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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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お待たせしました。更新再開です。

 白雲を戴いた山々の合間から、太陽の細々とした陽光が降り注ぎ、レーヴェンザールの周囲に広がる朝露に濡れた草原が淡く輝き始めた。その緑の中に走る三本の線、都市の外壁に並列するようにして掘られた塹壕の中は〈帝国〉軍第44重鋭兵師団の将兵たちで満たされていた。冗談を言い合う者、黙々と主に祈りを捧げる者。緊張と恐怖をどうにかはぐらかしながら粛々と運命の瞬間を待ち続けている彼らの背後、レーヴェンザールの東方に聳えるドライゼ山脈の稜線上から、ようやく太陽が全貌を覗かせた。

 20万から成る〈帝国〉軍の大軍勢をこの一月の間引き付け続けている、巨大な白石で造られた城塞都市が朝日の中に浮かび上がった。正門付近の城壁は連日の攻城砲による砲撃ですっかり打ち崩され、瓦礫の山となっていてなおも〈王国〉の旧王都は荘厳さを失ってなどおらず、この場所における〈王国〉の権威は未だ失墜していないかのように思われた。


 しかし、朝の静けさに満ちた草原の空気を打ち壊すように、壕に籠る第44重鋭兵師団の後背に砲列を敷いている〈帝国〉軍砲兵隊から最初の砲声が鳴り響くなり状況は一変した。打ち上げられた砲弾がこの世に産み落とされたことを呪うかのように、ひゅーと大気を切り裂く長い悲鳴を上げながら崩れ落ちた城壁の内側へと落下してゆく。炸裂し、爆炎と噴煙を巻き上げる。着弾点を望遠筒で見ていた砲兵隊指揮官は砲の方向、仰角ともに問題ないことを確認すると、指揮下の部隊に対して一斉砲撃を命じた。瞬く間に、轟音が連鎖する。先ほどまで白く輝いていた都市は、あっという間に炎と黒煙に包み込まれた。土砂や板切れに混じって、人間の一部が空中に舞い上がる。仰角を大きく取れる砲は、未だ残っている城壁を乗り越える弾道で射撃を始めた。壁の向こう側に落ちてゆく砲弾の行方は分からずとも、耳朶を打つ炸裂音の衝撃がその効果を知らせてくれる。

 今後、状況が変化しない限り、その鉄火の饗宴は続けられる。この世に楽園が存在するとしても、今やレーヴェンザールはその対極に位置するであろう。


 友軍砲兵による突撃支援射撃が開始されてから一刻ほどが過ぎた頃。砲声に満ちた戦場に、高らかな金管楽器の音が駆け抜けた。総攻撃開始の合図。音色を耳にした、突撃の最前列を任されている第44師団第一旅団の旅団長が、颯爽と壕の縁から緑の野へと躍り出た。砲弾が無数に降り注ぐレーヴェンザールをキッと睨みつけた彼は、腰に吊った軍剣を抜き放った。大きく息を吸い込むと、砲声に負けずとも劣らない大音声で隷下の将兵へ号令を下した。

「目標、敵城塞都市正門! 距離およそ千ヤード! 第一旅団総員、突撃にぃっ、移れぇっ!!」

 軍剣の刀身を朝日に煌かせながら、旅団長は駆けだした。背後の塹壕に籠っていた彼の部下たちが、一斉に地上へと湧き出す。その後を追うように後方に掘られていたもう一本の塹壕線から、第二旅団が吹き出す。彼らは“〈帝国〉万歳”の大合唱とともに深紅の波となってレーヴェンザール正門前の野原を飲み込んで行く。およそ一万人を超す、美麗な装飾に身を包んだ兵たちが一斉に銃剣を突き出して敵へと突進してゆく様は勇壮と評するより他にない。

 突撃する味方を巻き込まぬように、砲兵隊の一部が射撃を中止した。もうもうと立ち込めていた黒煙が晴れた〈王国〉軍陣地のあちこちからは、燻るような細い煙が立ち昇っている。 

