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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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 〈帝国〉軍の総攻撃が始まって以来、レーヴェンザール侯爵官邸兼市庁舎の一角にある東部方面軍総司令部、現在は臨時守備隊司令部として使われている建物には、ひっきりなしに伝令が行き来していた。彼らから伝えられる報告は守備隊司令付副官のカレン・スピラ中尉によって、司令部の壁に掛けられたレーヴェンザール略図の上へと書き込まれる。新たな印、砲台の沈黙を示す記号が一つ増えるごとに、司令官の執務机を囲むように置かれた半円上の卓に着く副司令のアルベルト・ケスラー少佐が苦い顔を浮かべ、時折思考を打ち切るような咳払いをしていた。

 自らの執務机に座る守備隊司令であるヴィルハルト・シュルツ少佐は無言のまま、机の上で両手を組み合わせ、空模様を眺めるような表情で略図を見つめている。伝令が伝えてくる報告内容は敵弾の着弾点から距離を取った位置からの観測情報であるため、確実であるとは言い切れないが、時を追うごとに沈黙する砲台が増えているのは事実であろう。

 司令室の空気が東門陣地から響いてくる重苦しい重低音に震えている中で、誰もが無言であった。

 やはり、〈帝国〉軍の火力は強大極まりなかった。

 戦場に在らずとも、肌を叩く大気の振動がその凄まじさを教えている。ケスラーが、胸やけでも覚えたかのように腹を揺すった。彼の率いていた部隊は東部防衛における緒戦では総予備に含まれていたため、砲声をこれほど近くで聞くことも初めてであった。だとしても、内心の動揺を表に出すわけにはいかない。

 ケスラーは気分を誤魔化すため、目の前に置かれていた碗に手を伸ばした。中に注がれていた、すっかり冷めきっている珈琲を苦そうに啜った時だった。


「弾薬の射耗量が滅茶苦茶です!」

 それまで、彼から二つ開けた席に座り、卓上に広げた帳簿相手に百面相をしていたエルヴィン・ライカ中尉が持っていた筆を投げ出すように卓板の上に叩きつけた。

「戦闘開始から三刻。もう事前に分配してあった弾薬の半分は撃ち切ってます。このままだと、今日中に守備隊の総備蓄分の二、三割は持っていかれますよ、先輩」

「弾薬消費量が多くなるのは仕方がない。攻勢の規模が今までとは段違いだからな。一個師団からの突撃を受けている上に、敵の砲撃が激しさを増している。各砲台には事前に教え込んだ火制域に敵が侵入するまで口火を切るなとは言ってあるが……今は、その判断すら難しいのだろう」

 エルヴィンの泣き言に、ヴィルハルトは淡々とした声で答えた。だが、その口調を裏切るように、組み合わせた両手の指先を見つめる凶悪な目は異様な光を宿している。

「つまり、敵の砲撃に引きずられていると……東門陣地への弾薬配分はできる限り奢ったつもりでしたが、全然足りませんでしたね」

 ヴィルハルトの一言に諦めたような声で応じた後で、エルヴィンは再び帳簿を覗き込んだ。どこかで狂ってしまった釣銭の帳尻を合わせようとする、店番の小僧のような顔つきになっている。

「敵が遮二無二撃ってくるのも、それが狙いかも」

「どの道、戦端が開かれた今となっては各砲台に綿密な射撃命令を伝える手段がない。我々にできるのは、東門陣地が一刻でも長く敵の攻勢を耐え続けられるように支援することだけだ」


 ヴィルハルトは断定するような口調でそう言った。どこか無責任に聞こえるかもしれないが。それは彼の立場を要約する一言であった。

 実際、砲弾が飛び交い始めた戦場において、要塞(城塞都市は一応、要塞に区分される)司令官である彼にできることはほとんどと言って良いほど無い。

 師団や軍でも言えることだが、司令官という立場は酷く星回りの悪い役職である。確かに指揮下将兵に対する絶対的な指揮権や、隷下部隊に対する裁量権と言った権限は与えられる。だが、逆に言ってしまえばそれだけなのだった。戦場で司令官足る人物に求められるのは決断し、命令を下し、そしてその末に生じたすべての結果に対して責任を取るという、それだけに集約している。


