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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第二幕 〈王国〉東部防衛戦

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 背後から現れた敵一団に気付いた〈帝国〉兵の一人が警告の声を発すると同時に、ヴィルハルトは射撃体勢を完成させていた大隊総員へ一斉射撃を命じた。

 多くの敵兵が振り返る間もなく身体を打ち砕かれ、緑の大地を血の海へと変える。

 〈王国〉軍独立捜索第41大隊の奇襲は、完璧と言ってよい戦果を挙げた。

 しかし。

 ヴィルハルトはざっと敵陣を見渡した。

 混乱はしている。

 そして丘の上から友軍によって撃ち下ろされているため、思うように動く事も出来ていない。

 であるのに、未だ戦意を失ってはいない。

 彼は口元に嬉しそうな笑みを浮かべた。

 流石は〈帝国〉軍。

 その勇猛さについては、疑問の余地もない。

 ならば。

 軍剣を握る手に力がこもった。

 ヴィルハルトは胸の内でのたくりまわる期待や興奮を吐き出すように、大きく口を開いた。

「第41大隊、総員突撃!!」

 猛虎の咆哮のような号令とともに、彼は湧き上がる衝動そのままに駆け出した。

 大隊長の示した狂気に、瞬く間に部下全員が感染する。

 銃剣の取りつけられた小銃を握りしめ、誰もが彼の後を追いかけた。

 それだけが深淵から抜け出すための唯一の光明に他ならぬのだと盲信し、あらん限りの声を張り上げて敵へと突撃する。

 ヴィルハルトの喉もまた、意識とは無関係に震えていた。


 背後からの突撃、そして砲撃が止んだせいで息を吹き返した〈王国〉軍の防御射撃をまともに浴びた〈帝国〉軍前衛部隊は一時的な混乱から、即時的な壊乱へと陥った。

「曹長!!」

 多くの者が逃げ回る中で、勇敢にも挑みかかってきた〈帝国〉兵の頭を軍剣で叩き割ったヴィルハルトは鋭い声でヴェルナー曹長を呼んだ。

 万事を了解している彼の腹心は、弾帯に挟み込んでいた薄い青、空の色を模した布をさっと広げると、自らの小銃へ括りつけ、それを高く掲げた。

 簡易的な〈王国〉の国旗を模した空色のそれは、前方の敵軍を攻撃中の遊軍に対して、ここに味方がいると知らせるためにヴィルハルトが用意させたものだった。

 掲げられた布きれが、戦場であっても囚われることのない自由な風にはためく。

 事前にヴェルナーと役割を与えられていた、大隊内でも特に居丈高な者たちが彼に続いた。

 銃を掲げているため戦闘に参加できない彼らの周りを、一個分隊以上の兵たちがさっと取り巻いた。

「大隊長殿!!」

 すぐ傍を掛けていたエルヴィン・ライカ中尉が大声を上げた。

 ヴィルハルトは振り向いた。

 彼は自らの軍剣で、一点を指し示していた。

 どうやら、己が何者であるのかを思いだしたらしい〈帝国〉軍将校の指揮の下、敵猟兵たちが射列を組んでいた。

 ヴィルハルトはエルヴィンに頷いた。

「走れ!!」

 命じると、自ら先頭に立つ。

 発砲音。

 風よりも重いものが頭の上を掠め、軍帽を攫って行った。

 しかし、応戦は出来ない。

 第41大隊はすでに突撃により隊形が乱れ切っているからであった。

 今から兵を呼び寄せ、装填させ、応戦することに時間を使うくらいならば、このまま駆け抜けた方が良い。

 ヴィルハルトは自らの進路を阻害する敵だけに軍剣を振るった。

 それに〈王国〉旗を模した布を掲げる、という彼の策は見事に功を奏していた。

 友軍が行っている防御射撃は、先ほどまでのがむしゃらなものから、彼らの撤退を支援するような、方向性のある射撃へと切り替わっている。


 撃ち出された弾丸のように戦闘を進んでいたヴィルハルトが、遂に緑装の軍衣の群れから抜け出した。

 しかし、足は止めない。

 まだ、地獄から足抜けできたわけでは無い。

 彼は振り返らなかった。

 部下たちがついて来ていると信じて。

 そして、彼の部下たちは全員が大隊長の背中を目指して走った。

 それだけがこの地獄からの唯一の出口であるのだと、彼らは疑わなかった。


 敵陣を突破した彼らはそのまま丘を駆け上がった。

 そのまま、目を丸くしてこちらを見ている〈王国〉兵たちの籠る陣地の脇を走り抜ける。

 ようやく稜線が敵に対して盾となる位置まで到達し、一応の安全を得たと判断したヴィルハルトは立ち止まり、振り返った。

 すぐ後ろから、ヴェルナ―が追走してきていた。

 安堵のようなものを覚えつつも、彼は厳しい声で命じた。

「ヴェルナー曹長、部隊を整列させ、損害を確認しろ!」

「はっ! 全員、整列!!」

 ヴィルハルトへと付き従い、今まさに地獄から生還したばかりの兵たちが即座に隊列を整える。

 数が減っているのは一目瞭然であった。

 戦友に引き摺られるようにして、どうにか生還できた者もいた。

 兵たちの前に、将校が歩み出る。

 ヴィルハルトは彼らの顔も確認した。

 エルヴィン・ライカ中尉は右側のこめかみに傷を負い、顔半分が真っ赤に濡れていた。