 もはや、〈帝国〉軍将兵に恐れはなかった。自身が張り上げる蛮声と、周囲を満たす戦友たちの咆哮がそれを忘れさせている。彼らは恐れを置き去りにしたまま、レーヴェンザールへと迫った。

 それまで沈黙を突き通してきた敵陣から、気が狂ったような轟音の連なりが響いたのはあまりにも突然のことであった。


 先頭を進む旅団長の姿が爆炎の中に消えるとともに、後を追う者たちへも榴弾の豪雨が降り注いだ。爆轟した火薬の力を受け止めきれずに、厚い鉄の弾殻が木っ端となって飛び散った。炸裂する砲弾が齎す結果に善悪など存在しない。凶器は罪に問われない。と、同時に、砲弾は一片の慈悲すら持ち合わせてなどいない。ただただ、当然の結果として無数の死を量産してゆく。

 レーヴェンザールからの一度目の鉄風が過ぎ去った後に残されたのは、砕けた小銃や引きちぎられた深紅の切れ端。そして遺体とはとても呼べないような、焦げた肉と土砂が混ぜ合わされた奇怪な塊。

 しかし、〈帝国〉軍将兵は止まらない。

 皇帝の兵に後退の二文字はない。ただ前進し、皇帝の掲げる大陸統一という覇道を阻む全ての障害を打倒し、粉砕し、軍靴によって舗装する。たとえ敵がどれほど強大であろうとも、彼らにとってそれは変わることのない真実であった。だからこそ、〈帝国〉は大陸世界の過半を制するに至ったのだ。

 ならば、絶えず飛来する砲弾の雨の中で、指揮官を失った程度で足を止めるようなことなど、あってはならない。場の最上級者が即座に周囲の兵たちを掌握し、下士官が口々に罵声と怒声をがなり、兵たちを鉄火の最中へと追い立てる。

 突如、敵陣からの砲撃が止んだ。彼らの耳に、友軍砲兵隊の砲撃音が鮮明に響いた。爆音に背を押されるようにして、〈帝国〉軍将兵は躍進した。砲撃が止んだ理由については考えない。抗戦を諦めたか、友軍の砲撃によって反撃手段に深刻な問題が生じたのか、或いは何事かを謀っているのか。それら一切を無視して、彼らは敵へと肉薄する。

 突撃開始から半数以下にまで目減りした前衛部隊の者たちが、遂に正門前の堀に架かる石橋へ到達した。馬車を三台は並べて通れそうなほど幅のある橋の上を、硬い軍靴の底が叩いた。

 次の瞬間であった。

 〈王国〉軍陣地から、先ほどとは比べ物にならぬ数の砲声が一斉に轟いた。野砲、曲射砲、時代遅れの臼砲、小銃までもが、天地の狭間に存在するあらゆるものを破壊するべく使命を負った鉄弾を吐き出した。発射した砲ごとの射程距離の差により、〈帝国〉軍前衛部隊の後方に爆発による幕が下りる。彼らは鉄と炎が主役の檀上に取り残されてしまった。当然、わき役に過ぎない人間はそれらが振るう暴力に抗えない。戦場では命の価値について論ずることが馬鹿馬鹿しくなるほどあっさりと、人が死んでゆく。彼らがこれまでの人生で抱き、培い、積み上げてきた何もかもを清算するように、レーヴェンザール東門の前に広がる平原が業火で燃え上がった。ほとんどの者が何も成せず、何も言い残せず。ただただ、死んで灰になる。

 そこは〈王国〉軍がありったけの火線を集中させた殺戮地帯であった。

 〈帝国〉軍の総攻撃開始から半刻が経とうとしていた。第44重鋭兵師団第一旅団は、すでに半数以上の兵力を失い、事実上の全滅状態に陥っていた。


「第二旅団長より伝令! 先陣の第一旅団は壊滅的状況! 我が旅団も敵の砲撃が激しく、前進は難しくある!」

 榴弾が雨霰と降り注ぐ惨劇の舞台から、総攻撃第一陣である第44重鋭兵師団司令部の天幕まで駆け戻ってきた兵が半ば泣き叫ぶように報告した。しかし、彼を出迎えた師団長、オストマイヤーの言葉は、およそ人として持つ温情の一切を投げ捨てたものであった。

