第12話「未だ遠き道のり」
上洛の準備がほぼ整い、京に向かう予定が定まった。
大宰府を出立するのは、四月三日である。
元々は三月二十八日に出立する予定だったが、軍備の調整や人員配置に手間取ったことで、やや遅れた。
「おお、弥五郎よ」
軍備の確認作業の最中、大宰府の喧騒の中で重茂は呼び止められた。
呼び止めてきたのは、又従兄弟の大高重成である。
重成は、大宰府の片隅にある樟の下で、仁木義長と杯を酌み交わしていた。
「次郎。それに義長殿も。戻っておられたのか」
「ああ、戦況の報告とお見送りのためにな」
仁木義長は、一色道猷・頼行兄弟と共に九州の軍勢を率いて帝方の勢力と戦っている。
多々良浜での勝利のおかげか、足利方は勢いに乗っていた。今のところ仁木一色勢は優位に立っている。
「俺もおぬしたちと共に上洛したかったところだが、菊池の者どもの粘りも大したものでな。しばし掃討に時間がかかりそうだ」
「では、義長殿たちは残られるのですな」
「ああ。なに、こちらの戦況が落ち着けばすぐにでも追いかけるつもりだ。兄貴の様子も気になるところだしな」
義長の兄である頼章は、帝方の本拠地である京のすぐ近く、丹波国に踏み止まって抵抗を続けている。
危険な役回りだったが、それをこなせるだけの力があると見込まれての抜擢だった。現状戦死の報告は受けていないので、まだ無事だと思うしかない。
「弥五郎よ、一つ報告をしておこう」
重成が杯を掲げながら重茂の方に膝を進めてきた。
その顔は赤みがかっている。既に酔っているように見えた。
「なんだ次郎、酒臭いぞ」
「いいから聞け。――あの道月な、秋月一族に連なる者だったぞ」
道月。夜須郡の名主として重茂たちと相対し、こちらを出し抜いて姿を消した男である。
その後の行方は知れないままだったが、それについて重成は情報を掴んできたらしい。
「俺と宗継は御舎弟殿に命じられて夜須郡の近くで軍備の調達をしていた。こちらを欺いた以上、容赦する必要はないということでな。そこで抵抗してきた者たちから聞き出したのだ」
「行方は掴めたのか」
「おそらく古処山の奥深くに逃げ込んだのだろう、というくらいしか分からなかった。上洛するまでに斬るのは難しそうだ」
「そうか。口惜しいな」
できれば一太刀浴びせてやりたいところだったが、個人の面目のために我侭を言える立場でもない。
腹の底には悔しさと怒りがまだ残っていたが、それを抱えたまま上洛の途につくしかなさそうだった。
「おぬしは我慢強いな。クソ坊主を叩き斬るので残らせてほしい、くらい申し述べても良いのではないか」
「今は、それよりも大事なことがあるだろう」
「面目よりも大事なことか」
「面目は面目だ。俺の面目ではなく、足利の面目よ。このまま逆賊として終わらせてはならんだろう」
「逆賊と言っても、我らは院宣を得ているだろう。既に周知のことだ」
今の帝から逆賊とされた尊氏ら足利勢だが、実のところ、完全に朝廷から切り離されたわけではない。
朝廷も一枚岩ではなく、先の帝――上皇となった光厳院は、密かに尊氏と気脈を通じていた。
「確かに院宣は得ている。おかげで助かっているのも事実だ。しかし院は帝に比べてあまりに無力。我ら自身で京に足利の旗を立てなければ、結局逆賊として終わることになるだろうさ」
「まあ、それはそうだな」
重成もそこは否定しない。そのうえで、己の面目を捨てきれないのだ。
別に、重成が自分勝手なわけではない。この頃の面目というのは、それくらい重いものだった。
「弥五郎よ」
「なんだ」
「あまり溜め込むなよ。お前は昔からそういうところがある。たまにはどこかで吐き出せ」
重成なりに、重茂を気遣っているようだった。
昔馴染みというのは、ありがたい。重茂はそう思ったが、安っぽくなる気がして口にはしなかった。
出立の前日、四月二日。
仕事を終えた重茂は、武具が納められている倉へと足を運んでいた。
出立前日ということもあって、今日は将兵たちも気ままに過ごす者が多い。
英気を養っておこう、ということなのだろう。しかし、重茂はその空気に馴染めなかった。
「む」
「……ん」
倉には先客がいた。
上杉重能である。
「これは重茂殿ではないか。どうされたのかな、こんなところに」
「それはこちらの台詞よ。……いや、いい。言わんでいい」
「……不備がないかの確認は、こちらで済ませている」
「自分で見なければ落ち着かんのだ。そちらも同じであろう」
「ふん」
重茂と重能は背中合わせで武具の点検をした。
互いに虫が好かないところがあるものの、指向は不思議と似通ってしまう。
「今日は大人しいな、重茂殿」
「別に、普段から大人しいわ」
「そうか。普段からそのように腑抜けた面構えか」
「なにぃ?」
思わず重能の方を振り返る。
しかし重能はというと、重茂のことを一顧だにせず、黙々と帳面をつけていた。
武具の数が合っているかどうか、記録を取っているらしい。
相手が応じないと分かった途端、気が萎えてしまった。
「俺は、そんなに腑抜けて見えるか」
「今日に限ったことではない。先日からずっとそうだ」
「そうか」
「そこまでの失態ではあるまい。それとも、一族の嫡流から外されたことに堪えているのか」
「うるさいわ」
師久が師直の猶子になったことは、既に足利勢の間で周知の事実となっていた。
それ以降、どことなく周囲からの視線に含むものがあるような気がしてしまう。
