白い少女
僕に起きた異変、繰り返される悪夢。その原因に考えを巡らせれば間違いなく一点だけ思い当たる節があった。それは初めて悪夢を見た日。つまり4月1日、僕の誕生日に起きた出来事である。
僕はその日生まれて初めて幽霊を見た。
幽霊は白い、白いは幽霊。それはある種の日本人に刷り込まれた価値観であって、だから明らかに怪しい人が白い着物姿で唐突に現れれば、日本人なら間違いなく、それが幽霊と思うんじゃないだろうか。そして純日本人な僕もご他聞に漏れずそいつをそう認識したんだ。
あぁ、こいつは幽霊だって。
その日の夜、時刻は午後の7時くらいだったと思う。リビングのテーブルには如何にもハッピーでバースディな仕様の料理が並んでおり、そんな部屋にいるのは僕だけ……。主賓のみで主催者が不在の状態だった。うん、虚しいな。では、とうの主催者こと母親はというと急な仕事が入りぶち切れながら職場に向かっていった訳で「ほんと、ごめん。多分帰りは明日になるから一人で楽しんでねっ」の台詞と部下への罵詈雑言を交えながら家を出たのがちょうど1時間前のことだった。
テーブルにぽつんと置かれた派手なトンガリ帽子と無数のクラッカーが更なる虚しさを引き立てるアイテムが如くに僕には見えた。
ほんと毎年毎年よく飽きもせずにここまでの準備をするもんだ。楽しみにしてんのは僕より母親の方だろと率直な感想が出る訳で、さすがに僕ももう高1だよ。この年で自分の誕生日ごときではしゃぐ訳がない。それを一人で楽しめって言われてもなぁ……。ふぅ~、ほんと困った親だぜ。とぼやきながらトンガリ帽子に手を伸ばし被ってみる。
「……」
更にクラッカーを一つ手に持ち、
パーン!!
鳴らしてみた。色とりどりな紙ふぶきが舞い、火薬の微かな香りが鼻孔をくすぐっていた。
なんだろう。この虚しさを覆い隠すみたいに込み上げてくる高揚感と、不思議な背徳感は……。
パーン!!
もう一つクラッカーを鳴らす。
「ひゃっは~~!!」
パーン!!
叫びながら立て続けに鳴り響くクラッカー。……やべぇ、なんか楽しくなってきた。誰にも見られてない所で無意味に、はしゃぐのって気持ち良いのな。
そして、
「ハッピーバースデートゥーミー!! 山之辺永継。誕生日――」
クラッカーの紐を引っ張る。
「おめでとうっ!!」
『おめでとう。なの』
パーン!! とクラッカーが鳴った。
「……なの?」
幻聴が聞こえた気がして後ろを振り向くと――。
「…………え」
そこに女の子が宙に浮いていた。
はい? え? これって……。
白い髪に白い瞳、そして純白の生地に赤い花が刺繍された着物姿の少女。
「ゆう……れい?」
白い少女がこくんと頷いた。
「……もしかして……見てた?」
こくんと頷いていた。
いやーーっ!! 見られた見られた? ひとりで調子に乗ってはしゃぎまくって……駄目だっ。これは恥ずいやつだ。世紀の大失態だ。……た、他人にこんな姿を見られるなんて……。
その場に崩れ落ちがんがんと床に頭を撃ちつけた。
「ああああああああああッ!!」
記憶よ消えろ! もしくは時よ戻れっ!
