第161話「近衛経忠の一手(肆)」
洞院家の邸宅は、大臣職も務めたほどの家として見ると、やや質素なものだった。
庭園についても、そこまで凝って手入れをしているようには見えない。
思っていたより地味だ――そんな印象を持ちながら公賢の居室を訪れた重茂たちは、そこで度肝を抜かれることになった。
「こちらでございます」
重茂たちを案内してきた光綱が戸を開くと、部屋一面に積み上げられた書物が視界を埋め尽くした。
整然と積み上げられているので、とっ散らかっているという印象はない。
どちらかというと、純粋に圧倒されるような思いだった。
そんな部屋の中心で、こちらに背を向けて何かに目を通している男がいる。
「公賢卿。大和権守殿御一行をお連れしました」
「うむ、苦労であった」
光綱はその言葉を聞くと、自然な立ち回りで重茂たちの邪魔にならないよう少し下がった。
公賢はこちらを向くことなく、ひたすら何かに目を通している。
どうも多忙なときに訪れてしまったらしい。
何から切り出すべきか――重茂が悩んでいると、公賢が少しだけこちらを見てきた。
鋭く細い目だった。余計なものは無視して、必要なものだけを見ているかのような目である。
「いつまで黙っているつもりか」
「は――」
「私は用件があると聞いてお前たちの訪問を認めたのだ。さっさと用件を述べよ」
高圧的で有無を言わさぬ物言いだった。そして、反論の余地がない正論でもある。
言葉に詰まりそうになりながらも、重茂はどうにか口を開いた。
「先日妙法院で行われた歌会に参加されていたとお聞きしております」
「いかにも」
特に動じた様子もなく、公賢は淡々と答えた。
やましさなど微塵も感じていない、といった風である。
「そのことについて、お伺いしたく存じます」
「用件は正確に述べよ。歌会について聞きたいというが、歌会の何を聞きたいのだ。参加していた者の話か。私の話しか。詠まれていた歌の話か。その後に起きた佐々木判官の事件のことか」
ぴしゃりと扇子で頬をはたかれたかのような鋭さだった。
言葉の一つ一つが重い。生半可な対応をしていては、文字通り叩き潰されてしまいそうになる。
「公賢卿が、なぜその歌会に参加されていたのか。その歌会で他の参加者に変わった様子はなかったか。その二点をお伺いしたいのです」
「ふむ」
公賢はそこでようやく重茂たちの方をきちんと向いた。
どうやら、この段階になってやっと来客として認められたらしい。
「私が参加したのは、我が家の加賀入道という男を介して、妙法院の住持殿から誘いがあったからだ。歌会にさほど興味があったわけではないが、かの住持殿は院の弟君でもある。誘いを無下に断れば、あらぬ噂を立てられるかもしれぬ。それが煩わしいゆえ、参加することにした」
ちょうどそこにいる、と公賢は庭先の方を指し示した。
縁側の隅に、僧形の男が一人座っている。どこにでもいそうな、特徴の薄い男である。その男が加賀入道らしい。
「入道よ。そなたが私を誘うに至った経緯を述べよ」
「は。私は元々妙法院の住持殿と多少の交流がありまして。近々様々な顔触れを集めた珍しき歌会を開きたいが、万事滞りなく進めたいので公賢卿の御力をお借りしたい、と頼まれたのでございます」
「確かに、あの日の私は歌を詠みに行ったというより、歌会の準備を手伝いに行ったようなものであったな」
公家や坊主だけでなく、武士層まで集めた多様な顔触れの歌会である。
席や歌の順序等、いろいろと気にしなければならない点も多かったのだろう。
そういう場において、公賢の知識は有効だったに違いない。
「他の参加者については、さほど話したわけではないので話せることに限りがある。そなたが知りたいのは、近衛経忠卿のことだと見ているが、合っているか」
重茂より先に、公賢の方から切り込んできた。
確かに今一番気になっているのは、近衛経忠のことである。京付近での吉野方の活動において、経忠の存在は無視できない。
「はい。経忠卿について是非お話を伺いたく存じます」
「――昔話をした。吉野院がご健在だった頃の話だ」
公賢の言葉に、重茂たちは揃ってきょとんとした表情を浮かべた。
吉野方の重鎮が京に忍び込み、大臣職を務めたこともある男と会って何をしたか。
政治的な話――ともすれば密議とも取れるようなことをしたに違いないと、そう思っていたのだ。
「……どういったお話でしょうか」
「随分と困った帝であられた、というのが共通の見解だった。人を見出すことにおいては秀でておられた。人を使うことにおいては不得手であったと言わざるを得ない。使う才があれば、盤石の世が築かれていたに相違ない。今更言ったところで仕方ないことだが」
意外と手厳しい評価だった。
後醍醐からも厚遇されていたというから、てっきり公賢は後醍醐の信望者なのかと思っていた。
「意外か。私が吉野院をこのように批評をしていることが」
「は。……正直に申し上げますと、意外にございます」
