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なんと、数日前にジャンル別日間ランキング第四位に食い込むという信じられない事態が発生しました。
これも偏にこれまでお読みくださり、応援して頂いた皆様のおかげです。ちょっと泣きました。
新たに拙作へとお目を通して頂いた方々へも、すべての読者様に尽きせぬ感謝を込めて。
もっと地獄を書きたいと思います。
ヴィルハルト・シュルツ少佐がレーヴェンザール守備隊司令に任じられ、〈帝国〉軍によって包囲されてから一か月。
何かに耐えるようにその日々を過ごしてきた彼は今、守備隊司令本部として使うことを許可されたレーヴェンザール市庁舎の敷地内に聳える尖塔の最上階にある外廊に立ち、戦場音楽の響きだした東門へと目を向けていた。
「城壁の被害は、現在のところ門のすぐ脇、幅6ヤードほどが瓦解という限定されたものであるそうですが」
ヴィルハルトの後ろに控えているカレン・スピラ中尉が、上官の楽しげな態度を非難するような声で報告を続けていた。だが、ヴィルハルトの返答はさらに彼女の感情を逆なでにするものだった。
「もっと壊してもらいたいものだ。そうすればこの一月、入念に陣地を構築してきた我々の努力も報われる」
鼻歌すら歌いだしそうな口調で、彼は言葉を続けた。
「そもそも今時、城壁などあっても邪魔なだけだ。こちらの射線は阻むし、敵の砲撃で容易く打ち壊されてしまう上に、破片が散れば余計な怪我人が増える」
ヴィルハルトの声には、レーヴェンザールの城壁に刻まれている〈王国〉の歴史そのものに対して、何らの感傷も含まれていなかった。彼は全くの軍事的、戦術的思考によって、レーヴェンザールの周囲を囲む城壁を無価値であると断じていた。
そもそも、城壁が有用であった時代は火砲の登場、普及とともに過ぎ去っている。かつては降り注ぐ矢を弾き返し、殺到する人の群れを蹴散らしてきた石の壁という存在も、高速で飛来する鉄の塊の前には無力であったからだ。このように火砲の前ではまともな防御壁として機能しない石の城壁というものは、現在では採用する国も少ない。ヴィルハルトの口にした通り、砕けて飛散した破片による死傷者の増大、後の残される瓦礫による交通の遮断などということもまた、衰退した理由に含まれる。もちろん、火砲に対抗するべく、低く、分厚い壁を持った要塞や、星形に近い形に掩体を組み合わせ、密な火線を張り巡らせる突角要塞というものも考えられたこともあった。
しかし、奇妙なほどに軍事技術の発達した大陸世界の軍隊はこういった要塞の完成を見ることがなかった。製鉄技術の発達に伴う砲の軽量化、整備された兵站による軍隊の機動力の増大がその最大の要因であった。つまるところ、昔のように一つ一つ敵の要衝を落として略奪し、次の目的地までの糧を得るという面倒をするまでもなく、堅固な要塞など放置して迂回し、敵の最も重要な場所(国を例とすれば、首都など)だけを陥落させてしまう方がかかる時間も、損害も抑えられるのだった。
であるからこそヴィルハルトは、守備隊司令に任じられた直後から城壁の放棄を方針として打ち出していた。当然の反感はあった。〈王国〉の歴史そのものである旧王都の城壁を撤去するという考えなど、到底受け入れられないと考える者は少なくないからだった。
長く、このレーヴェンザールで過ごしてきたカレン・スピラ中尉もまたその一人であった。
「城壁を失ってしまえば、都市の防御力は激減しますが」
「それはない。そのために、あの野戦陣地を築城したのだ」
ヴィルハルトはカレンからの意見に、東門へとさっと手を振って答えた。彼が口にしたのは、一月前に東門をくぐった〈帝国〉軍将兵を殺戮した、城壁内に築城された陣地のことだった。都市のあらゆる資源を活用して構築された掩体と塹壕の連なりは、〈帝国〉軍に攻囲された後も、片時も休まずに強化と補修を続けられている。それは以前、独立捜索第41大隊がドライ川で築城した河川陣地などとは比べ物にならぬほど堅固な野戦陣地、いや、もはやまさしく要塞に近いものへと変貌しつつあった。
「〈帝国〉軍は恐らくすでに、この都市の内部構造を掴んでいるはず。であるならば、兵を突入させた場合、すぐに市街戦へと陥ることになる南北の門を攻撃正面にすることは考えにくい。いや、こちらとしては楽で良いのだが。市街戦になれば、数の差よりも土地勘のある我々の方がはるかに有利だからな。だが、相手はあの“辺領征伐姫”だ。むやみに損害ばかりが増える市街戦を選択するとは思えない。ならば、どうするか。馬鹿正直に正面から、大火力をもって挑んでくるだろう。当然だ。彼らはそれを為し得るだけの兵も砲も持っているのだから」
