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東門防御陣地の指揮官、エルンスト・ユンカース中尉から“損害は軽微”との報告が届けられた後で、レーヴェンザール臨時守備隊司令、ヴィルハルト・シュルツ少佐は自らの執務室に守備隊の主だった役職に就いている将校たちを集合させた。元々、〈王国〉軍東部司令官執務室として使われていたこの部屋は、入り口から正面最奥に司令官執務机があり、その左手に司令官私室への扉が、右手側には外廊への出入り口がある。そして、その手前、部屋の中心には参謀たちとの合議用のためか、半円状の卓が置かれていた。
呼び出された彼らは、執務机に座るヴィルハルトを取り囲むように、この半円状の卓にそれぞれ腰を下した。と言っても、その人数は少ない。
執務机に着いたヴィルハルトから見て最も左側に、守備隊副司令のアルベルト・ケスラー少佐が座った。第6師団の有志を引き連れてこのレーヴェンザールへとやってきた彼は、中年も過ぎただろう年嵩の男で、細身の体躯にきっちりと制服を着こんでいる、万事控えめな印象の強い参謀肌の人物だった。
ケスラーのさらに左隣には、白銀に煌く髪を肩口で切り揃えた、中性的な面立ちの美貌を持つ女性大尉、アレクシア・カロリングが取り澄ました表情で席に着いている。第41大隊では第3中隊長を務めていた彼女は今、レーヴェンザールへと集った義勇兵たちばかりを集めた予備隊の指揮官とその訓練担当士官を兼任している。
彼女の横は空席であった。そこに座るはずの者は現在、東門で防御陣地の指揮に当たっているからだった。ヴィルハルトは本来であればユンカースを主席士官(参謀長に相当)にでも任じようと考えていたのだが、本人が前線指揮を強く望んでいるのだから仕方がなかった。
その空席を挟んだ席には第41大隊から変わらずに兵站担当士官を任されている、エルヴィン・ライカ中尉の顔があった。年齢よりも若いというよりは幼く見えるその顔には、相変わらず悪戯っぽい表情が浮かんでいた。
そして、エルヴィンの左隣。半月状の卓の右端の席に座っているのは、育ちの良さそうな顔をした大尉であった。軍人らしく短く刈られた茶髪と適度に日焼けした肌の色が、その面立ちに精悍さを加えている彼、エミール・ギュンターは、大尉にしては若い。それも当然で、彼はレーヴェンザール侯爵、ユリウス・アイゼナハ・フォン・ブラウシュタインの係累の一人であった。守備隊の隷下としてヴィルハルトの指揮下へ入るまで、彼はレーヴェンザール衛兵隊の隊長であった。街について最も詳しい士官の中でも最先任ということもあり、ヴィルハルトは彼を主席士官兼、作戦担当士官に任じていた。
最後に、現在は守備隊司令副官としての立場にあるカレン・スピラ中尉が、樫の巨木を切り出して造られた豪華な執務机に着いているヴィルハルトの左斜め後ろに静かに控えている。
つまりはこの六名(一名欠席している)が、この旧王都、城塞都市レーヴェンザールを防衛する臨時守備隊の司令部、その全員であった。人手が足らぬなどという話ではない。各兵科ごとの参謀、担当士官すらいないのだから、軍組織としての機能欠如は甚だしかった。
だが、仕方がない。ヴィルハルトは自ら率いてきた将校と兵たち以外の能力を信用することはできなかったし、そもそも9000名近くいる兵たちを監督しきるためには圧倒的に将校の数が足らないのだった。
それでいてヴィルハルトにはさらさらの不満もない。彼は常に、与えられたものだけを活用して生きてきたからであった。
「先ほど、ユンカース中尉から伝令が届いた。今回の砲撃戦での損害は軽微。ただし、〈帝国〉軍はいよいよ攻城戦の準備を完了させたと」
自らを取り囲むように卓に着いている面々を見回しながら、ヴィルハルトは口を開いた。両肘を机に突き、組み合わせた両手の指を弄ばせながら言った彼の態度は、誰からどう見ても楽しそうなことこの上ないといった様子であった。声にすら、嬉しさのようなものが滲んでいる。
「明日からは、これまで以上に敵の攻勢は強まるだろう。と言っても、ひとまず〈帝国〉軍は城壁の破壊に専念するだろうから、もう四、五日は我慢が必要だろうが。つまりは、その後からがこの城塞都市レーヴェンザールの、いや、要塞攻防戦の本戦開幕というわけだ」
そう語るヴィルハルトの横顔に、一番右手側の席に座っていたエミール・ギュンター大尉はことさらに眉間に皺を寄せた。
「失礼ですが」
最低限、上官に対する言葉遣いをしているという以外に、好意の欠片も含まれていない声でギュンターは言った。
「随分と、楽しそうですね。司令」
「うん、楽しい」
