旧校舎の主
「実はこの鳳黎学園の裏手には木製の古びた校舎、通称旧校舎が存在するんだ。そして、その旧校舎を覆い隠すように、この学園は建てられた……」
僕はタカハシと別れたその足で噂の旧校舎に向かっていた。静まり返った校内で階段を下り廊下を歩く僕の足音だけが響く。真昼間だというの生徒の一人もいやしない――そりゃそうだ。みんなは教室でお勉強中。そんななかで校内を歩き回るなど不良学生以外の何者でもない……。つまりそれが僕の現在の立ち位置か……。ふぅ、みごとに落ちるとこまで落ちたもんだ。と、そんな自虐めいた感傷に浸りながら1階の廊下を進むと、
「この先……だよな……」
僕の眼前には赤錆びた防火扉。その分厚い鉄の塊が「関係者以外立ち入り禁止」といわんばかりの威圧感を持って通路を遮断していた。――いやいや、これ関係者っていうか誰も入っちゃダメってやつじゃん。絶対開かないやつじゃん。
でもまぁ……とりあえず押してみるか――『噂は噂』『はい、見事に踊らされました』で終わるパターンだな。……大体この先!?
「……開いた……」
その防火扉はびっくりするくらい簡単に開いた。鈍重そうなのは見た目だけで、どうやら稼動部はきっちり整備されてるみたいだった。もう、グッと押したらスッって感じ。
いざ行かん未知の世界――いや、恐怖の世界か……。
実際その防火扉の先には本当の意味での別な世界が広がっていた。鉄筋コンクリート製の学園とは違う純木製の旧校舎。昼間なのに異様に薄暗く、湿度が、空気が、匂いが、そして雰囲気がまったくの別物で、まるで現実から乖離されたような空間がそこにはあった。
現実味が希薄な噂の場所。
都市伝説の舞台。
「これはボクの友達の友達から聞いた話です。
「旧校舎って知ってます? この鳳黎学園の裏手にあるっていう噂の場所なんですが、
「そこに居るらしいんですよ。
「『旧校舎の主』って呼ばれる人が。
「彼はそこで様々な研究をしているそうです。曰く『錬金術』『交霊術』『悪魔の召喚』『宇宙人との交信』――つまり世間一般でいうところのオカルト研究ってやつですね。
「で、どうやら彼、その研究の何かに失敗して旧校舎から出れなくなったらしいんですよ。
「だから彼は何時如何なる時でも旧校舎に居ます。そこにず~っと存在し続けています。
「これだけ聞くとなんか地縛霊みたいですよね。でも、安心してください、彼は人間……? 生物です。旧校舎にちゃんと生きて存在しています。
「なんでもこれも研究の産物らしいのですが当時の容姿そのままで居るらしいですよ。ただ、その当時というのが何年前なのか――十年、はまたま百年……ははっ、そう考えるとやっぱり人間じゃないですね。生物――いや、怪物ですね。
「だから彼はずっとそこに居ます。長い年月が過ぎ去り、彼の本名を知る人もいなくなり、何時しか噂だけの存在になり、そして荒唐無稽な都市伝説の住人になり、彼は誰からともなくこう呼ばれるようになりました。
「『旧校舎の主』と。
「だから彼なら相談にのってくれるんじゃないですか?
「永継はそんな非現実に片足が掴まれちゃってるじゃないですか。だから、目には目を、歯には歯を――非現実には都市伝説です。
「――それによく言うじゃないですか、愚か者は藁をも掴むって」
愚か者はお前だ。それを言うなら溺れる者だろ――いや、僕も十分愚か者か……。
僕はそこに立っていた。噂の怪人物が住まうといわれる旧校舎二階、一番奥の教室。そのドアの前に愚か者は立っていた。
ここまで踊らされたのだから、あとは最後まで踊りぬくのみである。踊る阿呆に見る阿呆だ。
教室のドアをコンコンコンと三回ノックする。そして、
「友達の友達から聞いて来ました」
と言った。
これがタカハシが最後に教えてくれた合い言葉。『旧校舎の主』に会うための儀式だった。
さぁ、あとはドアを開けるだけ。無人の教室を確認したら戻ろう、そしてタカハシに言うんだ「噂はやっぱり噂だった」と。
「――なんのようだ」
ピタリと動きが止まった。半分開かれたドアの向こうに誰かが居る。
正直、暇つぶし感覚でここまで来た感は否めない。なにせ勢いに任せて授業をボイコットしてきた不良生徒である。そう簡単には教室に戻れない、バツが悪すぎる。
だから、踊っていても、踊らされていても、実際には懐疑的で、それも圧倒的に疑が大部分を占めていたけれど、ただただ好奇心の赴くままにここまで来てしまっていた。それでも心の片隅には「『旧校舎の主』に会えれば……」という淡い期待が残っていた訳で。けど、それだって「宝くじに当たったら良いな」くらいの感覚だった訳で……。
思考と思想が頭の中を縦横無尽に駆け巡り混乱をきたすが、そんな意思とは切り離されていた肉体が勝手に教室のドアを開ききっていた。
空っぽの教室の中心にぽつりと置かれた机と椅子。そこで彼女は本を読んでいた。
銀色の髪に灰色の瞳、人形のように整った顔立ちの神秘的な雰囲気を纏った女性がそこには存在していた。
不思議な感覚。
異様な空間。
狂った世界。
緊張からか? 恐怖からか? それとも金縛りにでもあったのだろうか? 先程から体がピクリとも動かない。その静寂な空間で僕の世界が止まっていた。
「で? 君はいったい何処の誰なんだ」
凛とした女性の声が響く。その声が僕の耳から入り僕の脳に触れた瞬間、静止していた世界が何事もなかったかのように動きだした。
「き、君は……」
舌がもつれて言葉が続かない。――『君は誰だ』――誰? そんなの決まっている。噂のとおりに噂の場所に居た人。彼って聞いてたけど……間違いない。間違いようが無い。だって彼女こそが――
「普通、相手に名を尋ねるのであれば自分から名乗るのが礼儀だと思うのだが――」
やれやれと彼女は読みかけの本をパタンと閉じた。
「私は『鳳条嵐子』この鳳黎学園2‐Cに在籍する普通の、どこにでもいる、ただの学生だよ」
『旧校舎の主!』……? ん? おや……じゃ、ない? ……いや、いやいやいや、だって、え? 何がどうなって……?
そんな動揺を見透かすかのように、鳳条嵐子と名乗った女性がじっと僕を見つめていた。