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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
序幕 〈帝国〉軍襲来
7/202

7

 

「〈帝国〉軍だってよ……」

「戦闘になるのか?」

「実戦……」

 〈王国〉東部国境付近に広がる草原に、重苦しい足音とぼそぼそとした不安げな囁き声が心地の悪い不協和音を響かせている。

 その音源となっているのは、およそ二日前に領内へと入り込んだ〈帝国〉兵の確保の為、国境配置の独立銃兵第12旅団から派遣された銃兵第22連隊の隊列だった。

「何て様だ、情けない。こういう事態の為に、今まで訓練してきたのだろうが」

 馬上から兵士たちの様子を見ていた中隊長である大尉が不機嫌に鼻を鳴らした。

 しかし、悪態を吐きながらも、彼の態度は妙によそよそしい。

 先ほどから何度も刻時計を取り出しては、傍らに居る軍曹へ進むべき方角と距離はあっているのかを確認している。

「まぁ、兵らも実際に自分がやる事になるとは思ってもみなかったのでしょう」

 大尉の小言に、中隊付軍曹が宥めるような調子で言った。

 ま、自分も例に漏れませんがと付け加える。

 そりゃあまぁ、俺だってそうだがと大尉は応じた。

 最悪だった。

 彼らの会話を聞いてしまった兵士たちは、一斉に顔を青褪めさせた。

 大尉は戦地に在る指揮官として最悪の言葉を口にした事に、気付いていなかった。


 それは実戦を経験する事の無い、平時の軍における最悪の病と言って良かった。

 同時に、平和が齎す恩恵の一つとも言える。

 即ち、〈王国〉軍将兵の誰も彼もが、戦争を他人事にしか認識していなかったのだ。

 百年も戦争から遠退いていれば仕方のない事かもしれないが、〈王国〉の場合はもう一つの特別な事情がその病を更に促進させていた。

 国民皆兵という国是がそれである。


 〈王国〉民は、男性は全員、女性は志願者に限り、その生涯で一度は軍隊に関わる事となる。

 通常の兵役では16歳から24歳までの間に、二年間の入営が義務付けられている。

 年齢に幅があるのは、新兵の教育担当を割り当てられている連隊が、一度に受け入れられる人数に制限が掛かる事から、事前に作成された名簿の中から今年は何名、来年は何名といった風に選考されるからである。

