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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第4章「天龍の秋」
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第105話「竜が時代を去るとき(伍)」

 重茂しげもちたちが鎌倉を出立する前日になった。

 既に武蔵むさし国守護所は引き払っている。師冬もろふゆが到着するまでは、師業もろなりが諸事を取り仕切ることになっていた。


 重茂は鎌倉の足利あしかが邸にいた。千寿王せんじゅおうに出立前の挨拶を済ませ、明日登子(なりこ)と共に京へ出立するためである。

 ただ、重茂は少し早く着いてしまったらしい。千寿王はまだ支度中とのことだった。


「弥五郎殿の顔もこれで見納めか」

「御坊。今生の別れのようなことを言わんでくれないか」


 空いた時間、重茂は頼仲らいちゅう椿つばきと顔を合わせていた。


「しかし今日は賑やかでいかん。明日静かになったときに寂しくなる」


 重茂たち以外にも、今日は多くの者が足利邸を訪れている。

 京に向かう人々への挨拶をしようと来た者が多いのだろう。頼仲・椿も同様だった。


「御坊もそのようなことを考えるのか」

「そうだな。吉野よしのの帝が北条ほうじょうを打ち倒してからというもの、世の中心は京に戻ってしまった。私はどちらかというと坂東の気風が好きなものでな。こっちが寂れていかないかという危惧はある」

「近頃、東寺とうじ長者に補任されるかもしれぬという話を聞いたが」

「ああ、うむ。そういう話もある。ただ、私までここを離れるのもいかがなものかと思うので、適当に対応するつもりだ」


 鶴岡つるがおか若宮わかみや別当べっとうに足利一族の頼仲が就いているのは、千寿王にとって大きな支えの一つになるだろう。

 みなもとの頼朝よりともに由来する鶴岡八幡宮という宗教的権威の存在は、坂東武者にとって非常に重い。


 頼仲に替わってその別当職を務められる人物はまだいない。

 彼がここを離れにくいと言っているのは、そういう事情もあった。


「椿殿は、こちらに残って菩提を弔い続けるそうだな」

「はい。同じような境遇の者も少なくないので、助け合いながらこの地で生きていこうかと」


 重茂の弟・師久もろひさだけではない。重茂の妻・あおいや第一の家人・治兵衛じへえも儚くなった。

 椿はそういった人々の弔いをすると決めたらしい。重茂にとってはありがたい申し出だった。


「登子様から、千寿王様をそれとなく気にかけておいて欲しいと頼まれましたので、ときどきこちらにも顔を出すつもりです」

「いろいろと任せてすまぬな。……その上で頼むのは気が引けるのだが」

「分かっております。新熊野いまくまの殿のことも見ておきますゆえ、どうぞ義兄上は存分に京でお働きになってください」


 やや突き放すような口調だったが、こういう手厳しさは普段と変わらない。

 今のは、椿なりの激励だと捉えておくべきだろう。


「今も各地で吉野方につく者は少なくないと聞く。北畠きたばたけ新田にったといった大敵は倒したが、まだ世が落ち着いたとは言い切れぬ。尊氏たかうじ殿が平家へいけ木曽きそ義仲よしなか・九郎判官(ほうがん)義経よしつねのようにならぬよう、側に仕えるそなたがしっかりせねばならんぞ」


 天下に名を轟かせた高名な武家でも、没落して悲しい最期を遂げることはある。

 足利による世が始まろうという時期だからこそ、気を引き締めなければならない。


 頼仲の言葉に、重茂は大きく頷いてみせた。




「そうか、もう明日か」


 重茂たちの挨拶を受けた千寿王は、どこか寂しそうな声音だった。

 北畠勢との戦いを経て成長したとは言え、まだ十にも満たない子どもである。


 先の戦で家長いえながという信頼していた側近を失い、今度は母と離れなければならなくなる。

 元々千寿王は、物心ついた頃から父・尊氏と離れ離れになっていた。それだけに、母の存在は大きいものだったはずだ。

 交替で師冬が下向してくるとはいえ、重茂や憲顕のりあきといった補佐役を失うのも痛手であろう。

 北畠という目に見える大敵は去ったが、坂東静謐とはまだ言い難い状況である。心細くなるのは当然のことだった。


和州わしゅう、憲顕。そなたたちは頼りになった。それだけに、二人がいなくなっても大丈夫なのか不安だ」

「ありがたき御言葉。されど、千寿王様にはその不安に打ち勝っていただかねばなりません」

「相変わらず、和州は厳しい」

「家人でありますゆえ、家のために申すべきことは申します」


 主に気を使って言葉を選ぶ者もいるだろう。

 だが、それで御家が傾くようなことがあれば元も子もない。

 必要と感じたことは口にする。それで不興を買ったのであればそれまで。重茂はそう割り切っていた。


「では、不安に勝てるよう助言をもらっても良いか。私はまだ至らぬところが多い。支えになる教えが欲しいのだ」


 問われて、重茂は憲顕に視線を向けた。

 そういうことは自分より憲顕の方が得意だろう。


「まず、足利の家人以外を信用しないことです。彼らは今でこそ味方になっていますが、我らに従わねばならぬ立場というわけでもありません。ゆえに、自らの家のためとあらば寝返ることも十分あり得る」