叱責に近い彼の言葉に、ヴィルハルトは軽やかに応じた。その後で、凶悪な相貌をさらに残忍に歪めてギュンターを睨みつける。
「そうだろう? そうではないのか、主席士官? 撤退を許されず、街に籠ってから一月。眼前には20万から成る〈帝国〉軍の主力。今や、それに四方八方から取り囲まれて、逃げ場は皆無。ここで戦う以外に道はない。まさに、事ここに至れり。楽しくないはずがない」
その発言で、場の雰囲気が冷えきった。それなりに長いこと付き合いのあるエルヴィン・ライカ中尉や、アレクシア・カロリング大尉にとっては、ヴィルハルトの歯に衣着せぬ言い方は慣れたものであったが、他の者たちにとってはそうではない。特に、この街で生まれ育ったギュンターや、長くこの街を任地としてきたカレン・スピラ中尉のヴィルハルトへ向けられている視線は、もはや憎悪に近いものであった。
冷たくも激しい感情が場の空気に滲みだした頃だった。ヴィルハルトの左側で、軽い咳払いが響いた。彼はようやく視線をギュンターから外すと、一転して柔らかい表情(それでもまだ仏頂面の方がマシなものだが)を作り、咳払いの主に振り向いた。
「何かありますか。ケスラー少佐」
ヴィルハルトはそこへ座っていた、年上でありながら同階級の部下という複雑な関係性であるアルベルト・ケスラー少佐に対して、丁寧な物言いで尋ねた。
「いや」
ケスラーもまた、柔らかな声音で応じた。そこには年下の上官に対する、一切の疑念というものが存在していなかった。
「今後、さらに〈帝国〉軍との戦闘が激しさを増すのであれば。今一度、我が守備隊の状況、そして司令の都市防衛構想を確認させていただけないかと」
彼は守備隊にいる将校の中で唯一、まともに参謀教育(少佐以上の階級へ上がるために平時では必須とされている、上級指揮教育)を受けたことのある将校であるためか、城壁の防衛を放棄するというヴィルハルトの方針を聞いた際にも、ただ黙々と聞き入れていた。
それと同時に、彼の含蓄に富んだ声には“これ以上、部下との軋轢を深めぬように”という先達からの心づけが含まれていた。ヴィルハルトは、それに素直に従った。
「では、まず都市防衛の全般状況から。副官」
「はい」
ヴィルハルトの投げやりな呼びかけに、カレンは感情の一切を押し殺した声を出すと一同の前へと進み出た。手元の書類へと目を落とす。
「現在のレーヴェンザール守備隊、9044名。その兵力配置の全般状況についてご説明させていただきます。まず、エルンスト・ユンカース中尉率東門防御陣地に千名。次に、その可能性が低いとは言え、南北の門にも敵の攻勢があった場合、即応可能な部隊を常に二個中隊(各300名ほど)待機させております。これら部隊の兵員はおよそ三日ごとの当直の後、現在市街で待機中の銃兵2000名から適時交代とさせています。予備隊を除き、待機中の者にはそれぞれ休養二日、訓練二日の後に再び当直に。その他、陣地築城作業に当たっている者、支援任務に就いている者にも、三日毎に二日間の休養を必ず取らせてあります。ただし、東門での戦線、損害がより拡大することを見越せば、待機休養、訓練を行える数は次第に減ってゆくかと」
カレンはそこで一度言葉を切ると、これでよろしいでしょうかとばかりにヴィルハルトを一瞥した。ヴィルハルトは彼女に対して何らの反応も示さぬまま、口を開いた。
「兵にはできるだけ、楽できるうちに楽をさせておく。どの道、否が応でも血まみれにならねばならぬ日は来るのだから」
自分の指の爪に酷く興味を覚えたような顔つきのまま、ヴィルハルトは呟くように言った。右手の爪の間に、いつ付いたのか定かではない赤黒い染みを発見したのだった。
「それから、副官。重要な一言が抜けている」
「なんでしょうか、司令」
「三日毎の休養が適用されるのは兵のみだ。将校は含まれない」
「失礼しました」
冷たく謝罪した後で、カレンは半月の曲線に沿って座っている者たちへ顔を向けると言った。
「ご説明を追補させていただきます。休養が与えられるのは兵のみ。将校は該当されません」
「敵に殺される前に、課業で死にそうだ」
はぁあと大きなため息をついて、エルヴィンがぼやいた。と言っても、その声も表情もやはり冗談交じりなものだったため、誰かの気に障るようなものではない。そもそも、彼は第41大隊でさらに鮮烈な日々を過ごしてきた男だった。今も、ヴィルハルトとカレンの間で再び冷えだした空気をどうにか誤魔化そうと、適当なことを言ってみただけであった。
「君たちは皆、好きで軍隊に入って、戦争屋になったのだろう。平時に受け取っていた俸給分、今返さなくてどうするのだ」
ただし、そのことを知っていてなお、応じた上官の声は冗談など微塵も含まれていないものだったのだが。
続きは三日後。




