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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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 再び、場には沈黙が下りつつあった。その中で、停滞した議論の突破口を求めるように女王の傍らに座す〈王国〉宰相エスターライヒが口を開いた。

「東部方面軍司令官である、ディックホルスト大将の御意見は?」

 彼からの唐突な投げかけにディックホルストは眉間の皺を深めると、長々とした吐息を吐き出した。顔を上げると、女王と目が合う。アリシア・ギュスタ―ベルク・フォン・ホーエンツェルンの長く伸ばされた純白の髪とは対照的な、新月の晩を思わせる深い群青の瞳にはどこか縋るような光があった。それだけで、ディックホルストは己が求められている役割を十分に把握した。咳払いをして、口を開く。

「戦力の再建を図るにしても、総動員をかけて戦力拡充を図るにしても。我々にはより窮迫した問題が残されていると、小官は愚考します」

「それは?」

 問い返したのはやはりエスターライヒであった。ディックホルストは彼にすぐには答えず、部屋の入口脇に掛けられた振り子式の刻時計に目をやった。しばらく、その秒針の動きを追う。彼は軍務大臣のグライフェンが主張した総動員という案に真っ向から反対はしなかった。その理由は単純だった。どの道〈王国〉軍は、〈帝国〉軍との間にある兵力差をどうにかして埋めねばならないからである。ならば、いずれにしても総動員の発令というその運命からは逃れられない。ただし、彼がより問題として考えているのは、そうした諸々の準備を進める上で必須となるものが圧倒的に不足している点であった。それは。

「時間です。我々には何よりも、時間が必要なのです」

 ディックホルストは軍剣を振り下ろすような口調で、そう断言した。

「予備役を招集したからといって、即座に戦場へ投入できるわけではありません。常備予備ならばともかく、後備予備ともなれば戦場で十分通用する兵としての勘を取り戻すまでに、少なくとも三ヶ月は要するでしょう。であるならば、我々はまずもって、この時間を稼ぎ出さなければなりません」

「貴官は東部防衛の際に、招集したばかりの予備役兵を戦線へ配置したではないか」

 口を割り込ませたのはローゼンバインであった。彼はその縦にも横にも広い背中を、座っている椅子の背もたれに押し付けながら、舌打ちをするような声音で言った。

「その上で東部は失墜し、貴重な予備戦力を無益に失った」

「あれは状況が状況でした。加えて申し上げてよいのであれば、小官は幾度となく中央、西部方面軍の双方に増援を要請しておりました。ですが、どうやら両軍の展開が間に合わない様子でしたので已むを得ず、常備予備役の動員を判断したのです」

 ローゼンバインからの横やりをそよ風のように受け流した後で、ディックホルストはその顔面に力を込めた。

「何よりも」

 彼は宣誓するように言った。

「東部は未だ、失墜などしておりません。故に我々は与えられた僅かな時間を、こうして議論に費やすことができているのですから」

 そしてディックホルストは女王へと顔を向け、どこまでも君主へと直訴する臣下としての態度のまま深く首を垂れた。

「この万金を積んでも得られない一刻を、現在の我々が得られているその理由。我が国の滅亡への秒針が、この一月止まり続けている原因は、女王陛下も確信しておられるはずです。何故ならば、それは陛下御自身がお命じなられた勅命に起因するのですから」

「つまり、ディックホルスト大将。貴官の意見は」

 この戦争が始まって以来、女王が下した勅命は一つしかない。その内容に思い至ったエスターライヒが口を開きかけた。ディックホルストは頷くと、決意と確信に満ちた表情で場の全員を見渡す。

「そうです。つまり、我々にとって最も重要なことは時間を稼ぐことである以上――」

 そして彼は口にした。恐らく、誰よりも女王が求めていたのであろう、その一言を。

「小官は、軍は総力を挙げてレーヴェンザールを支援するべきだと判断します」 

 その発言に文官側の者たちが一斉に納得の呻きを漏らした。と同時に、軍人側に並ぶ者たちは顔を顰めている。ローゼンバインに至っては、あからさまに嫌悪の表情を浮かべていた。

 しかし、ディックホルストは彼らに構うことなく言葉を続けた。

「東部方面軍は戦力の再編と防衛線の再構築が行えているのも。中央軍、西部方面軍が戦時編成へ移行したといっても、ようやく動員を終えたばかりで部隊の展開はこれからという段階でありながら、それらが未だに致命的な遅れとなっていないことも。その理由はひとえに、かの城塞都市がこの一月の間、敵全軍の足を止めさせているからに他なりません」

