第123話「公武を繋ぐ者(弐)」
師直邸を訪れてから数日後のこと。
この日は引付方の仕事もなく、一日ゆっくりと過ごせる予定だったのだが、思わぬ来客がそれをぶち壊した。
「うむ、なるほど。頼遠殿の考える句は、なんというか突飛ながら妙にしっくりくる」
「道誉殿は意外に手堅い句だな。普段の振る舞いからは想像もつかぬ」
「実は真面目な小心者なのだ、私は。ただの佐々木支流では鳴かず飛ばずになるから、わざと目立つようにしているだけでな」
「ははは。一見もっともらしく聞こえる辺り、どこまで本心か怪しいぞ」
重茂の目の前で愉快そうに連歌の批評をし合っているのは、土岐頼遠と佐々木道誉の両名だった。
彼らが引き連れてきた郎党たちもあちこちで雑談に興じており、重茂の家はいつになく騒がしくなっている。
「大和権守殿の歌は、なんとも素朴で堅い感じがするな」
「もうちょっと面白味のある句を捻り出せんのか」
「いや、道誉殿。大和権守殿のような人は無理に面白味を出しては逆効果だ。かえってその良さが失われる」
「どう足掻いても面白い感じにはならぬということか」
「ははは」
否定の言葉を出さない辺り、頼遠から見ても重茂はそういう風に映っているのだろう。
「傍から見たら面白くはないのかもしれんが、自分はこれで結構。いきなり自分の流儀を変えても、ろくなことにはならん」
青野原で自分らしくない無茶をした結果を思い出し、重茂はしみじみと語った。
「ところで重茂殿よ。そなたの倅は、なぜずっと辛気臭い面構えなのだ」
道誉が手にしていた扇子で指し示したのは、部屋の片隅で手描きの地図と睨めっこしている重教だった。
「ああ、あれは日向国への安全な道筋を考えているのだ」
「日向? 随分と遠いな」
「いささか所用があって兄から行くよう命じられたのだ。あやつだけでは心配ゆえ、俺も一緒に向かうことになったが」
師直邸で西園寺家に関する雑談が終わったあと、さらりと師直から「日向国へ行って視察してこい」という命があったのである。
元々は重教だけで行くはずだったが、露骨に渋るのを見て重茂が同行を申し出たという次第だった。
「しかしその間引付方は大丈夫なのか。重茂殿は一職員だが、重要な戦力であろう」
驚異的な記憶力といずれにも忖度しない気性の重茂は、正確性と公平性が求められる引付方で欠かせない人材になっていた。
近々一度頭人に任じてはどうかという声もあがっているくらいである。仲間内での評判も極めて良かった。
「その間のことは道倫(細川和氏)殿に任せることにした。ぐちぐち文句を言っていたが、向こうの依頼を引き受けることでどうにか承諾を得られたよ」
「交換条件というわけか。なんだ、裁定に手心を加えてくれとかそういう話か」
「俺はそういう頼みを聞かないし、それは和氏殿も分かっている。ご子息たちの見聞を広めたいから、日向行きに連れて行ってくれという話だ」
何度か引付方に連れてきていた実子・弥八と甥っ子の弥九郎、そしてその二名に従う細川の郎党を連れていくことになる。
思っていたよりは人数が多くなるが、そこまで問題になる程ではないだろう。
細川の人々とはそこそこ付き合いがあって、気心も知れている。
「なんだか面白そくなりそうな旅路だな。重茂殿は東へ西へと飛び回れて羨ましい」
「道誉殿もまた戦に駆り出される可能性はあるんじゃないか」
「戦以外で遠出したいのだ」
あまり武人としての側面を出さない道誉だが、畿内近辺の吉野方との戦いでは時折出陣を命じられることもある。
ただ、元々佐々木氏の支流ということもあって、近辺の武士の統制には苦労しているらしい。
「遠出か。私も美濃と京の往復ばかりだし、たまにはしてみたいものだ」
「頼遠殿はもはやそんな身の上ではないだろう」
しみじみと言う頼遠に、重茂がすかさず釘をさす。
頼遠の立場は、少し前までとは異なっている。
近江で会ってからしばらくした後、土岐氏の惣領だった頼遠の父・頼貞が老齢のため亡くなった。
本来は嫡男である頼遠の兄が跡を継ぐべきところなのだが、その兄は頼貞に先立って亡くなっている。
その遺児である頼康は十分な実績を持ち合わせておらず、美濃に広く展開する土岐一族をまとめあげるのは難しい。
