第125話「海原を駆ける者たち(壱)」
暦応三年正月。
重茂は重教や道倫(細川和氏)から預かった弥八・弥九郎らを連れ、瀬戸内海を渡って博多まで辿り着いていた。
多々良浜での戦の後に遠目から見たことはあったが、こうして足を運ぶのは初めてである。
京も賑やかな都市ではあるが、博多はまた少し異なる活況に包まれている。
堀や川に囲まれた土地の外側にはいくつかの寺社があり、その内側には細かく分かれた通りがあった。
通りにある家屋の軒先にはいくつもの唐物と思しき商品が出されており、商人たちが元気よく客相手に声を張り上げている。
鼻腔をくすぐる潮の香りも、京と博多の違いを感じさせる要素だった。
ここはすぐ側に海がある。海の先には、元をはじめとする外の国々があった。
「おお、ここが博多か!」
「賑やかですね。京とも全然違います」
異国の雰囲気をまとった都市に目を輝かせる弥八・弥九郎。
その後ろでは、重教がげっそりとした顔で膝に手をついていた。
「ここが博多ですか。や、やっと着いた……」
「なんだ情けない。弥八、弥九郎は元気だというのに」
「いやだって、道中何回も襲われたんですよ。そりゃ疲れもしますよ!」
重教の抗議を受けて、重茂は道中のことを思い返す。
京を出て瀬戸内海を西進していく途中、何度か海賊や吉野方と思しき者たちに襲われた。
海上で襲われることもあれば、陸路に切り替えて進んでいるときに襲われることもあった。
「思った以上に道中は落ち着いていなかったな。これでは西国からの年貢も滞るだろう。警固役を設けた方が良いかもしれん」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃないんですけど」
「良いではないか。結果的に死者も出ず、何人かが軽い怪我を負う程度で済んだのだ」
ちなみに重教はなんだかんだ怪我を負っていない。
もっとも、それはへっぴり腰で敵の前になかなか出ていかなかったからである。
「お前はもう少し心身を鍛えないといかんな。京に戻ったら次郎(大高重成)辺りにでも頼んでみるか」
「やめてくださいお願いします」
大高重成は足利家中において随一の武勇を誇る勇将である。
彼のトレーニングを乗り切れば、間違いなく重教も武士として一皮むけるだろう。
乗り切れるかどうか何とも言えないのが難しいところなのだが。
「それで重茂殿、このあとはどうするんだ?」
弥八の問いかけに、重茂は後方で控えていた人物へと視線を向けた。
質素な出で立ちの、人が好さそうな坊主である。
何の変哲もない無害そうなこの坊主が、今回の博多視察における最重要人物であった。
「どうされますか、古先和尚」
古先印元。かつて元に渡って学んだ経験のある禅僧である。
向こうで修行するなか、土岐頼遠らが師事していた清拙正澄と知り合い、来日が決まった彼に請われて共に帰国したという。
元出身の清拙正澄としては、見知らぬ日本という地へ行くにあたって、信頼できる現地のアシスタントが欲しかったのだろう。
今回も、夢窓疎石の要請に応じて重茂たちの博多視察への同行を決めたらしい。
どうも頼まれると断れない性格のようで、目立たぬ姿の中からも人の好さが滲み出ているようだった。
「まずは私の知己の元へと向かいましょう。既に書状は出しておりますゆえ、私たちの到着を待ってくれているはずです」
元に留学へ行く際、古先は博多に幾人かの知己を得た。
そういうツテも含めて、今回暦応寺造営のための貿易に有用だと夢窓疎石は判断したのだろう。
古先も京で住職を務める身なので、本来は軽々しくこんなところに来て良い立場ではない。
当初は代理人を立てる予定だったが、直接出向いた方が何かと臨機応変に対応できるから、という理由で本人が同行してきた。
「古先和尚は頼りになりますね」