「それがどうした」

 彼の声は地上全ての恩恵を跳ねのけるような、強情さに満ちていた。

「だから、撤退したいとでも? 馬鹿者め。第二旅団は第一旅団の残存兵力を糾合し、突撃を続行せよ。師団砲兵はこれを全力で支援する」

 オストマイヤーから下された命令を聞いた伝令兵の顔色は真っ青になった。それでも、いくらか強張った敬礼を行った後で彼は上官の下へ、惨劇の最中へと再び駆け戻っていった。

「閣下」

 走り去ってゆく兵の背中を、苦虫でも噛み潰したかのような表情で睨んでいたオストマイヤーへ、師団参謀長が気遣うような声をかけた。

「師団砲兵隊を前進させろ」

 その気遣いを突っぱねるように、オストマイヤーが言った。

「ですが、閣下」

 師団参謀長が、今度は窘めるような声を出した。

「対砲迫撃射を受ける可能性が」

「それはない。あれだけの数が正面から突っ込んできているのだ。敵は突撃へ対処するだけで手いっぱいのはずだ」

 新たな爆発によって空中高く放り上げられた部下たちの影を眺めながら、オストマイヤーは軋るように言った。

「しかし。事実、敵の火力集中は異常です。このまま攻勢を継続した場合、今日一日で第一、二旅団の損害は」

「それがどうした」

 師団参謀長からの進言を遮るように、オストマイヤーは彼に顔を向けた。その表情を見た師団参謀長は顔面からさっと表情を消した。幅のある輪郭、つるりとした額が特徴的な彼の上官は今、歯を食いしばり、両目を血走らせていた。

 ああ、と師団参謀長の内心で諦観に似た呟きが漏れた。彼は以前にも、オストマイヤーのその顔を見たことがあった。彼の上官は百戦錬磨の師団長たちが跋扈する〈帝国〉本領軍の中でも、猛将と評されていた。それは、かつて共に大隊を率いていた頃、南方の蛮族を相手にした戦いで部隊の全滅と引き換えに勝利をもぎ取った戦歴に由来する。

 そして、オストマイヤーがここまで攻勢の継続に頑なである理由は考えるまでもない。昨日、本遠征軍の事実上の総指揮官であるリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将から直々に先鋒を任された際に発した自らの大言によって、退くに引けなくなっているのだった。

「たかが大陸片田舎の反徒が築いた城塞都市程度に、殿下の征途を阻ませて良いものではない」

 オストマイヤーは吐き捨てるように言った。師団参謀長は小さく肩を竦めた。彼は上官の言葉に逆らう権限などない。指揮官が戦闘続行の決断を下した以上、彼はその決断に対して助言を与えることが任務となる。

 新たな一斉射撃が敵陣から放たれた。敵の籠る城塞都市は噴火する活火山よろしく鉄火を吐き出し続けている。敵の火制下に入り込んだ部隊はすでに組織的な戦闘を行えずにいるようであった。

 師団参謀長は、参謀として必要とされる非情さを示しつつその状況を分析した。そして、オストマイヤーへ向けて進言する。

「では、閣下。師団砲兵と同時に、擲弾砲大隊も前進させましょう。敵の火線正面からではなく、側面から回り込ませます。とにもかくにも、まずは取り残された第一旅団を救わなければ」

 オストマイヤーはどうでも良さそうに手を振った。師団参謀長はすぐに部下を呼び寄せると、師団長からの命令を伝えた。それらを終えると、彼はオストマイヤーに少し休んではどうかと勧めた。どの道、総攻撃の中止を決定するのは彼らではなく総司令部である。余計なことをあれこれと考えるよりも、ここは一度気分を落ち着けておいた方が良いと判断したのだった。

 それに。

 この戦いは、これまで〈帝国〉軍が経験し、その名を歴史に刻んできた激戦と比べればまだまだ程遠いものであった。

続きは水曜日!

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