教室
昨晩また夢を見た。あの悪夢である。
二度その夢を見たとき、僕は病気になったんじゃないかと思った。実際に色々と調べてみると『悪夢障害』というのがあるらしい。なんでもうつ病の前兆かもしれないって……この年でうつ病って、終わってるじゃん僕の人生。
新生活。新入生。新しく始まる学園生活。
今年、この私立鳳黎学園に入学した僕こと山之辺永継の新たなる門出は思いもしないつまずきから幕を開けた。
入学から一週間の間に同じ悪夢を二度見て、そして1ヶ月の間に4回全く同じ悪夢を見続けた時から僕は眠るのが怖くなった。その悪夢は不定期に僕を襲う。2日続く日もあれば10日以上間を挟んで油断した所を狙い打つかのように僕の安眠を侵食していた。
眠いのに眠れない。そんな拷問に近い苦痛を感じながらも毎日は無常に過ぎていく。
中学3年生になった時に来年親が転勤することを知った。だから僕は親の転勤先であるこの町の高校を受験することにしたんだ。見ず知らずの町、友人知人が一人もいない未知の世界。そんな新生活に僕は理想と希望を抱いていて飛び込んだ。そして……無残に砕け散った。
友人を作ろうと思っていた。友達が出来るはずだった。あわよくば彼女も……。
なんて、そんな淡い期待も僕の体に起こった異変が許してくれなかったんだ。
だって睡眠が不十分なものだから常に意識は散漫で上の空。クラスメートに声をかけられても聞いているのか聞いていないのかもわからない空返事ばかり。そして眠いのを我慢しているため眉間には常に皺がより目の下にはそれこそ黒い油性マジックで塗りたくったような濃い隈が延々と消えずに残っていた。そんな見るからにやばそうな人間に気さくに話しかけるようなクラスメートなど無論一人もいる訳も無く。入学してから2ヶ月も経たずに僕はクラスから完全に孤立していたのだった。こうして僕の夢みた新生活は終りを告げ、無意味で無価値な学園生活だけが続いていた。
そんな虚しく苦痛だけが刻まれ続ける学園生活も3ヶ月が過ぎた今日。1‐A。一時限目国語。そのいつもの代わり映えしない教室で僕はぼんやりと窓の外を眺めていた。もちろん授業なんて聞いちゃいない。耳に一切入ってこない。なぜかといえば僕の心が最悪以外に形容しようがない程に荒んでいたのだから。
だって、昨晩もまたあんな夢を見させられた。
どこの誰とも知らない男の夢。恨み辛みを残して首を切られた男の夢。13度目の同じ夢――僕は、この3ヶ月で13回も夢の中で死んでいた。
最近思うんだ。これは病気なんかじゃないって、多分僕は呪われているんだ。誰かが僕を呪っている。そいつが意図的に僕に悪夢を見せているんじゃないかって……ははっ、もしそれが事実ならこんなねちねちした事なんて止めて、ひと思いにやってくれ。いっそ、あの夢の男みたいにバッサリと殺してくれ……頼むからさぁ。正直……もう限界なんだよ。
……はぁ、死にたい。
「おーい、山之辺。聞いてるかぁ」
うっさい黙れ。こっちは今、死の誘惑に抗っているとこなんだ。これで僕が死んじゃったらお前のせいだぞ。このクソ教師。
心の中で悪態を吐きながらガン無視を決め込む。そんな僕の様子に教師は「ふぅー」と、これ見よがしに大きなため息を吐いていた。
「まぁな、先生にはわかるぞ。お前の気持ち」
はぁ!? なに言ってやがる。この僕の気持ちが分かるだと。
「ああ、先生だってそうだった。学生の頃は親に反発して教師に反抗して社会や大人に立ち向かうのがカッコいいって思ってたもんだ。おれも若い頃はビシッとリーゼントを決めて短ランにボンタンを穿いてなツッパリハイスクールでロックンロールな感じだったんだぞ」
教師の若かりし頃の武勇伝に教室が沸いていた。……くそっ。
――なんでそんなに楽しそうなんだよ!
――僕ダッテ楽シミタイ。
心に妬みと願望がそそがれる。
「せんせー、なんですか? そのなんとかロックンロールって」
「ん? なんだ知らないのか。横浜銀蝿」
「ギンバエって、なんだよそれー」
「クソダサいっ」
「うける~」
クラスが爆笑の渦に包まれていた。……ざけんな。
――僕モソノ輪ニマザリタイ。
――みんなで僕にその充実した学園生活を見せつけんじゃねぇ!
心に切望と鬱憤がそそがれる。
「まぁ、それも若気の至りってやつで、思春期にはありがちな行為でな――」
――思春期? ありがち、だと。……あははっ、それじゃぁ、みんな思春期を迎えるとあんな悪夢を見るんだな。夢の中で無念の思いで死んでいく苦痛をみんなも味わうわけなんだ。なんだ、そうか……ふはっ、あはははは、そうかそうか……ふざけんなっ!!
――ズルイズルイズルイ……ナンデ僕ダケ。
心に憎悪と嫉妬がそそがれる。
悪意が湯水のように湧き出て僕の心にそそがれる。
僕の想いを無数の不の感情が満たしていく。
そして、
「だからな、お前たちも――」
バン!! と机を叩く大きな音が鳴り響いた。あれだけざわついていた教室内が一瞬で静まり返る。
「気分が悪いので保健室に行きます」
僕は両手に物を叩いた痺れを感じながら席を立った。そのまま脇目も振らず教室の外に向かって歩き出す。背後から「お、おい、山之辺っ」と焦る教師の叫びが聞こえていた。だが立ち止まらない。そんな気などさらさらない。僕は無言でドアを開き、そして廊下に出た。もう全てが限界だった。僕の心はびっしり詰まった悪意でまるではち切れ寸前の風船みたいに醜くパンパンに膨らみきっていた。それはあと少しの刺激でいつ破裂してもおかしくない状態だった。もし割れれば僕のたまりにたまった鬱憤が飛び散り他人を自身を傷つけ、きっと全てをぶち壊してしまう。僕はここに居てはいけないんだ。ここは僕の居場所じゃないんだ。でも……こんな僕の居場所なってあるのかな……。僕は教室のドアを閉ざし、あてどなく廊下を進んでいた。