 志願の場合は別枠になる。

 こうして、二年間の基礎教育、一任期を終え予備役へと編入された後は、30歳まで一年間に一度の予備役訓練に参加する事以外は通常の生活を送ることが出来る。

 本人が望むのならば、さらにもう一任期。

 さらに望むのなら、無論、普段の服務態度などを考慮された上で、もう一任期といった具合に延長できる。

 ただし、任期の延長は予備役の訓練義務年齢と同じく30歳までで、その前に辞めればやはり予備役へと編入される。

 もしもそれまでに下士官、〈王国〉軍では伍長、軍曹、曹長の三階級、まで昇進出来れば任期は無くなり、48歳の定年まで勤める事となる。


 ちなみに、士官を志す場合には三つの方法がある。

 一つは各方面軍にある教導隊が、貴族の子弟向けに設けている士官教育枠で入隊する事。

 当然、これは貴族の子弟のみが選ぶことの出来る方法である。

 次に、王立大学院を始めとする高等教育機関に入学する事。

 〈王国〉の各高等教育機関では、初頭指揮官講義が必修となっており、卒業とともに予備役少尉に任ぜられる。

 やはりと言うべきか、大抵の高等教育機関の学費は高額であり、結局これも貴族か資産家の家に生まれでもしない限り選べない道であった。

 最後は王立士官学校へと入校する事。

 これだけが唯一、平民が士官になる為の道であった。

 無論、誰もが望んで選べる道では無い。

 入校の際には試験があり、初等教育を受けた者で無ければ合格は望めない。

 もちろん、初等教育を受ける為にはそれなりの金が必要になる。

 貧しい農村では、そもそも初等教育を受ける機会さえなかった。


 以上のように、〈王国〉民たちはそれぞれの形で軍役に就く事となる。

 結果、軍役と言う誰もが果たすべき義務であるそれは、今や国民の中では一生に一度は経験する辛い思い出の一つと言う認識に成り果てていた。

 軍に入隊する事と、戦争で戦う事を直結して考える者が、いや、その事実を理解している者が極端に少なかった。

 であるからこそ、今や目前に現れた戦争と言う現実を、彼らの多くは未だに受け止められずにいたのだった。


「中隊長殿」

 行進する兵士たちを憮然とした表情で睨みつけていた大尉の下へ、伝令の兵が駆けてきた。

 彼はぞんざいな返事で応じる。

「大隊長殿がお呼びです」

 何かあったのかと聞こうとして、思い止まる。

 理由は一つしかないからだった。

 軍曹に、兵が隊列を乱さぬよう見張っておれと命じてから、上官の下へと向かった。



 春風が足取り軽やかに駆けてゆく草原で、ワシリー・スヴォーロフ大佐は草の絨毯の上に全身を投げ出していた。

 草の香りが鼻先をくすぐるのを楽しみながら、良い場所だなと彼は正直に思っていた。

 飛空船から降りて、既に三日が過ぎている。

 兵を降ろしてしまえば操縦は出来ず、再び空に浮上する燃料も足りなくなった飛空船を焼き払った後は、部下に野営の準備をさせ、自分はそれきり寝転んでばかりいた。

 部下の多くも同じだった。

 野営の準備をさせたとはいっても、飛空船は兵員を詰め込むだけで精一杯だったので、天幕のような直接戦闘に関係ない物は持ってきていない。

 兵には各自最低限の水と食料、そして武器弾薬を持たせているだけだった。

 それに、季節は春である。

 夜はやや冷え込むが、それなりに厚着をさせてきているし、何よりこれまでの戦場で経験した野営と比べれば天国のようなものだ。

 少なくとも、泥の中で全身を濡らしながら眠る必要も無い。

 ただし、飛空船の操縦員たちは、兵でも無い、ただの研究機関の者たちであるのでやや辛そうではあったが。


「大佐殿」

 地面に全身を投げ出していたスヴォーロフに、一人の中尉が近づいてきた。

「おう」

「斥候に出した者からの報せです。一個連隊規模の敵部隊が、こちらから南3リーグほどの距離まで迫っているとの事です」

 むっくりと上体を起こしたスヴォーロフに、中尉が報告した。

「もう来たのか」

 スヴォーロフは若干の驚きを含んだ声で言った。

 確か、敵の国境部隊の司令部は国境から18リーグ離れた街にあると聞かされていた。

 ならば、命令のやり取りだけで二日は掛かるはず。

 だとしても、部隊を行動させる為の準備でもう一日は掛かる。

 こちらの現在位置は国境から8リーグ程。

 部隊の移動速度は、最も足の遅い砲兵に合わせる必要があるために一日5リーグかそこら。

 何より、彼らが〈王国〉領内へと侵攻してきた手段により、敵は大きな衝撃と混乱を受けるだろうと考えられる。

 少なくとも五日くらいは待ちぼうけになるだろうと予測していたスヴォーロフにとって、たったの三日で敵がそこまで来ているという事実は驚きだった。

「飛空船の衝撃は、思ったより大した事無かったのか」

 何となく残念そうにぼやいたスヴォーロフに対して、目の前の中尉が首を振って答えた。

「いえ。どうやらこの国の連中、あちこちに腕木通信塔を建てている様です。辺りを見に行かせた兵が幾つか見たと。自分も確かめました」

「成程。〈帝国〉じゃ、帝都とその周辺の大都市を繋ぐ主要街道にしか設置されていないが……それを軍用しているのか」

 スヴォーロフは感心したように、ふーんと唸った。


 腕木通信とは、大雑把に言ってしまえば手旗信号の大型版のようなものだ。

 見通しの良い場所に建てられた建物の上に、数本の木材を組み合わせた腕木と呼ばれる構造物を設置し、ロープなどで操る。

 腕木の動きを組み合わせる事により、手旗でそうするように信号を送り、別の地点に設けた通信所から望遠筒などで観測して情報を伝える通信方法である。

 その伝達速度は3リーグを一瞬というのだから、伝令を飛ばすよりも遥かに早い。

 〈王国〉ではこの通信所を領内の至る所へ設置し、綿密な連絡網を構築していた。


「それで、大佐殿?」

 狭い国には狭いなりの利点があるのだなと考えていたスヴォーロフに伺うように、中尉が呼びかけた。

「うん? ああ、よし。兵どもに休みは終わりだと言え。ただちに行動開始だ。ぼんやりとしていると、あっという間に囲まれちまうぞ。なんせ俺たちは、敵地のど真ん中にいるんだからな」


