第15話「吉備の地を東へ」
諸国から兵が集まってくる。
上洛のため大宰府を発った頃はいささか不安のある兵力だったが、今はむしろどう扱うべきか迷うくらいの規模に膨れ上がっていた。
「とは言え、敵もまだまだおります。油断はできませんな」
鞆の浦の軍議の席で、尊氏・直義の側にいる師直が地図を指し示した。
現在尊氏たちがいる備後国以西は、厚東・大内・小早川といった尊氏派の武士が強い影響力を発揮しているため、足利方と言って良い。しかし、北の石見・出雲の辺りは帝を支持する武士も多く、尊氏に従っている上野頼兼・塩冶高貞といった者たちが制圧に乗り出しているところだった。
「東の戦況はどうなっている」
「備中は今川殿の御兄弟がよく防いでおりますが、備前の石橋殿、播磨の赤松殿は城を守るので精一杯の御様子です」
「むしろ、よく持ち堪えてくれていると見るべきであろうな」
地図の備前・播磨の辺りを見つめて、尊氏は申し訳なさそうに目を閉じた。
備前・播磨は京のすぐ近くで、言わば最前線に位置する。尊氏たちが九州で上洛の準備をしている間も、赤松・石橋らは僅かな手勢で過酷な籠城戦を続けていた。
「則祐殿、円心入道から何か連絡はあったかな」
尊氏に呼びかけられ、末席にいた年若い青年が頭を振った。
播磨で籠城している赤松円心入道の子息・則祐である。当初は父・円心と共に籠城していたが、尊氏に戦況を報告するため九州を訪れ、それ以降行動を共にしている。
「城が落ちていないということでしたら、急ぎ向かわれるのが良いかと存じます。播磨・備前・美作の辺りは凶作続き。籠城している我が父も兵糧不足を嘆いておりましたが、それ以上に寄せ手の新田は苦しいはずです」
播磨を攻めている帝の軍勢――新田一族が率いる軍は、既に相応の期間城を攻め続けている。招集されたときに持参した兵糧はもう尽きかけている頃合いだろう。そういう場合、現地で掠奪するのが常套手段だったが、今はその現地調達も難しい。
腹が減れば士気も下がる。今が攻め時なのである。
「新田勢が遠方から兵粮を運び込んでいるという可能性はないですかな」
「あり得ないとは言い切れません。しかし可能性は薄いと思います、重能殿」
上杉重能の問いに、則祐は間髪入れず応えた。
彼はまだ若いが、後醍醐天皇と鎌倉幕府の戦において何度も実戦を経験したという。
そのため、年齢の割に肝が据わっているところがあった。
「播磨近くの国は凶作と申しましたが、他の国も日照りが続き、蓄えが豊かな国というのはさほど多くないと聞いております。加えて、北条時行の乱から始まるいくつもの合戦で各国は掠奪が多発しています。遠方だろうと、新田勢が兵粮を新たに得られる見込みは薄いかと」
はきはきと話す則祐に、尊氏・直義や重能らは感心していた。
しかし、一人重茂だけは彼に懐疑的な視線を向けている。
(赤松は元々足利とは縁も何もない……それどころか一時は険悪な関係にあった)
脳裏には、先日の直義暗殺未遂の一件があった。
直義が乗る船に不審な者が紛れ込んだ。誰かの手引きがあったからではないか、という疑念がある。
赤松には、直義を恨む理由があった。
かつて彼らが奉じていた大塔宮・護良親王を、直義が殺害したからである。
大塔宮は後醍醐天皇の皇子の一人で、比叡山延暦寺に入山していた。
今、重茂たちの側で情勢についての考えを述べている則祐も、延暦寺に入山している。
そこで両者は接近し、赤松一族と後醍醐天皇の結びつきができた。
しかし鎌倉幕府との戦いの後、後醍醐政権下で大塔宮は足利尊氏と対立。
大塔宮は政争に敗れ、直義が統治を任されていた鎌倉に流された。
そして北条時行が鎌倉を攻めた際、戦の混乱の最中、直義の命を受けた武士に殺害されたのである。
直義がなぜ大塔宮を殺害したのかは分からない。奥州に逃亡して勢力を得ることを恐れたとも、北条時行に奪取されて利用されることを恐れたとも噂されている。
はっきりしているのは、直義が殺害を命じたことを認めたという一点のみだった。
大塔宮と親しかった赤松則祐は、直義に良い感情を持っていないだろう。
他の赤松一族はともかく、則祐には直義を殺害するに足る動機があった。
重茂が則祐に対する懸念に囚われている間も軍議は進み、結局、陸路と海路に分かれて急ぎ播磨に向かうということになった。
海路は尊氏、陸路は直義を大将とし、歩調を合わせて進んでいく。重茂は、師泰や上杉憲顕らと共に陸路を往く軍勢に配された。
「良かったな、これで船酔いとはおさらばできるぞ」
軍議の場からの帰路、笑いながら背中を何度も叩いてくる師泰に、重茂はそっと声をかけた。
「兄上よ、赤松はどうだ」
「どうだとはなんだ」
「先の一件だ。怪しくはないだろうか」
「む、そうだな……まあ、疑うべき点がないとは言えんが」
師泰は慎重な反応を示した。
一見すると大雑把でいい加減に見える兄だが、何に対してもずぼらなわけではない。
考えるべきところではきちんと考える。そういう抜け目のなさも持っている。
「怪しまれるのはごもっともだと思います」
そのとき、後ろから声をかけられて、重茂と師泰は思わず飛び跳ねそうになった。
いつからいたのか、すぐ後ろには噂の則祐の姿がある。
「実際、私は直義殿に対して思うところがあります」
「……いやに正直だな、則祐殿」
