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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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お待たせ致しました。

「自分からもいいでしょうか」

 予備隊に関する話が一区切りついたところで、そう立ち上がったのは兵站担当士官であるエルヴィン・ライカ中尉であった。

「兵站状況の全般についてなのですが」

「何か、問題でもあるのかね」

 応じたのは守備隊司令であるヴィルハルト・シュルツ少佐ではなく、副司令のアルベルト・ケスラー少佐だった。顔色が優れないように見えるのは、見間違いではないだろう。彼の対面に座っている守備隊主席士官、エミール・ギュンター大尉もまた、不安げに肩を揺すっていた。

 彼らの不安、その理由は明白である。彼らはすでに一月近くを〈帝国〉軍によって全周包囲され続けているのだ。当然、補給は完全に断たれている。その状況下で兵站に関して報告があると聞かされれば、不安を抱かないわけが無かった。

 だが、問われた方のエルヴィンはその口元ににやりとした冗談っぽい笑みを浮かべながら答えた。

「砲弾薬に関してなら、どれだけ盛大にぶっ放しても大丈夫です。さすが、レーヴェンザール。軍の弾薬庫には今まで使い道のなかった砲弾が山と積んでありましたから」

 彼の言い方があまりにも洒落に満ちていたせいか、部下のそうした態度に慣れていないケスラーが戸惑っている横で、アレクシア・カロリング大尉が失笑のような吐息を漏らした。

「それに、君があれこれと駆けまわって、周辺10リーグ以内の友軍から容赦なくかき集めてきたからな。砲も含めて」

「それに関しては、我らが大隊長殿、あ、いや。今はレーヴェンザール臨時守備隊司令ですか。ま、肩書は別にして、今やこの方は遅滞防御部隊指揮官としての権限もお持ちですからね。そのご威光を存分にお借りすれば、砲の百門、二百門、軽いもんです」

 アレクシアの言葉に、エルヴィンは肩を竦めた。すっと顔をヴィルハルトへと向けると、彼は手元に置いていた書類を取り上げ、砕けた態度を改めてから口を開く。

「守備隊の火砲総数は、レーヴェンザール全体で野砲280門、歩兵砲、騎兵砲を含む直射砲340門、擲弾砲160門の他に、城壁上から下ろした曲射砲28門です。この曲射砲に関してはほとんど骨董品ですが、砲兵どもの見立てではまだ十分に使用可能だと。また、火砲のほとんどは東門防御陣地に回してありますが、直射砲の中でも射程の短いものだけを南北の門と市街の主だった通りに展開させてあります」

 そこまで言った後、エルヴィンは読み上げた書類を一枚捲った。その顔が珍しく顰められる。

「ただし、問題が無いのは銃火器、砲弾薬に関してだけです」

「何が問題だ」

 ヴィルハルトは明日の天気を尋ねるように言った。

「食料です。現在、守備隊の穀倉に備蓄してある食料だけでは、どう遣り繰りしても一月が精一杯です。いくら、このレーヴェンザールが大きな街とは言え、守備隊総員9044名を食わせ続けるのはそれが限界です。まさか、空きっ腹の兵を戦わせるわけにもいきませんし」

「街から徴発しては? 市街には未だ、店を開けている商店や酒場があると聞いているが」

 声を上げたのはケスラーだった。参謀としてどこまでも正しい彼の言葉に、向かい側に座るギュンターが顔を顰めるのが見えた。だが、反論したのはエルヴィンであった。

「いえ、副司令殿。駄目ですね。兵の代わりに市民を飢えさせたとなると、軍の信頼に関わりますから」

 彼の言葉に、ケスラーは不満とともに賛同の唸りを漏らした。今の段階になって、ヴィルハルト・シュルツが市民に対して脅迫にさえ近い言葉と態度で避難を勧告していたことは正しいことのように思えた。

 なぜならば、たとえ自らの意思で留まっていようとも彼らが市民、非戦闘員である以上、軍には彼らを庇護すべき責任と義務が生じるからだった。つまり、眼前に20万の〈帝国〉軍主力という、これ以上なく強大な敵を前にしながら、彼らは己のみならず市民の生命まで守らねばならないのだった。

