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遅れてごめんなさい・・・仕事辞めます。
「戦力も足らぬ、それを充当するための戦費も足らぬ。では、卿らは軍にどうせよと申すのか」
自らの意見が受け入れられず、バッハシュタインは拗ねた子供のように鼻を鳴らした。彼の投げ出すようなその口調に対して、ミュフリンクが罵り返すように尋ねる。
「そもそも、軍の方針はどうなっておるのだ。総動員を掛けるといっても、その兵力をどのように運用するつもりか、その点をはっきりとさせぬことには、我々としても何らかの決定を下すことなどできぬ」
彼の言葉に、バッハシュタインはすでに十分以上張り出している腹をさらに突き出すように、胸を張って応じた。
「女王陛下の権限によって招集した兵力に対する統帥権を一時お預かりいただければ、我が国の領土を侵し、陛下の御宸襟をお騒がせ奉っておる、あの不逞の輩をただ一度の決戦で殲滅して御覧に入れる」
彼の、あまりにも自信満々といったその様子に、一瞬だけ周りの者が言葉を失った。対面に座っていたシュタウゲンと、その右隣のミュフリンクが短く目配せをする。彼らは、目の前に座る自国の軍大将の正気を疑っていたのであった。
「それが真実可能ならば、どれだけ楽なことか」
沈黙を裂くように冷笑混じりにそう呟いたのは、ディックホルストだった。反論というよりはむしろ独り言に近い口調であったが、バッハシュタインは聞き逃さなかった。
「なんだと貴様!」
立ち上がると彼は狂を発した猛犬のように喚き、ディックホルストへと噛みついた。
「そもそも、東部防衛を失敗した責任は貴様に――」
「バッハシュタイン大将」
重々しい咳払いで彼を黙らせた後、地鳴りに似た響きでその名を呼んだのは女王の右隣に座る〈王国〉宰相のエスターライヒであった。彼はその威厳と英知に満ちた眼差しでバッハシュタインを一瞥すると、口を開いた。
「先ほど申し上げたように、この場は今後の方針に関する諸卿らの意見を女王陛下にお聞かせするためにある。議題から逸れた内容の発言は控えていただきたい」
現在の女王がその座に就くよりも遥か以前から〈王国〉において君主に次ぐ地位にあり続けた賢臣の、その高峰の頂から吹き降ろすかのような声にさしものバッハシュタインですら口を噤んだ。
「加えて申し上げるならば、先ほどのバッハシュタイン大将のお言葉はあくまでも、閣下個人の構想に過ぎないことも明言させていただきたい」
再び、室内に沈黙が下りたその隙を見逃さず、これまで議論に一切参加してこなかった人物が煉瓦を叩くような、無機質な声を発した。その人物、軍務大臣のグライフェン、軍総司令官であるローゼンバインに並んで座る〈王国〉軍参謀総長、ヨアヒム・フォン・カイテル中将は頬が削ぎ落されたようなその顔に、どこまでも冷静さのみが浮かぶ男であった。
彼は周囲の目が自身に集まった後も、まるで意に介さぬように機械的に口を動かした。
「軍は現在、本戦争における基本方針を守勢と定めております。理由は当然、現有戦力だけで反攻するには十分ではないからです。今月末までに揃う十三万の兵力は額面だけ見れば大したものですが、正直に申し上げて兵の質も、装備の数もとても十分とは申し上げられませんから」
どこまでも参謀然とした態度のまま言い切ったカイテルは、小さく息をつくと付け加えた。
「そもそも、反攻する必要があるのかどうか」
「なんだ、カイテル中将。貴官には何か構想があるように聞こえたが?」
彼が意味深に零した言葉に反応したのは、ミュフリンクであった。膨れた腹を頻りに撫で擦っている。どうやら、進展の無い議論に飽き始めているらしかった。
「小官如きの考えを申し上げてよいのであれば」
ミュフリンクからの質問にやはりどこまでも機械的に答えながら、カイテルは左に座るローゼンバインへ向けてちらりと視線を移した。ローゼンバインは興味のなさそうな呻きで応じる。それを了承として受け取ったカイテルは長く、静かに息を吐き出した後で淡々と口を開いた。
「何も戦って勝つことだけが戦争を終わらせる手段ではありません」
そしてどこまでも冷静な口調のまま、彼は言った。
「そう。例えば、大河で隔たれた東西の領土を渡す唯一の渡河点であるフェルゼン大橋を爆破ないし破壊し、落としてしまえばよいのではと、小官は愚考いたします」
カイテルのその一言は、当然の波紋を呼んだ。
「参謀総長!」
真っ先に口を開いたのは内務大臣代理として出席していたバルゲンディートであった。彼はその父性に満ちた顔に憤怒を浮かべると、叱責するような声を上げた。
「それはつまり、軍は〈王国〉に東部を捨てろと言いたいのか!?」
普段の温和な口調をかなぐり捨てたバルゲンディートは机の板面に両手を打ち付けながら立ち上がると、軍人側の列席者たちに食らいつくように迫った。
「東部では未だに避難に応じなかった者たちが故郷の村々で決死の抵抗を続けていると聞いている。彼らを見捨てては、何のための軍か分からぬではないか!!」
「小官はただ、参謀として求められた意見の一つを述べたまでです。バルゲンディート男爵。それに先にお断り申し上げたように、今口にした案は小官一人の考えであって、軍部の見解とは無関係です」
