第106話「竜が時代を去るとき(陸)」
登子・憲顕たちと共に鎌倉を出立した重茂は、途中遠江や三河で今川範国、高師兼等の歓待を受けつつ、近江まで到着した。
北畠顕家の軍勢を追って美濃・尾張まで駆けたときとはまるで違う、順調で穏やかな旅路である。
ただ、範国や師兼曰く、遠江・三河から甲斐・信濃の辺りでは吉野方についている武士も一定数いるようで、世情はまだまだ安定していないとのことだった。坂東以外も、状況はあまり変わらないらしい。
安全な旅ができるのは、それなりの人数を擁しているからだろう。少人数であれば、もっとリスクは高まっていたはずだ。
近江では、守護・佐々木氏の館に数日逗留することになった。
京に到着の使者を出し、盛大に出迎えてもらうよう登子が依頼を出したのである。
尊氏の正室は自分なのだということを、京の内外に知らしめるためだった。登子の戦いは既に始まっている。
そういう状況下で自分たちだけ先に入京するわけにもいかず、重茂と憲顕は登子に付き合う形で待機していた。
守護館に到着した翌朝。
重茂は宛がわれた館の庭先で、的に向けて矢を構えようとしていた。
だが、指先に力が入らず弓を引くことができない。何度も試したが、最後まで上手くいくことはなかった。
分かっていたことではあるが、やはり気分は沈む。
弓を引けないというのは、武士として大事なものが欠けてしまうのと同義だった。
他の手段で世を生き抜いていくしかないのは理解しているが、感情はそこまで割り切れるものではない。
ため息をつきつつ顔を上げると、意外な顔があった。
「昨年以来ですな、大和権守殿」
「土岐殿」
そこにいたのは、美濃を中心に勢力を広げている土岐氏の頼遠だった。
昨年、青野原の戦いで北畠顕家と激闘を繰り広げた猛者でもある。
普段の頼遠はどちらかというと理知的な雰囲気の男だが、その顔には戦いで負った深い傷跡が今も残っている。間違いなく、彼は人並み外れた武勇の者だった。
頼遠の隣には、佐々木氏の嫡流である氏頼の姿もある。何人かの護衛も一緒だった。
「土岐殿は京から領国に戻られる途中で、近くの館に泊まられていたのですが」
「挨拶に伺ったところ、昨日の大所帯が坂東から来た足利の御一行だと聞きましてな。こうして顔を出した次第です」
近江源氏と美濃源氏の惣領が並んで自分のところに来ている。
その状況に、重茂は思わず笑ってしまいそうになった。
「わざわざお二人が揃って来られるほどの身ではないですよ、私は」
「いうほど官位に違いはないでしょう。皆守護という点では同格ですし」
「私はもう武蔵守護ではありませぬよ」
「細かいことは気になさるな」
頼遠は笑って肩を叩いてきた。言葉を交わす機会はそう多くなかったが、不思議と親しみを感じさせる男である。
「私は昨年の戦いや坂東でのことをお聞きしたいと思って参りました」
「氏頼殿とて援軍に来られていたのではないですか」
佐々木氏傍流の道誉と共に、近江で兵を展開していたと聞いている。
近江まで進出した援軍の存在があったからこそ、北畠勢は一旦伊勢を回るルートを取らざるを得なくなった。
それが、北畠顕家の命運を決めるターニングポイントになったともいえる。
「結局、矢の一本も射かけておりません。後学のためにも、あの戦に参加された方々の話は是非聞いてみたいと思っていました」
氏頼は少し前に元服したばかりの若者である。武勇譚に憧れるところがあるのだろう。
そんなことを考えていると、頼遠が小声で耳打ちしてきた。
「氏頼殿はいろいろと雑事に煩わされることが多いそうで、気が詰まっているように見受けられましてな。普段側にいない我らのような者との話なら、多少気が晴れるのではないかと思いまして」
「ああ……」
氏頼は、どうやら頼遠に引っ張り出されてきたらしい。
近江は京に近いということもあって、頻繁に指示やら依頼やらが届く。
加えて、国内には朝廷にすら手に負えない延暦寺を抱えている。
それだけでも厄介なのだが、氏頼の場合はそこに道誉との関係という問題まで出てくる。
