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「守備隊の全般状況については、以上になります」
沈黙を小さく破り、カレンは一礼すると再びヴィルハルトの背後へと移動した。感情としてはどこまでも反感しか抱くことのできぬ相手であろうとも、彼女は自分の任務を遂行することに関して躊躇いはなかった。ただ、これで正しいのだろうかという疑問だけを抱えている。
そして、彼女の上官は彼女の内心など慮りなどしなかった。ヴィルハルトは即座に次の議題へと移った。
「予備隊の様子はどうだ、カロリング大尉」
「もしも、今すぐに戦闘へ投入するとなれば。やはり、どうしても訓練が足りません」
ヴィルハルトの問いかけに、義勇兵ばかりを集めた予備隊の指揮と訓練を任されているアレクシアはきっぱりと応じた。
「ヴェルナー曹長を初め、第41大隊に居た下士官たちを何名か付けてありますが。どうしても彼らだけでは手が」
「回りくどい言い方は結構だ。はっきり言いたまえ」
椅子の背もたれに深く身体を預けながら、ヴィルハルトは口を開いた。司令執務室の入り口脇に不動の態勢のまま待機しているヴェルナー曹長へちらりと目を向ける。
「ヴェルナー曹長。君の眼から見た予備隊の様子は、端的に言ってどうかな」
「彼らは銃の扱える農民です。とても、兵士とは呼べませんな。今の状態で戦場に出せば、むしろ敵よりも恐ろしい存在になりかねません」
ヴェルナーはかちりと踵を打ち付けて、ヴィルハルトからの質問に答えた。彼のあまりにも修飾のない言い様に、ヴィルハルトの喉が遂に震え始める。アレクシアの眉間が険しく歪んだ。上官の性格に慣れていると言っても、誰もがそれを受け入れることが出来るとは限らないのだった。
「彼らは皆、自らの意思で祖国に身を捧げようと集まった、勇士たちですよ」
責めるように言ったアレクシアに、ヴィルハルトは嘲るような笑みを浮かべて答えた。
「高い志が常に、能力に結び付くわけではない」
アレクシアは俯くと、下唇を小さく噛み締めた。彼の言葉は残酷だが、真実でもあるからだった。
彼女に任されている予備隊は、約800名。そのほとんどがレーヴェンザールの市民や周辺の村々から集まった義勇兵であった。
義勇兵とはその呼び名の通り、軍の招集や国家からの要請を受けずして、自らの意思で武器を取り戦闘へと参加する者たちを指す。
国民皆兵という国是、そして自警団のような自発的な武装集団が各村々で組織されるほど、自衛という意識の強い〈王国〉では過去の有事の際でも幾度となく、このような義勇兵が登場していた。戦役ごとにその規模や戦場で掲げた戦果は大きく異なるが、彼らのような存在が国家に対して貢献してきたことはまず疑う余地がない(何よりも素晴らしいのは、彼らは自発的に戦闘へと参加する兵力であり、俸給を支払う必要が無いことであった)。
そうした歴史を経た結果、他の大陸世界各国であれば正規軍とは異なる指揮系統を持つ(或いは持たない)第三の共闘勢力程度の扱いで済まされているはずの義勇兵という存在も、この〈王国〉では大きく異なっている。現在の〈王国〉では過去の事例と戦訓を基に、“義勇兵役法”と呼ばれる法制度が整えられているのだった。“軍に属さず、自らの意思で祖国のために武器を取り、戦場へ臨む者を”の一文で始まるこの法律が規定しているのは義勇兵の法的な扱いと、そしてもう一つ。義勇軍と呼ばれることの多い、義勇兵部隊に対する指揮権の所在であった。義勇兵部隊の本部及び各中隊規模以上の部隊には現役もしくは予備役より復帰せしめたる将校がその指揮を執る。即ち、戦場において彼らは軍将校からの指揮を受けねばならぬことが義務付けられているのだった(当然だが、この義務が発生するのは〈王国〉国民に限る)。
ただし、これは決して権力側の横暴だけが理由ではない(まったく無いとは言えないが)。義勇兵の多くは、とうに兵役を終えた、もしくは予備役の義務から解放された老齢に近い者たちから成る。であるならば、彼らががむしゃらに、考えなしに戦うよりも、専門教育を受けた将校からの指揮を受けた方がよほど、戦略的にも価値のある集団となるからであった。
当然、そうした者が多い以上、兵士としての技量は年に数回の訓練参加を義務付けられている予備役ならばまだマシ、と言って良いほど個々人の隔たりが大きい。
だからこそ、ヴィルハルトはレーヴェンザールへと集った彼らを予備隊としてまとめ、隊長として選任したアレクシアにその再訓練を命じていた。
「せめて、あと二人。いや、一人でいい。経験豊かな曹長でもいてくれれば」
「無いものねだりをするな。君らしくもない」
悔しげに言ったアレクシアへ、ヴィルハルトはにべもなかった。背もたれに投げ出していた背中を再び丸めると、机の上で手を組む。
「第41大隊にいた者たちはほとんど、ユンカース中尉に預けてある。最も苛烈な攻撃にさらされるだろうあの場所を任せられるのは彼らしかいない。そして、その数は無限には程遠い」
ヴィルハルトの判断は、軍指揮官を目指す者が最初に叩き込まれる原則の一つに完璧に合致している。
限られた戦力の柔軟な運用。それに従うのであれば当然、攻勢であろうと、守勢であろうとに関わらず、敵正面に配置するべきは敵手持ちの戦力中最も優れた者たちだ。
何故か。強兵を温存し、弱兵をまず敵にぶつけてしまえばどうなるか。あっさりと負ける。もしくは、苦戦に陥る。その結果どうなるか。守れたかもしれない地点を突破され、勝てたかもしれない戦闘に敗北し、仮に戦闘そのものに勝利したとしても必要以上の犠牲が増える。温存し続けた強兵たちも、彼らを支援するべき他が全滅してしまえば戦えない。戦争は常に、多数に味方をする。残されるのは無意味な死の量産。そして、決定的な敗北。
であるからこそ、ヴィルハルトはアレクシアに守備隊最先任下士官であるヴェルナーを与えてまで、予備隊の練度向上を図り続けているのだった。
「まぁ」
それまでの口調から一転、ヴィルハルトは突然、軽い調子の声を出した。
「予備隊に関しては、そこまでの練度を期待してはいない。最低限、どうにかまともな射列さえ組めて、命令通りに射撃ができればそれでよい」
彼の言葉を聞いていたヴェルナーは、将校たちからは少し離れた入り口の扉の横で小さく苦笑した。それが何よりも難しいのだと思ったが、彼の上官がその程度のことを勘案せずに物を言うような人物ではないことを知っているからであった。つまり、今口にしたことすら本心では期待していないのだ。
一体、この人はあの20万の〈帝国〉軍相手にどうやって戦うつもりなのだろう。
そう自問したヴェルナーの脳内に一瞬、ナイフの刀身のような冷たさが過ぎった。今更のように、現実を思い出したのだった。
そう。彼らは今、この大陸世界最強最精鋭の、あの〈帝国〉軍20万の軍勢による、完全な攻囲下にあるのだ。
どうやって戦うかなど、もはや問題ではない。
続きは三日後。




