第107話「竜が時代を去るとき(漆)」
登子の出迎えは、足利宗家の主だった者たちによって行われた。
顔を出したのは、夫である尊氏、その弟である直義と夫人の頼子、そして師直たちをはじめとする家人一同である。
尊氏・直義の母である上杉清子も顔を出していた。
登子にとっては義理の母、憲顕からすると叔母にあたる人である。
穏やかな笑みを浮かべながら再会を祝する登子と清子を見て、重茂は内心恐ろしさを感じていた。
登子がわざわざ千寿王を置いて京に着た一番の理由は、尊氏に縁談が持ち込まれたという話があったからだ。
高位の公家との縁組があれば、登子たちの立場も危うくなる。それを牽制しつつ尊氏の正室として立場を固めるのが、登子の上洛の目的である。
登子がいるのにあえて尊氏に縁談を持ち込もうとする者は、そう多くない。
重茂含め高一族は、そもそも主筋である足利宗家の縁組に口を出すような立場ではなかった。他の家人一同も同様だろう。
となると、公家の方からアプローチがあったか、家人以外で足利宗家に口を出せるような者が動いたと見るほかない。
以上の点を考えると、一番可能性が高いのは清子なのである。
母という立場であれば尊氏・直義の身辺に口を出すのも自然なことだし、上杉一族は公家社会との接点も多い。
尊氏と公家の縁組を仲介したとなれば、上杉の立場向上にも繋がる。そういう点でも、一番疑わしい人と言えた。
清子は側室だったこともあって足利宗家で重い立場だったわけではない。
一方、北条氏出身の登子は実家のバックアップもあって義母・清子以上の存在感を持っていた。
ただ、鎌倉幕府が滅び北条氏が壊滅的な打撃を受けてから、バックアップを失った登子の力は大きく損なわれている。
今、両者の勢力は拮抗状態になったと言って良い。
それだけに、水面下でバチバチやり合っているのが重茂たち家人にまで伝わってくる。
「憲顕殿も、よくぞ来られました」
登子への挨拶を終えて、清子が重茂や憲顕たちのところへやって来る。
清子に手を取られて、憲顕は笑みを浮かべながら礼を述べた。
「重茂殿も、お勤めご苦労でした。今後も足利のため尽力してくれることを期待していますよ」
「はっ。微力ながら、全身全霊でお仕えいたします」
「これは頼もしい。尊氏も直義も、きっと心強く思っていることでしょう」
愛想よく笑いながらも、重茂はどこか胃が痛くなるような心持ちだった。
清子には、屈強な武人とはまったく別種の怖さがある。言葉の一つ一つに、何か含みがあるように感じられてしまうのだ。
「緊張が顔に出ていたぞ、重茂殿。もっと気をつけた方が良い」
清子が離れたタイミングで、隣にいた憲顕が小声で忠告してきた。
「俺は憲顕殿と違って清子様との接点が特にないのだ。緊張しても仕方があるまい」
「私もそこまで接点はない。親族というだけで、これまで特別親しくしていたというわけではないよ」
そう語る憲顕の表情からは、僅かな陰りを感じる。
上杉一族も、内部でいろいろとあるのかもしれない。部外者である重茂には見えないことも、少なくないのだろう。
ふと視線を感じて周囲に目を走らせると、尊氏たちの側に控えている師直と目が合った。
その表情からは、相変わらず感情というものが読み取れない。
ただ、師直は重茂に対して短く頷いてみせた。
よく来たな。
そんな言葉が、聞こえたような気がした。
登子たち一行を尊氏の邸宅まで送り届けると、集まっていた者たちはその場で解散することになった。
重茂や憲顕たちは長旅の疲れを癒せとのお達しで、用意された邸宅で休息を取ることになった。
「ただし休んで良いのは今日だけだ。明日からは早速仕事をしてもらう。朝に使者を寄越すから待機していろ」
というのが、師直からの温かいお言葉である。
げんなりする反面、手持ち無沙汰になるよりはマシだと思うところもある。
持て余されるよりは、あれこれと仕事を与えられる方が良いのかもしれない。
そんなことを思いながら邸宅へと向かっていると、正面から別の集団が近づいてきた。
牛車を中心に、幾人かの従者が周囲を囲んでいる。車の形式からするとかなり高位の人物らしい。
京に来たばかりで揉め事になってはたまらない。
重茂は郎党に声をかけつつ、下馬して礼をとった。
重茂も建武政権の頃は京で活動していたので、こういうことは初めてではない。
だからか、ささやかな違和感を抱いた。車の形式の割に、従者の数がやや少ないように思えたのである。
「花七宝の御紋――」
重茂たちが掲げていた花七宝の家紋に気づいたのか、相手の一人が声をあげた。
「そなた、高武蔵守の身内の者か?」
「はっ。弟の大和権守重茂と申します」
「弟か。兄がいるというのは聞いていたが」
「本日、坂東から参ったばかりの身でございますので」
声をかけてきたのは、牛車のすぐ側にいる男だった。
身なりからして他の従者とは位が違う、ということが見て取れる。
涼やかな顔立ちで、整えられた髭が印象的だった。相応の年のようだが、若かりし頃は色男として浮名を流したに違いない。
「そちらが名乗ったのであれば、こちらも名乗るのが礼儀というものであろうな。――私は堀川具親という」
その名を聞いて、重茂の背筋に冷や汗が流れた。相当な大物である。
堀川家は北畠親房・顕家等の北畠家と同じ村上源氏で、具親はあらゆる源氏の中でもっとも高位の者に与えられる源氏長者の地位にあった。尊氏たち足利氏も源氏だが、朝廷秩序においては具親の方が格上である。
北畠親房も源氏長者を経験しているので、具親は親房と同格の人物といってよい。
問題は、この行列の中心がその堀川具親ではない、ということである。
当然、牛車の中にいるのは具親よりも高位の人物になる。具親自身が伺候するような相手はそう多くない。
「近頃、武蔵守の名はよく聞く。天下第一の執事であると」
牛車の中から声が聞こえた。
具親が落ち着きのある品の良い声なのに対し、こちらは張りのある声である。
「その弟か。そのうえ坂東帰りとは興味深い!」
その言葉と同時に牛車の前の簾が開き、一人の男性が軽やかな動作で降りてきた。
全身から活力が溢れ出ているような――天性の前向きさを持ち合わせているようなその姿に、重茂は一瞬目を細めた。
「殿下」
「良いではないか。直接話を聞いてみたい」
諫めるような具親に対し、殿下と呼ばれた男は笑って応える。
殿下ということは皇族である。重茂は慌てて姿勢をより低くした。
男は重茂たちの方を向くと、両手を大きく広げ、大音声で名乗りを上げる。
「まずは名乗ろう。我こそは大覚寺統の真なる嫡流! 父・邦治と兄・邦良の遺志を継ぎし者――邦省である!」





