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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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「だが、仮にこの一月をレーヴェンザールが持ちこたえたとしても。問題は他にもあるぞ」

 ひとしきり笑い終えた後で、リトガーは表情を真面目なものへと戻して言った。いくらか酒精に冒されているとは言っても、未だに酩酊はしていない。秀才の頭脳は健在であった。

「その一月の間に軍上層部が、いや、執政府は何らかの決断を下せるのか。フェルゼン大橋の防衛線構築や、動員が間に合ったとして、武器は? 弾薬は? 食料はどうする? 平時最低備蓄法があるとは言え、総動員を行ってしまえば間違いなく武器弾薬は不足する。戦場で失われるものは兵の手足や命だけではないからな。消費されれば、必ず補給が必要になる。それが最大の問題だ。戦うと言っても、我が国の国庫だけでは兵站は維持しきれないだろう」

 水晶椀の縁を指でなぞりつつ、彼は淡々とした口調でこの国が抱えている問題点を数え上げた。

「おう、それよ」

 しかし、彼の言葉にそう応じたテオドールの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。リトガーは怪訝そうに眉を寄せた。戦力から見ても、国力から見ても。どう考えても絶望的な祖国の現状を聞かされたにしては、その態度に余裕があり過ぎると感じたからであった。

 この同期生が元々、その育ち故に傲岸不遜、唯我独尊を絵に描いたような男であることは知っていたが、決して馬鹿ではないことも知っているからこそ、疑問はなおさらだった。

 商会の跡取り息子であるテオドールの経済観は一般以上に発達しているし、軍将校としての教育からこの戦争がどういったものになるのか、おおよその検討は付いているはずだ。

 だが、彼はまるで大きな賭けを前にした博徒のような、根拠のない自信に満ち溢れた笑みを口元に浮かべつつ言った。

「そうとも。いくさで最も厄介なのは補給、つまり兵站の維持だ。そして、兵站の何が厄介かと言えば、ともかく金がかかるという一点に尽きる。古今、戦争で国が滅んだ例の中で財政の破綻が原因というのはそう珍しい話ではない」

「今更、歴史の講義など聞きたくはない。一体、何が言いたいんだ、貴様は?」

「今な、親父殿は宮殿に行っておられる」

「宮殿に? 貴様の御父上が?」

「女王陛下への謁見を申し出にな」

 唐突に話題が切り替わったため、リトガーは首を捻った。

 テオドールの父親であるクロイツ商会の現会長、フェルディナント・クロイツのことはもちろん知っていた。豪腕と称して恥じない商才の持ち主で、庶民院の議長も務めたことのあり、王都においてはそこらの木っ端貴族よりもよほど影響力を持っている。リトガーも幾度か、実際に会ったことがあった。豪快そのものと言った人物で、その性格故か、社交界にはほとんど無縁だった。

「女王陛下に謁見して、どうするおつもりなのだ?」

「あのな。うちは商会だぞ?」

「はぁ」

 話の先が読み切れず、リトガーは曖昧な相槌を返した。それに、テオドールははぁと馬鹿にするようなため息を吐く。そして、当然のように言った。

「その会長である親父殿が自ら出向くのだから、大切な商談に決まっておるだろうが」

 彼の返事を聞いたリトガーは、その内容のあまりの不敬さに絶句した。家柄のせいか、他所の貴族たちから見れば遥かに貴族的意識の低いリトガーではあるが、流石に祖国の君主を相手に商談を行うという彼の一言を受け入れられるほど開明的ではないからであった。

「女王陛下に商談……? 何を売り込むつもりだ」

 ますます眉間の皺を深めたリトガーに、テオドールは物分かりの悪い生徒を叱りつける教師のような声を出した。

「我が商会が何を取り扱っているかくらいは知っているだろうが。それに、貴様もここに来た時に言っていたではないか。客の求める商品をなんでも用意してみせるのが商会の仕事だと」

「それはそうだが……」

 そういうつもりで口にしたわけでは、と返そうとしたリトガーの脳内でようやく話題の前後が繋がった。

「そうか。つまり、貴様の御父上は」

 リトガーは額の皺を一瞬で消すと、代わりに青筋を浮かび上がらせて呟いた。ようやく、会話の意図を読み取れたらしい同期生の態度に、テオドールが得意げな顔で鼻を鳴らした。

「そうとも。足らぬのならば、用意して進ぜようというわけだ」

「祖国相手に金を貸すと。そういえば、王都の為替商を幾つか、傘下に入れたのだったな……」

「ああ。だが、足らぬのは戦費だけではないだろう?」

 信じられないというよりは、唖然としているリトガーを後にして、テオドールは含みのある笑みのまま立ち上がり、奥にある自身の執務室へと消えた。すぐに戻ってくる。その手には書類の束が握られていた。その職業柄か、リトガーの目が興味深そうに細められる。

 そんな彼の態度に気が付いたテオドールは楽しそうに笑うと、書類を彼の顔面に向かって突き出した。

「こいつは女王陛下に御覧に入れるために親父殿が持って行ったものの写しだ」

 それはどうやら、現在のクロイツ商会が保有している在庫や資金などの一覧であるらしかった。テオドールの様子から、どうやら見ても良いものらしい。リトガーは書類を受け取ると、その中身を確認した。それはやはり保有資産、特に現在、倉庫に保管されている物品の目録であった。

