第163話「近衛経忠の一手(陸)」
上杉重季は、父・重能の苦労を知っている。
物心ついた頃から、彼は重能の置かれている立場をぼんやりと理解していた。
上杉重能と名乗ってはいるが、重能は元々「上杉家」の一員ではなかった。
重能の父が、上杉一族ではないからである。
ただ、重能の父は早逝した。
残された母子を憲顕の父・憲房が引き取り、その養子となったことで、重能は上杉家に組み込まれることになった。
憲房は重能母の兄弟なので、赤の他人だったわけではない。それでも、上杉家にとって重能は半分余所者だった。
そんな境遇にあって、重能は己の能力をもって立場を確立していった。
人が避けるような仕事も進んで手を着けた。自らの有用性を証明し続けた。
重房が亡くなるまで、次代の上杉家は憲顕・重能の両名が主導していくのだと皆が思うようになっていたのだ。
そこに至るまで父がどれだけ苦労してきたか、重季はよく知っている。
重季にとって父の姿は誇りだった。
父が築き上げていた信頼と実績を受け継ぎ、より発展させていく。
重季の目標がそのように定まったのは、自然の成り行きだったと言って良い。
しかし、現状はどういうことだろう。
洞院家の人間を尾行していたつもりが、相手にバレた挙句、挟み撃ちにあっている。
「まず聞かせてもらいたいのですが、私を尾行していた目的はなんでしょうか」
尾行対象だった男――加賀入道が静かに問いかけてくる。
きわめて平坦な聞き方だった。世間話をするかのようなトーンである。
しかし、こちらを逃がすつもりは毛頭ないようだった。
「大和権守殿のことを尾行している不審な影があったので、その様子を窺っていたのだ」
「なるほど。その理由について、説明は必要でしょうか」
加賀入道の弱味を突こうと思ったが、相手は特に動揺する素振りも見せず、平然と聞き返してきた。
「大和権守殿は、どうも何かを探ろうとして当家に足繁く通われているご様子。となれば、洞院家に仕える身としては事情を探りたいと思うもの。……それが彼を尾行した理由です。ご納得いただけたでしょうか」
堂々とした説明に、重季は頷くほかなかった。
重茂が洞院家を調査しようとしているのは事実なのである。
「しかし妙ですね」
「妙?」
「大和権守殿の尾行はとっくに終わっている。それはそちらもご存知でしょう。今もこうして私のことを尾行しているのは――別の理由もあるからではないですか?」
加賀入道の追及に、重季は言葉を詰まらせた。
この流れは良くない。洞院家を探ろうとしていたつもりが、逆にこちらの内情を探られている。
「おそらくそれは大和権守殿が当家を探る目的とも合致している。……当家は、どういう疑いを向けられているのでしょうか」
冷たい視線が重季を射抜く。
洞院家は宮廷社会においても大きな影響力を誇る家だった。
今、そこと関係を悪化させるのはまずい。重季個人の問題ではない。上杉家だけの話でも収まらない。足利・四条家をも巻き込んで大事になる可能性がある。
そんなことになれば、父・重能が築き上げてきたものが一気に瓦解するかもしれない。
この場で加賀入道たちを斬り殺して隠蔽するか。
一瞬そんな考えが脳裏をよぎったが、発覚したときより大きな問題に発展し得るというリスクがある。
なにより、加賀入道の佇まいは素人のそれではない。勝てるかどうか、正直分からなかった。
一か八か突破を試みる、というのもまずい。逃走に成功したところで、後から追及されることになる。
やはり斬るしかないか。
重季の思考がそちらに拠ったのを察したのか、加賀入道たちも微かに殺気を見せ始めた。
周囲の空気に緊迫感が漂い始めた、まさにそのとき。
「そこで何をしている!」
重季たちを囲んでいる加賀入道らの更に外から、何人かの男たちが姿を見せた。
その中には、なぜか別行動を取っていたはずの重教も混じっている。どうやらこの集団は、重教が連れてきたらしい。
突然のことに加賀入道らも戸惑いを隠せていないようだった。
「このように人通りの少ない場所でただならぬ様子。どうやら話を聞く必要があるようだ。双方、ご同行願おうか」
そう口にした重教の姿を認めて、加賀入道は初めて表情に怒りの色を見せた。
「そなたは大和権守の……そうか、我らを嵌めようという魂胆だな」