 そこで一度発言を区切ると、彼はしばし考え込んだ。


 ディックホルストはこの戦争による祖国滅亡を回避するために、〈王国〉軍が取り得るだろう唯一の選択を、ある種の諦観とともに受け入れていた。バッハシュタインの主張した総反抗などは論外だった。当然である。もしもその一戦で敗北してしまえば、その時こそ〈王国〉軍は終わってしまう。よしんば勝利したところで、〈帝国〉軍は即座に新たな増援を送ってくるだろう。20万の軍勢と言えど、かの軍隊にとりそれは一部に過ぎないのだから。そしてそうなれば、〈王国〉軍は痩せ細った戦力を再建する暇もなく圧し潰される。

 ならば、取り得る策は一つしかない。それは彼が東部防衛の際に採用した、縦深防御という戦術にも顕著である。即ち、〈王国〉軍が敗北を免れるためには(勝利という言葉を思い浮かべられるほど、彼は楽観主義者ではなかった)、守勢などという生ぬるい表現では足らぬほど徹底的な防衛戦を展開し、〈帝国〉軍が何らかの理由で撤兵(例えば、戦費が底を突くか、或いは本国における政局の転換など)するまでの間を、ひたすら悪戦持久するより他にないということであった。

 そうしたディックホルストの構想の中でレーヴェンザールの維持は重要な役割を果たす要素ではある。だが、同時にそれはあくまでも構想を現実のものとするための布石に過ぎなかった。であるからこそ、ただレーヴェンザールを支援すると口にするだけでは足らないと考えたのだった。問題は、どこまで支援するか。そしてどれほどの間、レーヴェンザールが維持されている必要があるかであった(彼の計算の内にはすでに、レーヴェンザールの陥落も含まれていた)。

 ディックホルストは己の願望の中から実現可能な事柄だけを取り上げた後で、再び口を開いた。


「せめてもう一月、秋までレーヴェンザールが保ってくれるのならば。そうなれば、中央、西部の両軍が動員した兵力による強固な防衛線を北東部に構築できます。後はそれらの部隊が冬までの間を稼ぎ出せばよいのです〈帝国〉軍とは言え、消耗の激しい冬季戦には二の足を踏むでしょう。ただでさえ、冬の戦地における兵站線の維持が難しいことを考えれば、或いは一時戦闘を切り上げるかもしれません。彼らはすでに十分以上、自国領から離れた地点まで進撃していますから、その困難さは我が軍の比ではないはずです」

 この会議が始まって以来、初めて明快な方策が軍人側から提出されたことに文官たちからは好意的な声が漏れた。しかし、ディックホルストと肩を並べて座る者たちの顔は優れない。

「二十万もの敵軍に包囲された都市を、どう支援するというのだ」

 そう毒づいたバッハシュタインへ、ディックホルストは素早く切り返した。

「船舶部隊ならば。あの都市の西、大河側には河川港が整備されております。敵からの反撃を受ける前に素早く港へと張り込めれば、兵員を初め様々な物資をあの都市に運び込むことも不可能ではないはずです。いや、むしろ〈帝国〉軍の船舶部隊が川を下ってきていない以上、大河は我々が〈帝国〉軍に対して勝っている、重大な利点であると思いますが」

「だが、それに呼応して〈帝国〉軍が船舶部隊を動かしたらどうなる。国境付近には一応の水上封鎖線を敷いてはいるが、あの国の船舶部隊は我が軍のそれとは規模が違う。もしも大部隊で押し寄せられれば、封鎖線もいつまで保つか。そうなればもはや橋の防衛どころではなくなる。下手をすれば、この王都まで容易く戦場と化すのだぞ」

 間を割って反論したのはグライフェンであった。だが、ディックホルストはやはりあっさりと応じて見せた。彼の意見には、そもそも意味が無かったからであった。

「それはどの道ではありませんか、軍務大臣閣下。むしろ敵が船舶部隊を動かしていない内に先手を取らなければ。いや、そもそも小官からすれば〈帝国〉軍がなぜこの戦争に船舶部隊を投入していないのか、その理由についての方がよほど不気味だと思うのです」

