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大変お待たせしました。申し訳ありません。
以前のような投稿頻度を取り戻したいのですが、いまいち執筆時間の取れない毎日で・・・ご容赦ください。
王立交易局第三課。
それは〈王国〉における対外諜報において、〈王国〉軍参謀本部指揮下にある軍情報部と双璧を成す存在であった。と同時に、組織としてそれなりに公然性のある軍情報部(当然、扱っている情報の内容に関しては機密だが、その存在自体は決して隠されたものではない)とは違い、彼らの活動は完全に隠匿されている。
他国の軍事に関する情報収集と分析を主任務とする、純粋な軍事的諜報機関である軍情報部と違い、第三課が担当しているのは他国の軍事、政治経済、各国の有力者に関する表立って収集することのできない風聞など、あらゆる領域に及ぶ。そして〈王国〉の存続と国益を保つため、必要とあらば不正規な調略活動も辞すことはない生粋の対外諜報、工作機関であるのがその理由であった。
王立交易局自体は、〈王国〉の商会や交易商たちが、諸外国の商人相手に取引を行う際、その内容を記録し、物品の輸出入を管理するために設立された組織である。〈王国〉財務省傘下の外局の一つであり、他国の商人が〈王国〉内で行った商取引の内容を記録した上で、その徴税を担当する他、交易規制品、禁止品が国内に持ち込まれることを取り締まる役割も担っていた。その中で第三課は“表向き”には交易相手国の経済、物価などを調査する専門部署として開設された。無論、第三課は実際にそうした活動に従事してはいる。そもそも他国の経済に関する情報収集もまた本来の任務に含まれることと、何よりも、そうでなければ建前の意味がないからだった。
そして、その任務内容の性質上、本来ならば財務省の管轄下にある王立交易局の中にあって彼らだけが外務省、否、外務大臣(つまりは執政府)直轄の組織であることも当然、公にはされていなかった。
その第三課を統べているのが、アドラー・ルイスバウムである。
家名であるルイスバウムは〈王国〉建国に深く貢献した国祖ホーエンツェルンの重臣の一人であった。それでいて、彼らの名が今日に至るまで〈王国〉史の表舞台に上がったことは一度もない。他の建国時の重臣たちが国祖より直々に侯爵や伯爵に列せられた中で、辛うじてその末席である男爵位に留まっていることには無論、理由があった。
ルイスバウム家は建国の以前から今と変わらず、国祖に対して敵対勢力への諜報や、謀略といった手段で貢献した一党であった。その中には当然、表立って伝えることのできない汚れ仕事、現在に至るまでの間に抹消された記録が多々ある。
だが、彼らのそうした手腕が最も重宝されたのはむしろ、建国後のことだった。
〈王国〉として独立後、王位に就いた国祖も、彼の重臣たちも、決して清廉潔白な行動のみでその偉業を成し遂げたわけでなければ、人として後ろめたい部分をまったく持っていなかったわけでもなかったからだった。そうした彼らにまつわる様々な醜聞や汚点を秘密裏に葬ることもまた、建国直後の国を治めるには必要な手続きの一つだったのだろう。
そうした状況下でルイスバウム家の持つ情報収集能力が頼りにされたというのは特別、驚くほどのことでもないだった。今でこそ彼らの調査対象は交易局第三課として国内ではなく、諸外国のみに向けられているが、組織として改められる以前は内外問わず、〈王国〉の国益(或いは国策)に反する事柄の情報操作や隠蔽を行ってきた。その過程でルイスバウム家が手に入れたのは、貴族たちの不正や乱行ぶりに関する夥しい数の証拠の山であった。
つまり、ルイスバウムという名は言わば〈王国〉にとって(というよりも、過去に家門の者が行った好ましからざる事実についての証拠を握られている貴族たちにとって)今更掘り返したくない過去の墓標、或いはその墓守であるのだった。
「ここにきて、ようやく交易局第三課のお出ましか」
アドラー・ルイスバウムの酷く芝居がかった一礼を受けた後で、鼻を鳴らしながらそう応じたのはバッハシュタインであった。