 〈王国〉軍銃兵第22連隊と、スヴォーロフ率いる〈帝国〉猟兵大隊が接触したのは、その二刻後の事であった。

「〈帝国〉軍猟兵を確認! 丘の向こうより、縦列隊形で迫りつつあり!」

 斥候に出ていた兵が駆け戻って来た。

 全身が汗で濡れているのは、走った以外の理由もあった。

「よし」

 報告を聞いた〈王国〉軍大尉は発破をかけるように頷いた。

 彼の額にもまた、麗らかな陽気の春だというのに汗が噴き出している。

「如何なさいますか?」

 軍曹が尋ねた。

「このまま、大隊横列で前進する。隊列を崩させるなよ。相手はまだ、こちらに気付いていないようだ」

 大尉は現状から判断して、そう答えた。

 敵、〈帝国〉軍がとっている縦列とは文字通り、進行方向に対して縦に隊列を組む隊形である。

 行軍の際には効率的だが、戦闘になった場合、前を行く味方が射線を遮り、部隊の火力を十分に発揮する事が出来ない。

 対して、〈王国〉軍は兵士たちを横に大きく並ばせた横列隊形を取らせていた。

 これならばお互いの射線を邪魔する事無く、部隊の火力を発揮できる。

 戦闘における基本隊形であった。

「装填させろ。ただし、命令があるまでは絶対に放つなよ」

 大尉は命じた。

 攻撃の隊形を取りつつも、彼らは敵が攻撃してくるまで絶対にこちらから手は出すなと命じられていた。

 領内へと侵入した〈帝国〉兵たちの意図が未だに判明していないからだった。

 もしかしたら、何らかの事故だったのかも知れない。

 いや、或いは亡命してきたのでは? 国内での権力闘争に敗れ、他国へと逃れる〈帝国〉貴族は少なくないと聞く。

 そんな希望的観測が、彼らの頭からは離れないのだった。

 それに、もしも戦闘になったとしても、負けないだろう。

 大尉は確信していた。

 敵は大隊規模。こちらは連隊。

 そして既に戦闘隊形を完成させている。

 接触した瞬間、〈帝国〉兵が戦うつもりだとしても、縦列から横列への隊形変換をしなければならない。

 如何に〈帝国〉軍と言えど、一瞬で集団を動かす事など出来ないはずだ。

 初手は確実にこちらが打てる。

 第一列の自分たちの後ろには、二つの大隊横列が控えている。

 敵が攻撃してきた場合、まず第一列が一斉射撃を行う。

 すぐに後ろへ下がり、前進した第二列が再び一斉射撃。

 三列目を指揮する連隊長がその効果を確認した後、もう一度射撃するか、突撃するかの判断を下す。或いは、その頃には戦闘そのものが終了している可能性もあるが。

 大尉が与えられた作戦はそのようなものであった。

 あらゆる軍事的常識からみて、完璧な状況。教科書通りの戦術。

 勝利は確約されている。

 大尉はそう信じている。

 ただ一つの勘違いは、彼らは常識と原則に忠実であり過ぎる事だった。

 実戦では、常にそれらが優先されるとは限らない。


「敵確認。やはり連隊規模です。目前の丘向こうから大隊横列を組んで近づいてきます」

 中尉がスヴォーロフに報告した。

「よーし」

 スヴォーロフは咥えていた紙巻を一気に燃やしきると、盛大に紫煙を吹いた。

 煙の向こうから、彼のぎらぎらとした双眸が現れる。

「総員、装填は終わっているか? よろしい。では、銃剣装着。速歩前進。丘の頂上に着いた時点で、先頭から突撃だ」

「縦列のままですか?」

 中尉は目を瞬いた。

「ああ、そうだ」

 スヴォーロフは吸殻を投げ捨てると、自身の腰に吊った指揮刀を引き抜いた。

「敵陣中央突破ですか。まるで騎兵ですね」

「その通りだ。俺たちはまさに、騎兵のような機動力を必要とされている。敵と接触後は、集結地点まで足を止める訳には行かないからな」

