第168話「近衛経忠の一手(拾壱)」
近衛経忠との会談が終わった翌日、重茂は直義邸を訪れていた。
山名時氏上洛に伴って、今後の戦略を決めるための会議が開かれるためである。
集まっているのは、直義・師直のほか、山名時氏、畠山国清、仁木頼章、道倫こと細川和氏、細川定禅、桃井直常、土岐頼遠、佐々木氏頼といった顔触れだった。畿内近辺で活動している足利方の主要メンバーと言っても過言ではない。
ただ、この日尊氏は顔を見せていなかった。暦応寺建立の件で、夢窓疎石・光厳院と話があるらしい。もっとも、足利の戦略は現状直義に一任されている。尊氏が不在だったとしても、さほど大きな問題はない。
「皆の尽力により、現在我らは吉野方を上手く押さえ込むことができている。まずはその点について謝意を述べたい。ありがとう」
直義は諸将に対し、軽く頭を下げた。
尊氏が半ば隠居状態にある今、直義は幕政だけでなく足利家のことも取り仕切るようになっている。
事実上尊氏から足利家を相続して当主のような立ち位置になったのだが、それでも直義は当主として振る舞わなかった。
あくまで自分は尊氏の名代である、という考えがあるのだろう。だから、諸将に対しても偉ぶるようなところがない。
「ただ、懸念事項も少なくない。今日はそれを解決するため、各々の意見をお聞きしたいと思っている」
「現在問題となっているのは、叡山による訴訟、興福寺による訴訟、北陸の新田勢攻略、伊勢攻略およびそれに関連して生じた問題、そして坂東攻略、この五件だ」
意外と多い。直義から話を引き継いだ師直の説明を聞いて、重茂はやや気が重くなった。
足利が優勢なのは確かだろうが、まだまだ安心できるような状況ではない。
今日の会議で方針を誤れば、一転して追い込まれる可能性もありそうだった。
「まず、叡山の訴訟に関する件だ」
これは勿論、妙法院焼き討ちを発端とする例の問題のことを指す。
事情をあまり知らない者のため、師直があらすじを説明した。
「佐々木父子を流罪とする時期のみが未定だったが、山名殿が上洛してくれたことで戦力面での不安は緩和された。また、氏頼殿による近江武士の掌握も徐々に進んでいると聞いている。佐々木父子がいなくとも当面は問題ないであろう。よって、四月頃目途で両者を出羽および陸奥に流罪とすることにしたいが、各々いかがか」
直義の問いかけに反対する声はなかった。
佐々木道誉・秀綱父子の処遇については、少し前から決まっていたことである。
時期をどうするかという点が残課題として残っていただけなので、今更否という意見が出るようなことはないだろう。
「続いて興福寺の訴えの件だ。定禅、現状を説明してくれるか」
「はい」
定禅は湊川の戦で共に戦った、細川氏の武将である。顕氏の弟であり、道倫からすると従兄弟にあたる。
一時期は有力な武将として将来を期待されていたが、少し前に病を抱えてからは顕氏の補佐に徹していた。
「大和国は興福寺を筆頭に、一応京に恭順する姿勢を取っています。ただ、一部は吉野方について敵対する意思を見せています。その代表格が西阿と呼ばれる男です」
後醍醐が吉野に向かった頃に挙兵した男で、足利方も何度となく討伐を試みているが、未だに討ち取りきれていない。
西阿の厄介なところは、そのしぶとさもさることながら、活動の一環として興福寺の所領を荒らしまわっているという点にある。
おかげで足利方は、西阿の討伐を継続しつつ、興福寺からの苦情にも対応しなければならなくなっていた。
年末年始、佐々木道誉父子の一件とは別で強訴が行われたが、その原因がこれである。
「現在我が兄・顕氏は、西阿に協力する大和の住民たちの鎮圧を進めております。西阿のみを狙っても、どこかに逃げ込まれ、折を見て再起を図られてしまう。それを防ぐため、まずは逃げ場を潰すことを優先しているのです」
「かなり時間がかかっているようだが」
「大和国は大なり小なり興福寺の影響下にあるので、お伺いを立てなければならぬことが多いのです。時間はかかっていますが、苦戦しているというわけではありません」
直義の指摘に、定禅は堂々と答えた。
顕氏は今も大和国に出向いて、粛々と西阿討伐の準備を進めている。
彼に任せたままで良いのかというのを、直義は気にしているようだった。
「直義殿。ここは顕氏殿に賭けてみようじゃありませんか」
声をあげたのは、大和の隣国である紀伊国を任されている畠山国清だった。
彼は重茂の弟・師久と共に叡山攻略を担当していた足利一門の一人である。
建武・延元の乱での活躍が認められ、要所である紀伊国の守護となっていた。
「隣から見てる分には、顕氏殿の動きに悪い点は見受けられない。大和がいろんな意味でやりにくいのは俺もよく分かる。もうちょっと待ってみましょう。ここで下手に手を入れれば、かえって西阿に付け込まれるかもしれませんぜ」
「ふむ」
顕氏や定禅もそうだが、国清も足利一門の中では戦巧者として知られている方である。その意見は軽視できない。
「どちらかというと、俺は伊勢攻略の方が気になっていますがね」