『な、ながつぐは、変態なの?」
「誰が変態だっ」
『だって自分を傷つけて快楽を得るのは変態だって名取が言ってたの』
「たしかに僕はSかMかと問われれば生粋のMと答えるが、地面に頭を叩きつけて快楽を得るような上級者ではない」
『……えす? ……えむ?』
幽霊が首を傾げていた。
ふむ、その意味する所を知るにはまだ早かったようだな。
「Sはソニック、Mはマリオ。つまりSとMはセガ派か任天堂派かを表しているだよ。お嬢ちゃん」
『おー!! それなら白夜もMなの、マリオがいいの』
幽霊の見た目は10歳前後、さすがにSとMの本当の意味を教える訳にはいかないよな。僕はコンプライアンスを厳守する紳士なのだ。
「そういえば、あのヒゲのおっさん。よく土管に入ってるから配管工ってイメージだけど本来は大工らしいぞ」
『お医者さんにもなってたの』
「ドクターマリオか。懐かしいな」
『お菓子屋さんもやってたの』
「あー、ヨッシーのクッキーな。なかなかマニアックなチョイス……って、さっきからパズル系ばっかじゃないか?」
『テトリス、コラムス、ぷよぷよ、マジカルドロップ、パズルボブル、も好きなの。あとミスタードリラーも忘れちゃいけないの』
「それマリオじゃなくて、ただの落ちゲー好きじゃね?」
『落ちものパズルおもしろいの!』
どうやらこの幽霊はディープなパズラーらしい……。
「って! そうじゃないっ。そもそもお前は何しに現れたんだよ!」
話が脱線しまくった所で本筋に立ち返ろうと試みる。
『?』
幽霊が小首を傾げていた。……マヂデスカ。その反応は想定外だった。
「…………」
『…………』
しばらく無言で見つめあう僕と幽霊……。えもいわれね気まずさだけが周囲に蔓延していた。
「ほんともう……なにしに出てきたんだよ。いくらなんでも僕のお祝いだけに現れた訳じゃないんだろうし……」
気まずさに耐えかね漏れでた僕の声を耳にした幽霊が「はっ!?」と表情を変えていた。ん? 今の愚痴にどんなヒントがあった? と思いつつ、この状況の打破を期待して幽霊の動きに注目する。と、
『このたびはお誕生日おめでとうございます。なの』
そして深々とお辞儀をされた。
「これはこれは、どうもご丁寧に――じゃないッ!!」
このくだりはもうやったんだよッ! なんで二回も見ず知らずの幽霊に誕生日を祝われなくちゃならないんだっ。
『?』
幽霊が小首を傾げていた。
「…………」
『…………』
しばらく無言で見つめあう僕と幽霊……。えもいわれね気まず――だ・か・ら! ここもさっきやった! なにこの無限ループ。僕は次元の狭間にでも囚われえてるのか? 慌てて時計に目をやると時刻は9時を少し過ぎた所だった。少し安心した。けど……まったく何も解決していない。大体なんでこの幽霊は僕の誕生日――ハッ!? そこで僕は気づいてしまった。
ふふふ、はははっ。なるほどな。神様も粋な計らいをするじゃないか。つまりはこういうことだろ!
「さぁ、今日から僕のことはお兄ちゃんと呼ぶんだよ」
両の腕を広げて笑顔で語りかける。どうやら神様は僕の妹が欲しいという願いをこのような形で叶えてくれようとしていたんだ。
『話しかけないでください。なの。あなたのことが嫌いです。なの』
うん。違うみたいだった。即座に拒絶された。それも某ラノベキャラの言葉を引用されて拒否られた。あぁー、真顔でこのセリフ言われるとマジへこむな……。
どうやらこの世にはそんな都合の良い神はいないらしい。まぁ知ってたけどね。ただ分かったことがひとつ。どうやらこいつは僕の妄想や幻覚では無いってことだ。だって僕の都合をさっきから一向に忖度してくれてない。まったく都合よくいかない。だから現実に間違いなくここにこの白い幽霊は存在している。じゃぁ……。
「君はいったい誰なんだ?」
『ん? 白夜は白夜なの。だから……!?』
幽霊が「はっ!?」と表情を変えた。一瞬嫌な考えが頭を過ぎるが静かに幽霊の様子をうかがっていると、眼前で白い幽霊が小さくこくりと頷きすっと瞳を閉じた。
雰囲気が変わった。気配が変わった。空気が変わっていた。
そして、幽霊が閉じられら瞼をゆっくりと開く。
『親の因果は子に継がれ、其の業は子々孫々まで払われん。
今宵、生誕より十六の歳月をもって我れらが呪いは顕現す。
受け続けよ。
受け継がれよ。
我が恨み果てるまで。
祟られよ。
苛まれよ。
我が嘆き消えるまで』
白い幽霊が朗々と詠うように不吉な言の葉を紡いでいた。
『山之辺永継。おめでとう。そしてご愁傷様。なの』
