第124話「公武を繋ぐ者(参)」
引付方の仕事が一段落ついたタイミングで、重茂は重教を連れて別室に向かった。
辿り着いたのは、問注所の仕事部屋である。
問注所は初代鎌倉幕府将軍――鎌倉殿・源頼朝が設けた裁判に関する機関で、鎌倉殿が訴訟を裁く前に当事者へ事情聴取することを役目としていた。問注所の問注とは、この事情聴取のことを指す。
その後重要な訴訟を取り扱う引付方が創設されると、問注所は引付方が取り扱わないような訴訟を受け持ったり、スムーズに訴訟を進めるための補助的な実務を担うようになったりしていく。
足利による政権――後世がいうところの室町幕府においても、問注所は置かれていた。
ただ、訴訟全般はほぼ引付方が担当するようになっており、問注所は雑務や記録の管理などを行う機関になっていた。
仕事部屋も引付方と比べるといささか小さく、働いている人の数もやや少ない。
そんな問注所のトップを務めているのは、以前重茂も世話になった太田時連という古老だった。
源頼朝を支援し、後に鎌倉幕府十三の宿老の一角を担った三善康信の後裔である。
三善康信以降、三善氏に連なる者は問注所のトップを務め続けてきた。
問注所の役割は時代の中で変化していったが、三善氏はそれに寄り添いつつ蓄えてきたノウハウがある。
それを買われて、時連も室町幕府の問注所を任されているのだった。
「なるほど。つまり、過去に元へ出していた船について知りたいと」
重茂から話を聞いた太田時連は、要点を簡潔にまとめた。
土岐頼遠から元との交易の話を聞いた後、重茂はその件を師直や直義に相談した。
そこで直義から、以前鎌倉幕府も寺社造営の費用を確保するため元との交易を行っていた、ということを聞かされたのである。
ただ、直義も直接その計画に関わっていたわけではないので、詳細は知らなかった。
そこで、古くから鎌倉幕府の中枢にいて様々な事柄を見聞きしていた古老を頼ろうとした、というわけである。
「少し待っていろ。幸いそれに関する記録はあったはずだ」
時連はきびきびと立ち上がり、やがていくつかの書類を手に戻ってきた。
「すべての事例について残っているわけではないが、これだけでも十分参考になるだろう。写しを取っていくと良い」
「ああ、大丈夫です。一度見れば忘れませんので」
すべての写しを取っていては時間がかかる。
人に証書として見せる必要のあるものでもないし、この場で見て覚えていけば十分だろう。幸い大した量ではない。
重茂の記憶力なら、忘れる心配はまずなかった。
黙々と読み進めていく重茂の姿を見ながら、時連は深いため息をついた。
「重茂殿は、記録というものをつけているか」
「記録ですか?」
言われてみると、仕事以外で記録をつけるという行為をしたことはほとんどなかった。
いちいちつけなくとも、忘れることがまずないからである。
「そなたの記憶力はまことに貴重なものだ。多くのものを見聞きして、そのほとんどを覚えているのだろう。だから記録をつけなくとも困らない。ただ、それはそなた一人の話だ」
時連は重茂に渡した書類を見ながら、どこか物憂げな表情を浮かべている。
「本来、鎌倉の記録というものはもっと沢山あった。だが四散した。戦乱の中で失われたものも多い。いずれも記録をつけた当人は覚えていたのだろうが、今となっては失われたものだ」
「後世に残すために記録をつけろ、ということですか」
「分別もなくすべてを書き記せとは言わぬ。ただ、そなたが今まで見聞きしたものの中には残すに足るものもあるはずだ。それは、そなたの後に続く者たちに継いでいかねばならん」
重茂はちらりと重教を見る。どこか暇そうに欠伸を仕掛けていたらしく、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。
「私は鎌倉の歴史をまとめていた」
太田氏は問注所に属する者として、記録をつけたり文書の管理をしたりすることを役目としていた。
そのためか、若い頃に当時の権力者だった北条氏から命じられて、鎌倉幕府創設以来の記録をまとめる仕事をしたのだという。
ただ、時連自身はその仕事にやり残しがあると感じていたらしい。
「ハッキリとした記録がない部分は、言い伝えを頼りに記録した。それでも分からない部分は推測を交えて埋めた。そのまま残すのは憚られるようなものについては……」
時連はそこで口を閉ざした。
どう取り扱ったのかは想像がつく。
それは、記録することを生業としてきた古老にとって、語ろうにも口に出来ない部分なのだろう。
「仕事として果たすべきことはしたが、自分の中では納得できていない。ゆえに今一度手直しをしたいのだが、思うように進まぬ」
戦乱の中で損失した記録。
長い年月を経て薄らいでしまった記憶。
それらが障壁となって、記録再編を阻んでいるのだという。
理解したかったが、その苦悩は重茂の知らないものだった。
重茂にとって記憶というものは、引き出すと常に鮮明な色をしている。
遠い過去のことも、つい先日のことも、確かさという点で違いが感じられなかった。
「そなたが今目にしている資料も、当事者は後世に伝えようとまでは思っていなかったものかもしれぬ。たまたま残っただけのものかもしれぬ。だが、今こうしてそなたの助けになっている」
確かに、前例に関する記録がなければどのように話を進めるか一から考えなければならなかった。
それは、想像している以上に手間のかかることであろう。
