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投稿が遅れ気味にも関わらず、まさかのブクマ100件を目前に戦々恐々となっております。
お読みくださっている方々へ、尽きせぬ感謝を。
しばらく戦争がありません。
かといって政争を書けるかどうか。一つの挑戦です。
今後もお付き合い頂けたら幸いです。
追記:2017/10/4
大変申し訳ございません。次話投稿といいつつ、結局本話の大規模改稿に終始しました。
明日には必ず、次話をご覧にいれます。
〈王国〉領北部を、南西にかけて大きく削る湾の東海岸線の中ほどに、〈王国〉現在の首都である王都は存在していた。湾へと大きく張り出した岬の上に建つ王宮を中心として広がる街並みは、多くの建築物が北東部の山々から産出される白石により築かれており、〈王国〉領西部に広がる肥沃な平原の中にぽつりと置かれた白珠のような見た目の通り、“白珠の都”という別名でも知られていた。
岬の上に建つ海と白い都に囲まれた巨大な王宮からは、一本のひと際高い尖塔が突き出している。最上階全面を硝子で囲まれたこの塔は、晴れた夜になると海面から反射した星々の光を受けて宵闇の中にうっすらと浮かびあがるその幻想的な様を、建築当時の〈王国〉における最高の詩家と評されていた王宮吟遊詩人、ミヒャエル・ヴィーラントが詩に詠んだことから、今もなお多くの国民はその一節をとり、尖塔が象徴する王宮全体を指して“新星宮”と呼び親しまれていた。
王都の大通りから延びる坂道を登った先にある城門と、その周囲を巡る城壁は大陸戦乱期、実戦を念頭に置いて築かれたレーヴェンザールのそれと違い、堅牢さよりも装飾の華美さが優先されている。表面に艶が出るまで研磨された白石が積まれた壁の所々に神話や騎士物語の一場面が刻み込まれ、城門の真上には大陸世界でも〈王国〉領北東部のみに自生し、〈王国〉における王権の象徴でもある大百合が刻みこまれている。
しかし、荘厳なその見かけとは裏腹に、湾を背にして建つ王宮の敷地そのものは立地によるものかそれほど広くはなかった。
楕円に近い形で城壁に囲まれた敷地内には、大きく分けて三つの建物がある。最も大きな正宮は、白石と青煉瓦を多用して形作られた三階建ての巨大な石造りの建物であり、ここは王族及び〈王国〉執政府の要職に就く者たちの執務の場として使われている。一般に王宮と呼んだ場合、主にこの建物を指すことになっていた。続いて、正宮から内庭を隔てた奥には王族の私的居城である外宮が建っている。正宮として使われている宮殿と比べれば、遥かに質素なそれは外観だけを見れば一国の君主が暮らす場所としてはそれほど豪勢なものでもなく、どちらかと言えば慎ましやかなものだった。
最後の建物は城門の内側をコの字に囲む形で建てられた、武骨な煉瓦造りの家屋である。ここは王宮の警護と、王族守護を使命とする王宮近衛騎士団の本部並びに詰め所として、三百名の騎士たちが常駐していた。
〈王国〉の現在における繁栄を体現するかのようなその城はしかし、今や恐慌と狂乱、そして謀略の絡み合った、一つの戦場と化していた。
大陸歴1792年、八ノ月五日。
王宮内庭に植樹されている広葉樹たちが、青々と茂った葉に盛夏の日差しを反射しながら風に揺られている午後であった。良くも悪くも夏という季節が広がっている野外からは切り離され、石の持つ静けさと冷たさで満たされた正宮の建物最奥にあたる三階の一室には今、この〈王国〉における国家中枢の要人たちが一堂に会していた。
長方形の部屋の中、入り口から最も奥には背もたれから座面、肘掛に深紅の布が張られ、その中にたっぷりと綿が詰められている豪奢な椅子が一つ、置かれていた。椅子の置かれている床部分はやはり椅子の張り布と同じ深紅色の絨毯が敷かれ、そこだけが一段高くなっている。その椅子から正面には黒胡桃を切り出して作られた長机が置かれ、八人の、いずれも人生の最盛期を過ぎたであろう年ごろの男たちが左右に分かれ、背もたれの高い椅子に腰かけていた。
深紅の椅子から見て、左右に分かれた者たちの立場の違いは一目瞭然である。
右側に座る四人は皆、空色を模した〈王国〉軍の制服、つまり軍服に身を包んでいる。上手から軍務大臣、〈王国〉三軍の司令官、そして〈王国〉軍参謀総長の役に就く者の順で並んでいた。対して、左側に並ぶ四人は色と服装の統一こそなされていないものの、全員が生地も仕立ても良い礼服を着込んだ執政府の要人たちであった。その顔触れは〈王国〉の法務、財務、外務、内務を担当する責任者たちである。
