第155話「都を駆ける神仏(拾伍)」
重茂は師直と連れ立って、天台宗に属する小さな寺社へと歩いていた。
供はいない。重教・師秀がいないというだけではない。普段から連れている護衛のための郎党すらいないのである。
市中だからそこまで危険ではないと思われるが、万一刺客にでも襲われたら一大事である。
そのせいか、重茂はいつもよりピリピリしていた。一方の師直はというと、常と変わらず落ち着いている。
「五郎の兄上は凄い胆力ですな」
「堂々としていた方が目立たぬものだ。警戒心を出し過ぎると目立って逆に危ない」
吉野方や顕密の僧等、師直に恨みを持っている者は少なくないであろう。
おそらく顔もある程度割れている。それでもこれだけ落ち着いているのは、生来持ち合わせた豪胆さあってのものに違いない。
それにしても、なぜこのようなことになったのか。
事の起こりは、先日の尊氏との会話である。
聖恵なる僧の話を聞かされたのが、すべてのきっかけであった。
未だに強訴を取り下げない延暦寺と交渉するため、聖恵に仲介役を頼みたい。
そこで尊氏は、自ら聖恵に会いに行くと言い出したのだ。しかも、目立たず行きたいので供は最低限に抑えたいという。
その場にいた重茂と登子は当然大反対した。
もし尊氏が刺客に襲われて凶刃にでも倒れたら、未だ地盤が固まっていない幕府は大混乱に陥るだろう。
直義はよくやっているが、尊氏という求心力を失ったら足利は窮地に立たされる。
二人の説得を聞き入れた尊氏は、渋々妥協案を提示してきた。
それが、師直・重茂による聖恵との面会である。
「しかし、いきなり殿から兄上の名前が出てくるとは思いませんでした。兄上は聖恵殿と面識があるのですか?」
「ああ。だからこそお声がかかったのだろう。余人に任せられる話ではない」
「……どうも気になるのですが、聖恵殿と会うというのはそこまで一大事なのでしょうか。天台座主・大僧正を務められたという点で重要な御方なのだとは思いますが」
尊氏が「自分が会いに行く」と言い出したときから、重茂はその違和感を抱えていた。
どれだけ重要な人物だとしても、武家の棟梁自らが足を運ぶ相手というのはほぼいないであろう。
代理人として向かわせる部下は、いくらでもいるのだ。
重茂の疑問に対して、師直は短く「会えば分かる」と答えた。
「お前は鎌倉で聖恵殿に会ったことがないのだったな」
「ええ。元々は守邦親王同様、鎌倉で生まれ育った方だと聞いています。ただ、ずっと寺社の中で過ごされていたそうなので、俺とは縁がなかったのでしょう」
久明親王の子である守邦親王・聖恵は鎌倉で生まれ育ち、幕府滅亡後になってはじめて鎌倉の地を離れたという。
その後程なく守邦親王は病で亡くなったが、聖恵は京の寺社社会において居場所を獲得して生き延びている。
「こちらには顔見知りもほとんどいなかったでしょうに、今もこうして鎌倉将軍家に連なる御方がご健在というのは、なんともたくましいものを感じますな」
師直は返事をしなかった。
機嫌が悪いようには見えない。ただ、どことなく口元がきつく締まっているような気がした。
そんな風に話しているうちに、目的地の寺社へとたどり着いた。
言葉を選ばずに言ってしまえば、ひどくおんぼろな寺社である。
人の気配もほとんどしない。物の怪の類が住み着いていても不思議ではなかった。
「ここに人が?」
天台座主を務めた者がいる寺社にしては、あまりに侘しい。
妙法院のような立派な寺社を想像していただけに、落差が凄まじかった。
もっとも、無人ではないかという疑念はすぐに晴れた。
そろりと小坊主が一人、門前に出てきたからである。
「武蔵守殿、大和権守殿でございますね」
師直が頷くと、小坊主は「どうぞこちらへ」と二人を中に招き入れた。
よくよく見ると、おんぼろではあるがまったく手入れがされていないというわけでもない。十分生活はできるだろう。
近頃京の市中は強訴や猿楽で騒がしかっただけに、こういう静かで質素な場所というのも存外良いものかもしれなかった。
中庭に一人の僧が立っている。
どうやら木の手入れをしているところらしい。
「聖恵上人、武蔵守殿と大和権守殿がお見えです」