「人の命はいつか尽きるが、記録は運が良ければ遥か先まで残る。それは記録する者・される者の知見を、経験を伝える。その積み重ねによって、人は、天下は少しずつ良い形に進んでいく。少なくとも、私はそう信じている」
いつもなら軽口を挟む重教も、いつの間にか真剣な面持ちで時連の話に耳を傾けていた。
鎌倉幕府以来の古老――前代を知る人間の言葉に重みを感じ取ったのかもしれない。
「先ほども言った通り、私は鎌倉の記録をとりまとめることにすら難儀している。十分な結果を残せないかもしれぬ。ゆえに、今の世のことを記録することなど不可能であろう。それは、そなたらのような今の世の担い手に任せたい」
そこまで話し終えると、時連は一息ついた。
「すまぬな、年寄りの戯言だ。ただ、多くの事柄を記憶できる重茂殿なればこそ惜しいと思い、つい口に出た。許されよ」
「いえ、貴重な話を聞けました。伝えるべきと思ったことについては、なるべく記録を取るようにします」
鎌倉幕府の崩壊から始まったこの激動の時代。
後世に伝えるべきことは、それこそいくらでもあった。
一通り資料を読み終えた重茂が問注所を出ようとしたとき、新たな来客が顔を見せた。
「重茂殿も来られていたのか。久しいな」
上杉憲顕である。会うのは確かに久々で、暦応寺建立を尊氏が表明したとき以来かもしれない。
憲顕は暦応寺造営には関わらず、上杉氏の本領がある丹波国へときどき出向いて問題の解決にあたっていたらしい。
本来は重能の担当だったらしいのだが、謹慎状態で表立った活動ができず、憲顕が代わりを務めたのだという。
「そちらは一段落ついたのだが、今度は越後の方が騒がしくなってきたようでな。殿に命じられて、そう遠くないうちに出向くことになった」
越後は新田の残存勢力が多く、頑強に抵抗を続けている。
今は一つにまとまりきっていないが、旗頭となる人間が現れれば厄介なことになるだろう。
「憲顕殿も、なかなか一つの場所に腰を落ち着けられぬな」
「今は珍しくもあるまい。師泰殿も各地を転戦しているし、他にもそういう者はいる」
現在師泰は遠江に出向いて、同地の宗良親王率いる吉野方と戦っている。
それ以前は在京しつつも北畠顕家との戦いに参加したりしている。
更に遡ると、足利高経の援軍として越前の新田義貞とも激戦を繰り広げていた。
一時期は引付方のトップを務めたりもしているが、全体的には幕府における優秀な将としての活躍が目立つ。
おかげで重茂は、しばらく師泰の顔を見ていない。
「ともあれ、越後に出向く以上はその地に関する見識を深めておいた方が良いと思ってな。上杉は越後にこれといった縁がないので、太田殿に名越の記録を見せてもらえないかと来たのだ」
名越というのは北条一門の一角で、越中・越後などに強い影響力を持っていた。
その記録が残っているなら、確かに同地を掌握するための助けになるかもしれない。
「俺の方も日向に出向くことになった。視察が目的だから、そう長くはならないと思うが」
「私の方は長くなりそうだ。……それで良いのかもしれないが」
憲顕の表情はかすかに曇っている。
重茂にも、思い当たる節はあった。
「弾正少弼殿のことか?」
憲顕の父・憲房は、上杉氏の惣領と言っても良い立場だった。
ただ、憲房には元々惣領を務めていた兄がいた。その子が弾正少弼――朝定である。
兄が若くして亡くなったことで憲房が惣領になったが、その子が跡を継いでもおかしくはない。
実際、憲顕や朝定の叔母にあたる清子などは、朝定を支持する姿勢を示していた。
憲房の子である憲顕か、弾正少弼朝定か。上杉氏の惣領を巡る問題は、足利の関係者の間でも噂になっていた。
ただ、その件についてはほぼ決着がついたとも聞いている。
「惣領については弾正少弼殿で異論はない。最初は抵抗があったが、私は父から惣領としての引継ぎを受けておらず、長らく京からも離れていた。京で私にできることはほとんどない。そんな男には、惣領など務まらないだろう」
京で上杉氏に期待されている役割は、足利と公家の橋渡し役だった。
足利が武家の棟梁として光厳院を擁立する立場になってから、その重要性はかなり増したと言って良い。
そういう側面から考えると、京にいた期間が短く人脈も整っていない憲顕は、適性がかなり低いと言わざるを得ない。
憲房が長生きしていればその辺りも引き継げたのだろうが、憲房は先の戦乱で戦死してしまった。引継ぎらしい引継ぎなどできているはずもない。
京の人々にとって、上杉憲顕という男は上杉氏の異物なのである。
「しばらくここにいて嫌というほど痛感した。もはやここは私の居場所ではないようだ、と」
そう言いつつも、憲顕の表情は晴れない。
朝定たちへの恨みなどは本当にないのかもしれないが、それはそれとして、強い無力感を覚えているのかもしれない。
そういう経験は、重茂にも覚えがある。
だからこそ、言えることもあった。
「憲顕殿」
「うむ?」
「居場所などなくとも、存外なんとかなるものだ。しばらくいれば、そこが自分の居場所になるかもしれぬ。その程度のものだ」
越後で存分に働かれよ。そう言って、重茂は憲顕に活を入れた。
憲顕はしばらくポカンとした表情を浮かべていたが、やがて重茂の意図に気づいたのか、わずかに表情を崩す。
「うむ、そうだな。東国にも上杉ありとうたわれるくらい、存分に働いてくるとしよう」
本格的に立ち直るにはまだ時間が必要かもしれない。
だが、上杉憲顕という男はここで終わるような器ではない。重茂の中には、そういう確信があった。