「兵站担当士官、損害はどの程度か分かるか。概算で良い」

 伝令の数が減り、戦況が落ち着きつつあることを知ったヴィルハルトは、どこまでも何気ない口調でエルヴィンへ尋ねた。

「ええと、待ってください」

 エルヴィンが帳簿の頁を捲ると、何かを計算するように筆を走らせた。

「今のところ、東門陣地全体で戦死負傷合わせて300名と言ったところでしょうか。……と言っても、日没までにどこまで跳ね上がるかは」

 彼がそこまで口にしたところで、新たな一斉射撃の轟音と、その着弾を知らせる地響きが指令室を揺すった。

「今ので、少し増えたかもしれません」

 エルヴィンが肩を竦めて付け足した。今現在、自分たちが置かれている状況で示すにしては不謹慎に過ぎる彼のその態度に、カレンが顔を顰めていた。

「ですが、東門陣地は防御正面として未だ健在です。司令が構築された火力網は、如何な〈帝国〉軍と言えど易々と破られはしないでしょう」

 誰かというよりも、自身を慰めるような声音でケスラーが会話に割り込んだ。

「ありがとう、副司令」

 ヴィルハルトは戦況図を食い入るように見つめながら、ケスラーからの賛辞に応じた。酷くぞんざいな口調で言い加える。

「だが、あまり嬉しい気分ではないな。大量殺人の手際の良さを褒められても」

 そこには、これまで彼が先任者であるケスラーに対して取っていた、丁寧さが欠片も含まれていなかった。今や、その態度は完全な部下に対するそれに変わっている。

 しかし、ケスラーはそのことに疑問を覚えていない。むしろ、当然のこととして受け取っていた。戦端が開かれた以上、同階級の司令と副司令の曖昧な立ち位置を明確にしておく必要があるからだった。つまりは命令系統の上下、どちらの命令をより優先するべきかをはっきりと周囲に示しておかねばならない。要するに、どちらがより偉いのかという話だった。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、軍における立場の上下は死を命じる者と命じられる者を区別するためにある。決して、軽んじてよいものではなかった。


 それに実際、ヴィルハルト・シュルツがこのレーヴェンザールに作り上げた防御火力陣地は見事なものであった。彼は東部防衛戦でアーバンス・ディックホルスト大将が採用した火力運用、即ち各砲台に対して事前に設定された火制域に敵が侵入した場合にのみ射撃を行う、という戦術をさらに発展させていた。

 ヴィルハルトは敵からの攻勢があった場合、砲の射程ごとにその迎撃を三段階に分けた戦闘指導を行っていた。

 接近した敵に対して、まずは中射程の砲で迎撃を行う。ここで敵が退けばそれまでだが、攻勢が続行され、敵部隊の先頭がさらに火制域へ深く侵攻した場合、砲兵たちは一度射撃を中止するように命令されていた。当然、そうなれば敵はここぞとばかりに突き進んでくる。そして敵先頭が最も射程の短い平射砲の間合いにまで入り込んだところで、次は長射程の砲による砲撃が始まり、敵前衛部隊を後続と切り離す。後は単純であった。殺戮地帯に捕らえられた敵兵へ向け、持てるすべての火力を集中させ、戮殺する。

 一見複雑に聞こえるかもしれないが、多くの砲員たちは指揮砲台(陣地内の各所にあるここにだけは、砲兵が詰めていた)の砲撃に合わせて、射撃開始、中止をすれば良いと命令されているため兵の混乱は少ない。彼は単純かつ簡潔な命令こそが、最も効率的に兵を戦わせるものだと信じていた。

 当然、それ故の問題はある。敵の射撃が激しさを増すにつれて周囲の視界がほとんど皆無になってしまえば、素人である砲員たちはどの砲台の射撃に続けば良いのか判断できなくなる。結果、先ほどエルヴィンが指摘したように無駄な射撃が増えてしまう。

 だが。そもそも、砲台に籠るほとんどの砲員が元々砲兵出身でもない。ヴィルハルトは初めから彼らに精密な射撃もなど望んではいなかった。ともかく一兵でも多くの敵を殺戮すること。彼にとって、それだけが重要であった。

 そんなヴィルハルトの妄執に近い殺意によって構築されたレーヴェンザールの火力陣地は、堅牢と呼ぶより他になかった。事実、一個師団からの突撃を受け止め続けている。

 ケスラーはこの若い少佐が編み出した戦術は、この時代の大陸世界における陣地防衛戦術の一つの到達点であると確信していた。先ほどヴィルハルトが口にしたように、一度戦闘が始まり砲火に満たされた戦場で、部隊の一つひとつに対して命令を確実に伝達する術がない現在、これ以上の戦術の発展は技術の進歩を待つより他にない。


「ともかく、しばらくは持ちこたえられるでしょう」

 酷く詰まらなそうな顔で戦術図に見入っているヴィルハルトへ、ケスラーが励ますような声で言った。

「そうだろうか」

 しかし、同階級である彼の上官はこの世の何物にも希望を抱いていない男だった。

「相手はあの軍功誰劣ることなき“辺領征伐姫”、リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将だぞ。どうにも、この戦ぶりはらしくない」