「何を想像しているのかは知らないが、中にいる三人と俺は別行動中だった。こういう形で遭遇したのは偶然だ」
「ならばお引き取り願おうか。無関係だというなら、口を挟まないでもらいたい」
「そっちには俺の身内もいるのでな。事情は知らんが、放っておくわけにもいかない。悪いが、俺の方で預からせてもらう」
加賀入道の言葉を適当にいなしながら、重教はその場にいた全員を取り押さえるよう男たちに命じた。
重教からの報告を聞いて、重茂は深いため息をついた。
吉野方と繋がっていたという明確な証拠もないのに、洞院公賢の家人である加賀入道を召し捕らえた。
そうしなければまずいことになっていた、というのが重教の言い分である。
「お前の言い分も分かる。分かるが、この後の展開によってはもっとまずいことになりかねん」
「師秀や重季たちの話を聞く限り、加賀入道の動向に不審な点があったのは確かです。無理矢理にでも吐かせれば良いんですよ」
「確証までは得られていないのだろう。吉野に通じていない可能性もある。もし最後まで吐かなかったらどうする」
重茂に問われ、重教は言葉に詰まったようだった。
側で話を聞いていた師秀・重季・顕能も、皆気まずそうに顔を伏せている。
自分たちの失態が招いた事態だと、責任を感じているようだった。
ちなみに、重教は加賀入道の手前重季たちも取り押さえたが、形式的な事情聴取をしてすぐに解放されている。
傍から見れば、高一族が洞院家の家人を嵌めて捕らえたようにしか見えない。
「しかし、よく都合の良い折にその場に駆けつけられたな」
「俺はずっとこの三人を尾行してたんですよ。二重尾行というやつです」
師秀や重季が窮地に陥ったとき、カバーできるようにしていたのである。
満点とは言えないが、重教が駆けつけなければ三人がどうなっていたか分からない。
重教の考えは、ある程度状況に対して刺さったといえる。
「捕らえたのは、加賀入道と、もう一人だったな」
それまで黙って話を聞いていた師直が、静かに口を開いた。
裏路地で重季たちを挟み撃ちにしたのは二人。加賀入道と、素性不明の侍である。
「そちらの素性は分かったのか?」
「いえ、今はまだ何も。ただ、洞院家では見たことのない奴でしたね」
「我々を挟み撃ちにする際、突如現れたんです」
重季の言葉に頷くと、師直は重教に「吐かせるならそちらだ」と伝えた。
「加賀入道はなるべく丁重に扱え。洞院家との関わりに影響が出る。もう一人は、自らの素性も明かさぬし、我らに対して何か後ろめたいものがある輩だろう。そちらを徹底的に締め上げろ。尋問の様子は加賀入道にもそれとなく伝わるようにしておけ」
重教はそれを聞いてすぐに駆け出して行った。
洞院家がいつ動き出すか分からない。動くなら早めに動く必要があった。
「じきに状況は洞院家にも伝わるだろう。ならば、我らからあらためて正式に洞院家へ使いを出しておくか」
「加賀入道に不審の儀あり、それによって一時召し捕らえさせていただいた――というところですか」
「そうだ。この場合、沈黙は非礼にあたる。それは公賢卿がもっとも嫌うところだろう。我らは我らで、堂々と対応する」
「承知しました。では、私が洞院家に向かいましょう」
重茂は早速出立することにした。
なるべく早めに伝えた方が良い。こういうのは、後になればなるほど印象が悪くなる。
「弥五郎」
立ち上がってその場を後にしようとする重茂に、師直が声をかけてきた。
「上手く情報を引き出せず、洞院家が我らを訴えてきたとする。その場合、どの辺りが落としどころになると思う」
その場にいた全員の視線が重茂に集中する。
事が上手く運ばなかったときにどうするか。それは、考えたくないことだが、考えておかなければならない。
「直接本件の指揮を執っていたのは私です。私が責を負うのが筋というものでしょう」
特に考えることもなく、重茂は当然のようにそう言った。
最初から、責任は自分で負うつもりだった。それが責任者というものである。
「そこで済むと思うか」
「済むよう、兄上がなんとかしてください」
足利や四条にまで事が波及しなければ十分だろう。
それくらいなら、師直がなんとかしてくれるはずだ。
「苦労をかけるな」
「それを言うのはまだ早いですよ、兄上」
事態はまだどう転ぶか分からない。
重茂は振り返ることなく、洞院邸に向かって馬を走らせた。