「それで? 戦争が始まって以来の四月もの間、開戦の兆候すら嗅ぎ取れなかったネズミどもがこそこそと這いずりまわった成果は?」
彼は軽蔑も露わにそう尋ねた。口にした言葉があまりにも下品だったためか、幾人かの良識ある者たちが顔を顰めた。しかし、残りは彼と同様か、或いはそれ以上の嫌悪をもってルイスバウムへ目を向けている。しかし、当の本人はそうした視線を意に介することもなく、その猛禽のような瞳を虚空に凝らしながら口を開いた。
「まず。先ほど軍務大臣閣下と、東部方面軍司令官閣下の両大将が御懸念されていた、〈帝国〉軍の船舶部隊に対する情報ですが。本戦争中、敵の船舶部隊が川を下ってくることはないものと思われます」
その口調はどこまでも事務的な、報告書を読み上げるようなものだった。
「なぜ、そう明言できる?」
ディックホルストが疑問たっぷりに尋ね返した。と言っても、その顔に浮かんでいるのは純粋な興味のみであった。彼とてルイスバウムの名は聞き及んでいたが、平民出身である彼には他の貴族たちのように(特に、代々の当主を始めとした家の弱みを握られている者ほど)その響きに対する嫌悪を抱いてはいない。
ディックホルストからの質問にルイスバウムは小さく頷き、自分の本来の上司を一瞥した後で話し出した。
「我が国の南部と国境を接し、また同様に大河に面した領土を持つ、〈西方諸王国連合〉加盟国の一つであるオスタニア公国領と〈帝国〉の間で密約が交わされているからです。その内容は、大河上にある〈帝国〉軍船舶部隊を一切行動させないこと、そして戦場を我が〈王国〉の東部から北部に限定することを条件に、かの国は本戦争に一切関知しないという旨の」
まるで今日の為替相場を読み上げるかのような言い方で、彼はさらりとその場にいる全員の顔から血の気を奪ってみせた。
「馬鹿な」
もっとも強く衝撃を受けていたのは、ミュフリンクであった。信頼していた友人から細君の不逞を聞かされたような表情をしたまま、ぽつりと言葉を漏らす。彼の両側にいるシュタウゲンも、バルゲンディートも同様の様子であった。これまで話し合いにほとんど口を挟んでこなかった法務大臣のリアハウゼンですら、片眉を上げている。
「そのような報告は、わしは聞いておらんぞ」
ミュフリンクが努力して絞りだした、擦れた声の中にはわずかな怒気が含まれていた。だが、ルイスバウムはあくまでも事務的な態度を崩さぬまま、優雅に頭を下げて彼への弁解を口にする。
「これは先日まで未確認の情報でありました。裏が取れたのはここへ向かう直前であったので、ご報告の暇がなく。結果として事後報告のような形になってしまったことは申し訳のしようもありません」
文官たち以上に衝撃を受けていた軍人側から、バッハシュタインが声を上げた。
「外務省のあれこれなどどうでもよい。だが、何故だ。もしも我が国が〈帝国〉の属領になってしまえば、大河を隔てているよりもさらに侵略される危険性が高まるというのにか」
頭を抱え、吐き出すようにそう言った彼へ答えたのは、参謀総長のカイテルであった。
「それでも。今、〈帝国〉と戦争を始めるよりはマシだと判断したのでしょう。オスタニア公国は前回の大戦で受けた傷跡がようやく癒えたばかりなのですから」
カイテルはこれまで積み上げてきた計算式に誤りを発見したかのような顔をしていた。机の板面をコツコツと叩いている様は、軍人というよりも碩学院の教授と言った方がしっくりくる姿だった。
彼の言葉に周りからは一斉に納得と不満の呻きがあがった。
およそ十八年前に〈帝国〉と〈西方諸王国連合〉の間で勃発した、今日では大陸大戦と呼ばれる大陸全土を巻き込んだ大戦争。一連の戦いに動員された将兵は東西陣営合わせて三千万とも言われている。殺意と狂乱の嵐が大地の至る場所を朱く染めあげた三年間は、現在の大陸史における最初で最後の世界大戦だった。
そこで行われた諸々の行為は、理性ある人間のその残酷さの如何なるかを示す証拠の一つであっただろう。
だが、如何に大陸全土を、と言ったところで、当然のことながら戦場となった場所や地域は限られてくる。
前大戦の主戦場となったのは主に、〈帝国〉と国境を接している〈西方諸王国連合〉諸国の領土だった。
