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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第二幕 〈王国〉東部防衛戦

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投稿、遅くなりました。申し訳ございません。

 その日、友軍との合流を果たしたのはヴィルハルト・シュルツたち〈王国〉軍独立捜索第41大隊だけでは無かった。

 〈帝国〉親征軍の総司令官であるミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフを連れた一団が、ようやく前線指揮を執っていたリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将の下まで追い付いたのだった。


「恥を知れ! この愚か者が!!」

 ミハイルの到着とともに立てられた、金縁に飾られている絹布でできた豪奢としか呼びようの無い天幕内の空気は、リゼアの怒号によって震えていた。

 その気になれば一個小隊の兵たちが悠遊と寝転べるほどの広さがある天幕の中には、王宮備え付けだと言われても疑わないほど立派な装飾とたっぷりの綿が詰められた椅子に座り、わずかに目を細めているミハイル、清々しい顔つきで目の前の状況を眺めているラミール・アルメルガー、皇太子お付の親衛隊将校、主だった司令部の参謀たちが揃っている。

 そして、両手を腰に当てた一人の美姫が憤然と立っていた。

「敵部隊の一部が、我軍前線の後方へと浸透している可能性があるにも関わらず、その情報を即座に各部隊へ、いや、まずもって殿下より指揮権をお預かりしている私へ報せぬとは、果たして一体、如何なる了見をもって下した判断か!」

 豊かな金髪を振り乱しながら激昂する彼女の姿には一種、男を進んで狂気に駆り立てる魅力がある。

 そんな彼女からの罵声を一身に浴びている人物は、〈帝国〉親征軍参謀長、マラート・イヴァノヴィッチ・ダンハイム大佐であった。

「それとも、まさか。その敵が我軍の輸送部隊を襲い、補給線を断つかもしれぬという、参謀であれば当然思い至って然るべき可能性についての考慮すらなかったのか、参謀長は?」

 リゼアは彼に向け、冷徹でありながらも烈火の如き激しさを持つ口調で詰問した。

 ダンハイムは生涯でただの一度も浴びた事の無い、それも年下の小娘からの叱責に、憤怒と屈辱で赤黒く変色した顔を上げると彼女に応じた。

「……敵は少数でありました。奔らせておいたところで、我軍の行動を損ねる程のものではないとその時点では判断できました。何よりも、我々が最優先すべき任務は殿下をこの場へとお連れする事、それが最大の急務であると、」

「もうよい!」

 ダンハイムの連ねた言葉を、リゼアは一喝で切り捨てた。

 そして、苛々とした様子で天幕内を歩き回る。

「我軍の行動を損ねる程では無いと、貴官は言ったな? ならば、今日失われた将兵について、どう説明するのか?」

 ダンハイムの喉が、グッと鳴った。

「貴官の誤断、いや、愚挙によって失われた西方領第177猟兵連隊、第82独立砲兵大隊の将兵たちについて、皇帝陛下へどうお詫び申し上げるつもりか。彼らは畏れ多くも我らがその指揮権を陛下よりお借りしている、陛下の将兵であるのだぞ!」

 リゼアの言葉に、ダンハイムは深く項垂れた。

 それだけは事実であると、彼でも認めざるを得ないのだった。

 彼のその様を見たリゼアが、さらなる罵倒の文句を吐き出そうとした時だった。

 或いはここで口が挟まれなければ、彼女はダンハイムを軍参謀長から放任するつもりであった。


「そろそろ、良いのでは無いかな、ルヴィンスカヤ大将」

 そう彼女を止めたのは、ミハイルであった。

 今まで我関せずといった表情で、頬杖をついて状況を見守っていた彼は、その整い過ぎではないかという面立ちをリゼアに向けると、宥めるような声で言った。

「仮にも軍参謀長である人物を、そう悪し様に罵ったことが公となってしまえば、これからの軍の行動に綻びが生じよう。卿の言ったことは、ダンハイムも深く心に刻み付けたようであるし、これからは一層、職務に奮励すれば良い事だ。それに、敵を過小評価していたのは余も同じであった。これよりは、私も慢心を捨ててこの戦争に臨むつもりだ」

「殿下……」

 リゼアは努めて平静な態度を装いつつも、内心で絶句していた。

 ミハイルの言った言葉は要約すれば、「次からは気を付けます」というだけの事だったからだ。

 戦場に臨む者がとうの昔に覚悟していて然るべき事柄を、今さら知ってどうするのだという呆れが、彼女の怒りを更に増長させた。

 しかし、態度には出せない。

 相手は帝位継承権を未だ持っていないとはいえ、〈帝国〉皇太子。

 そして彼女は、一時的に軍の指揮権を預かっているだけに過ぎない代理。

 リゼアは左の手のひらで顔の半分を隠した。

 そうでもしなければ、表情から内心を読み取られてしまうかも知れない。

 その上で不敬だとでも言われてしまえば、今まで彼女の築いてきたものが瓦解してしまう。

 リゼアは己の自制心を総動員して、豊かな胸の内で燃え盛る炎を如何にか鎮火させた。

 そして、取り繕う響きが一切ない声で、ミハイルに告げる。

「殿下がそう仰られるならば、私からはこれ以上なにも申しません。ですが、今日の損害により、今後の軍の行動を一部変更せねばなりません」

 彼女の言葉に、ミハイルは鷹揚に頷いて見せただけであった。

「軍の命令指揮統率については、余はなにも口を挟まぬ」

「過分なご期待を頂き、身に余る光栄にございます。殿下」

 敬意以外の何物も含まない声でリゼアは言った。

 ミハイルは彼女の示した態度の中から何かに気付いた様子もなく、ほっそりとした眉をやや下げた。

「それよりも、今の余は軍元帥としてここに居るのであって、殿下など呼ばずとも良いと何度も言っているつもりなのだが。口調も、上官に対するもので良い。その方が卿らにとっても楽であろう」