「隠すようなことではありませんので。そんなことは、尊氏殿も直義殿も承知しているでしょうし」
それではこれにて、と則祐は涼しげな顔つきで重茂たちを追い越していく。
あまりに淡々とした振る舞いに、重茂と師泰は呆然と見送ることしかできない。
「あそこまでサッパリした奴もいるものなんだな」
「ううむ。疑っておいてなんだが、なにやら違うような気がしてきたぞ、兄上」
「考えてみれば、直義殿を殺したいと思ってる者などそこら中にいるだろうしな。我らの味方以外、ほぼすべての武家がそうではないか?」
師泰が口にしたとき、二人の視界に馬上の直義が入ってきた。
直義は重茂たちに向かって静かに微笑むと、馬を進めて二人に並んだ。
「それだけ我が首に値打ちがついたのであれば、もののふ冥利に尽きるというものだ」
「聞こえておりましたか」
「聞かれて困る内容であれば、もう少し場所を選んで話した方が良いぞ」
「そうだぞ、弥五郎」
「むっ」
言われてみれば、ここは往来である。
師泰に言われただけなら反論していたところだが、直義からも指摘を受けたとあっては抗弁もできない。
便乗してきたような師泰にやや不服の視線を投げつつ、重茂は渋々頷いてみせた。
「重茂、船上では助かった。お前がおらねばこの命はなかったかもしれん」
「もったいなきお言葉にございます」
「謙遜するな。お前の物覚えの良さは頼りになる。これからも不審な点あらば遠慮なく申すが良い」
直義はそれだけ言うと、馬を進めていった。
それを見送る重茂の表情には、喜色が見え隠れしている。
「聞いたか、兄上。直義殿は俺を頼りにしているそうだ」
「ああ、聞いた。良かったなー、弥五郎よ」
どことなく棒読みに聞こえる師泰の言葉も、今の重茂には気にならなかった。
自分は役に立たないのではないか。そういう思いを背負い込んでいた重茂にとって、直義の言葉はなによりもありがたい。
「兄上。俺は今から直義殿の身の回りを確認してくる。どこに曲者がいるか分からぬからな」
「……ちゃんと考えて動けよ?」
「分かっている」
どこか危ぶむような師泰の真意を理解しているのかどうか。
重茂は、獲物を見つけた獣のように駆け出した。
神経を尖らせて直義の近辺を見て回った重茂だったが、不審なものは見つからないまま進軍が始まった。
同じ手は使わないということなのか、あるいは諦めたのか、こちらの隙を窺っているのか。
「弥五郎様、大丈夫でございますか。なにやらお疲れのようですが」
進軍中、郎党の治兵衛がそんな風に尋ねてきた。
どうも傍からも分かるくらい、疲れているように見えるらしい。
「治兵衛、俺は確かに疲れているかもしれん。だが、不思議と気力はいつも以上にあるのだ」
直義率いる軍勢は、各地から集う武士を吸収しながら備中草壁で足を止めた。
この地で止まったのは、少し進んだ先にある福山の地に新田勢がいるからである。
足利勢上洛の動きを察した帝方の武家・新田一族は、大井田氏経という歴戦の強者を差し向けた。
大井田氏は新田氏の支流で、氏経は新田氏惣領の義貞に従って鎌倉幕府との戦で功名を立てた男である。
合戦になる。
その前に、各地から集った武士たちを整理する必要があった。
着到帳の作成である。
今回の着到対応で、重茂はいつも以上に相手の様子を注視した。
西国の武士は見知らぬ者が多く、得意の記憶力はあまり頼りにならない。
だからこそ、不審な点がないかどうか丹念に窺う必要があった。
そんな中、知った顔が重茂の前に姿を見せた。
「三浦高継、足利殿御上洛と聞き及び、美作での戦を切り上げてこちらへ参上いたしました」
着到の口上を述べたのは、尊氏たちが九州を発った際、孤軍奮闘する赤松・石橋らの援軍として先行させた三浦高継という武士だった。元は相模の武士である。
足利氏縁の者というわけではないが、曽我師助同様、足利が後醍醐から朝敵とされたときから従ってきた、信頼できる武士の一人である。
「三浦殿、ご健勝のようでなによりです」
「重茂殿は、いささか前よりもお元気になられたようで」
「美作での戦は切り上げられたとのことですが、戦況はどのようになっていますか」
「敵は石橋殿がいる三石、そしてこちらの福山に兵を移しております。故に我らもこちらへ来ることにしたのです」
新田勢も、足利軍の接近を重く受け止めているらしい。
他よりも優先度を上げて対応しようとしているようだった。
「それと、一つ直義殿にご報告したき儀がありまして」
「なにか問題でも?」
「いえ。これは重茂殿らにも伝えておいた方が良いと思うので申し上げますが――」
家人が北条泰家らしき男を目撃した――と高継は告げた。
「我ら三浦はこれまで北条殿に従っておりましたので、家人の中にも泰家殿の顔を見知った者がおります。見間違いという可能性もありますが、人目を避けるようにしていたとのことなので、念のため報告しておこうかと思い」
「……北条が」
先年、ともに北条を打ち滅ぼした足利・新田が対峙する地に、北条の残党が姿を見せる。
重茂は、そこに嫌な予兆のようなものを感じ取った。
「三浦殿、ご報告いただきかたじけない。その話、是非直義殿にもお伝えいただきたい」
着到の挨拶を終えて退出する高継を見送りながら、重茂は不意に周囲へ視線を走らせた。
確信はない。ただ、今のやり取りを泰家に見られていたのではないか、という予感がしたのである。





