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大変お待たせしました。更新再開です。
なお、更新再開に先立ち前話を大規模改稿致しました。
若干、展開に違いが生じています。ご容赦ください。
「して」
女王、アリシア・ギュスタ―ベルク・フォン・ホーエンツェルンの短い言葉が終わるとともに彼女のすぐ右脇に座る老人、〈王国〉の宰相として先王の代よりこの国の執政府の長として仕え続けてきたインゴルト・フォン・エスターライヒがその厳かな顔に違わぬ、底響きのする声を発した。
「三軍司令官の協議の結果はいかに纏まったのであろうか」
宰相の地位にある彼は、執政府の長としてすべての臣下を取りまとめる役目と共に、こうした会議の際には君主の代理として口を開く。この時代の君主はたとえ相手が忠義溢れる功臣であろうと、軽々しく言葉を交わすべきではないとされていた。つまりは権威の誇張に他ならぬ儀礼ではあるが、ともかく今現在のこの場において、エスターライヒの言葉は即ち女王の言葉として受け取られる。
その問いに答えたのはアリシアの座る位置から見て右、軍人側の次席に座る男であった。
「まずは、東部での防衛戦で失われた戦力の再建が急務です」
頭頂部が薄れ始めている大柄な男、〈王国〉軍総司令官と中央軍司令官を兼任しているオットー・フォン・ローゼンバイン大将が、その肉体を誇示するかのように立ち上がると口を開いた。薄れ始めた頭髪とは無縁なのか、豊かな口髭が上唇をほとんど隠してしまっているそこから発せられる声はどこまでも皮肉に満ちたものであった。
「先に行われた〈帝国〉軍との一連の戦闘の結果、東部方面軍はその兵力をほぼ半減させています。方面軍司令官の権限で、常備予備役まで招集し、七万もの兵を動員したにも関わらずです」
そこまで言い切ったところで、ローゼンバインは軍人側の末席に座る東部方面軍司令官、アーバンス・ディックホルスト大将に向けて険悪な視線を送った。それはまるで、〈帝国〉軍の侵攻が行われたことさえもディックホルストに責任があるのだと言いたげな目つきであった。対するディックホルストは気にした風もなく、ただ瞑目している。
「我が〈王国〉に対し、〈帝国〉軍が侵攻を始めて以来、早四月。すでに我が国の領土を実に四分の一近く敵に明け渡したばかりか、栄えある〈王国〉三軍の一つである東部方面軍を事実上壊滅状態に陥らせたのは、偏に――」
「その続きは結構だ、ローゼンバイン大将。本日の集まりは今後の方針について討議し、それについて女王陛下よりご裁可を頂くためのものだと私は認識している。責任の所在について明確にしたいというのであれば、それは貴官らだけでやってくれたまえ」
続けようとしたローゼンバインの言葉を、煩わしそうに遮ったのは外務大臣であるイェルン・フォン・ミュフリンクであった。初老をとうに越してはいるが血色の良い、皺ひとつ刻まれていない丸顔と短く手入れされた口髭が特徴と言えば特徴の、肥満気味な腹を抱えた伯爵家の当主であった。
「ミュフリンク伯爵の言は然り。ローゼンバイン大将、今は三軍司令官による協議の結果、その報告のみに止めよ。活発なる議論はその後でも遅くはない」
ミュフリンクの言葉にエスターライヒが賛同を示したため、ローゼンバインはぐっと喉を鳴らせた。女王の代理として口を開いているエスターライヒに対して反論が許されるのは、女王その人だけであるからだった。
「失礼致しました」
彼はそれだけを言うと、椅子にどっかりと腰を下ろしてしまった。その行動に、対面に座っている文官たちが一斉に眉根を寄せた。当然ではある。彼が言った言葉は、報告にすらなっていなかった。戦力の建て直しが急務であることなど誰であろうとも、特に国民皆兵たる〈王国〉の貴族出身者ばかりが揃っているこの場において、それが分からぬ者など皆無であった。
「ローゼンバイン大将」
誰もが抱いた疑問を言葉にする役目を買って出たのは文民側の末席に座る、内務大臣代理としてこの場に出席しているカミル・バルゲンディート男爵であった。内務大臣であるグローマン伯爵は高齢故か、このところ体調を崩しがちであり、近ごろは次期内務大臣として半ば以上内定している彼がこうした場に姿を見せることが多かった。王都でも有数の慈善家として知られているバルゲンディートは、その内面を形にしたかのような父性に満ちた面立ちを若干歪ませつつ、ローゼンバインに尋ねた。
「まさか。三軍司令官の協議の結果が、戦力の建て直しという一言だけなのでしょうか」
「何が仰りたいのか、バルゲンディート男爵は」
応じたローゼンバインの声には必要以上の不機嫌さが混じっていた。バルゲンディートの顔に、本物の疑念が浮かんだ。
「それでは、何も決まっていないのと変わらないではないですか」
「小官らを侮辱なさるのか」