表向き両者は協調路線を取っているが、氏頼が圧倒的に若年ということもあって、本来傍流に過ぎない道誉が宗家をしのぐ存在感を発揮し続けている。自然、両者を取り巻く環境は常に不穏なものが漂っていた。
言ってしまえば、氏頼はストレスフルな環境に身を置き続けているのである。
「頼遠殿もお節介ですな」
「なに、ついでに私も気詰まりを解消したかったのです。こちらはこちらでいろいろと煩わしいことも多いのですよ」
責任ある立場の者たちは、皆大なり小なり苦労しているということか。
急な来訪者に戸惑いつつも、重茂は二人を宿所へとあげることにした。
青野原に至るまでの戦いを語り終えると、自然、話題はその後のことになった。
「北畠殿は最期まで見事に戦い抜かれたとか。是非とも直接相まみえた武蔵守殿にも話をお聞きしたかった」
頼遠が惜しむように語る。
北畠顕家は多くの者に強烈な印象を刻みつけたが、その最期の戦場に居合わせられた者はそう多くない。
だからか、重茂の中で顕家が死んだという事実はどこか嘘のような気がしていた。
もしかすると、頼遠も同じような気持ちなのかもしれない。
「直接相対した頼遠殿としては、是非とも決着をつけたかった――というところですか」
「いえ、特にそういうこだわりはないですね。ただ、どのような最期だったのか、それだけが気になるのです」
どういう形の最期になるか。それは、武士にとって小さくない関心事である。
いかに身内と所領を守るか。いかなる武功を立てるか。どのような最期を迎えるか。いずれも、切実な悩みである。
「先日、父や頼康と共に清拙正澄殿に別れの挨拶をしてきたのです。お二人は正澄殿のことはご存知ですか」
「元から来られた高僧ですな。鎌倉でも重要な寺の住持を歴任されていたと聞いています」
「ええ。先日、その正澄殿が入寂されたのです」
土岐氏は禅宗との関わりが深く、夢窓疎石や清拙正澄のような高僧とも親交があった。
正澄がもう長くないということを聞いて、別れの挨拶に行ってきたのだという。
「我らの他にも、石橋和義殿や大友氏泰殿などが来られていました。皆、正澄殿の姿に感嘆していましたよ」
「正澄殿は、どのようなご様子だったのですか?」
氏頼の問いに、頼遠は真顔で「いつも通りでした」と応えた。
とても亡くなる寸前とは思えなかったという。
「正澄殿と共に暮らしていた弟子たちは、半ば不思議そうに見入っておりました。しっかりとした姿勢で、一心不乱に弟子たちのため遺偈(最期に遺す詩)を書き続けておられたのです」
正澄は頼遠たちに別れの挨拶を済ませた後も、変わらず筆を取り続けた。
そしていよいよ最期を悟ると、弟子たちに笑いながら語り掛け、筆を振るい切って示寂したという。
「私はそれまでも正澄殿のことを尊敬しておりました。ただ、それは正澄殿の学識の奥深さ、そしてそのお人柄に対するものでした。しかし後からその話を聞いて、その生き様に、どうしようもなく畏敬の念を抱かざるを得なくなったのです。人の生き様とは――その人の生涯とは、どのような最期を迎えたかで完成する。そのことを強く感じるようになりました」
だから北畠顕家の最期が気になった――ということなのだろう。
確かに、正澄のように己を貫き通したような最期を迎える者は数多いる武士の中でもそうそういない。
畏敬の念を抱いてしまうという頼遠の感覚は、重茂にも分かるような気がした。
誇らしげに語られるような最期を迎えたい。そういう欲求は、多くの武士が心のうちに秘めた願望といえる。
「清拙正澄殿や夢窓疎石殿など、禅僧には立派な方々が多いですね。叡山の連中とは大違いです」
笑いながらしれっと毒を含む発言をしたのは氏頼だった。
「叡山にも立派な僧はいると思いますが……まあ、氏頼殿の場合は立場上受け入れがたいところがあるのでしょうな」
「組織としての延暦寺は大したものだと思っていますよ、重茂殿。ええ、それはもう憎らしいくらいに」
近江を本拠とする佐々木氏は、延暦寺と利害が衝突することが多い。
両者が険悪な仲なのは有名な話だった。
