第17話「福山合戦(弐)」
敵が射かけてくる矢が少なければ、楯板で受けつつ押し進みましょう――。
そう提案した冴えない男の顔が脳裏に浮かぶ。
重茂は則祐と肩を並べて、福山を少しずつ登っていた。
敵はときどき不意をつくように射かけてくるが、その都度則祐が前に出て楯板で受け止める。
「則祐殿、そこまで率先して前に出なくても良いのでは」
「失礼。染みついているのです、前に出て受けるのが」
則祐は明言しなかったが、それはきっと大塔宮と行動を共にするなかで染みついたのだろう。
後醍醐天皇が鎌倉幕府に対し兵を挙げると、大塔宮は比叡山延暦寺の者たちを連れて各地で戦い歩いた。
常に劣勢と言ってよい状況だったが、大塔宮が屈することはなく、鎌倉幕府はついに宮を補足できぬまま滅びることになった。
「まるで敵がどこから狙っているか、見えているようですな」
治兵衛が感嘆の声を漏らすと、則祐は残念そうに眉尻を下げた。
「やはり分からないものなのですか」
「則祐殿は分かるのですか」
治兵衛に問い返されて、則祐が真剣そうな表情で頷いてみせる。
「最初からというわけではありませんが、何度も狙われたからか、なんとなく分かるようになりました。今のところ、俺も分かる、という方にはお会いしたことがありません」
「そうそういてたまるか」
重茂の言葉に、則祐は「そういうものですかね」と首をかしげてみせる。
嫌味とかではなく、本心から不思議そうな様子だった。
「や、弥五郎様とて射かけられた弓矢を造作もなく払うことはできますぞ!」
「対抗するな、治兵衛。見て払うのと、見る前から分かるのとではまったく違う」
見なくとも気配が分かる。
そういうことが可能なら、直義を狙う刺客を探し出すのも随分と楽になることだろう。
「しかし射返してはならぬとは、重茂殿も不思議なことをいうものです。私は方角なら分かりますが、矢の勢いまでは分かりかねますので――」
言いながらも則祐は身体を急回転させて、側面から則祐の首元を討ち抜かんと放たれた矢を受け止めた。
だが矢の勢いが強かったのか、楯板は大きく揺れ、貫通した矢じりが則祐の手を微かに傷つける。
「こういうこともあります。実に危ない」
「その割には落ち着き払っているな」
「冷や冷やしていますよ。なかなか表に出ないだけで」
心根が淡泊なのではなく見えにくいだけなのかもしれない。
そう思いつつ、重茂は「射返すなと言ったのは俺ではない」と則祐の疑問に答えた。
「そう言ったのは山名殿よ。敵は十分な備えをする間もなく城にこもったから、大した数の矢は持っていないだろう。なら敵にだけ矢を射かけさせておけば、すぐに尽きるはずだとな」
事実、敵の射撃は徐々に回数が減りつつあった。
最初の頃と比べると、一度に放たれる矢の数も少なくなってきている。
こちらが射返せば、その矢が敵に再利用される恐れがあった。時氏はその可能性を潰しておこうと思ったのだろう。
変わったことを考える男だという印象を、重茂は持った。
「山名……というと時氏殿ですか」
「そうだ。よく知っているな」
山名時氏は、足利が朝敵とされて以来の戦乱で頭角を現してきた武士の一人である。
足利とも縁のある新田一族の一人ということで重茂は以前から知っていたが、当時は「山名一族の端に名を連ねている男」という程度の認識だった。
「足利殿の御味方には戦が滅法強い御方が多い。師泰殿然り、時氏殿然り。それで覚えていました」
「戦巧者は覚えやすいか」
「覚えるよう努めています。戦に強い者が多ければ、それだけ足利殿の先行きは明るいということになる。無論、戦が強いだけでは駄目ですが」
足利に付き従い続けて本当に大丈夫か、見定めているのだろう。
頼れる者には尽くすが頼れない者は見限る。赤松に限った話ではない。が、特に赤松は油断がならないような気がした。
「則祐殿から見て、足利はいかがか」
「そうですね――」
重茂の問いに則祐が言葉を選んでいると、山頂付近から咆哮が轟いた。
敵勢の動きは見えない。ただ、木々の合間からかすかに見える旗は、東に向かって動いていた。
「おそらく、大丈夫だと思いますよ」
旗を見据えながら、則祐は足を速めて山頂に進んでいく。
その回答をどう受け止めるべきか迷いつつ、重茂は則祐の後を追った。
功にはやるのは下々の振る舞いである。
そう思い定めて、足利高経は福山城の東に布陣したまま動かずにいた。
(南北から高・山名が攻めるというのであれば、奴らに任せておけば良い)
彼らと功を競うのは、足利のすべきことではない。なぜなら足利は功を認める側の者だからである。
宗家として尊氏・直義を立てているが、高経は彼らを主君とは思っていない。足利の者としては同等で、その中の代表かどうかの違いがあるだけだと考えている。
「本当に我らは動かなくて良いのでしょうか、兄上」
「尊氏・直義どものためにあくせく働くのは我らの仕事ではない。先鋒は差し向けているのだ。それで十分であろう、彦三郎」
血気にはやりそうな弟をやんわりと窘めつつ、高経はじっくりと福山城を観察していた。