「どうやって集めた」

 百枚は超えるであろう紙束にものの数寸で目を通し終えたリトガーは、呆れ返ったような声を出した。

 そこに記されていたのは、クロイツ商会が〈王国〉国内に持っている倉庫内に保有されている物品と数量であった。木材や石材、鉄材といった原材料から始まり、食料品、衣料品といった加工品と続くその目録には、銃火器や弾薬も含まれている。だが、それらは別にクロイツ商会ほどの手広い商いを行っている商会からすれば、特に驚くべき品々ではない。

 ただし、その量が異常であった。鉄材など、鉄鉱山を丸ごと持っているに等しい量が保有されていた。とてもではないが、一商会が一時的に抱え込む在庫としては常識の範囲を超えすぎている。

 珍しく驚きを露わにしているリトガーを見て、テオドールはしてやったりと言わんばかりに口角をつり上げた。

「我が国がこの戦争に負けた場合、つまり、〈帝国〉の属領となり下がった暁には、フェルゼン大橋の交通権は〈帝国〉貴族どもの手に落ち、そこを行き交う物品については〈帝国〉の大商人たちが独占するだろう。そこで、親父殿が西側の商人どもに囁いたのさ。貴重な交易路を失わぬために、一つ博打のつもりで投資してみてはどうかと」

 それに、リトガーは感に堪えぬとばかりに息を漏らした。クロイツ商会の倉庫には、平時であれば五年は軍を養い続けられるだろう量の物資が治められていた。

 だが、同時になるほどなと納得もしていた。

 〈王国〉ほどではないにしろ、〈西方諸王国連合〉でも比較的自由な商いが許されている。同盟に加盟している国家間には、自由な交易協定も結ばれていた。それ故か、西側の商人の中には諸国を渡り歩く遍歴商人が多い。特に貧しい土地の生まれから、一旗揚げてやろうという野心と冒険心に溢れる商人には事欠かなかった。

 対して、〈帝国〉では皇帝から勅許を得た者しか商売を行うことはできない。このことから、世界最大の国家である〈帝国〉の巨大な経済はわずか二十人ほどの大商人によって牛耳られていた。

 単純な経済的効率性の面から見れば、どちらがよりとは言い切れないが、〈王国〉が〈帝国〉の属領になることを全ての〈帝国〉商人が欲しているように、そうなる未来を望む西側商人は居ないだろう。

 だとしても、クロイツ商会がただ囁いただけではないことくらい目録を見れば簡単に想像は付いた。ただの顧客ならばともかく、信頼出来ぬ同業者相手に物を売る商人などいない。そして、本当に博打を打ったのは誰であるかも分かっていた。

「利のない賭けだな」

 リトガーは友人とその父親に対して、遠回しな称賛を贈った。

「そうでもない。西側の高級酒や葉巻を好む〈帝国〉貴族が多いように、〈帝国〉風の過度な装飾品を大枚叩いても手にしたいと願うのは、何も我が国の成金だけではないからな。我が国という唯一の合法的な交易路を失ってしまえば西側の商人は危険な橋を渡るか、永遠に機会を失うかのどちらかだ。それに比べれば、安い賭けではないか」

 照れ隠しのつもりか、答えたテオドールの言葉は長かった。

「ともかく。これはな」

 リトガーがにやついているのを見ると、彼は咳払いをしてから纏めるように言った。

「我が国、というよりもフェルゼン大橋という東側との貴重な交易路の存続を願う連中からの、贈呈品というわけだ」

 リトガーは頷いた。その後で未だに回りすぎている脳を抑えつけるように額に指を当てると、素早く言葉を纏めた。

「一つだけ問題がある」

 彼は試すように言った。

「他国からの支援を受けたとなれば、この〈王国〉が掲げる中立という国是に背くことになるが」

「ならないよ」

 それにテオドールは羽虫を払うような仕草で応じた。

「こいつは我が商会が、取引先から買い取ったものだ。真っ当な取引で、当然、対価も支払った。まぁ、いくらか割安ではあったが」

「なぜ、俺に見せた」

「どうせ交易局には隠せんからな。特に、第三課ともなれば。こちらの意図はともかくとしても、どうせ貴様の御父上はとっくにご存じだろうさ」

 そう言ったテオドールに、リトガーはまぁなと笑ってみせた。

 交易局が国境を出入りするすべての物品を把握しているわけではないだろうが、クロイツ商会ほどの大手商会が、それもこれほどの大商いを行えば、流石に気が付かないわけが無い。そして、知っている上で何も言わないのだとすれば。

「俺の父上も大概だと思っていたが、貴様の御父上も相当なものだな」

 リトガーは肩を竦めながらそう口にした。

 よもや、士官学校で偶々同期になっただけの友人とこのような形で家族ぐるみの付き合いになろうとはと、運命の数奇さに笑い出しそうになった。

 そして、運命という言葉を自分が思い浮かべたことに気付き、口元を苦々しく歪めた。

 いや、何が運命だ。畜生。運命などという言葉は、己の無力さを欺くために人間が作り出した言葉に過ぎないというのに。

 シュルツ、貴様ならなんというのだろうか。

 リトガーは心の中で、今まさに最悪といって良い運命に巻き込まれている友人へ尋ねた。

 当然、その答えは返ってこなかった。

続きは水曜日!

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