小坊主が声をかけると、僧は「うむ」とこちらに振り返る。
その瞬間、重茂は雷に打たれたかのような衝撃を味わった。
振り向いた僧の顔に、見覚えがあったからである。
すかさず膝をついて頭を下げる。
どうやら師直も、自然な流れで礼を取っているようだった。
「お久しゅうございます、聖恵上人――否、守邦殿下」
聞き間違えなどではない。
守邦殿下と、師直は一字一句違わずハッキリとそう言った。
室内に通されても、まだ重茂の頭は混乱の中にあった。
守邦親王。鎌倉幕府最後の将軍。
彼は幕府のトップでありながら、幕府滅亡時の動向すら定かではなく、その後人知れずひっそりと亡くなったという。
亡くなったときの状況すらハッキリしない。それが、この時代の将軍というものであった。
重茂もその死を聞かされたとき、密かに悲しいと思ったものの、乱世の只中でそれどころではなかったことから、程なく意識の外へと追いやってしまっていた。
その最後の将軍が、なぜか今こうして別人として眼前に現れている。
「師直よ。重茂には吾のことについて話していなかったのか」
その様子が伝わったのだろう。
守邦――聖恵はどこか気の毒そうな視線を向けてきた。
「あまり余人に対して言うことではありませぬゆえ」
「そうか。驚かせたようで悪かったな、重茂よ」
聖恵は、守邦として生きていた頃よりも更に瘦せ細っているように見えた。
ただ、不思議と以前より活力は満ちているような印象を受ける。
まず説明してやれと聖恵に促された師直が、簡単に経緯を話してくれた。
鎌倉幕府が滅亡する際、足利は密かに手をまわして守邦親王を鎌倉から逃したのだという。
万一北条が将軍を推戴すれば、北条討滅を掲げている御家人たちの気勢が削がれるかもしれない。
それを危惧して、師直が尊氏・直義に進言したのだという。
「それからしばらくの間は、足利が管理する隠れ里に潜んでいた。吾を吉野院に差し出せば功になったろうに、尊氏はそれを嫌ったそうだ。将軍に仕えている身でそのようなことはできぬとな」
見方を変えると、後醍醐に従いつつも鎌倉幕府の将軍を独自の裁量で匿っていたということになる。
もし露見していれば大問題になっていただろう。尊氏や師直たちは、重茂の知らぬ間にとんでもない綱渡りをしていたのだ。
「その後、吉野院の御世において護良親王が征夷大将軍に就任したことで、吾の役目は終わった。だが、生存が知られれば何かしらの罰則を受けることになるかもしれぬ。吾だけでなく足利もな。だから、守邦は死んだということにしたのだ。役目を終えた守邦という男は、もはや存在する必要がなくなった」
聖恵という守邦の兄は、実在していた。
かつて守邦は、この兄から仏法について一通りのことを学んでいたという。
俗世においてやることが何もないから、修行のための時間はいくらでもあった。
本物の聖恵は、あの鎌倉滅亡の際に北条から祈祷を頼まれていたが、その最中、新田勢による攻撃の中で亡くなった。
混乱の極みにあった鎌倉炎上の中でのことである。
その事実を知っているのは、聖恵の側にいた一部の者だけだった。
聖恵から仏法を学んだこと、守邦としての自分を消す必要があること、その折に聖恵の死を聞かされたこと。
守邦はそれを一つの縁だと思うことにして、以後自らを聖恵と称することにしたという。
「幸い、吾も兄も鎌倉生まれの鎌倉育ち。京において吾が聖恵を名乗っても、不審に思う者はいなかった。無論完全に隠し通せているわけではないが――あれから早数年、表立って咎められることなく聖恵として生きている」
まるで、何かの物語を聞かされているようだった。
現実として聖恵となった守邦が目の前にいるというのに、まるで現実感がない。
ただ、どれだけ嘘のような話でも目の前にある以上は受け入れるしかなかった。
感覚は追いつかないものの、重茂はどうにか呑み込むことにした。
「それで、今日はどのような用向きで来たのだ。まさか蹴鞠や双六をしに来たわけではあるまい」
聖恵の問いかけに、師直は「はい。それはまたの機会に」と頷いた。
「本日は前天台座主・聖恵上人に、お願いがあって参りました」