手をかけた外廊の手すりをとんとんと指先で叩きつつ語るヴィルハルトの口元には、笑みすら浮かんでいた。彼はその視線の1リーグ先で盛大に吹き上がっている砲煙と、大気を打ち震わせている砲声の轟きに、実に心地よさそうに身を任せているのだった。
だが、そんなヴィルハルトの視界にあるものが映りこんだ途端、彼の顔は上機嫌の対極へと歪んだ。それはレーヴェンザール市庁舎から続く街の大通りに面している建物内から、石畳の上にふらりと姿を見せた、一人の少女であった。
その少女は胸元で手を組み、轟音響く東門の方角へと身体を向けていた。少女に続き、続々と同じ建物から人間の集団が通りへと出てきた。彼らの立つ場所からは見えないだろうが、皆一様に少女と同じ方角へと顔を向けている。中には泣き出している者までいた。
それらはとても兵士などと呼べないような女子供、あるいは老人ばかりの一団であった。
「何をしている」
その集団を見下ろしたヴィルハルトの喉が、険悪に震えた。上官の罵り声を耳にしたカレンが、そっと彼のすぐ後ろまでやってくる。彼女は上官の視線の先を追った。
「心配なのでしょう。自分たちが生まれた時から住み、育ってきた街が今まさに戦場となろうとしているのですから」
カレンの声には、彼らを気遣うような響きがあった。
「馬鹿馬鹿しい」
それにヴィルハルトは子犬を大河へ叩き落すような口調で応じた。首から上だけを動かし、凶悪な目でカレンを一瞥すると、彼はその気分そのままを言葉にした。
「兵を数人やって、彼らにさっさと建物内へ戻るように伝えろ。応じなければ、無理やりでもよい」
「まだ、戦闘が行われているのは1リーグも先です。砲弾が落ちてくるような危険はないかと」
ヴィルハルトの命令に、カレンが切り返すように答えた。だが、ヴィルハルトは彼女を馬鹿にするように片方の眉を上げて尋ね返した。
「誰が彼らの身を案じた」
次にその口から発せられた言葉は、まさに吐き捨てるようであった。
「俺にとって目障りだから、視界に入らない場所へ押し込んでおけと言っているのだ。どうせなら、君が直接行って伝えてきても良い。もちろん、言葉は俺が今言った通りで」
ヴィルハルトの言い様に、カレンは眦を吊り上げた。翡翠の瞳には明らかな侮蔑と、怒りの光が浮かんでいる。
「少しは、彼らの気持ちを察して差し上げても」
今通りに立ち、何かに祈りを捧げている彼女たちは、ヴィルハルトがレーヴェンザール臨時守備隊司令に任じられた後、再三に渡り避難を勧告してきたにも関わらず、頑なにそれを拒み、この街に留まった市民たちであった。
カレンの叱るような言葉を無視し、ヴィルハルトは彼女たちを苛立ちも露わに凶悪な目で睨みつけた。
「知ったことか。戦闘が始まった以上、たとえ市民であってもこの街の防衛指揮を執る俺の命令には従ってもらう。これは事前に、彼らにも申し送りを済ませてある。そして今や、この街は戦場になった。俺にどう扱われようとも、こうなる前に避難に応じなかった彼らの責任だ」
その声には、故郷へ縋りつく彼らに対する軽蔑すら含まれたものだった。たとえ部下に、いや、他の誰もに理解せずとも。ヴィルハルトは、己の感情は当然のものだと考えていた。彼は、あの少女たちを蔑んだ目以外で見るのは不可能だった。
何故ならば、彼は自身が指揮し、命令を下した部下将兵たちの死について責任は負えるが、軍に関与せず戦いへ巻き込まれた市民の死についてまで責任を背負うことはできないからであった。
「貴方も、私と同じ南部の出身であるはずですが」
思考も思想も全く異なる異郷の人間と、どうにかして共通点を見出そうとするかのようにカレンが言った。ヴィルハルトはそれにあからさまな怒りの含まれた舌打ちで答えた。
「だから、彼らの気持ちもわかるだろうと言いたいのか」
どうにかして歩み寄ろうとしたカレンの努力をすべて無視するように、ヴィルハルトは跳ねのけるように断言した。
「全然、全く分からない。理解すらしたくない。自ら望んで、戦地に留まるなどという考えは」
それは、彼の中にある故郷というものに対するすべてが要約された言葉であった。
なぜなら彼は故郷を誰よりも望んでいながらも同時に、しかし決して愛してなどいなかったからである。
続きは三日後。