先鋒を向かわせているのは、城を攻め落とすためというより、物見のためだった。
戦場ではなにが起きるか分からない。見える敵にばかり注意を向けて猪突猛進するのは、将のすべきことではないと考えていた。
「……なにか妙だな」
遠目に見える山の風景が、先程までと少し異なる。
その違和感を抱いて程なく、前線から注進が飛び込んできた。
「殿、敵の大将・大井田氏経が城を飛び出し、こちらに向かって突き進んできております!」
「――ほう」
報告を受けて山の様子を見ると、違和感の正体に気づいた。
木々が、もっと広い範囲で見ると山前面が蠢いている。
おそらく、福山城にこもっていた兵の大部分を引き連れて向かってきているに違いない。
今は山の緑の中に紛れているが、じき、平地に姿を現すことだろう。
「し、しかしなぜこちらに……?」
動揺を必死に抑えながら、高経の側にいた高師秋が疑問を口にした。
「さてな。このまま我らを突っ切って備前三石に戻る腹積もりか、あるいは――」
側に控える旗持ちが掲げる二つ引き両の家紋を見ながら、高経は不敵に笑った。
二つ引き両は、源氏の証。源氏と言えば、足利である。
「総大将を討たんとして、ここを直義めの陣と誤認したのかもしれんな」
「なんとはた迷惑な!」
「戦をしている相手に迷惑だなんだと言っても仕方あるまい、太郎左」
太郎左衛門尉こと師秋は苦い顔をした。
その通りなのだが、文句でも言わないとやっていられないのだろう。
もっとも、そんな師秋の心情をいちいち斟酌する高経ではなかった。
「彦三郎、太郎左。出迎えの支度をせよ」
「それでは兄上、迎え撃つのですね」
「当たり前だ。狼狽して逃げ出すとでも思うたか」
喜色を浮かべる弟に溜息をつきつつ、高経は眼前の敵を睨み据えた。
常に家格に応じた振る舞いをすべし。それが、高経の信念の一つである。
「挑まれた戦であれば受けぬ理由はない。皆の者、うろたえるなよ。この高経の陣においては、見苦しき振る舞いこそ死罪に値すると心得よ」
籠城しても分が悪いと見たのだろう。
大井田氏経の軍が高経の陣に向かっていったとの報告を受けて、山名時氏は「ふむ」と小さく頷いた。
「兄上、どうする。高経殿の救援に向かうか」
「別に行かずとも良かろう。急げば間に合うかもしれんが、そこまでしてあの御仁を助けなければならぬ理由もない。我らの働きを評価するのは高経殿ではないしなあ」
それよりも、と時氏は山頂の要害を指し示した。
「城の方はその分手薄になっているはずだ。先にあっちを取ろう。その方が功になる」
「それで良いのか、兄上」
「ああ、うん。敵の退路を断てば結果として高経殿の援けにもなるし、あとで文句を言われても言い訳できるだろう?」
「そうか。兄上がそう言うならそうしよう」
素直に頷く弟・兼義に、時氏はいささか心配そうな眼差しを向ける。
「お前、もうちょっと自分で考えるようにした方が良いと思うぞ」
「考えてはいる。考えた上で兄上の言葉に従うのが一番だと思っているだけだ」
言いながら、兼義は歩みを早めた。
全軍で城を攻めるのであれば指揮する者がいる。
大将である時氏が前に出るわけにはいかない。となれば、自分が適任だろう。そう考えてのことだ。
「なにしろ、俺は兄上以上の戦上手は知らぬからな」
高経のもとに大井田軍が攻め寄せている。
物見から戻ってきた則祐の報告を受けて、重茂はすぐさま二つの行動を起こした。
一つは、後方に控える大将・師泰にそのことを伝えるための使いをやること。
もう一つは、自ら率いる部隊をもって、大井田軍を追跡することである。
「城を攻め落とした方が早いのでは?」
「そうかもしれん。だが、そういうことならそれは時氏殿がやるだろう。抜け目のない御仁だ」
「同調すれば良いではないですか。そちらの方が功になりますよ」
「俺が時氏殿と同じことをしても後塵を拝するだけだ。あちらは戦上手で知られている」
自分が戦下手だとは思っていないが、時氏に勝るといえるほど自惚れているわけでもない。
「ならば時氏殿がしなさそうなことをする。大井田軍も、高経殿の軍勢とぶつかって足が止まるところがあるだろう。そこに後方から攻めかければ挟み撃ちの形になるし、高経殿の援けになるかもしれん」
「……」
「不服なら則祐殿は山頂に行っても良い。いくらか手の者を貸す」
「いや、お付き合いしますよ」
重茂の前を駆けながら、則祐が振り返らずに答えた。
相変わらずの淡々とした調子である。きっと涼やかで何を考えているか分からないような顔をしているに違いなかった。
「重茂殿」
「うん?」
「重茂殿は、あまり武功を立てる機会に恵まれないでしょう」
「……なぜ分かる?」
「なんとなくです」
則祐の問いかけに重茂は眉をひそめる。
今回の戦での振る舞いだけで、そう思われてしまうような部分があったのだろうか。
そんな疑問に囚われる重茂の耳に、則祐が発する言葉は届かない。
「――足利にも、いろいろと面白い御仁がいるものです」