「操縦員、いや、あの研究者たちが着いてこれるでしょうか」

「仕方が無い」

 スヴォーロフはこれまでの戦争で常にそうだったように、快活に答えた。

「これは戦争なのだ。犠牲は付き物。そうだろう、中尉」

「……初めから、そう言う予定でしたか」

「研究者とは言え、彼らも皇帝陛下へと仕える〈帝国〉臣民だ」

 スヴォーロフの言葉に、別に今回が初陣でも無い中尉は肩を竦めた。

「突撃にあたり、無為に発砲はさせるな」

「了解しました」

 中尉は敬礼をして、各部隊の隊長たちへと向かった。

 丘の頂上へ着くなり、スヴォーロフは敵陣を見渡してにんまりと笑った。

「よーし!! 〈帝国〉西方領軍、特設空中挺身猟兵大隊、総員突撃に移れぇっ!!」


「何ぃっ!?」

 敵が突っ込んできたのを見て、大尉は思わず悲鳴に近い声を上げた。

「そのまま突っ込んでくるだと!?」

 予想外の敵の動きに、その声からは動揺が隠せなかった。

 それがいけなかった。

 乾いた射撃音が、彼の耳朶を打った。

 射撃体勢を取っていた兵士の一人が堪え切れず引き金を引いてしまったのだった。

 それは波紋となって人の群れに伝わった。

 〈帝国〉兵は銃声を耳にするなり、蛮声を張り上げて足を速めた。

 味方の射撃音と敵兵の鬨の声に気圧され、兵士たちが次々に勝手な発砲を始める。

「待て! 撃つな! まだ撃つんじゃない!! ええい、撃つなと言うのに……!!」

 大尉は必死に押しとどめようとしたが、無駄だった。

 兵士たちの殆どは狂乱していた。

 あっという間に、ほとんどの者が撃ち切ってしまう。

 倒れた敵兵は見えなかった。

 遠すぎた上に、それぞれが勝手な狙いを付けて撃ったせいだった。

 それに敵はこちらの中央を目掛けて突撃してきている。

 大隊横列の両翼に立つ兵士たちは、射角を得る間もなかった。


 その先の展開は戦闘とは呼べなかった。

 蹂躙であった。

 弾を撃ってしまった〈王国〉兵は我先にと後退を始め、前へ出ようとする後列ともみくちゃになった為、第二列はまともな射撃体勢を取る時間も与えられなかった。

 あっという間に距離を詰めた〈帝国〉猟兵が横列中央部へと突き進み、打ち破る。

 〈帝国〉猟兵は見事だったと言わざるを得ない。

 時間にして、小半刻も無かった。

 〈帝国〉猟兵の一個大隊は、〈王国〉軍銃兵の一個連隊をいとも容易く突破した。


「なんだ、あれは」

 スヴォーロフは気の抜けたような声を出した。

 敵陣中央突破が失敗するとは微塵も考えていなかったが、ある程度の損害を覚悟していただけに、敵のあまりの体たらくぶりには落胆に近い感情を抱いていた。

「お見事です、大佐。研究者たちも、どうやら無事に抜けられたようです。まぁ、何人かは腰を抜かして兵に担がれていますが」

 あの中尉が尊敬の眼差しも露わに、そう報告した。

「損害は」

 中尉の視線も無視して、スヴォーロフは憮然とした表情で尋ねた。

「二名行方不明です。後は、舐めておけば治る程度の傷を受けたのが6名ほど。連隊相手にこれだけの損害は奇跡ですね」

「連隊?」

 彼は噛みつくように言った。

「アレが連隊? アレが軍隊だと!?」

 酷く嫌な気分になっていた。

 敵の有様は、彼の抱いてきた軍隊像に対する重大な侮辱であった。


 〈王国〉軍の迎撃失敗の報せは、翌日に守備隊司令部へと届いた。

 〈帝国〉猟兵は国境へ向け、全速で南下中。

 これを受けた守備隊司令部は国境配置の第12旅団全てへ迎撃態勢を取るよう命じた。

 彼らはあろう事か、守るべき国境へと背を向けたのである。

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