人旅ではないし、役目もあるので足を止めるわけにはいかなかったが、だからこそ留まりたくなってしまった。
詠んでいる最中は堂々としていた重茂だったが、すぐに緊張が戻ってきた。
周囲からはどのような反応が返ってくるか。それは、一瞬のようでいて途方もなく長い時間のように感じられた。
「大和権守」
光厳院が声をかけてくる。
すかさず重茂は「はっ」と頭を下げた。
「私は富士の山を見たことがない。ただ、古の歌などで知るのみである。それほど良きものであったか」
「はい。何度か見たことがございますが、その度に圧倒されます。頂の辺りが白く覆われているのも、まことに不思議なものがあるものだと思わずにはいられませぬ」
「それは良いな。私はこの京を離れることが少ないゆえ、そなたが羨ましい」
光厳院は静かに笑みを浮かべた。
重茂の想像していた院は、もっと曲者で一筋縄ではいかなさそうな人物だった。
しかし、今の笑みはそういうものを一切感じさせない。純粋に羨ましいと思っていそうな顔をしている。それが少し意外だった。
「大和権守殿。一つよろしいか」
院に続いて声を上げたのは、今出川実尹だった。
西園寺家から分かれた家の、若き当主である。
「富士の山は、駿河国だけでなく甲斐国にも広がっていると聞いている。甲斐から見た場合はどのように映るのであろう」
質問の意図がよく分からず、重茂は困惑してしまった。
そもそも、重茂は甲斐から富士の山を見たことはない。
「今出川卿。まことに恐れ入りますが、私は甲斐から見たことはありませぬ。ゆえに、お答えしたくともできませぬ」
「おお、そうだったか。すまぬ、急な問いかけで困惑させてしまった」
「富士の山は日ノ本屈指の山。どこから見ても、その価値は変わらぬだろう」
苦笑いしながら、柳原資明が実尹に言葉をかける。
二人は親子ほどの年齢差があった。どちらも院の近臣で官位も差はないが、両者の間には上司と部下のような雰囲気がある。
実尹は気恥ずかしそうに「いやあ」と言った。
「仰る通り、富士の山の素晴らしさに変わりはありませぬ。ただ、駿河からの歌が多いので、それはなにゆえか、甲斐からはまた違ったものが見えるのかと想像を膨らませてしまいまして。どんなものでも、見方が変われば違うものが見えてくるものですし」
「甲斐は山深き地で、通る者が駿河と比べると少ない。だから歌も駿河より少ない。それだけの話であろう」
「ああ、そういうことでございましたか。甲斐国についての無知を晒してしまいました」
資明に諭されて引っ込む形になった実尹だったが、重茂は彼の「見方が変われば違うものが見えてくる」という言葉に感じ入るものがあった。一見すると変なところに興味を持つ変わり者のように見えるが、それこそ見方次第では賢人のようにも見えてくる。
資明の方は、どちらかというと常識的な思考の持ち主のように見えた。
話し方などから、どことなく教養もありそうな印象を受ける。
性質としては、やや自分に近いものがあるかもしれない、などと思ったりもした。
「実尹の考え方、私は嫌いではないぞ」
光厳院が実尹をフォローするように告げた。
「素朴な歌だが、個人的に嫌いではない」
続いて、西園寺公重が淡々と感想を述べた。
あっさりしていて、実際のところどう思っているのかはよく分からない。
実尹のインパクトが強かったからというのもあるのだろうが、どうも印象に残りにくい人物のように感じた。
四条隆蔭と洞院公賢からは、これといったコメントが出なかった。
上杉の主筋にあたる四条隆蔭は気になる存在だったが、今のところあまり人となりは見えてこない。
公賢は、そこまで歌に興味がないのかもしれなかった。直接聞かれたら何かしらコメントはするだろうが、何事もなければこのまま最後まで黙っていそうな気配がする。
「では、次に移ろうか」
重茂の歌に関する話が一段落ついたのを見計らい、正親町公蔭が重教に目を向けた。
まだ緊張はしているようだが、先ほどよりは随分とましになってきているように見える。
重茂の視線に気づいた重教は、顔をこわばらせながらも頷いてみせた。
――雪積もり道深まりて足止まる、なほし進みて先に向かわん
それは、重教の意外な心情が詰まっている歌だった。
雪に足を取られて歩みが止まってしまう。それでも進まねばならない。
普段はあまりやる気を見せてこない彼には、一見似つかわしくない歌のようにも思える。
しかし、何もないところから咄嗟にこんな歌が出てくるとも考えにくい。
表には出てこない部分で、重教もいろいろと思うところがあるのだろう。
それが窺える部分は、今までも見え隠れしていた。
「良いな」
真っ先に反応を示したのは、意外にも西園寺公重だった。
「今は、誰もが歩みを止めたくなるような時代。それでも行かねばならぬという気概を素直に詠っている。私は、嫌いではない」
「珍しいな、公重よ。そなたが率先して感想を述べるのは」
光厳院が面白そうに公重を見る。
彼はハッとしたような表情を浮かべると、慌てて頭を下げた。
「つい口が回りました」
「構わぬ。むしろ、私は自らの意見を積極的に述べることが出来る者の方が頼もしく思うぞ」
恐縮する公重の所作に、わざとらしさは感じられない。
つい感想を口にしてしまった、というのは偽りではないのだろう。
重教同様、彼にも外からは窺い知れない思いがあるのかもしれなかった。
もっとも、光厳院を除き、周囲の反応は淡泊なものだった。
他の近臣たちは特に反応らしい反応を示していない。
唯一実尹だけは、少し驚いたような表情で公重を見ていた。
「若かりし頃を思い出します」
公重に続いて感想を述べたのは、古先印元だった。
「得度してからの修行の日々。元に渡ってからの、教えについて考える日々。己がどこに向かっているのかも分からず、心が重くなることもありました。それでも歩みを止めずにいたおかげで、今は幾許か見つけられたものもございます」
それは、どことなく重教や公重に対するエールのようにも聞こえた。
歩みを止めなければ得られるものもある。だから、歌に込められた意気込みを失わずにいろ。そう言っているようにも取れる。
「足が重くなる、という点は私にも覚えがある。治天の君などと言われているが――帝だった頃も含め、ままならぬことばかり。治めるということの難しさは、常に私の頭を悩ませている」
だが、今は新しい世が近づきつつある。
吉野の勢力は弱まり、疲弊した諸国もやがては復興を遂げていくだろう。
「この場にいる者たちは、皆すべて私の頼りとする者たちである。各々立場は違うだろうが、天下静謐を目指すという点においては、共に歩みを進められる者たちだと信じている。先へと進むため、存分に力を発揮してもらいたい」
光厳院の言葉に、その場にいた全員が揃って頭を下げる。
尊氏とは異なるが、聞く者に不思議な感動を与える言葉だった。
圧倒されるわけではない。恐ろしいわけでもない。ただ、無視することのできない何かを感じさせる。
治天の君。
重茂は、それがどういうものか、理屈ではなく感覚で理解できたような気がした。