「はい。お気遣い有り難く思います、元帥閣下」

 ミハイルの言葉に、100年の恋が終わりを告げたような表情でリゼアは応じた。


 ミハイルの天幕から退出した後、リゼアは司令部参謀を引き連れて彼女の天幕へと戻ってきた。

 形式上では、ミハイルの天幕こそが〈帝国〉親征軍総司令部ということになっているが、まさか貴顕の方の寝所で、ともすれば二日三日の夜通しで行われる、あれこれとした作戦会議などをする訳にもゆかず、実際的な司令部の機能を持つのは、彼女が常在しているこちらの天幕であった。

 もちろん、彼女自身が寝起きする個人的な天幕とは別であるが、戦場にある時の彼女はほとんどの時間を部下に囲まれて過ごすことを好んでいた。

「第82砲兵大隊の再編はどうなっている」

 天幕を潜るなり、彼女は部下の参謀たちにそう尋ねた。

「難しくあります。すぐに、とは参りませんな」

 砲兵参謀の中佐が険しい顔つきで応じた。

 リゼアは憂うような表情で頷いた。

 鋭兵、猟兵の損害はともかくとして、戦争のこの段階で司令部直轄の砲兵大隊を一つ失った事実は大きい。

 遠征の折、前線へ潤沢な火力を集中させることが何よりも難しいことをリゼアは知っていた。


 例えばだが、今から帝都へ向けて増援を求める伝令を出したとする。

 現在リゼアたちがいる〈王国〉領東部から、伝令が帝都にある〈帝国〉軍作戦本部へと届くまで、短く見積もっても十日から十二日はかかる。

 そこから、作戦本部の重役たちが増援の要請を受諾するかどうか、増援を送るのならばどの部隊が適切かを判断するのに三日か四日。

 その後、増援として選定された部隊が進発の準備を完成させるまで短くて三日、長ければ十日か、それ以上。

 そして何よりも重要なのは、その部隊の進軍速度である。

 銃兵部隊であるならば、伝令の早馬が十日かそこらで走った距離を踏破するのに一月。

 騎兵ならばもう少し早いが、やはり二十日以上は見なければならない。

 銃兵、騎兵の進軍速度にそれほど大きな開きが無い理由は、人馬とも生きている以上疲労からは逃れることが出来ず、結果として一日の行軍距離はそう変わらないものとなってしまうからだった。

 では、編成上必要不可欠な装備として、重い事この上ない大砲を引き摺らねばならぬ砲兵はと言えば、同じ距離ならば銃兵の二倍、二月は掛かると断じて良い。

 それすらも、整備された街道と行軍に支障を来たさない天候下が続いて初めて達成できる速度である。

 可能な限り身軽な部隊編成による迅速な行動を好む〈帝国〉軍をしてそれが限界である以上、戦いが始まるまでに前線へどれだけの砲兵を投入できるかというのが、この時代の戦争の勝敗を大きく左右する一因であった。

 だからこそ、青春の殆どを戦野で過ごしてきた、乙女としてそれはどうなのだという経験を持つリゼアにとって、ダンハイムの誤断によって生じた今回の損害は許しがたいものだった。


 リゼアの胸が再び怒りに揺れ出した頃、別の参謀が口を開いた。

「本日、敵に爆破され損失した火薬の量についても、現在の我軍の兵站状況では楽観できません。第82大隊には、本来ならば三日は補給無しで戦えるだけの量を持たせておりましたから」

 兵站参謀からのその報告に、リゼアは嘆息した。

「砲兵たちから行動の自由度を削がぬようにと考えたのだが、それが裏目に出たか」

「閣下のご判断は間違いではありませんでした。少なくとも、あの時は」

 次席参謀がさっと口を挟んだ。

 リゼアは彼に微笑んで見せた。

 十以上も年上の部下は、それだけで狼狽えたような表情になった。

 リゼアよりもはるかに軍歴の長い彼だが、戦場でこれほどの美女と接したことなど、この戦争が初めてだからだった。

「次席参謀の気遣いは嬉しいが、だが、ここは戦場だ。その時の判断がいつまでも正しいというわけには行くまい。せめて、もう一個大隊の鋭兵を護衛に付かせるべきだった。敵にその時間が無かったとはいえ、砲自体はほとんどが無傷で回収できたことがせめてもの慰みだな」

「は」

 リゼアの言葉を耳にした次席参謀が、手元に持っていた帳面へさらさらと書きつける。

 たとえ上官が絶世の美姫であろうとも、己が何を望まれているのかだけは弁えていた。

 リゼアの今の言葉を即刻、全部隊に伝達させるつもりなのだった。

 

「少し、一人にさせてくれるか。これからのことを考える。ああ、それから、誰か殿下、いや、元帥閣下の天幕まで使いをやって、参謀長を直ちに司令部へ出頭させろ」

「その必要があるのかねぇ」

 そうぼそっと言ったのは、参謀団にくっ付いてきていたラミール・アルメルガー准将だった。

 上官の言葉に対する感想にしては礼を失しすぎているが、リゼアは彼のそうした性分を気にいっているため、気にもしない。

 上官が彼の態度を許している以上、他の参謀たちも嫌な顔はすることはあっても、文句はつけなかった。

 もっとも、この時はむしろアルメルガーの言葉に同意するような表情をしている者が大半だったのだが。

 リゼア自身も分かっていると言いたげな顔をしながら、しかし断言した。

「元帥閣下が彼を参謀長に据え置くと考えていらっしゃる以上、ダンハイムにはその職責を全うしてもらわねばならない」

続きは2日後。

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