80
追記:2017/10/10
すみません。ちょっと更新できそうにないです。
誠に身勝手ではありますが、一週間ほど更新をお休みさせていただきたく思います。
拙作を楽しみにしてくださっている皆様、本当に申し訳ありません。少し、お休みさせてください。
ただ、本作は必ず書き上げますので、その点はご心配なさらないでください。
どうか、これからも拙作にお付き合いいただければ幸いです。
グライフェンの放った言葉は数寸の間、その場にいた者たちから言葉を奪った。
「総動員?」
やがて、訝しむような声を発したのは外務大臣のミュフリンクであった。彼はその肥満気味な腹をひじ掛けの合間で揺らすと、脂の乗った丸顔に短く生えている口髭を指でなぞりながら、グライフェンへと疑問を投げかけた。
「未だ、後備予備役の招集すら行われていないのにか?」
〈王国〉軍の予備役制度はそこに属する者を常備予備、後備予備という二種類の区分に分けていた。
常備予備は兵役を終えてから三年以内の兵が含まれる。また、常備予備部隊は平時には予備役にある者たちの訓練なども担当しているため、部隊には常に定数を満たす将校と下士官が配置されていた。よって、現役の兵には劣るもののそれなりの戦力を有する非常時の即応部隊として扱われているが、その人数は予備役八十万の内のわずか二割ほどであった。
一方の後備予備は兵役を終えて三年以上から、予備役義務から解放される45歳までの全ての下士官兵が含まれていた。無論、常備後備の区分に関係なく予備役にある者は全員が年四回以上、原隊での訓練参加が義務付けられているものの、やはり営庭での日々が記憶から薄れるにつれ、兵士としての技量もそれに準じてゆく。平時の後備予備部隊は編成上に名があるだけの、実態のない部隊だということを考えればその戦闘力の低さは容易に想像できるだろう。ただし、後備予備には前述した常備に含まれない、すべての予備兵力が含まれている。このことから常備、後備の予備役には、その招集権限を持つ者が異なっていた。
常備予備役を招集する権限は、その部隊を隷下に収める上級部隊の指揮官が有している。常備予備役は、軍を必要とする何らかの事態(戦争のみならず、災害時や野盗討伐といった治安維持なども含まれる)に対する緊急の予備兵力として扱われているためである(であるからこそ、東部方面軍司令官であったディックホルストは軍隷下の全ての常備予備を招集することが可能だった)。
では、後備予備役はと言えば。彼らを招集する権限を持つのは〈王国〉君主のみが有していた。国民皆兵である〈王国〉ではほとんどの成人男性が(わずかだが女性も)予備役に就いているのだから、たかが一軍の司令官に対して、それだけの人数を動員する権限が与えられるはずもないのは当然であった。
しかし、後備予備を招集し戦場へと投入することと、総動員を発令することは意味が大きく異なる。総動員とは即ち、銃を持てる者ならば老若男女問わず戦場へと駆り立てる命令であるからだ。
「ことはそれほどに切迫しているということです」
グライフェンはミュフリンクからの問いに対し、冬の北風ような態度で応じた。
「兵力に不足があることは理解しているつもりだが」
反論するように口を開いたのは国庫の管理を預かっている財務大臣のローマン・シュタウゲン伯爵だった。痩せ細った輓馬のような彼は右目にかけていた、ぎょろついた目を拡大するくらいにしか役に立っていなさそうな片眼鏡を外すと布で拭いながら、独り言のように言った。
「我が国の国庫にはそれほどの余裕はない。すでに軍を戦時体制へと切り替えるための緊急予算として、少なからぬ額を投入している。ここでさらに総動員を掛けたところで、常備後備合わせた動員数は最大でも二十万が限界だ。それ以上は戦争どころではなくなる。まず、兵站が持たない。まさか兵に木の棒を持たせて〈帝国〉軍と戦えなどと言うわけにも行くまい」
彼は皮肉げな口調で言った後に、皮脂を拭い去った片眼鏡で再び右目を拡大させた。
「周辺諸国から戦費を調達しては?」
