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第三幕として投稿済みの68、69話について。
納得の行かぬ出来のまま投稿してしまったため、全面的な改稿を行いました。
ただし、文章表現をいじっただけで、内容自体は変わっていないため、本話はそのままお楽しみいただけます。
半月もの時間を思わぬ苦戦で過ごした〈帝国〉軍は、最期には哀れなほどに痩せ細った火力で決死の抵抗を続けていた〈王国〉軍地帯防御部隊の最後の陣地を完全に沈黙させた。
その後、初戦から続く戦闘により損耗の大きかった親征第1軍(〈帝国〉西方領部隊)は一度進軍を停止、親征軍団長リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将自らが再編と補給の指揮を執ることとなると、彼女に代わり戦果拡張並びに〈王国〉首都へと続く本街道の制圧を任されたのは、親征第2軍(〈帝国〉本領軍部隊)であった。
第二軍司令官のアドラフスキ大将は、リゼアほど華々しい軍才に満ち溢れているわけではないが、すでに三十余年の人生を〈帝国〉へと捧げて来た人物だった。彼は積み上げてきた歳月に恥じぬ、実に堅実かつ柔軟な作戦指揮を振るい、〈王国〉征伐(〈帝国〉軍はこの戦争を侵略などと考えていない)は順調に進んでいった。
第二軍は、それまでの鬱憤を晴らすかのように〈王国〉領東部を席巻してみせた。
未だ虚しく抵抗を続ける村々を鎮圧し、後退や脱出を試みる〈王国〉軍残兵を手際良く屠りながら、彼らが〈王国〉領南東部の大地を完全な占領下に収めると、本街道を北進した。
順風満帆な彼らの進撃が停止したのは、本街道を進んだ先にある〈王国〉旧王都、城塞都市レーヴェンザールまであと二日といった距離であった。
初めは、小さな違和感であった。偵察に出した騎兵部隊が定められた刻限になっても戻らないのだ。だが、第二軍の最先鋒を任されていた第6猟兵師団第2旅団長のオスペルマイヤー少将はこの報告を受けた際、従兵に入れさせたばかりの熱い珈琲を啜りながら。
「ふん。奴ら。いったいどこまで足を伸ばしておるんだ」
と、軽く応じたという。そもそも、定時報告以外、敵を発見するまで自由に行動してよいとの命令を彼は偵察隊指揮官に下していた。かくして、オスペルマイヤーは戻らぬのならば、敵はいないのだろうと判断し、部隊をそのまま前進させた。そのほうが、帰ってくる偵察との合流も早かろうという考えであった。
結果として、彼の判断は誤りであったことだけは間違いようのないことだったが、この段階で第二軍は〈王国〉軍を完全に優越していた。偵察隊が全滅しているなどという予想は、想像の埒外にあったのだった。
そして、翌日。
アドラフスキの下に、オスペルマイヤー少将以下第6猟兵師団第2旅団の司令部全滅と、同旅団隷下二個大隊の壊滅という、快進撃を続けていた〈帝国〉親征第二軍を震撼させる報せが齎された。
第2旅団は、完璧な伏撃態勢を整えていた〈王国〉軍部隊を前に惨敗したのだった。第二旅団司令部は敵の小規模な部隊による襲撃を受け、旅団長以下の参謀全員が戦死。司令部全滅による混乱に乗じるかのように、およそ一個連隊規模の敵集団による奇襲をまともに受けた第2旅団はほとんど手もなく潰走することとなった。
後続部隊が追いついた後、司令部のあった場所で唯一生き残っていた従兵が保護された。彼は全身をガクガクと震わせながら、死人のように青ざめた唇を動かし、診察した軍医に語ったという。
「敵を率いていたのは、悪魔でした」
その悪魔がオスペルマイヤー少将を、司令部員を惨殺している間中、ずっと上げていた哄笑が耳から離れないと彼は言った。あれは悪魔でした。いや、鬼だ。悪鬼だ。
彼を保護した部隊の指揮官が訝しげな顔を軍医に向けると、壮年の医師は小さく首を振った。彼はこれが初めての従軍ではなかった。こうなってしまった兵士を、数え切れぬほど見てきた。
恐らく、戦いの恐ろしさに負けたのでしょう。軍医は言った。
錯乱して、頭の中にある妄想を信じ込んでしまっているのです。悪鬼など、この地上にはいませんから。
哀れな従兵の扱いとその後はともかく、先鋒部隊の一つが壊滅したという事実を受け、アドラフスキは第二軍に慎重な前進を命じた。子猫一匹すり抜けられぬような、重厚な隊列を敷いた第二軍の進軍速度は大きく低下した。やがて、十日ほどの軍旅を経た後、彼らは遂に、周囲を城壁と堀で囲まれた〈王国〉領東部最大の街、旧王都、城塞都市レーヴェンザールへと到達したのだった。一月と、少し前のことである。
これまで数多の村々を発見するたびに銃弾を撃ち込まれてきた経験と、目の前にあるレーヴェンザールがこれまで占領してきた街とは比較にならぬほどの大都市であったために、アドラフスキは城壁内の探索に騎兵砲一個中隊を伴わせた鋭兵一個大隊を送り込んだ。南北にある跳ね橋は閉められていたが、正門であるらしい東側の鉄門が驚くほど簡単に開いた(錠前すら落ちていなかった)ことから、アドラフスキは、すでに敵はこの都市を放棄したのだろうと判断していた。そのため、内部探索に一個大隊という兵力は十分以上に奢ったつもりのものだった。
