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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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遅れました。申し訳ございません。

 ヴィルハルト・シュルツの名がリトガーの口から発せられた瞬間、テオドールの眉が怪訝そうに歪んだ。

「なんだ貴様。我が国の戦況すら知らんのか」

「今朝、王都にたどり着いたばかりだと言っただろう。それに、別に何も知らないわけではない。周辺諸国を巡っている間、それなりに風聞は耳にした。大体、そんなものを聞いてどうなるというのだ。我が国の戦況? そんなものは分かり切っている。絶望以下の何物でもない」

「ならば、なんで奴のことを聞くんだ」

 現実をあっさりとようやくして見せたリトガーの返答に、納得の行かない表情で腕を組んだテオドールだったが、やがて悪戯を思いついた小僧のように唇をひしゃげさせた。そして、とっておきの秘密を打ち明けるようなもったいぶった調子で彼は言った。

「まぁ、いい。教えてやろう。大活躍だ」

 たっぷりと間を取って告げられたその言葉に、しかしリトガーは至極あっさりと頷いただけだった。

「だろうな」

 彼のその態度に、テオドールはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「貴様のそういうところが好かん。何を聞いても、さも知っていましたとばかりの顔をしやがって」

「この国で、〈帝国〉軍を相手にまともに戦争ができるのはシュルツくらいだ。大活躍していたところで驚きはしない」

 水晶椀の底に残った酒を舐めながら、リトガーは続けた。

「問題は、どう大活躍しているかだ」

「随分と奴を高く買っているじゃないか。たかが士官学校同期というだけで、そこまでの信頼を抱けるもんかね。知らないのなら教えてやるが、奴は目つきだけじゃなく、性根も捻じ曲がっているのだぞ?」

 小馬鹿にするような口調で言ったテオドールを無視し、しばしぼうとした表情で水晶椀を見つめていたリトガーがやがて、ぽつりと尋ねた。

「では、貴様。戦場で奴と相対したいと思うか。もちろん、敵味方として」

 唐突なリトガーからの質問に、それまで冗談を言っていたテオドールの顔が険しくなった。

「思わない」

 おぞましい何かが詰め込まれている壺を覗き込んでいるような表情を浮かべて、テオドールは吐き出すように即答した。

「絶対に嫌だ。奴は生来の殺人鬼だ。人間を殺すためだけに生れてきたような男だ。どれだけうわべを取り繕っていようと、四年も同室に押し込まれれば分かる」

 彼は身震いを抑えるように両腕を組んだ。その後でふと、不可解そうな顔になって首を捻る。

「あれが教会で育てられたというのだから、信じられん」

「それは俺もだ」

 神話に登場する女神を目前にしているかのような表情で言ったテオドールに、リトガーは即座に頷いた。


「で? 俺の質問はどうなった。シュルツの奴は一体、今どこで何をしているんだ?」

「ああ」

 初めの質問すら忘れていたらしいテオドールは、思い出したような声を出すと立ち上がった。そして、まるで演者が一席打つかのような身振り手振りで話しだす。

「我らが士官学校同期生にして、盟友であるヴィルハルト・シュルツの現在を聞けば、流石の貴様でも驚くぞ?」

 彼へその大仰な言葉遣いのまま、同期生の現在をリトガーへ教えた。

「戦争が始まってこの四月の間。奴は今や、なんと少佐になりおおせ、そしてあの旧王都レーヴェンザールに籠城し、その防衛指揮を執っておられる」

 それを聞いたリトガーの切れ込みのような目が、わずかばかりに痙攣した。傍から見れば小さな反応だが、彼にしてみれば最大限に目を見開いたつもりだった。

「それは、大したもんだ」

「そうだ。大したもんだ」

 冷静さそのものの声で関心しているリトガーに、テオドールは我がことのように胸を張って応じた。だが、すぐにリトガーの顔が翳る。

「だが、よく軍上層部が許したな……旧王都といえば、実態はともかく曲がりなりにも城塞都市、要塞だぞ? 昇進したとは言え、奴はまだ少佐なんだろう?」

「それがな、なんと女王陛下自らのご命令によるものらしい」

 そう答えたテオドールは首を捻っていた。ヴィルハルト・シュルツと女王の間に、一体どういう関係があるのかなど、彼は知る由もないからであった。

 一方のリトガーは納得したように頷いていた。彼はその職務柄、両者の間に過去一度だけあった接点について知っていた。加えて、彼は同期生の人と成りを熟知していることはもちろん、女王の人格についてもそれなりに聞き及んでいる。だからこそ、さもあろうという感想を抱いていた。

 そして彼の脳髄は聞かされた事実を淡々と分析し、さらに現実的な解釈を下していた。

「女王陛下の勅命といっても、大方、状況に流されたシュルツが貧乏くじを引かされただけだろうな。祖国への愛国心どころか、軍に対する忠誠心すら持ち合わせていないくせに、責務や命令にだけは忠実だからな、あいつ」

 夢のない友人の言葉に、テオドールはお伽噺のもとになった真実を聞かされた子供のような顔を浮かべた。しかし、リトガーの言葉を否定できないのも事実であった。

「また、つまらないことを言いやがる」

 彼は拗ねたように呟いた後、どっかりと長椅子に尻を落とした。自分の水晶椀に半分ほど酒を注ぐと、それで舌を湿らせる。

「いいか、おい? 今、俺たちがこうして昼間から酒臭い息を吐きながら面を突き合わせていられるのも、執政府のお偉方が連日、下らない国防会議とやらで各々の保身と利益確保に勤しんでいられるのもな。奴が、あの城塞都市で〈帝国〉軍の足を止めているからなんだぞ?」