いずれもこの〈王国〉における文と武で、その最大級の責任と権限を持つ者たちばかりが集まった一室はしかし、この一刻もの間中、沈黙の帳が落ち続けていた。機嫌の悪そうな顔でしきりに身体を揺すっている者。時折、不安げな吐息を漏らす者。おおむね超然とした面持ちのまま、虚空を睨み続けている者。彼らの態度は各人各様であるが、会話は無い。だが、室内の空気は無言の応酬で満ちていた。互いを牽制しあうような、非難しあうような視線が幾度となく交差しては逸らされる。
その彼らの様子を、部屋の影から見ている者が居た。この室内には全部で九人の男がいるのだった。最後の人物は着席せず、文官の並ぶ背後の壁にひっそりと溶けこむように立つ、全身を黒い衣服に包んだ鋭い目つきの男であった。彼は互いの腹積もりを読み合おうとする老人たちの静かな探り合いを、興味深そうに眺めていた。
そんな、静寂とは程遠い静けさに満ちた部屋の空気は唐突にして打ち破られた。
部屋唯一の出入り口である大きな両開きの扉が蝶番の軋む音を立てたかと思うと、左右の扉板が同時に開け放たれ、二名の人物が現れた。
一人は老人だった。すっかり白く染まった長髪を香油で撫でつけ、毛髪と同じ色をした長い口髭を蓄えたその相貌には深い皺が幾重にも刻み込まれていながらも、両の瞳には英知と賢明さの光のみが湛えられている。ゆったりとした紫紺のローブに身を包んだその出で立ちから、神話に語られる西方の賢者を彷彿とさせる人物であった。
その老人に対し、左の扉を開けたのは青年だった。輝くような金髪と、それがよく似合っている顔立ちは美形であるとしか評しようがない。彼を目にした部屋にいた何名かが、嫌そうに顔を顰めた。あらゆる女性を蕩けさせるだろう慈愛と誠実さを宿した彼の顔面と、すらりとした長身という彼の立ち姿はそれだけでほとんどの男に劣等感を抱かせるには十分であるからだった。
それとは別に、軍人たちの幾人かは彼に対してまた別の意見から反感を抱いている。理由は、彼が帯剣しているからであった。王宮内での武装が許されている者は、この〈王国〉にわずか三百名。青年はその身分を示すかのように、王宮近衛騎士団の制服である空色を基調とした丈の長い上衣と白い軍袴、そして騎兵用の半長靴を身に着けていた。
両開きの扉を開けた彼ら二人は、室内にいた者たちへ軽い目礼を行った後で、向かいあうように体の方向を変えた。そして、互いに腰を折った。これに、部屋の者たちは座していた椅子から離れ、それぞれの席の壁際へと並ぶと、やはり同様に頭を下げた。
「お待たせしてしまったようですね」
開け放たれた扉の向こうから繊細な、しかし芯の通った女性の声が聞こえた。淀みのない発音と、最低限の感情しか含まれぬそれは、貴顕の何たるかを知っている者だけが出せる声音だった。
謝罪の言葉とともに、場にいるすべての者から礼を受けつつ入室したのは純白の髪の女性であった。
〈王国〉では古い血筋の者ほど(つまり、貴族の出身者ほど)、色素の薄い髪色が多くなる。だとしても大抵の者は薄い金、あるいは銀髪として発現するのだが、その彼女の髪は極めつけと言って良いだろう。
見る者から新雪のようだと評される、肩口よりも少し下まで伸ばされた一点の陰りもない白髪を小さく揺らしながら、その女性は静々と部屋の中を進んだ。その後ろを供だって来た老人と青年が続き、彼女が部屋の奥に安置されていた詰め椅子の前まで来ると腰を下ろした。それに続くように、老人はそのすぐ左脇に用意されていた椅子へ、青年は彼女から左斜め後ろへ一歩下がった位置に控えるように立つ。左に老人、右に青年を従えた白い髪の女性はやがて、ゆっくりと顔を上げた。
その相貌は女性と呼ぶよりも、未だ少女と言った方が正しいのかもしれない。何もかもが小柄に纏まった面立ちの中でどこか決意めいた意思の浮かぶ瞳だけが、満月の晩にひっそりと月影を湛える湖面のような深い蒼で満たされている。
「皆さま、お顔をお上げください」
彼女は頭を下げ続けている者たちへそう告げた。許しを得た者たちが次々に頭を上げる。
そして誰もが、その白い女性へと目を向ける。露出の抑えられた濃い紫色の礼服から覗く肌もまた、髪の色に負けず劣らず白い彼女の、その面立ちに幼さが残るのは当然であった。先に王都で執り行われた即位式典で、年の初めに逝去した前王より〈王国〉の君主位を受け継いだばかりの彼女は、未だ二十を超えたばかりなのだから。
しかし、少女を終えたばかりの、その年齢を感じさせぬほど毅然とした態度のまま、彼女は眼前に居並ぶ者たちへ向けて口を開いた。
「此度の〈帝国〉軍による我が国への侵攻。それに対する祖国防衛の方策を決議するために開かれた我が軍三司令官による協議の結果と、それに関して、我が国の重鎮であらせられる皆さまのお知恵をお借りしたく参りました」
〈王国〉現女王、アリシア・ギュスタ―ベルク・フォン・ホーエンツェルンは臣下に向け、静かにそう告げた。
続きは三日後。