「そうでしょうか……?」

 そう応じたケスラーだったが、一方で納得もしていた。確かに、芸術的とすら評される巧みな用兵家であるリゼアベート・ルヴィンスカヤが指揮を執っているにしては、現在敵が行っている兵力を集中させた正面切っての力攻はよく言えば正々堂々、悪しざまに言ってしまえば教本通りの、何のひねりもない攻城戦であるからだった。

「なにかを見落としている気がする」

 ヴィルハルトは奥歯を気にしているような表情を浮かべて呟いた。

「だとしても、何ができるっていうんですか? この状況で」

 エルヴィンが匙を投げたように言った。実際、筆を卓の上に投げ出して両手を上へ上げている。

「城塞都市に籠った九千人、20万からの敵軍に四方を囲まれ、遂に戦端は開かれた……やれやれ、百年後には軍記物語として歌になりますよ、これは。まぁ、歌が長くなるかは怪しいですが」

 皮肉たっぷりに言ったエルヴィンの言葉に、ヴィルハルトは凶悪な目つきそのままで頬を痙攣させた。

「せめて一節で終わらぬように努力してみよう」

 そう言い終えるなり、再び都市に一斉射撃の轟音が響き渡った。背筋が粟立つような振動が後を追う。ヴィルハルトはむしろ心地よさげに笑みを深めた。

「主席士官はどうした」

 彼はケスラーに尋ねた。

「予備隊の教練が相変わらず人手不足で、教官役として練兵場に行っております」

「すぐに呼び戻せ。ヴェルナー曹長もだ。市街戦になった場合の防衛計画について、いくつかの点で見直しがいるかもしれない」

「その場合、残っている市民たちはどうなさいますか」

 口を挟んだのは彼の副官であるカレンであった。ヴィルハルトの顔が不機嫌に歪んだ。彼女を睨みつける。だが、カレンはすっと整った面立ちを涼しげに澄ませると、彼の視線を無視した。

「市街で戦闘が始まった場合、彼らにはこちらが指定した避難所へ集まってもらう」

「しかし、彼らの多くは我々に助力することを望んでいます。今朝も申し入れが、」

「何度も言っているが、却下だ」

 カレンの言葉を遮るように、ヴィルハルトは言った。その口調は酷く断定的であった。

「兵役経験のある者や、徴兵年齢に達している者は義勇兵として受け入れた。それ以外の者まで徴用する権限など俺には無い。何故か。俺に与えられているのは義勇兵を含む配下将兵に対する指揮権のみであり、軍人でもない一般国民に対して命令を下すことができるのは畏れ多くも女王陛下ただ一人であるからだ。違うか、副官」

 確認するように問われたカレンは押し黙った。ヴィルハルトの発言は、そうだと頷くより他にない美辞麗句で修飾されていたからだった。カレンの表情に反論が無いことを見て取ったヴィルハルトは吐き捨てるように付け加えた。

「加えて言えば、自己完結こそが軍隊の基本だ。女子供の手まで借りねばならないほど、我々は落ちぶれてなどいない」

 両者の間に走った緊張で、真夏の室温を凍えそうなほどに冷えていく。それを打ち破ったのは、愚痴を零すようにぼそりと呟いたエルヴィンの一言であった。

「正直、今は猫の手も借りたいんですが」

 緊張感の欠片もない彼の呟きに、室内の空気が急速に緩んだ。ヴィルハルトは大げさに息を吐くと、カレンに対して従兵を呼んで珈琲でも淹れさせろと命令した。感情面からはどこまでも認められない上官からの命令であっても、任務に対してだけは真面目なカレンは顔を酷く険しいものにしつつ、それに従った。

 ケスラーは誰にも気取られないように嘆息した。

 軍命を受けてというよりも、自身の使命感からこの戦いに参加した彼からすれば市民たちの気持ちも理解できた。だが、同時に軍人としてのヴィルハルトの正しさもまた理解していた。

 この時代、比較的先進的な軍政を敷く〈王国〉では、市民を強制的に徴用する権限を軍は有していない。〈王国〉の法制上、国民は君主及び執政府の決定にのみ従属すると明記されているからであった。

 全周を敵に包囲された状況下で何をいまさら、などという意見が出るかもしれないが。軍による強制的な国民の徴用を許してしまえば、国家における軍の権力はどこまでも肥大してしまう。極端に言ってしまえば、軍に従わぬ者を国家背信者、敗北主義者などと見做して処断してしまうことも可能になってしまう。肥大した権限の行き着く先は、本来彼らを守るために存在する軍隊による国民の虐殺と言う、過去何度も繰り返された悲劇である。

 であるならば、ヴィルハルトの判断は(彼が市民に対して示す態度はともかく)理性的な軍人として、法と軍規に則ったものであった。

 問題は、理性的な言動が常に理解を得られるとは限らないということだった。

続きはまた来週。

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