 残っている酒をぐっと飲み干すと、彼は続けた。

「〈帝国〉軍は何故か、全軍をレーヴェンザールの攻略に当たらせているらしいからな。まぁ、その辺はどうせ奴が何かしらの手を打ったか、或いはあちらさんを怒らせるようなことをしでかしたんだろうが。ともかく、敵が全軍をレーヴェンザールに集中させているからこそ、王都にいる誰もかれもにとって、未だにこの戦争は文字通り対岸の火事なのだ」

「自分はそう思っていないと言いたげだ」

 自分も次の酒を注ぎながら、リトガーが合いの手を入れた。それにテオドールは当然だろうと頷いた。

 士官学校で四年間、人格すら一変するような教育に耐えきり、そして将校として(正確には今なお予備役だが)軍に在籍していたことのある彼らからすれば、そこらの兵役を終えただけの者たちよりも遥かに、〈帝国〉軍の侵攻という言葉の持つ意味を理解していた。

「今、レーヴェンザールが失陥したら、この国は終わりだ」

 テオドールは断言した。

「軍は未だに王都防衛どころか、この戦争を戦い抜くための方針すら打ち出せていないのだ。それどころか、貴様、聞いたか? 軍の情報部はなんと防戦中の東部方面軍から司令官を呼び戻したそうだ。一体、何を考えているのやら」

「まぁ。軍務大臣のグライフェンや軍総司令官のローゼンバインだのといった連中が考えそうなことは分かる」

 酔いに冒されては居ても、依然として機能し続けるリトガーの明晰な頭脳が計算を始めた。頭の中に収められている〈王国〉軍の主要人物たちを思い出しながら、彼はその全てを見てきたように言った。

「恐らく、この機に乗じて軍将校団の中で拡大しつつある平民出身者の勢力を一掃したい、といったところだろうさ。東部方面軍司令官のディックホルスト大将といえば、我が軍では平民出身者で初の大将だからな。それに先王との親交も深かった。その後を継いだ女王陛下への牽制と言った意味もあるんだろう」

「政治か。下らない」

 テオドールは吐き捨てた。

「貴族どものお遊びに付き合わされる、こっちの身にもなってみろ」

「末端とは言え、男爵家の長男としては耳が痛いな」

 冗談っぽく返したリトガーを、テオドールは無視した。抑えきれない憤りをどうにかしようと再び立ち上がると、両手を振り回しながら口を開いた。

「東部方面軍は防衛線を突破されてから、これといった行動を起こせていない。司令官が居ないせいで、命令系統が混乱しているんだろう。今は、フェルゼン大橋へ至るまでの大街道沿いに防衛線を構築しているようだが、それだって結局は〈帝国〉軍に打ち払われた連中がどうにか面子を保つためだけに行っている悪あがきだ。そもそも、まともにやって勝てなかったというのに、戦力を消耗した現在の東部方面軍だけで防衛戦を展開したところで何の意味がある。あっさりと負けちまうに決まっている。中央軍、西部方面軍はその増援のためにと、常備予備の動員を始めているが、どれだけ急いでも今月いっぱいはかかる。つまり――」

 そこまで言ったところで、テオドールは唐突に口を噤んだ。ようやく、自分が今何を語っているのか、その意味に気が付いたからだった。彼は自分の言葉の意味を理解した途端、絶句したような表情を浮かべるとリトガーを見た。リトガーはそれに、にやりとした笑みで応じてみせた。

「そうだ。つまり、最低でもあと一月レーヴェンザールが持ちこたえなければ、この国は今年の終わりを待たずして、この大陸から存在を抹消されることになる」

 彼は水晶椀に残っていた酒を飲み干すと、酒瓶から新たに注いだ。空になっていたテオドールの椀にも注いでやる。そして、実に楽しげな顔で杯を持ち上げると言った。

「貴様から聞かされた内容を端的に纏めるなら、そういう話になる」

「そうだ」

 リトガーの言葉にこっくりと頷くと、テオドールは自分の水晶椀を手に取った。どかりと長椅子に腰を落とし、注がれたばかりの酒を一気に呷る。酒の味に対する称賛のような、或いは呆れともつかない息を吐き出すと、彼は背もたれに深く沈みこんだ。

「なんてこった」

 次に彼の口から出たのは、驚いたような声だった。

「我が国の命運は今、あのシュルツの双肩にかかっているのか。あの、目つきも性格も悪い、ひねくれ者に」

 途方に暮れたような様子で天井を見つめている友人の様子を眺めながら、リトガーはさらに楽しそうに言った。

「生還する見込みはほとんどないだろうが。もしも、あいつがあと一月を悪運強く生き延びたのならば。奴は正真正銘、救国の英雄ということになる」

 その一言に、遂にテオドールが吹きだした。ひとしきりゲラゲラと笑った後で顔を上げると、対面に座っているリトガーと目を合わせた。

「え、英雄……英雄か……それも、救国の……」

 堪えきれない笑いの波をどうにか抑え込みながら覗き込んだ、リトガーの細い、切れ込みのような双眸に自分と同じ感情が光っていることに気が付いた。

 どうやら、お互い考えていることは同じだと悟った彼らはどちらともなく口を開いた。その唇が、鏡に映ったように同じ動きで言葉を紡ぐ。

「なんて似合わないんだ」

 同時に言い終えた彼らは、腹を抱えて笑い出した。

 それは恐らく二度と生きて会うことが叶わないだろう友人に対する、彼らなりの手向けであった。

続きは鋭意執筆中。しばらくお待ちください。

今週中には更新します。

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