「決まったことは仕方があるまい。そなたもこれで晴れて傍流よ。気楽な身分、そう悪いものではないぞ」
「さすが、傍流の先達は言うことが違うな」
思わず言い返したが、すぐに重茂は後悔した。
生まれを選ぶことはできない。やりたいことができるようになるとは限らない。
重能は、上杉憲房の妹の子だった。実父を失い、行き場を失ったところを養子として引き取られたのである。
本当は違う道を選びたかったのかもしれない。しかし、重能に選択の余地はなかった。
「すまぬ。今のは、俺が悪かった」
「謝るくらいなら最初から言うな。私は謝られるのが嫌いだ」
以前、謝罪の言葉を口にした憲顕に嫌な顔をしていたことがあった。
おそらく、本当に嫌なのだろう。
「義父上には感謝としている。父を失い、母子で路頭に迷いかねないところだった。あのまま野垂れ死ぬよりは、傍流だろうと家人だろうと良いものだ。それに不満を抱くのは、贅沢者のすることよ」
「俺は、贅沢か」
「師久殿とて傍流の身だったのだろう。実力で師直めの猶子の座を掴み取ったのだ。そなたも、傍流でいることが嫌なら、挑むしかあるまい。否、傍流であろうとやれることを懸命にやるしかないのだ」
「分かっている。……俺にできることなど高が知れているかもしれんがな」
「その自信のなさは、時に腹立たしいな」
「なに?」
「まあ、せいぜい足掻いてみることだ。そうすれば、そのうちそれなりの御役目をいただけるかもしれんぞ」
そういうと、重能は帳簿を閉じた。どうやら点検は終わったらしい。
「もっとも、その頃私は殿の側近としてそなたを顎で使う立場になっているだろうがな」
憎らしげにそう言い捨てて、重能はその場を後にした。
「なんだ、あいつ」
不思議と腹は立たなかった。
ただ、取り残されてたまるかという思いだけがある。
まずは、ここの点検を終えることだ。
そう言い聞かせて、重茂は武具の状態を一つ一つ確認していった。
四月三日。
出立のため、足利勢に与する武士は大宰府前に集結しようとしていた。
「おぬしも行くか」
「これは――上総入道殿」
郎党たちと集合場所に向かっていた重茂の前に姿を見せたのは、島津貞久だった。
供は二人だけ。本人は平服姿である。
貞久はこのあと本領である薩摩に戻る予定となっていた。
島津氏の勢力圏である薩摩・大隅でも帝方の武士はいる。
貞久は、そういう手合いに対する抑えの役目を命じられたのだ。
「こうして見ると、いかにも勇猛果敢な大将軍といった風体なのだがな」
「見掛け倒しと言われぬよう、せいぜい励んでまいります」
応じる重茂の顔を見て、貞久はにやりと笑ってみせた。
「無理に励んでも仕方があるまい。人は己のできることにのみ注力すれば良いのだ。できぬと思ったなら、人に任せてしまえ」
「それが一族をまとめる秘訣ですかな」
「そんなところだ」
貞久はちらりと視線を転じた。
その先には、高師久と島津生駒丸がいる。生駒丸をはじめとする貞久の子息は、尊氏に従って上洛することになっていた。
「あれは、大分師久殿に懐いたようじゃな」
「近々、元服の儀をされると聞きました」
「師直殿に烏帽子親となってもらう手筈となっている。あれは師久殿に頼みたいなどと言っておったが、さすがに惣領を差し置いて頼んでは、師久殿もかえって困るであろうと思ってな」
その件は初耳だった。
どことなく、兄弟たちに置いていかれるような感覚を覚えてしまう。
「重茂殿よ。これは例えばの話だが――薩摩に来るつもりはないか」
貞久は重茂の方に向き直ると、鋭い眼差しを突き付けてきた。
どうも、冗談という雰囲気ではない。
「薩摩は京から遠い。鎌倉は尚更だ。足利殿との繋がりを保つ意味で、代々仕えてきた高一族を迎え入れるというのは、わしらにとっても有意義でな。特に今は、本領静謐のため家政機関の拡充に努めたいのだ」
貞久は、島津の命運を足利に預けると腹をくくったらしい。
生駒丸の元服も重茂への勧誘も、そのための一手なのだろう。
それを理解した上で、重茂は頭を振った。
「俺にどれくらいのことができるかは分かりませぬ。足手まといになるかもしれぬ。それでも俺は、足利に仕える高一族の一人なのです。足利の元を離れることは、できませぬ」
重茂の答えを受けて、貞久は残念そうに表情から力を抜いた。
「左様か」
「左様にございます」
「ま、例え話だ。あまり深く気にするな」
「そうすることに、いたしましょう」
では御免――そう言い残して、重茂は去っていく。
それを見送る貞久に、老臣が「惜しゅうございましたな」と声をかけた。
「なに、元々足利殿には断られておったからな。あやつがその気になっても、なかった話になる」
「そうと分かっていて声をかけたのですか。殿もお人が悪い」
「ふん、腹いせよ。あの若造、噂に聞いていたほど落ち込んでいる様子でもなかったしな。まったくつまらぬわ」
貞久の脳裏には、尊氏に重茂のことを頼んだときのやり取りが浮かんでいた。
話を聞いた尊氏は、困ったような顔をしてこう言ったのだ。
『島津殿、それは困る。弥五郎は足利にとっても高一族にとっても欠かせぬ男だ』
尊氏の言葉を伝えてやれば、重茂は喜び勇んで出立したことだろう。
だが、そこまでお節介を焼くつもりはなかった。
「ぐずぐずと立ち止まっている風でもなかった。そのうち気づくであろう」
大宰府から――そして九州から旅立っていくであろう軍勢を見送る貞久の表情は、普段よりも心持ち晴れやかなものとなっていた。