紀伊は伊勢とも隣り合わせである。
国清の拠点は伊勢から離れたところにあるが、それでもいろいろと話は聞こえてくるものらしい。
「ならば、伊勢攻略の件から先に話すとしよう。こちらは率直に言って上手くいっていない。かなり苦戦している」
大和国は西阿が妨害活動を続けているだけで、概ね足利方についている。
西阿についても、しぶといと言えばしぶといが、単独で脅威となるほど大きな存在ではなかった。
しかし、伊勢は違う。
伊勢国の大部分は北畠親房の手で吉野方についており、吉野を側面から支援する重要な働きをしている。
加えて士気も高いようで、重茂や師直の従兄弟・師秋が率いる足利方の軍勢を何度も撃退していた。
師秋が弱いのか伊勢の吉野勢が強いのかは分からないが、少なくとも現状、師秋の手勢は士気が相当低下しているという。
「伊勢攻略ができていないのも問題だが、我が方で厭戦気分が広がっているのも無視できない。脱走者が出ているという話もある」
「ああ、俺が報告したやつですか」
今回の会議が始まる前、国清は紀伊の守護所にいた。
そこで部下から、飽浦信胤なる武将が人目を避けるように紀伊国を通過していったという報告を受けたらしい。
「不審に思って声をかけたらしいが、直義殿からの密命で詳しくは言えない、の一点張りだったそうだ」
「ちなみに、私は一切聞いていない。師秋の手勢に加わった武士の中に、その名前はあったはずだが」
師秋の手勢に加わっていた武士が、偽りを述べて紀伊を通ってどこかへと行方をくらませた、ということになる。
「飽浦信胤なる名前、覚えがあります。行先はおそらく備前の辺りでしょう」
声をあげたのは定禅だった。
聞くところによると、信胤は湊川の戦いの頃、一時定禅の指揮下にいたのだという。
そのとき、信胤の本拠が備前だということを確認していた。
「単に帰国しただけなのか、吉野に寝返ったのか、どちらだと思う」
「こういうときは悪い方で考えるのが良いでしょうね。信胤自身は単独で脅威になるほどの勢力ではありませんが、近隣勢力に伝手があります。他の武士団も巻き込んで吉野方に寝返ろうとしているのであれば、まずいことになるかもしれません」
伊勢攻略に関連して生じた問題というから師秋の方で何かあったのだと思っていたが、予想以上に厄介な話に発展しそうだった。
「加えて、ここ最近は北陸の新田勢も勢いを増してきている。新田義貞の戦死によって衰えたかと思ったが、もう一勝負仕掛けるつもりのようだ。高経殿から、援軍が必要だという知らせが届いている」
北陸の新田勢が弱体化しているのは間違いないだろう。
しかし、窮鼠猫を噛むということもある。乾坤一擲の大勝負で形勢が変わる、ということは十分考えられた。
「なにやら、囲まれそうになっている気がしますな」
時氏がぽつりと呟いた。
場が静寂に包まれる。直義は口元に手を当てて、厳しい表情を浮かべていた。
西の備前。南の大和。北の叡山。東の伊勢。そして新田勢のいる北陸。
問題が起きている場所を列挙すると、確かに京をぐるりと囲もうとしているようにも見える。
「そんなこと気にするほどの勢いがあるとは思えんが。一番の脅威は伊勢か北陸の連中だろうが、そいつらとてこちらまで攻め寄せるほどの余裕はあるまい」
直常が時氏の指摘に対する疑問を口にする。
確かに、どこの吉野方も足利の攻勢に対して抵抗するばかりで、こちらに攻め寄せてくるほどの余力はなさそうに見える。
「飽浦信胤のように寝返ろうという者が、他にもいた場合――あまり楽観視することはできないと思いますが」
時氏の言葉を聞いて、重茂の脳裏にふと塩冶高貞のことが浮かんだ。
彼が吉野方に通じている場合、出雲も敵に回る可能性がある。
近場の山名勢が押さえられれば良いが、時氏は結構な数の軍勢を引き連れて上洛していた。
仮に今出雲で蜂起された場合、後手に回る恐れがある。
「仮に各地の吉野方が一斉に勢いを増してきた場合、我らは一気に窮地に追いやられる可能性があります。ここから戦力を動かす場合、そのことは十分に考慮された方が良いかと思います」
時氏の提言に、直義は短く頷いた。
彼もどちらかというと、この事態を重く見ているらしい。
「現在、我らは京に戦力を集めている。これは近頃吉野方が不審な動きをしているためだ。包囲の懸念もあるが、この京で何かが起きるという懸念もある。その抑えとして山名勢には来てもらっている」
外側ばかりに目を向けてもいられない。
内外ともに、吉野方はこちらに戦いを仕掛けてきている。
「一方、このまま京だけを固めているわけにもいかない。坂東は戦力不足でかなり苦労しているという。師冬からは、師直を下向させて欲しいと要請が届いている」
坂東は坂東で、予断を許さない状況にある。
師冬の手勢は少なく、敵対している吉野方の北畠親房は各地に調略の手を伸ばしている。
小山・宇都宮辺りは動きが怪しくなってきているという話もあった。あちらはあちらで、手を打たねばならない。
「私は師直にある程度の兵力をつけて下向させた方が良いと思っているが――各々の見解はいかがか」