その言葉を最後に白い幽霊はふっと消えた。
静寂に包まれたリビング。テーブルに並ぶ料理と床に散乱したクラッカーの残骸。そしてその空間に一人だけ存在する僕。それが現実。でも……。
僕は今日、初めて幽霊を見た。そして言葉を交わした。
ただ、彼女がどうしていったい何のために僕の前に現れたのか? その理由はさっぱり分からなかった。まるで説明がつかない意味のわからない不可解で摩訶不思議な謎の出会いは突然に始まり、そして唐突に終わりを告げた。
「なんだったんだよ今のは……」
そんな呟きが、一人ぼっちになったリビングに虚しく響いていた。
そして僕はその夜、夢を見た。
僕の短くちっぽけな16年の人生において一番最悪な『死の夢』を。
僕は夢の中で恨み辛みを残して死んだ見ず知らずの男の現実を体験した。
それは唐突に前触れなく僕の眠りを侵食する。
それは繰り返される死の感触。
こうして僕はこの三ヶ月で13回――死んだ。
今になって僕は理解する。あの日あの時に幽霊が最後に語った言葉の意味を……。
「白い少女の幽霊に――悪夢ですか……」
それが僕の話をつっこみも入れずに全てを聴いたタカハシの第一声だった。
真剣に考え込むその姿は正直予想外だった。どうせ、「またまた~なんですか? そのB級ホラーチックな作り話は」なんて返しが来るものだと思っていた。
「それにしてもキモいですね」
「だろ。幽霊の不吉な言葉とか夢の内容とかな」
「いえいえ、そこではなくて……貴方がですよ」
「なんで!?」
「えー、だって自分の誕生日で一人はしゃぐとか、見ず知らずの幽霊を妹にしようなんて、キモいと言うか、もはや痛いです」
むぅ。強く否定できない。確かに少し軽率な行動だったと思う。思うけど……ん? でも、そこの部分は思い出したけど言葉にしてコイツに話してないような気がするのだが……いや、やっぱり話したのかな。思いつくままに話したからどこを話してどこを話してないのかいまいち思い出せないな。でも、そんな恥しかない話をするかなぁ……。
「う~ん……繰り返す夢……」
友人が悩んでいる。それがなぜか無性に嬉しかった。僕の全身にこびり付き凝り固まったどす黒い陰気が薄れたような気がする。心が軽くなっていた。やっぱり会話ってのは大事なんだな。もっと早くに話すべきだった。――いやいや、だからその話す相手がいなかったから……ん?……あれ?
「うん。やはり永継が言うように、その幽霊が原因っぽいですね」
は!? ……え? 信じて……くれるのか?
「え? 嘘なんですか?」
「いやいやいやいや、嘘じゃい。嘘じゃないけど」
まじかよ……。こんなB級ホラー話を信じてくれるって――すげぇな幼馴染、こいつ神かよ。
「いやいやいやいや。あ、お菓子食べます?」
……キットカットをくれた。僕の幼馴染は煽てに弱かった。
「で、もぐもぐ。なんですけど、むぐ。で、むしゃむしゃ」
「キットカットを食いながら話すな。まったく意味がわからん。待ってやるから食ってから話せよ」
行動が自由すぎるだろ。大事なとこで食べだすって……。なんか悩んでたのが馬鹿らしくなってくるな。ほんとこいつみたいに生きたいよ。と、そんな僕の思いを知りもせず、どうやらお菓子を完食した様子のタカハシに「で」と続きを促す。
「いやぁ、すいません。で、続きなんですけど。キットカットって素晴らしいですよね。完璧です。ウェハースの絶妙な硬さと食感に濃厚なチョコレ――
「まてまてまて! 違う。絶対そんな話の流れじゃなかったはずだ!」
めちゃくちゃキョトンとした顔をされた。
「……え?」
「……え?」
なんだコレ。
え? あれ? 僕が間違ってるのか? 少し不安になってきた。
「まぁ、冗談はこのくらいにして本題に戻りましょう」
「やっぱりわざとか! 分かってやってたんだな!」
あははは、と目の前で自称大親友が笑っていた。そうか……。殺意ってこうやって目覚めるんだな。
「永継は都市伝説って信じてます?」
それは相も変わらずな唐突真面目モードでの質問だった。
都市伝説……か。友達の友達から聞いた噂話や怖い話。それこそ雲を掴むような霞のような話。嘘のような本当かもしれない話。昔は興味本位で聞いていたが信じちゃいなかった。でも、今は……。
「都市伝説ほど大仰じゃないんですけど、この学園にもあるんですよ。怪談というか噂話が……聞きますか?」
その話を聞くことで何かが変わるのだろうか? ――でも……僕は無言で頷いていた。タカハシが少し嬉しそうに微笑んでいた。
「これはボクの友達の友達から聞いた話です――」