 ケスラーはなんといったものかと逡巡した後に、ため息を一つ零した。正直に言ってしまえば、余計な荷物が増えた。そう思わざるを得なかった。

「それに」

 エルヴィンの説明が続いていた。

「民間の商店からは可能な限りの食料物資をすでに買い上げてあります。随分と買いたたかれましたが、まぁ、レーヴェンザール侯爵の一筆付きですからね」

 税金の還元ですよと、彼はにやりと言った。そして真顔に戻る。

「なので、これ以上となると暴動になりかねません。ということで」

 エルヴィンはまじめな顔のまま、この場にいる自分よりも階級の高い者たちの顔を見回すと、こう報告を締めくくった。

「いかに栄えある旧王都守備隊の司令部員であろうとも、現在、この街にいる限り贅沢はできません」

 何名かの肩が落ちた。アレクシアは額に手を当てると、君はそういう態度さえなければなと嘆息していた。

「兵站担当士官がそういうのならば、そうなのだろう」

 エルヴィンの冗談じみた態度に慣れきっていないケスラーやギュンターが、なんとも言えぬ脱力感にさいなまれている中、まったく文句はないといった口調でヴィルハルトが口を開いた。

「各将校の食事内容は、兵たちと同じで良い。もちろん、将校の権威を貶めないように食事は別々に摂らせること。それでよろしいですか、ケスラー少佐」

「無論です」

 ヴィルハルトからの丁寧な確認の言葉に、ケスラーは背筋を正して応じた。

「それよりも、司令。今の自分はレーヴェンザール守備隊副司令、貴方の部下です。お心遣いは嬉しいが、自分を先任者として扱う必要はありませんぞ」

 ケスラーはすでに四十を超えている。己の人生が何たるか、その可能性の限界もよく理解していた。であるからこそ彼はたとえ年下であろうとも、己よりも遥かに軍才で勝るであろう人物に対して敬意を抱き、その下で自身の全知全能を捧げることに何らの疑問もなかった。

 たかが一月にも満たない付き合いではあるが、ケスラーがそうした男であることをヴィルハルトも知っていた。彼は、その申し出に丁寧に頷いて見せた。

「ありがとうございます。いずれ、この街で銃声が響きだした頃には存分にそうさせていただきます」

 ヴィルハルトは全くの本心からそう言った。彼はどのような良いことにも必ず終わりがあると知っていた。


「我が隊の状況は分かりました」

 一通りの確認が済んだ後で口を開いたのは、守備隊主席士官のエミール・ギュンター大尉だった。彼は卓上に身を乗り出し、噛みつくような表情でヴィルハルトに迫った。

「しかし、それでなお司令は防衛構想を変更するおつもりはないのでしょうか」

 この街で生まれ、この街で育った彼は、未だにヴィルハルトが示した城壁の放棄という方針に賛同していないのだった。

「自分は、城壁こそがレーヴェンザール防衛の要であると考えます。過去の事例から見ても――」

「俺はまったく、そのように思わない」

 ギュンターの懇願に近い進言を、ヴィルハルトは蹴飛ばすような口調で否定した。

「過去の事例? この街が最後に攻城戦の舞台になったのは、未だ兵士が槍や弓で戦っていた百年は昔の話だぞ? それにギュンター大尉。君はどうやら忘れているようだから思い出させてやるが、我々が今、相手にしているのはあの〈帝国〉軍だぞ? 彼らの火力の前に、このレーヴェンザールを囲んでいる壁が何の役に立つというのだ。敵がこの一月、のんびりと後方から攻城砲を引っ張ってきた理由は砲弾の無駄遣いを嫌ったからだ。敵がその気になればあの程度の壁、あっという間に吹き飛ばせる」

 そのはずであった。

 城壁上にある望楼へ何度か兵を登らせて確認したが、現在、〈帝国〉軍がレーヴェンザールに対して砲口を向けている砲門の数はどれだけ少なく見積もっても五千は下らない。五千門の砲から一斉に砲弾を撃ち込まれてしまえば、如何に分厚い白石造りの城壁であろうと一たまりもない。