だが、門をくぐった彼らは翌日の朝日が昇りだしてからも、一向に帰ってこなかった。
「傍目から見ただけでも、広大な敷地を有しているようですから。一個大隊の人員でも手が回りきらないのでは」
参謀の一人が囁いた進言に、アドラフスキはさらに二個大隊を城壁内へと入れた。定期的な報告をするよう、固く厳命したうえである。
しかし、やはり待てど暮らせど、誰一人として城壁内からは戻らなかった。
第二軍がレーヴェンザール壁外に陣を敷いてから、すでに五日目の朝を迎えようとしていた。城壁内は不気味な静けさで満ちており、時折きいきいと音を立てる鉄門を見ていた兵たちが「まるで、冥界への入り口みたいだ」などと口の上らせ始めた頃であった。
遂に忍耐の尾が切れたアドラフスキが、第二軍主力を城壁内へと入れることを決定したのだった。すでに彼は最初に送り込んだ三個大隊について、希望的な観測を捨てていた。だが、鉄門を大きくこじ開け(とはいっても、よく手入れされているらしい蝶番は軋む音すら立てなかったが)、整然と列を成した将兵たちが続々と城壁内へ飲み込まれてゆくのを、最後尾から見ていたアドラフスキの内心には満足があった。
これだけの軍勢をもってして、何を恐れることがあろうかと考えた彼が、近ごろめっきり聞き分けの悪くなった腰を座っていた椅子から持ち上げかけた時であった。
突然の轟音が、穏やかな平野の大気を震わせた。長きにわたり戦野を渡り歩いてきたアドラフスキには聞き間違えようのない砲声だった。最初の砲声が響くなり、あっという間にそれは連続したやまびことなって続いた。時を待たずして、レーヴェンザール城壁内を市街地に向かい進む部隊の隊列に、鉄弾が群れを成して襲い掛かった。
炸裂。閃光。爆発。人の身では決して抗えぬ鉄の暴力によって引き裂かれ、隊列を成していた人間たちが四散する。その光景を城壁外から見た、すべての〈帝国〉軍将兵の顎が落ちた。
鉄門の向こうに広がっていたのは冥界などではなく、煉獄であった。
砲の上げる唸り声と着弾の衝撃音の中に、やがて小銃の発砲音が混じり始めた。散発的に行われるその射撃が、砲弾がまき散らす災禍から幸運にも逃れた者たちを丁寧に刈り取ってゆく。
アドラフスキは努めて冷静な大声で(本心では喚きだしたくて堪らなかったが、そこはやはり歴戦の将軍であった)、直ちに全軍後退を命じた。しかし、敵が十字砲火を敷いた殺戮地帯へと可能な限り誘引されてしまっていた部隊のほとんどは、生きて城壁外へ辿り着けなかった。生還した者も壁内へ一歩踏み込んだ途端に敵の攻撃が始まり、慌てて逃げ出したからというだけの理由だった。
かくしてアドラフスキは、いや、あるいは〈帝国〉軍全軍は、彼らが置かれている状況をようやくにして把握した。
再編を終え、遅れて到着した親征第一軍との合流より一月。幾度か行われた小競り合いのような戦闘の全てをたたき返し続けるこの城塞都市に対して、〈帝国〉親征軍は全軍を集中させ続けていた。
軍参謀部では一個師団ほどを張り付かせ、主力は前進してはどうかという全く常識的な意見が囁かれ続けているにも関わらず、それが黙殺されている理由は大きく二つあった。
一つは、親征軍の正式な総司令官である〈帝国〉第三皇太子、ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフ元帥が軍と合流した際に発した言葉に起因していた。
「余の軍は敵の主邑へ向けて整然と進軍する。その障害となるあらゆる抵抗は、真正面から受けて立ち、これを撃滅する」
という一言を、天から己に下された宿命であると信じる者が多かったのだった。
そしてもう一つの理由は、攻囲の最中で判明した、この大都市、レーヴェンザールを守る部隊の指揮官の名に、事実上の軍総指揮官が(もう一人。とある旅団長もまた)、強い個人的な興味を示したからであった。
リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将はその名を知らされた時、満面に喜色を湛えたという。
〈帝国〉軍が予想したよりも城壁は堅固な作りになっており、通常の野砲で破壊するには山一つを吹き飛ばせるほどの砲弾数が必要になるという計算結果が砲兵参謀から報告され、兵站参謀が苦い顔をしてみせたせいで、戦の備えとしては当然と持ち込んだが、まさか使うことになるとは思ってもいなかった攻城砲を後方から引っ張ってくるのを待つ間で最も、彼女の美貌が輝いた瞬間であった。
現在、〈王国〉領東部最大の都市、旧王都レーヴェンザールを防衛する部隊の指揮官は少佐であるという。本来ならば、これほどの大都市の防衛任務を指揮するのは最低でも大佐、通常は将官の位が必要になるはずである。
であるにもかかわらず、階級に見合わぬほどの権限と任務を与えられたその少佐は、ヴィルハルト・シュルツと呼ばれていた。
申し訳ありません…私的な理由から、次回投稿は来週火曜になります。
今後しばらく更新が不定期になりますが、よろしければ引き続き拙作にお付き合いいただければ幸いです。