そう横から口を挟んだのは、ミュフリンクだった。彼は言葉を口にしつつ、脳裏では外務大臣として関係を築いてきた〈王国〉へ友好的な周辺諸国の領主の顔を一人ひとり思い出していた。
「確か、〈西方諸王国連合〉は前回の大戦で……」
「それは、我が国が大陸世界で保ち続けてきた中立という立場上不可能だ」
そんなミュフリンクの言葉を止めたのは、今まで沈黙を続けてきた文官側の最上座に座る人物、法務大臣のバルナバス・フォン・リアハウゼン子爵の底冷えのするような理知的な声だった。
室内にいる者たちの中でも宰相のエスターライヒに次ぐ老齢の彼は、どこまでも法に忠実な男として知られていた。常にぴったりとした礼服で冬の枯れ木のような身体を包んでいる彼は、短く刈り込まれた銀と白の入り混じった髪に、感情よりも理性が表面に浮かんだ顔の人物であった。
リアハウゼンはゆっくりと背中を曲げ、長机の上に腕を置いた。
「他国より戦費の調達を行えば、それは支援を受けることと同義だ。それでは国祖の建国宣誓以来続いてきた、我が国の中立という立場に反する。そして、この国是を欠けば〈王国〉の独立そのものすら揺らがせてしまうだろう。〈王国〉国民としても、陛下に仕える一臣下としても、私はそのようなことを許容できない」
彼は言葉に金塊のような重みを持たせながら、残酷な現実を続けた。
「当然、同様の理由により他国からの援軍を受け入れることもできない」
軍人側から押しつぶされたような呻きが上がった。特に苦い顔を浮かべていたのは、西部方面軍司令官であるルドガー・フォン・バッハシュタインだった。
「王立交易局ならば」
軍人としてあるまじきでっぷりとした体躯をしている彼は、肉の垂れ下がった喉を震わせて食い下がるように言った。
「確かに交易局は我が国の国境を行き来する物品と金銭の管理記録を一任されているが、いくら上手く隠したところで無駄であろう。〈西方諸王国連合〉にも、無論〈帝国〉にも諜報機関は存在しておるし、何よりも戦争が長引くにつれ撃ちだされる弾丸の数と国費の額が釣り合わぬことにくらい、その辺の商人でも気づく」
バッハシュタインの言葉にそう冷たく切り返したのは、財務大臣として王立交易局をその管轄下に置くシュタウゲンであった。彼はその反論をさらに、軍務大臣であるグライフェンにまで拡大させて言った。
「加えて、先ほどのグライフェン大将が口にされたことに対して申し上げれば、今の事態で総動員を掛けることはむしろ、祖国の首を絞めることにも繋がる。軍の都合だけで人を徴用されては、働き手の不足から生じる生産性の低下から経済の減退、果ては破綻を招きかねない。そして国庫が空になってしまえば、もはや祖国防衛戦争どころではなくなる」
文官側に座る多くの者が、彼の言葉に頷いていた。いや、軍人であっても頷きたい気持ちを抑えている者さえいた。シュタウゲンの口にした言葉には、国家運営に関わる人間を納得させるに足る十分な事実が含まれていたからである。
国家を建てるために国是と法があるのだとすれば、それを保つために必要なものは領土の防衛とそこにおける経済活動の発展を促すことに尽きるのである。外交も内政も、細かく見れば法律すらもそのために必要な一つの装置に過ぎず、戦争もまた経済活動の一環であると考えればそこには必ず見返りがなければならない。総動員とは即ち、国家に在るすべての者とモノを最優先で戦争へと駆り立てることである。
つまり。それに見合う見返りが、彼らには未だに見いだせていないのだった。
無論、この場に集まった者たちは誰もが、このまま〈帝国〉軍との戦争が続けばやがてはなし崩し的な総動員体制へ陥るであろうということを理解はしている。だが、理解したからと言って、すべてを易々と受け入れられるわけでもない。
あるいは彼らは未だに世界最大最強の国家とただ単独で戦わねばならぬ小国という事実を、頭では理解していても、現実として受け止めきれていないのかもしれなかった。
続きは2017/10/17、火曜日!