そういう経緯もあって、先年の青野原の戦いで武名を轟かせた頼遠が惣領の座を預かることになったのである。
「頼康の身の安全を考えて青野原では足利陣営に預けたものの、それが仇となった。あそこで頼康に武功を立てさせていれば、そのまま土岐氏の惣領を継がせられたのだが」
「北畠も新田も勢力が衰えているし、当面青野原のときのような大戦はないであろうな。頼遠殿を越えるような武名を得るのは極めて難しいであろう」
「惣領に向いているのは頼康だと思うのだがな。私はその器ではないし、倅どもはもっと向いていない」
頼遠が土岐氏惣領としての基盤を継いでしまった以上、頼康にこれを返すのはかなり難しくなったといえる。
頼遠自身がそれを望んでいたとしても、他の一族、特に頼遠の身内などは大反対するであろう。自分たちの元に転がり込んできた権益をみすみす手放すことになるのだ。それを喜ぶ奇特な者など、そう多くはない。
「権益は良いがそれに付随する責任が重苦しい。こういうのは自分の生き方ではないと、最近いつも感じている」
「ま、私も佐々木の惣領を得たいかと言われれば断固否定するし、気持ちは分かる。やらねばならぬことは増えるし、人の恨みも買いやすくなるし、窮屈で仕方がない。裏でこそこそやる方が性に合う」
「土岐も佐々木も相続問題は大変そうだな……」
自分たちの勢力を自分たちで維持していかなければならない。
足利の家人である高一族にはない悩みである。
「大和権守殿、他人事のように言っていられるのも今のうちだ。近頃の高一族は勢いを増している。そのうち源家を凌いだ北条一族の如く栄え、それゆえにいろいろと揉める可能性もあると思うぞ」
「不吉過ぎる例えはやめてくれないか頼遠殿」
最終的に滅んだ一族に例えられてもまったく嬉しくない。
「家督を巡る問題においては、あらゆる可能性を考えておいた方が良い。西園寺家のように、予期せぬことになるかもしれぬ」
不意に、道誉が上の句を記した紙を差し出してきた。
<夕暮れの雲にほのめく三日月の>
「これは、公宗卿が生前詠まれたものでな」
「道誉殿は、公宗卿と親しかったのか」
「北条が健在だった頃、得宗家の命で朝廷とやり取りする機会が何度かあった。そのときにな」
上の句だけが書かれた歌をよこしてきたということは、何らかの返答を求めている――ということになる。
そこで重茂は道誉の意図を察した。
「なるほど。連歌をしに来たと言っていたが、本命はこちらか」
西園寺公重が師直に接近しようとしているという噂を聞きつけて、重茂から情報を探り出そうと来たのだろう。
重茂はその場で下の句を書いて道誉に返した。
<はつかなるより秋ぞ悲しき>
それを見た道誉は目を丸くした。
重茂が記した下の句は、先に出された歌の下の句そのままだったからである。
「なんだ、知っていたのか」
「歌は嫌いではないのでな。近頃兼好という歌好きからいろいろ教えてもらっている。先日西園寺家の話になったときに、この歌のことを聞いた」
歌の話題は公家とのコミュニケーションで大いに役立つ、というのは二階堂行珍も言っていた。
そういうこともあって、最近重茂は和歌を意識的に学ぶようにしていた。
ただ、特定の流派にはあまり肩入れしないようにしている。
肩入れすると面倒臭い派閥争いに巻き込まれる、という行珍からのアドバイスがあったからだ。
兼好からも「それはその通りですな」という言葉をもらっている。歌壇の世界は歌壇の世界で厄介な問題があるらしい。
「執事殿は――というより足利は、従来通り公宗卿の遺児を推すということで良いのかな」
「深入りするつもりはないがな。公重卿にあえて鞍替えするような理由がない」
「公重卿か……」
その名を聞いて、頼遠は嫌悪感をあらわにした。
「ああいう御仁は苦手か、頼遠殿は」
「苦手というか、単純に好かぬ。吉野院の世では吉野院に媚を売り、世が替われば今の院に尻尾を振る。見境のない犬のような振る舞いだとは思わぬか」
「それを言われると、北条から足利に鞍替えした私などは耳が痛いところだな」
扇子でぺしぺしと自分の頭を叩きながら、道誉がおどけて笑う。
