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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第4章「天龍の秋」
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第171話「近衛経忠の一手(了)」

 重茂しげもちは一人、佐々ささき道誉どうよと向き合っていた。

 場所は、道誉邸の一角にある離れの一室である。


 両者の表情は、いずれも険しいものだった。

 重茂は既に、用件を伝えている。


 塩冶えんや高貞たかさだの裏切りを阻止せよ、そうすれば減刑を殿にかけ合う。

 それが、道誉に対する第一声だった。


秀綱ひでつなか」


 長い沈黙のあと、道誉はぽつりと我が子の名を呟いた。

 重茂が、秀綱を介して情報を得たことを察したのだろう。


「決定的だったのは秀綱殿の話だったが、それ以前から高貞殿と道誉殿の動向は気になっていた。なかなか尻尾を出さないし、他の仕事もあったので、対応は遅れてしまったが」

「私はともかく、あやつはあまり隠し事が上手い方ではないからな。慎重ながらどこか正直で、下手に何か立ち回ろうとすると人に疑われるところがある」

「道誉殿も大概胡散臭いし疑わしいが」

「私は常に胡散臭いからいつものことだと流される。木を隠すなら森の中というやつだ」


 信用されない、ということを逆に生かして立ち回っているのだろう。

 言うは易く行うは難しだと思うが、実際道誉はそれで今日まで生き延びている。

 そういう生き方が性に合っているのかもしれない。


「しかし、そんな疑わしい私を此度重茂殿は『裏切っていない』と見たわけだ。そうでなければ先ほどのような提案は出てこない。理由を聞かせてもらっても良いだろうか」

「はっきり言うと、裏切っていないという確信は持てていない」


 秀綱の話を聞いている限り、旗幟を明らかにしていないようだが、それだけで裏切っていないとは言えない。

 リスクやメリットも踏まえると、吉野よしの方に鞍替えしている可能性も十分ある。


「だからこそ提案したのだ。この提案を受けて道誉殿がどのように動くか、それで判断する」


 高貞と連携して動く素振りを見せたら討伐対象に加えるし、こちらの要求通り高貞を諫めようとするなら減刑措置をかけ合う。

 状況は既に動きつつある。道誉の本心をああだこうだと推察しているような時間は、もはや残されていない。


「悪くない判断だ。私としても重茂殿の提案はありがたい。そちらから持ち掛けてくれた方が、話を進めやすいからな」


 もしかすると、道誉は道誉で困っていたのかもしれない。

 塩冶高貞に加担するか決めあぐねていた、あるいは加担しないと決めていても次のアクションをどうするか悩んでいた――ということは十分に考えられる。


「高貞は此度の北陸攻めの際、西の吉野方に備えると称して出雲いずもに戻るつもりだ」

「……国許の兵力と合流するつもりか?」


 今も高貞は多少の手勢を連れてきているが、他と比べて格段に多いというわけではない。

 単独で事を起こすには、どうにも少ない。


「そうだ。その上で京に向かって攻め寄せてくる。おそらく、北陸以外の吉野方が呼応するのだろう。それで一気に京を落とすつもりでいる」


 実現できれば、京の足利あしかが方に大打撃を与えられる可能性がある。

 光厳こうごん院や尊氏たかうじ直義ただよしといった要人を押さえることもできるかもしれない。

 吉野方にとっては、千載一遇の好機となるだろう。


「ようやく腑に落ちた気がする。おそらくこれが、近衛このえ卿が描いていた図面だ」


 自分自身の存在をそれとなくアピールして足利方の意識を引きつけつつ、各地で吉野方一斉挙兵の準備を進める。

 更に、足利方がそれに気づいて軍勢を差し向けることまで読み、その隙を突くための伏兵を仕込む。

 それが、この局面において近衛経忠(つねただ)が打った一手なのだ。


「各地の吉野方はどのみち本格的に動き出す。足利としては何かしらの対応策を取らざるを得ない」

「どうにかするなら、高貞を押さえるしかない、というわけだ」

「しかし、それに連動して動く手筈が整っているのであれば、もはや高貞の説得は」

「難しいと言わざるを得ない。先手を打つなら、高貞の身柄を今すぐにでも押さえることだ」


 道誉の提案に、重茂は唸りをあげた。


「簡単に言うが、木っ端武者ならともかく出雲守護だぞ。足利の身内でもない。よほどの証拠がなければ身柄を押さえることはできん」


 言ってしまえば、高貞は足利にとって外様の協力者だった。

 そんな相手に強引な対応をすれば、他の外様からの心証が悪化する。

 武家の棟梁として未成熟な足利政権に、見逃し難い瑕がつくことになる。


「私の証言だけでは不足かな」

「我々が信用するかどうかはともかく、他人が見て納得するような証拠になるとは思えん」


 特に朝廷は難色を示すことだろう。

 流罪が決まっている罪人の証言で要職に就いている者を取り押さえるのは、明らかにおかしい。


「ならば、押さえたように見えない形で高貞の身柄を押さえてしまえば良い」


 道誉は奇妙なことを言い始めた。


「どういうことだ」

「要は、高貞が出雲に戻れないような状況にしてしまえば良いのだ。寝返るための機会を封じてしまえば、あやつもこちらに残るしかなくなる」

「直接身柄を押さえる以外に、そのような方法が――」


 あるはずがない。