「組織として完成され過ぎているが故に、そこに属す者たちは皆その完成された枠組みの中にいる、という印象はありますね」
頼遠の評に、かつて興福寺について語っていた妙吉のことを思い出した。
興福寺も延暦寺も長い歴史を持つ寺社である。その重みから両者は大きな存在感を持つ巨大組織となったが、それ故に在り様が固定化されていて、変革やそれを促すような傑物がなかなか出てこない。秀才はいても時代を変えるような天才はいない――そういう印象を受ける。
同時に、それが興福寺や延暦寺の強味でもあるのだろう。一人の傑物によって動く組織は軽い。軽さはときに利点ともなり、欠点ともなる。
禅宗も北条氏等武士の支持を得て勢力を拡大させつつあったが、延暦寺・興福寺などに比べると発展途上――未完成なところがあった。禅宗で「人」が目立つのは、そういう理由もあるのだろう。
「私にとっても延暦寺は弟の仇ですが、誰かの顔が浮かぶというわけでもなく、どこに恨みを持っていけば良いか分からぬところはあります」
「丸ごと潰れてしまえば良いと思うのです」
さらりと氏頼がとんでもないことを口走った。
これには重茂・頼遠も揃って言葉を失う。
確かに延暦寺の存在は厄介だが、積み重ねられた歴史の重みは朝廷に次ぐものとも言える。
潰れてなくなる――などということは、想像することすら難しい。
「さすがにそれは仏罰が下るのでは……」
「大丈夫です。我らは禅僧たちの教えに帰依すれば良いのです。こちらにも仏、向こうにも仏――ということであれば問題ないでしょう」
よほど延暦寺に対して鬱屈が溜まっているのだろう。
酔っているわけでもないのに、氏頼の顔は赤くなってきていた。
付き従っていた護衛も皆、どうすれば良いか戸惑っている。
まあまあと氏頼をなだめつつ、頼遠は重茂に顔を向ける。
「まあ潰れるかどうかはさておき――大和権守殿、京でお働きになられるのであれば延暦寺・興福寺には少々気をつけておいた方が良いでしょう。あまり喧嘩を売るようなことはされぬよう」
「それは勿論そのつもりですが……何かあったのですか?」
「今はまだ何も。ただ、延暦寺は少し前まで吉野の帝についていたということもあって、今の状況にかなり神経を尖らせているようです。興福寺も、吉野と距離が近いゆえに内部で揉めているようですからな」
京の南北に位置する古からの大寺社。その動向は京の情勢に直接的な影響を及ぼしかねない。
火種が燻っているのであれば、確かに注意して取り扱う必要があるだろう。
「吉野の帝が戻られれば、世も多少は鎮まるのでしょうが」
「それも、難しいかもしれません。あまりご容体が思わしくないという噂を聞きます」
その噂は重茂の元にも届いていた。
後醍醐の容体悪化は、足利陣営にとっても凶報である。
「吉野の帝と和解できれば世は鎮まるかもしれません。諸国の吉野方が戦う大義名分が失われるわけですからな。しかし、和解が成らぬまま崩御された場合――戦わぬ理由が失われることになる。吉野の帝の遺志という大義名分を口にすれば、吉野方はこの先十年でも二十年でも戦い続けるでしょう」
「それは……」
頼遠の指摘は事実だろう。
そして、そういう事態はすぐそこまで迫ってきている。
「病の御身体で無理に京へお連れするのは難しいでしょうし、お連れしたところで院が和解に応じるかどうかは分かりません。院は、皇統を一つにまとめることを強く望まれている。あちらはあちらで厄介な御方です」
頼遠は光厳院のことを、どこか苦々しそうに評した。
元々土岐氏は朝廷との結びつきが強く、頼遠の父・頼貞などは後醍醐とも親交があったと聞く。
後醍醐を追い落として強気になりつつある光厳院のことは、あまり快く思っていないのかもしれない。
「新田・北畠の討伐で世は鎮まるだろうと思っていましたが、実際はまだまだ遠い道のりになる――そう覚悟しておいた方が良さそうですな」
当たり前の話だが、世は武士だけで回っているわけではない。
朝廷や寺社なども含めたすべてが鎮まらなければ、世は落ち着かない。
それは、重茂からすると途方もなく高いハードルだった。