「人が良過ぎる気もするけどな。ああいう人は周囲からあれこれと頼まれて苦労するんだぜ」
「けど、おかげで私たちは助かっている。感謝しないと」
「そういうことに感謝しない奴もいるんだってことだよ。お前もそういうとこあるからな、気をつけろよ」
感心する弥九郎に対し、弥八はどこか古先の人の好さに思うところがあるようだった。
この二人もなかなかに対照的である。
弥八は活発で猪突猛進な性格のようで、道中賊に襲われたときも子どもながら勇猛果敢に立ち向かっていった。
出ないでくださいと郎党が却って狼狽していたくらいである。やや切り傷ができたが、本人はそれを武士の誉れだと言っていた。
弥九郎は比較的おとなしい子だったが、意外と周囲をよく見ており、道中何かと重茂にあれこれ質問を投げかけてきた。
賊への対処も弥八と正反対で、自らは前に出ず相手の様子を窺いながら、声を出して集団戦のサポートをしていた。
いずれも将来はひとかどの人物になるだろう。細川の未来を担う若者は、すくすくと育ってきている。
そんなやり取りをしているうちに、古先の知己の家へと辿り着いた。
貧相というほどではないが、取り立てて立派なわけでもない家屋である。
ただ、そこでは人が頻繁に動き回っていた。商人・船乗りらしい。
「すみません。至境殿はおりますでしょうか」
中に向かって呼びかけると、目つきの鋭い一人のいかつい老人が姿を現した。
露出の多い服装だが、野卑という感じはしない。鍛え抜かれた身体つきではあるが、明らかに武士とは思えない。
見たところ既に老齢のようだが、その動きから衰えというものは感じ取れない。
「待っていた。久しいな、古先」
「至境殿も壮健なようで」
「そいつらか。書いてあったのは」
ぎょろりとした至境の視線に、弥八・弥九郎・重教らは身体を強張らせていた。
別段敵意はなさそうだが、どうにも圧を感じてしまうのだろう。
「入れ。中で話をする」
家の中には、貿易で扱っているであろう商品の数々が積まれていた。
向こうで仕入れてきた唐物と思しきものもあれば、輸出するための物品と思しきものもある。
「至境だ。向こうとこちらを行き来しながら、商いをしている」
「至境殿は自身の船を持っている、博多で有力な商人の一人なのです。元へ向かった際、私は至境殿の船に乗せてもらいました」
つまり至境は元に自力で行ける力を持っている、ということになる。これは重要なことだった。
鎌倉幕府があった頃、当時の幕府も寺社造営費を得るために元との貿易を行った。
しかし、それは幕府主導で進められたものではない。船を用意するのも商いをするのも、すべて至境のような博多商人である。
幕府が行ったのは、そういった博多商人のサポートだった。
幕府の依頼を受けて貿易することを示す証を商人に与えたり、危険を伴う元への航路で商人や積み荷を守る警固をつけたりする。
商人たちはそれによって安全を獲得し、見返りとして幕府に交易に対する見返りを支払う。
重茂たちは、今回その前例を踏襲しようとしている。
有力な博多商人相手に委託契約を結び、貿易によって得られる利益を暦応寺造営にあてる。
それが、出発前に直義や師直と打ち合わせて決めた方針だった。
委託先としての条件を至境は満たしている。
早速重茂は、元との貿易を再び行いという話を進めた。
しかし、重茂から依頼の要件を聞いた至境は迷わず頭を振る。
「話は分かった。だが断る」
思わぬ返答に、重茂や古先はしばしの間固まってしまう。
まださほど具体的な話をしたわけではない。断られるにしても、全部話を聞いてから断るものではないのか。
「何か気に障りましたか、至境殿」
「気分の問題ではない。不可能なのだ」
至境は海の方――おそらくその先にあるであろう元の方を見ながら、険しい表情で答えた。
「今、あそこは国を閉ざしている。商いをしたくとも、その術がない」