ただ、頼遠は至って真面目な表情のまま頭を振った。
「道誉殿も他の武士も、鞍替えするにあたって自らの身命を賭している。それだけの覚悟をもっての鞍替えなら言うことはない。しかし公重卿は違う。覚悟をもって行動しようとした公宗卿を裏切り、そこまでして選んだはずの吉野院も見限り、その行動からは何の誇りも感じ取れぬ」
痛烈な批判がすらすらと出てくる。この様子から察するに、本当に公重のような男が好かないのだろう。
「公重卿には公重卿の事情があるのだろう。あの御仁もあれで必死なんだと思うぞ」
意外にも、道誉の口からは公重を擁護する言葉が出てきた。
「公宗卿派ではなかったのか、道誉殿」
「別に私はどちらでもない。公宗卿とも付き合いはあったが、公重卿とも付き合いはあった。ただそれだけのことよ」
「ふむ……?」
ならば、なぜ西園寺家の家督に関する足利の動向を気にしているのだろうか。
そこまで考えて、重茂の脳裏に一つの可能性が浮かんできた。
「道誉殿」
「なにかな」
「公宗卿派でも公重卿派でもないなら、道誉殿は――武家と公家の仲介役、どなたが良いとお考えなのかな」
道誉の口元が歪む。にんまりと、それはそれは嬉しそうに。
彼がわざわざここに来た真の本題は、西園寺家の動向などではない。
この男は、公武関係の今度を見据えて行動を起こしている。
「さてはて、誰がと聞かれれば私の見解を述べねばなるまい。そうさな、私としては勧修寺経顕殿が良い」
「それはなにゆえ?」
「私と昵懇ゆえ、話を通しやすい」
そこは正直なのか――と、重茂は妙なところで感心してしまった。
「要するに、道誉殿は勧修寺経顕殿と御自身とで武家と公家の仲介役になりたい、ということか」
「別にそういう役目を独占するつもりはない。今は尊氏殿の機嫌を損じて日陰者になっているが、上杉重能殿と四条隆蔭卿も仲介役には適しているだろう。特定の家がこういう役目を独占するのは、実に、実によろしくない」
その点において西園寺家の復興はよろしくないのだ――と、道誉は視線をわずかに鋭くした。
「西園寺家はその特権ゆえに勢力を大きくし過ぎた。未だに院の周辺には西園寺家の縁者が何人もいるくらいだ。そのようなことになったのは、ひとえにあの家が手にした特権ゆえよ。朝廷も武家も皆がその家の顔色を窺わねばならなくなる。そういう家が存在していては、他の皆が困るのだ」
道誉の言葉には一理ある。
公武の関係は歪で取り扱いが難しい。それぞれ独立性を持ちつつ互いに依存し合っているところがある。どちらに主導権があるかも明確ではない。両者の持つ力、その種類が異なるのもややこしさの原因となっていた。
「逆に、今のように西園寺がその力を失ったときは上手く公武を繋ぎ止められるものがいないという弊害もある。近頃のやり取りなど全然なっていないではないか」
足利と四条が揉めた件然り、崩御した後醍醐への対応を巡る件然り。
一歩間違えば、公武関係に深刻な亀裂が入りかねないところだった。
「暦応寺の一件なども、四条・上杉が十分に役割を担えず、夢窓国師が調整役を買って出たが、そのせいで必要以上に目立って反対派に目をつけられた。朝廷と武家を動かして禅律の勢力を伸ばそうとする黒幕だと、そんな風に見られるようになったのだ」
「正直、そういう狙いはあると思うが」
「だとしても、もう少し上手く立ち回れただろう」
横から口を挟んだ頼遠に、道誉は扇子を突きつけた。
「せっかく延暦寺の鼻を明かせそうな機会だったというのに、さてもさても惜しいことよ。公武寺社すべて一体となって、王城鎮護をうたいつつ圧ばかりかけてくる奴らに目にもの見せてやりたい、そうは思わぬのか」
「まあ、確かに延暦寺の坊主どもをあっと言わせられれば痛快だろうとは思うが」
暦応寺造営に反対してきたのが延暦寺だと決まったわけではないのだが、どういう根拠によるものか、道誉は決めつけているようだった。何か掴んでいるのか、日頃の恨みによるものか、どちらかは分からない。
「ともあれ、公武関係について私の考えは今述べた通りだ。早々に整えられるかと思っていたが、なかなかその気配が見えぬ。重茂殿の方から、執事殿や直義殿に言っておいてくれ」