「良くも悪くも、吉野院はそういうことに頓着しなかった。何を言われても気にしないし、自分のやり方も曲げない。吉野院の側近には、私などよりも遥かに手厳しい評価をしていた者もいる。少なくとも、私にはそのように見えていた」
それきり、公賢は口を閉ざしてしまった。
なかなか続きが語られない。痺れを切らした重茂は「それで、他には」と尋ねた。
「他には何か話をされたのでしょうか」
「いや。それだけだが」
公賢はにべもなく告げる。
吉野からわざわざやって来ておいて、ただ昔話をして終わりというのは考えにくい。
そんな重茂の疑問を見透かしているのか、公賢は重茂たちを真っ直ぐ見据えながら補足した。
「つまるところ、経忠卿は私に用があったわけではない、ということなのだろう」
「……というと?」
「経忠卿からすれば、歌会に私がいたこと自体予想外のことだったようだ。驚かれたからな。経忠卿が何かしらの思惑をもって私に会おうと考え、妙法院の住持殿に話をつけた――というわけではないらしい」
偶々会っただけ。だから昔話だけして終わった。
重茂からするとどうにもスッキリしない話だが、否定できる材料は何もなかった。
話の筋は通っているし、不自然な点は何もない。
「そもそも私に用事があるなら、歌会などで会う必要がない。今日のそなたらのように、直接この邸宅を訪ねて来れば良かろう」
「確かに、仰る通りです」
そこまで言われて、ふと重茂の脳裏に疑問がよぎる。
だとすれば、近衛経忠はあの日、なんのために歌会に参加したのだろうか。
特定の誰かと会うつもりなら、公賢の言うように個別に会いに行けば良い。その方が、自分の動向が漏れにくくなる。
実際は、歌会に参加したことで近衛経忠が京にいるということが幕府にバレている。
当然、経忠とてそのリスクは把握していたであろう。ならば、何をしに歌会へと出向いたのか。
「思索に耽るのであれば、帰ってからにするが良い」
公賢の声によって、重茂は我に返った。
周囲の視線がこちらに集中している。随分と長く考え込んでしまったらしい。
「失礼いたしました、公賢卿」
「質問にはすべて答えた。用件は済んだはずだな。であれば、速やかに退出するが良い」
有無を言わさぬ圧を感じる。
本当はもっと聞きたいことがあった。だが、ここで抵抗したら公賢の心証が悪化するかもしれない。
少しだけ考えて、重茂は大人しく頭を下げた。
「本日はお時間いただき、まことにありがたく存じます」
公賢は既に背を向けていた。再び作業に戻った、ということらしい。
重茂たちへの対応は、作業の合間に行う程度の雑事だった、ということなのだろう。
光綱に見送られて洞院邸から出たとき、ようやく一行は大きく息を吐きだした。
あの邸宅は、独特の緊迫感がある。ずっと息が詰まるような思いがした。
あそこにいると、自分たちが異物であると言われているような感覚がする。
「結局、ほとんど有益な話は聞けませんでしたね」
残念そうに言う重季に、重茂は頭を振った。
「最初としては上出来な方だろう。俺は正直罵声・悪口の類を叩きつけられると思っていた」
「そうなのですか?」
「公賢卿と足利は、少し前に所領を巡るいざこざがあったからな。恨まれていてもおかしくはない。今日くらいの対応で済まされたのは、むしろ運が良い方なのだろう」
洞院家は、元々播磨国明石郡の平野荘という荘園を所領としていた。
この地は交通の要衝であり、軍事的・経済的にもかなり重要な地である。
吉野方との戦いのため、この地を確保する必要がある。
そう判断した尊氏・直義は、軍事利用のためとして、洞院家からこの地を接収したのである。
替地として用意されたのは、分散された三つの所領だった。
三つ足してようやく元の所領と釣り合うかどうかという場所である。
加えて場所が分かれているので、管理のための負荷は上がってしまった。
洞院家としては、事情が事情なだけにやむなく飲んだが、武家である足利によって豊かな所領を分捕られた形になる。
そういう経緯もあって、重茂は洞院邸に来るまでかなり気が重かった。
「とは言え、すべてを話してもらえたとは思っていない。まだ洞院家には掘り下げる余地がある。適当な用件を作りながら、少し通ってみることにしよう」
近衛経忠の動向について感じた違和感のこともある。
もしかすると、自分たちは今とても重要なものを掴もうとしているのかもしれない――そんな予感があった。
「けど、公賢卿一人を相手にするのはかなり骨が折れないですか」
「何か腹案がありそうだな、重教」
重茂の言葉に、重教はにやりと薄く笑みを浮かべた。
「仮に公賢卿と吉野に何かしらの繋がりがあるとしたら、繋げている何者かがいるはずです。公賢卿くらいの地位の方が、一人でそういうことをするとは考えにくい」
「あの邸宅の人間を調べた方が良いということだな。目星はついているか」
ええ、と重教は迷わず頷いた。
「まずは順当に、加賀入道と言われてたあの坊さんからでしょう」
妙法院の歌会と公賢を結び付けたというあの僧形の男。
確かに、調べてみる価値はありそうだった。