 であるならば。最初から守れないものを守ろうと努力するよりも、捨ててしまえばよい。

 ヴィルハルトはそう判断していた。戦場での軍隊における無駄な努力の削減は、無益な労力と人命の削減に直結する。彼はそう信じていた。

「何より。残念だが、俺には現在与えられている兵力だけでこの街の全てを守るだけの知略も才能もない」

「兵さえいれば、守れると聞こえますが」

「当然だ。そうだな、せめてあと10万の銃兵でもいてくれれば、他にやりようがあるのだが」

 そして、ヴィルハルトはギュンターへ顔を向けた。何かを期待する光が、その凶悪な瞳に浮かぶ。

「それとも、君には何かあるか。現在の戦力であの敵軍からこのレーヴェンザールを完璧に守り抜く手立てが」

 ギュンターは迷う顔つきになった。眉間に皺を寄せ、脳を総活用しているのが傍目から見ても理解できた。しかし、やがて彼は静かに肩を下ろした。ヴィルハルトの顔に絶望のような、諦めのような表情が過ぎる。彼はそれをすぐに消した。

「どうにも。君は未練がましい男だな、ギュンター大尉。君一人が未練を残して死にたくばそれでも良いが、兵は未練を残さずに生きる方が何億倍もマシだと考えるだろう」

「未練、というわけでは」

 上官の言葉に、ギュンターは逡巡した。この会話のすれ違い、その大本は何であろうかと考えていた。

「貴方にも、故郷があるでしょう」

 結局、彼の口をついて出たのはそんな言葉だった。

「俺の故郷は地獄ここだ」

 凶悪な目つきの上官は、やはり彼とはどこまでもすれ違った答えを返した。


 戦闘へ臨むに際し、部下との必要な報告とやり取りを終えたヴィルハルトには、最後にもう一つ、面倒な仕事が待っていた。

「失礼します」

 ヴィルハルトは、旧王宮であるレーヴェンザール市庁舎。その最上階、最奥にある一室の扉を叩いた。部屋の中からは「おう」とも「ああ」とも判断の付かない、妙にくぐもった声による応答があった。扉を開けた彼の鼻腔にまず飛び込んできたのは質の良い、上等な葡萄酒の香りであった。

「貴様か。ふん。どうした」

 その部屋、レーヴェンザール侯爵執務室の主であるユリウス・アイゼナハ・フォン・ブラウシュタインは、ヴィルハルトをどうでも良さそうに一瞥すると、酒精に侵された声で言った。机の上には簡単な軽食と、半ばまで葡萄酒の注がれた脚付きのグラス、そしてワインのボトルが置かれている。どうやら、昼間から飲んでいるらしかった。

「閣下。いよいよ、敵が戦闘の準備を完了しました。明日から騒がしくなるかと。よろしいでしょうか」

 丁寧に腰を折った後で、ヴィルハルトはそう口にした。それを聞いたブラウシュタインは目を剣呑に歪めると、葉巻を口元に運びつつ吐き捨てるように彼を呼んだ。

「少佐」

「は。閣下」

「まさか、そんな下らないことを言うために俺の楽しい余生を邪魔しに来たわけじゃあるまいな」

 酒と葉巻の香りが混じり合った紫煙をたっぷりと吐き出しながら、ブラウシュタインは言った。

「戦闘に関してはすべて貴様に任せてある。大いに好きにやれ。その間、俺はここでどの道残り少ない人生をできる限り楽しませてもらう」

 言って、彼はグラスを大きく傾けると音を立てて中身を飲み干した。満足げなため息を漏らしながら机の上に置いたグラスを指で弾く。その音に、まるで自分が弾かれたかのような素早さで傍らに控えていた老齢の侍従が再びワインを注いだ。

「失礼いたしました、閣下。では」

 ヴィルハルトは再び腰を折った。内心が空虚になってゆくのを悟られぬように、顔を伏せる。レーヴェンザールを統べていた老人はこの一月の間と変わらず、この世の全てに飽いたような表情を浮かべると、彼に向ってグラスを掲げてみせた。そして生まれついての地位を示すかのような傲岸さで、己以外の全てを嘲るように口を歪めた。

「精々の健闘を祈る」


 ヴィルハルトは退室した。軽く、息を漏らす。

 つまりは、すべて俺の責任というわけかと考えている。

 しかし、自らの執務室へと戻る廊下の途中でふと思い出したことがあった。

 彼の記憶にある限り、レーヴェンザール侯爵、ユリウス・アイゼナハ・フォン・ブラウシュタインは防衛指揮に関することについて、何よりも自らの街を囲う、〈王国〉の歴史そのものと言ってもよい城壁の放棄というヴィルハルトの防衛方針に関して、ただの一度も文句を言ったことが無いということだった。

続きは三日後。

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