 そうなのだった。

 今、グライフェンが口にしたように〈帝国〉軍は〈王国〉軍などとは比べ物にならぬほど大規模な船舶部隊を有している。もちろんそこに所属する船舶はほとんどが、対岸に存在する〈西方諸王国連合〉への警戒と牽制任務に当たっているのだが、だとしても常に余剰の戦力を確保しているのが軍隊というものだ。今なお複数の戦場を抱える〈帝国〉にしてみれば一戦線に過ぎない(それも比較的小規模な)〈王国〉へ多少なりの船舶を派遣することくらい、容易いはずであった。

 もっとも、戦力とはいっても、この当時の大陸世界軍隊における船舶部隊とは兵員や物資を輸送するための一手段にしか過ぎず、戦闘を主眼に置いたものではなかった。一つの大地しか存在しないこの世界では、船は幅の広い川を渡るものという程度の認識しかなく(海に面した地域では漁も行われているが、それでも沖まで漕ぎ出る者は皆無であった)、〈帝国〉軍や〈西方諸王国連合〉軍の一部では実験的に大型の帆船などに砲を積み込んでいる部隊もあったが、それほど熱心に研究されているというほどでもない。

 だが、〈帝国〉軍が確実に戦争を有利に進めようと考えるのであれば、大河の確保は行って当然の行動であるはずだった。そうすれば彼らは今頃、たかだか一都市に全軍を集中させての攻城戦などを行う必要もなかっただろう。〈王国〉東部国境を突破した部隊を大河まで押し進め、船舶部隊と合流した後に対岸へ部隊を渡らせれば、〈帝国〉軍は〈王国〉に対して東部、西部の二正面から攻勢を掛けられたはずだ。当然そのためには今以上の戦力が必要とはなるが、それが用意できぬ程度の軍隊ではないことなど誰もが知っている。もしも開戦直後から〈帝国〉軍がその手を採用していたとしたら、今頃〈王国〉などは存在しなかったかもしれない。

 そして、その危険と不安は未だに看過しえぬものとして〈王国〉軍人たちの胸に暗雲を立ち込ませていた。


 ディックホルストの反論に、グライフェンが押し黙った時であった。彼らの齎した重苦しい空気を打ち払うように、外務大臣のミュフリンクが喉を鳴らした。彼は場の全員が自身に注目したのを確認した後、どこか言い辛そうな様子でその肥えた喉の肉を震わせた。

「軍務大臣と、東部方面軍司令官の両大将が懸念していることについてだが」

 そこで彼は逡巡するように一呼吸置いた。決心するように息を吸いこむ。突然、大きく呼吸をしたせいで両頬の肉を無様に震えていた。彼は、会議が始まって以来、ずっと背後に立っていた漆黒の人物を指し示して口を開いた。

「こちらにいる者が、お知らせしたい情報があるそうだ。もう一つ、何やら重大な報せがあると言うので、わしの判断でこの場に同席させた。どうしても陛下のお耳に直接入れたいとのことでしたので。どうか、ご容赦を」

 最後にミュフリンクは女王と、エスターライヒに向かって丁寧に頭を下げた。女王は静かに頷いただけであった。それを見たエスターライヒが口を開いた。

「よろしい。だが、陛下とこの国の功臣のみが参加する議論の場に出席を望んだ以上、それに見合うだけの価値がある報告なのであろうか」

 彼のその言葉を受けて、これまでひっそりと部屋の隅に佇んでいた男が入り口の前、漆黒の長机を挟んだ女王の対面へと、その黒づくめの衣装に包まれた身体を影から立ち上らせるようにして進み出た。それは痩身痩躯の、酷く存在感が薄い男であった。猛禽を思わせる鋭い目つきだけが、暗がりの中で異様に輝いている。

「ただいまご紹介にあずかりました。私は交易局第三課にてその長を務めております、アドラー・ルイスバウムと申します。女王陛下におきましては、お初にお目にかかり恐悦至極にございます」

 彼は口を開くと、聞く者の神経を逆なでするような演技に満ちた声でそう名乗りを上げた。ルイスバウムという彼の姓名を耳にした途端、すでに彼の名を知っていたミュフリンク以外の全ての者の顔が苦々しく歪んだ。

 それは〈王国〉における暗部、汚点の象徴であるからだった。

続きは水曜日。

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