〈王国〉南方の大地を、〈西方諸王国連合〉における盟主国である中央四ヶ国の一つから統治を委任された大公によって治められているオスタニア公国もまた、その戦場の一つであった。それほど広大な領地を持つわけではないこの国は、開戦からほとんど同時に国土全域が戦場と化した。街という街で銃声が響き、村という村が焼き払われ、田畑には砲弾が降り注ぐ中で、同盟国からの支援と増援を受けてどうにか戦線こそ維持し続けたこの国が戦後、どのような有様になったのかなど語るまでもないのかもしれない。
開戦からおよそ三年後、ようやく殺戮の応酬に飽き果てた東西陣営が停戦に合意した頃には、公国に残っていたのは夥しい数の死体が転がる焼け野原のみであった。
公国軍は実に人口の六割に相当する国民を兵士として動員し、戦場へと投入したが、それでも依然として隔絶し続けた〈帝国〉軍との兵力差を埋めるため、焦土作戦を実行したためだった。
このため、戦後の公国は二十代から四十代の成人男性が人口を占める割合を著しく減少させてしまった。人口比における男性の不足は生物的な観点から見ても当然のように、出生率の低下を意味する。周辺領邦からの移民を受けいれてはいるものの、戦争から十余年を過ぎた現在でも公国の年齢別人口構成は恐ろしく痩せ細った形を描いていた。
そんなオスタニア公国が現在でもどうにか国家としての体制を維持し続けているのはひとえに、同盟各国からの(必要以上に)手厚い復興支援によるものであった。今の状況でもう一度あの大戦を繰り返すか、或いは〈帝国〉による侵攻を受けてしまえば。その時こそ、かの国は歴史の一文に成り果ててしまうだろうことは明白であるのだった。
「確かに。かの国からすれば、今〈帝国〉と事を荒立てたいなどとは思わんだろうが……」
不承不承ながら、相手国の心情を理解するような発言をしたのはやはりミュフリンクであった。
「結局は、〈西方諸王国連合〉も一枚岩などではない。〈帝国〉との再戦を望んでいるのは中央四ヶ国とその傀儡国家だけで、自国が戦場となる可能性のある国はもとより、盟約上、強制的に戦費を出さざるを得ない国家にとっても、〈帝国〉と再び一戦交えるのは百害あって一利なしと考えているようだ」
「つまり、そのために我が国を切り捨てたというわけか」
バッハシュタインが腕を組みながら鼻を鳴らした。
「他の国が自国の安寧を図ったからといって、それを責める権利はわしらにはない」
彼を窘めるように、リアハウゼンが理知的な声で反論した。
「つまり、どう考えようとも」
ディックホルストがすべてを纏めるように言った。
「我々は単独で悪戦するより他にないということです。あの〈帝国〉を相手に」
重苦しいため息が室内に満ちた。彼らは今更のように、この国が現在おかれている状況を再確認しつつあるのだった。誰もが己の描いてきた未来予想図が最終的に行きつく場所を見据え始めた頃だった。
そんな彼らにとどめを刺すような口調で、ルイスバウムが再び口を開いた。
「皆さま方のご心労はお察ししますが、今回、私が申し上げたい最も重要な事柄は〈帝国〉と隣国にまつわる話ではありません」
いい加減、この議論に飽き飽きし始めていたローゼンバインがまだ何かあるのかと言いたげな呻きを漏らした。彼にしてみれば今回の会議は、女王に対してディックホルストの免官を直々に迫るための場であり、それ以上の意味はないと考えていたからであった。そんな彼の、ある意味どこまでも楽観的な貴族的思考を打ち切らせたのは、ルイスバウムが口の端にあげた一つの人名であった。
「こちらの情報もまた、今朝方届けられたばかりなのですが」
ルイスバウムはそう断りを入れてから、これまでの議論全てを吹き飛ばす真実を彼らへと伝えた。
「かねてより前線から伝えられていた、敵総司令官は帝室直系の者であるという未確認の可能性について。その司令官は〈帝国〉第三皇太子、ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフであると」
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