 憲顕の担当していた上野こうずけは、新田の勢力が強い国だった。

 表面上は静謐を保っていても、いざ事が起きれば一気に反足利として決起する者も少なくない。


 ある意味、重茂がいた武蔵国よりも扱いの難しい土地柄だったといえる。

 そこを取り仕切っていた憲顕の言葉には、重みがあった。


「その上で、彼らを恨んではなりませぬ。彼らは皆、自分の家を守るため必死なのです。そういう事情を汲み取り、好悪の情なく見定めるのが肝要です。敵になった者も、事情があれば再び味方になり得る。そういうものだと割り切るのが良いでしょう」


 千寿王は憲顕の話を聞いて熱心に頷いた。

 一字一句聞き漏らすまいとしているかのようである。支えになる教えが欲しいというのは、切実な想いなのだろう。


「いずこかの武家を潰すべきか否か。それを考える際は、好悪の情を捨てて、それが本当に必要なことかどうか、他の武家はそうすることに賛同するかどうかを考えて行いましょう。あそこの家は潰されても仕方がない――皆がそう思うことが大事なのです」

「そのような家があるのか?」

「なかなかおりません。足利にとって邪魔でも他の武家が反対するようなら、潰すことは一旦諦めた方が良いでしょう。強行すれば足利が支持を失うことになりかねません」

「……一旦か」

「はい」


 そこから先のことを憲顕は口にしなかった。

 潰すつもりなら、皆が「あそこは潰されても仕方がない」という状況を作る必要がある。

 しかし、まだ幼い千寿王にそういう毒を教えるのは危険だった。いたずらに策を練って事態が悪化する可能性が出てくる。


「今のところ敵味方については現状を保つことができれば問題ないかと思います。いろいろと申しましたが、千寿王様は皆の話を広く聞いて、見聞を高めることを第一とされるのが良いでしょう。有事の際のことは、京におられる御父君、これから赴任してくる師冬殿に相談されれば問題はありませぬ」


 語るべきことはほとんど憲顕が語ってくれる。

 そんなことを思いながら、重茂は相槌を打ち続けた。


「和州からは、何かないか」


 憲顕の言葉を一通り聞き終えた千寿王は、頷いてばかりいた重茂に視線を向けた。


 改めて言うことなどほとんどない。大事なことはほとんど憲顕が語り尽くしていた。

 ただ、それでは千寿王が納得しないだろう。憲顕もどことなく物言いたげに重茂を見ている。


「大事なことは、ほぼ憲顕殿が申された通りです。そこに一つだけ付け加えるのであれば、そうですな……」


 自分の経験を振り返る。

 乱世の中では様々なことがあった。

 足利の家人として努めれば良いとだけ思っていた頃からは、想像もつかないようなことばかりが起きている。


 数年前の常識が通用しなくなる。

 今は、そういう変化の激しい時代になってきていた。


「――常に『それで良いのか』ということを、考え続けるようになさいませ」

「それで良いのか、か……?」


 左様、と重茂は続けた。


「今の世はすぐに状況が変わります。かつて通用した考え方が通用しなくなる、ということも珍しくありません。今このときにおいて憲顕殿の言葉は頼りになるものですが、この先ずっと通用する考え方かは分かりませぬ。ゆえに、常にお考えください。今このとき、この考え方で決めて良いものかどうか、ということを」


 先例によって培われた常識を軽んじろというわけではない。

 ただ、そこに囚われていては時代の流れに取り残されてしまうかもしれない。

 この荒波のような時代に呑み込まれてしまうかもしれない。


 ただ、先例に頼ってばかりでは考える力が身につかない。それは避けるべきだった。

 だから、自らの頭で考え続ける必要がある。


 一通り話を聞いた千寿王は、浮かぬ表情だった。


「和州の言っていることは、相変わらず難しい」

「左様ですか」

「……だからこそ考え続けなければならぬ。そういうことなのだろうな」


 その言葉に、重茂は満足そうな顔で首肯する。


「それを忘れなければ、千寿王様はきっと良き武士になられるでしょう」

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