「道誉殿が自分で言えば良いではないか」
「おぬしが言ってから、後に私も言う。その方が話を通しやすくなるだろう。外様と身内の言葉は、やはり違うものだ」
道誉のやり方は終始回りくどい。
こういう立ち回りが京の政治では重要になってくるのかもしれないが、重茂などはどうにも面倒臭いと思ってしまう。
「そういえば御両人。暦応寺の件に前向きなのであれば、多少の寄進などは」
「あ、それはちょっと」
「一族の者と相談しなければならぬので、正直厳しいな」
そこはやはり駄目らしい。実際、寄進については思い付きで実行に移せることではない。
「その様子だと、やはり造営費の工面に苦労しているようだな」
「うむ……。そもそも日向行きもそれに関連していることなのだ」
「どうせ年貢がなかなか届かないとかそういう理由だろう。信頼できる代官を派遣して流通経路を整える。最低限それをし続けないとアテにならんぞ、遠方の所領の年貢など」
道誉の言葉が重茂に次々と突き刺さる。
その必要性は理解しているつもりだが、では整えよう、などと一朝一夕で出来るわけもない。
「……寄進の代わりというわけではないが、一つ良い手があるかもしれない」
重茂の苦い顔つきを見て何か思い出したのか、頼遠が顎を撫でながら言葉を続けた。
「先日示寂した清拙殿から以前聞いたのだが、鎮西の人々は元との貿易を盛んに行っていて、結構な富を築いているという」
「清拙殿は、確か元から来られたのだったか」
元寇によって元と日本は国家間で対立状態になった。正式な和睦は結ばれたわけではないので、今も形式上戦は続いていることになっている。
ただ、国家間の関係がそのまま民衆同士の関係になるわけではない。むしろ両国の民衆は頻繁に交流しており、貿易・僧の往来などはずっと続いていた。清拙正澄もその交流の中で元から日本に来た一人である。
「貿易が実際のところどのように行われているか。今も続いているのかどうか。その辺りは私も知らない。ただ、なかなか造営費が得られないということであれば、一度検討しても良いのではないか」
「貿易か」
寄進だけを頼りにするよりは、複数の手段を考えておいた方が良い。
貿易については重茂も素人なので、知見のある者に相談してみる必要はあるが、今のところ悪くない案のように思えた。
「……しかし道誉殿」
「ん?」
「道誉殿は、話が回りくどいな。もう少し率直に本題を切り出してくれた方がありがたいのだが」
和歌だの西園寺家だのと言わず、公武関係への意見があるなら、直接言ってくれた方が良い。
重茂の苦言を受けて、道誉は呵々と笑ってみせた。
「要件のみを最短の言葉で述べる。なるほど、その方が効率は良いだろう。だが、それは面白くない」
言いながら、道誉は扇子を重茂の鼻先に突きつける。
「今日は面白かった。重茂殿は一見すると真面目で面白味がないように見えるが、打てば響くところがある。私が仕掛ければそれに気づいて返してくる。そういう相手は嫌いではない。今後とも、仲良くやっていこうではないか」
それからしばらく歓談した後、道誉と頼遠は連れ立って去っていった。
「なんだったんでしょうね。あのお二人」
「挨拶回りだろう。うちだけにわざわざ来るはずがない。足利の関係者のところを回っているのだ」
大勢力ではあるが、佐々木も土岐も足利からすれば外様である。
両氏が武家の棟梁になった足利との関係を強化したいと考えるのも、不思議なことではない。
「しかし腹立たしいな」
「なにがですか?」
「道誉殿だ。挨拶しつつ人のことを試しおった。こいつは話ができる奴かと見定めていたのよ」
重茂は道誉の期待に沿う対応をしたらしい。それはそれで良いのだが、どこか舐められているような感覚もある。
とは言え、いつまでもそのことを考えていても仕方がない。重茂は頭を切り替えることにした。
「確か博多は日元貿易の拠点だったな。回り道になるが――日向に行く途中で寄って視察するのも良いかもしれない」
「えっ、寄り道……?」
心底嫌そうな重教の声はスルーすることにした。
今度の日向行きは、暦応寺造営のため重要な旅路になるかもしれない。
そんな予感に、重茂は気を引き締め直した。