軋るように答えたローゼンバインの声を聞きながら、軍人側の末席でディックホルストはどうにかして失笑を堪えていた。三軍司令官の協議というのは建前で、実際にはただの罵り合いに終始しただけだったなどとまさか報告できるはずもないことを知っているからであった。ローゼンバインとディックホルスト、そして西部方面軍司令官であるルドガー・フォン・バッハシュタインの三名に共通したのは〈帝国〉軍に対する徹底抗戦というただ一点であり、〈王国〉領北東部の複雑な地形を利用しての徹底的な持久戦を主張するディックホルストに対して、バッハシュタインは全軍をもっての総反抗を、ローゼンバインに至っては最悪でも王都だけは死守するという酷く消極的な意見を譲らなかったのである。
結局、彼らがどうにか結論として落とし込めたのは先ほどローゼンバインが口にした、消耗した戦力の再建を最優先とするという、任官一年目の少尉ですら思いつきそうなものであった。
「侮辱するつもりはないが。仮にも軍総司令官の立場にあるのだから、もう少し具体的な方針を打ち立てていただきたい」
いくらかの怒気を孕んだ声で言ったバルゲンディートに対して、ローゼンバインは酷く面倒そうな表情を浮かべた。彼ら二人のやり取りにも、ディックホルストは小さく嘆息する。バルゲンディートの指摘は、まさに正鵠を射ているからであった。自らもその一人として参加した三軍司令官の合同協議でどうにかして絞りだした結論を糾弾され、まさに身をつままれる気分を抱いているのだった。
そしてローゼンバインから明確な返答はなかった。
「三軍司令官協議の結果から、執政府に対する軍部の要望については、小官からではなく軍務大臣からお話しいただく」
彼が若い内務大臣代理の追及を払うように、自らの左に座る人物へと話を投げたからであった。
唐突に彼から名指しを受けたその人物、〈王国〉の軍政、その最上位に立つ軍務大臣エーリッヒ・フォン・グライフェン大将は刹那の逡巡すら見せずに、それに応じて見せた。グライフェンはいささか以上に線の細い体躯をした、か細い老人としか評しようのない外見をしている。そんな彼が軍人として持つ唯一の取り柄だとも揶揄される朗々とした声で、ローゼンバインの後を継いだ。
「現在、我が軍は西部、中央の二軍にて常備予備役の招集を行っております。今月末には、両軍合わせて十三万の兵力が揃い、完全な戦時編成となります。問題は、」
グライフェンはそこで一度言葉を切ると、居並ぶ一同をざっと見渡し後で女王へと目を向けた。
「問題は、先ほどローゼンバイン大将が口にした東部方面軍の戦力再建です。目下のところ、残存兵力の再編を急がせてはいますが、先の戦いでディックホルスト大将が招集した常備予備役部隊の多くが失われており、今の状況でもう一度〈帝国〉軍と戦えば、その一戦で消耗しつくしてしまうでしょう」
遠回しにディックホルストを批判した彼のその言葉に、横にいたローゼンバインが露骨に顔を歪めた。向かい側に座る文官の内、バルゲンディートだけが結局それかとばかりに小さくため息をついていた。
当のディックホルストは無表情で、虚空に祈りを捧げている。平民出身者を軍上層部から排除したいと願う連中からの非難になど慣れきっていた。何よりもこの場で余計な反論をして、協議の罵り合いを蒸し返す気はさらさらないのだった。
グライフェンの言葉は続いていた。
「東部方面軍にはさしあたり、北東部にて防衛線の構築を急がせています。現場の指揮には元東部国境守備隊司令のレイク・ロズヴァルド中将並びに第3師団長のトゥムラー中将の両名を充てています。皆さまも良くご存じの通り、湖と山々が連なるかの地はまさに自然の要害。かつて国祖ホーエンツェルンと我らの先祖はあの場所で戦い、遂には〈王国〉の独立を成し遂げたのですから」
その演説ぶった彼の言い方に、場にいた数人の者たちが微妙な反応を示した。
確かに建国当時、国祖であるホーエンツェルンは戦乱から逃れてきた民を率い、現在の〈王国〉領北東部に広がる湖水地方に陣を張り、数多の勢力を退けてきた。数々の湖と山々が入り組んだ複雑怪奇なその地形が守るに易く、攻めるに難いということも事実である。だが、真実はむしろ、彼らがそこまで追い詰められていたと見る方が正しいということを理解できるくらいには、彼らは現実の何たるかを十分以上に知っていた。しかし、現在の君主である女王の前で国祖の名を出されてしまった以上、賛同しないわけにもいかない。反応を待つようなグライフェンに向けて、「なるほど」「確かに」とぼそぼそとした控えめな声があがった。彼はそれで満足したらしかった。頷き、再び女王へと向くと、グライフェンは今回の最大の論点となる一言を口にした。
「しかし、堅牢な地にこもったとて〈帝国〉軍と我が軍の戦力差はなお大きく開いています。よって、軍部からはこの危急の事態に際し、国家総動員の発令を陛下に進言いたします」
続きは三日後。