怒りも露わに迫るバルゲンディートに対し、カイテルはやはりどこまでも淡々とした、書類の整理でもするような口調で応じた。憤懣やるかたなしと言った態度のバルゲンディートを支援するように、別の方向からも彼に反論する声が発せられた。
「フェルゼン大橋を落とすだと? 馬鹿な。あの橋の建造にどれだけの歳月と金穀が投じられたと思っているのだ」
そう口にしたのはシュタウゲンであった。
「そして、建設作業に従事した国民たちの命も少なからず失われています」
バルゲンディートが諫めるような声で付け加えた。しかし、当の発言者であるカイテルは彼らからの反対意見を聞いていなかったかのように言葉を続けていた。
「しかし、戦略的に見れば決して愚策ではないかと。兵力も要らず、ただ橋を落とすだけで戦闘を終了させることが出来るのですから。もしも〈帝国〉軍が大河を渡るために何事かを、例えば架橋するなり、船舶部隊を呼び寄せるなりの手を打ったところで、我々が手をこまねいてみている理由もありません。川岸に砲列を敷き、敵の渡渉を妨害し続ければあるいは、あの〈帝国〉でさえ付き合いきれなくなるかもしれませんから」
それは、あるいは誰かが望んでいるのかもしれない言葉であった。ことに、望みのない持久戦を余儀なくされるであろう〈王国〉軍にとって、フェルゼン大橋を落とすということは確かに考えられる内で最上の一手であろう。
だが。
「いかんな。駄目だ。フェルゼン大橋を落とすという案を採用した場合、軍はおろか執政府の信用すら失われる。それはそれで亡国だ」
誰に対しても愛情に不足のない男と、あらゆるものを値札で判断する男に両脇を挟まれていたミュフリンクが乾いた舌を動かしながら言った。彼は立ち上がったままのバルゲンディートを座るように促した後で、静かな視線をカイテルへと向ける。
「無論、参謀総長の進言が最上の手の一つであることは認めよう。だが」
ミュフリンクは言葉を切り、カイテルへ向けていた目を女王へ、そしてその傍らに控えるエスターライヒへと順に移してから、小さく吐息して言った。
「だが、やはり。許容は致しかねる。フェルゼン大橋は我が国が成しえた大事業の成果であるし、何よりも我が国開闢の地はあの東部にあるのだから」
彼の声は努めて感情を排した、ひどく枯れたものだった。
ミュフリンクから見たバルゲンディートの言は、あくまでも感情論に過ぎない。
ミュフリンクと、そして恐らくは財務大臣のシュタウゲンの両名がカイテルの進言に頷くことができないのは、その立場からであった。
〈王国〉領の東西を繋ぐフェルゼン大橋は、同時に大河に架かる唯一の橋でもある。これは即ち、大陸中央部の大山脈から流れ出し、北部を両断する大河を、船舶を用いずに渡河することのできる唯一の手段でもあった。
大河が〈王国〉国土の東西ならず、その領土に流れ込む以前で〈帝国〉と〈西方諸王国連合〉の境界線として機能していることを考えるならば、大河上の他の地点で架橋が成されていないことは当然のことと言えるが、それだけにこの橋の価値は高い。特にフェルゼン大橋に関心を示したのは、両陣営の睨み合う最前線である大河を表立って渡ることのできない東西の商人たちである。〈王国〉に架かるこの大橋は彼らにとり、貴重な交易の架け橋でもあるのだった(これらの取引を推進するため、〈王国〉では二代前の治世より他国の商人であっても自国の商人たち同様、売り上げに対して一定の税率で算定された額を納める以外に、特別な関税その他を支払うことなく取引を行えるよう法整備が成されていた)。
そうした彼らの活発な商取引が行われるからこそ今日の〈王国〉経済はこれほどまでの発展を見せたのだ。そして外交においては、交易の場を提供するということは重要な手札の一つでもあった。シュタウゲンとミュフリンクはその事実を誰よりもよく知るからこそ、たとえ祖国の滅亡が掛かっていようとも橋を落とすというカイテルの案に賛同することができなかった。
橋を落としてしまえば、これまで行われていた交易は物理的に不可能になるだろう。よって税収、つまり国家の収入が途絶えてしまうことになる。加えてこれまで交易の場を提供してきたが故に保たれていた他国との関係性に根拠がなくなってしまう。
ならば、どうなるか。
考えるまでもない。
収入が減り、窮乏した家庭が崩壊するように。税収が激減した国家が辿る道もまた、同様である。軍備はおろか、国家運営すらままならなくなるだろう。愛国心のみで生きていける人間などいないからである。
そして他国、〈西方諸王国連合〉が〈王国〉の独立、その中立という立場を容認してきたのは、ひとえに表立って取引することのできない〈帝国〉との交易の仲介人としての意味を失ってしまえば、それすらもいつまで保証されるか分かったものではない。国家間における利害関係を排した誠実な信頼関係というものが存在しない以上(少なくとも、覇権主義の蔓延していたこの当時の大陸世界では)、当然の帰結として〈西方諸王国連合〉は〈王国〉を見捨てるだろう。
つまり。カイテルの示した案は〈王国〉をわずかばかり延命させるか、あるいは死因を〈帝国〉の手による滅亡という結末とは別の文字に置き換えて後世に残すこと以外に何らの意味もないのである。
続きは土曜日!(・・・・・・までにはなんとか)