 そう言いかけて、重茂は言葉を止めた。

 不意に、一つの案が浮かんだからである。


 その様子を見て、道誉もニヤリと笑みを浮かべた。


「今は北陸攻めの陣容を整えているところなのであろう」

「そこに、高貞を捻じ込むのか」

「左様。京に連れてきている出雲勢だけでは少ないからと、周囲を足利方の信頼できる者たちで固めておけば良い。お飾りの将にするのだ」


 お飾りだろうとなんだろうと、将として任命されれば勝手な行動を取ることができなくなる。

 出雲守護という職についているのも、この場合都合が良い。軍勢を率いる将として、恰好の立場である。


「説得はその後で行う。それで奴が叛意を収めたら、多少なりとも温情をかけてやって欲しい」


 道誉の言葉に、僅かながら熱がこもったような感じがした。

 重茂は黙って頷く。高貞が吉野方に鞍替えしようとしたのは、足利方にも何か問題があったということなのだろう。

 お咎めなしというわけにはいかないが、死罪を免じて流罪にするくらいの措置は取っても良い。


「この話、直義殿にはすることになるがそれで良いか」

「已むを得まい。高貞を捻じ込むなら、その意図を説明する必要が生じるだろうからな。ただ、他の者にはあまり口外しないで欲しい。できればこの件は内々で済ませたい」


 高貞寝返りの話を広めてしまえば、彼を追い詰めてしまうことになる。

 穏便に事を済ませたい道誉としては、望ましくない展開なのだろう。


 重茂は頷くとすぐに立ち上がり、急いで直義邸へと馬を走らせた。




「なるほどな」


 話を聞き終えて、師直もろなおは目を細めた。

 正面に、師秀もろひで上杉うえすぎ重季しげすえ顕能あきよしの三人が神妙な面持ちで座っている。


 洞院とういん家の加賀かが入道の連れが、塩冶邸に運び込まれた。

 中立寄りの姿勢を見せているとは言え、洞院家は吉野とも繋がりを持っていた。

 その前提を踏まえると、塩冶も吉野と何かしらの関係を持っていると見て良さそうだった。


「いかがいたしましょう。塩冶殿は少数ながらも出雲勢を連れてきております。吉野方に呼応するような動きを取られたら厄介なことになるかと思いますが」

「と言って、身柄を押さえて拘束するだけの根拠がない。俺の方でも塩冶殿については調べを進めているが、今一つ決定的な証拠は出てきていないのだ」


 兼好けんこうの手を借りて塩冶邸に探りを入れたりはしているが、現時点で糾弾できるような材料は揃っていない。

 ただ、三人の報告によって疑わしさがより濃くなったのは確かである。

 近々軍勢を動かす話もある。身近な不穏分子をこれ以上放置しておくのは、好ましくない。


「塩冶殿のことについては、俺の方で対策を考える。一旦お前たちは下がって良い」

「承知しました」

「それと、くれぐれもこのことは口外するな。どこから話が漏れるか分からん」


 疑われているということを、塩冶高貞に気づかれてはいけない。

 そのためには、情報を出来る限り封じ込めておく方が良い。


「重茂の叔父上には言っても良いでしょうか。まだ会えてないので、この話はしていないのですが」

「……いや、一旦止めておけ。必要だと思ったら、そのとき俺から伝える」


 重茂は口こそ堅いが、腹芸がそこまで得意ではない。

 下手に情報を共有すると、その振る舞いから相手に何かを悟られるという懸念があった。


 三人を下がらせた後、師直は今の状況と塩冶高貞が持つ影響力について吟味した。

 どう動くのが最適解か。第一に考えるべきは、吉野方との戦いにおいて足利の優位性を保ち続けることにある。


「――斬ってしまうのも、一つの手か」


 身柄取り押さえより過激な対応になるが、後腐れはない。

 決定打こそないが、現時点で大分疑わしい点は出てきているのだ。

 踏み切っても良いのではないか、という気はする。


 だが、さすがに性急すぎる気もする。

 なにかキッカケが必要だった。斬られても仕方ないと、第三者が思えるようなキッカケが。


「北陸攻めが始まるまで」


 それまで様子を見る。

 そこが、リミットだった。




「ここまでで良い」


 大和に向かう道の途中、近衛経忠は見送りに来ていた遠子とおこたちに声をかけた。

 ここに至るまで猿楽一座に身を扮していたが、あとは供を連れて吉野まで行けるだろう。


「よろしかったのですか、最後まで見届けずに」


 遠子が言っているのは、この先京で起きる出来事のことだろう。

 経忠は打った一手は、既に波紋を生み出している。じきに結果が出ることだろう。


「私が思い描いているのは、日ノ本全土を巻き込んだ絵図だ。京にいようと吉野にいようと、さして変わらぬ。京で打つべき手は既に打ち終えている。もはや留まる理由はない」


 それに、これ以上京に留まっていると自身が盤面の駒になりかねない。

 あくまで自分は駒を動かす側の人間なのだと、そう経忠は自負していた。


「どのような結果になるか、私は京で見届けたいと思います」

「好きにするが良い」


 思い描いていた通りの結果になるのか、想定外の事態になるのか。

 それは、経忠自身にも分からない。物事というのは、万事思い通りになるわけではない。

 どんなことでも、少なからずイレギュラーな要素が入り込む。今回の重茂との会談なども、その一つだろう。


 京の方角を振り返り、経忠は静かに目を細める。


「見せてもらおうか。足利の一手を」

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