 頭部の怪我にありがちなことらしく、出血量は大したものだが、命に関わるほどの深さではないようだった。

 彼の右側にはアレクシア・カロリング大尉が立っていた。

 息こそ切れているが、これといった外傷は見て取れない。

 むしろ、返り血を浴びている頬が上気しているせいで、彼女の美貌はこんな時でも男に扇情を抱かせるものだった。

 エルヴィンの横へ最後に並んだのは、エルンスト・ユンカース中尉だった。

 彼に関して言うならば、心配は不要だった。

 嬉々として生き残った部下たちを取りまとめる元気な声が、先ほどから大隊中に響いていたからであった。

 ヴィルハルトは自分が率いた第1中隊の列の前方へと目をやった。

 ウォーレン少尉の姿が無かった。

 彼の横に並んでいたはずの三名の少尉は、一人にその数を減らしていた。

 残っていたのはクリストフ・ラッツという名の、常におどおどとした子供のような印象ばかりが強い少尉だけだった。

 成程と、ヴィルハルトは無感動に納得した。

 ラッツは大隊着任時から、何故かオスカー・ウェストが気に入っていた将校だった。

 今、彼は哀れなほど険しい表情で唇を引き結んでいる。

「戦死46名。負傷25名。残存兵員、392名です。大隊長殿」

 ヴェルナーが重苦しい声で報告した。

「うん」

 ヴィルハルトは素直な声で応じた。

 負傷者が戦死者よりも少ないことについて、疑問は覚えなかった。

「それから、これを。大隊長殿」

 言って、ヴェルナ―が差し出したのは突破中、敵からの射撃を受けた際に落としてしまった彼の軍帽だった。

「ありがとう、曹長」

 礼を言って受け取ると、ヴィルハルトは軍帽を頭に乗せた。

 46名の戦死。それが多いのか、少ないのか。

 彼にはもう判断が付かない。

「諸君にはひとまず、お帰りと言っておこうか」

 わずかに凶悪な目つきを緩めたヴィルハルトのその言葉に、大隊を覆っていた張りつめるような空気が弛緩した。

 下士官として鍛造された鉄柱だと言われても疑問の湧かないヴェルナーですら、目じりに皺を寄せて頷いていた。


 大隊には前線からさらに後退し、適当な場所で休憩を取るようにと命じた後で、ヴィルハルトは単身で丘の上の友軍陣地へと入った。

 それほど高くはない丘の上に築城されたその陣地は、敵の砲撃から身を隠すために構築された三つの掩体壕を中心として、それらが三角形になるよう塹壕で結ばれている簡単な陣地であった。

 しかし、陣地の構成自体が簡単であるというだけで、掩体壕自体は非常に丁寧に作られており、木材と土嚢を積み上げて作られた半球上の内部には砲座に据えられた歩兵砲(軽量な平射砲)がそれぞれ一門ずつ、広めに取られている銃眼から砲口を突き出すように配置されている。

 加えて、三本の塹壕の間にはそれぞれ待避壕まで用意されていた。

 少数であっても、篭もればそれなりに戦うことができるように考えられた陣地だと、ヴィルハルトは受け取った。


 そこに籠っていた〈王国〉軍は銃兵一個中隊、砲兵一個小隊であるらしかった。

 ただし、三角形の頂点の内、敵陣側に向いている二つの掩体壕の右側は完全に潰されている。

「場の指揮官は誰か?」

 恐らく指揮所だろうと思われる掩体壕を覗き込み、驚嘆とも、敬服ともとれる兵たちの視線に晒されながら、ヴィルハルトはそう尋ねた。

「自分です、少佐殿」

 さっと立ち上がったのは、砲兵の兵科徽章を付けた大尉だった。

 ヴィルハルトは頷き、敬礼を交わした後で尋ねる。

「友軍司令部の位置について聞きたい」

「ここより北西に三リーグほど言った先にある、ホボスという小さな村です」

 砲兵大尉は答えた。

「少佐殿のお陰で、ようやく兵たちに一息つけさせることができました。どうやら〈帝国〉軍は一時的にこの陣地の占領を諦めたようです。と言っても……」

「ありがとう、大尉」

 ヴィルハルトは彼の言葉を最後まで聞かなかった。

 いや、正確には彼に言葉の最後を言わせぬよう遮ったのだった。

 この場に居る彼の部下たちに聞かせないためだった。

 ようやく一息つけたのだから、今は兵たちに余計な心配をさせなくても良いだろうと思っていた。

 どの道、逃れられぬ運命であることは誰もが承知しているはずだ。

 運命?

 なんだそれは。

 自身の脳裏に浮かんだ単語に、ヴィルハルトは下水の流れに身を浸しているような顔になった。

「は。お役に立てて何よりです」

 ヴィルハルトの礼の言葉が、実際には叱責であることに気付いた砲兵大尉は、詫びるように背筋を伸ばした。

「ところで、その、少佐殿は一体……?」

 突然、敵陣の後方から現れた部隊の指揮官に対する純粋な疑問に満ちた彼の質問に、ヴィルハルトはわざと重々しく頷いて応じた。

「東部方面軍司令官閣下より特命を受けていた。済まないが、内容について教えることはできない」

 特命とはまた、随分と大層な言い方だなと自嘲しつつ、ヴィルハルトは掩体壕から出た。

 〈帝国〉軍の総司令官については、何も言わない。

 真実を告げるか否か、それを判断するのは彼ではないからだった。

「早急に閣下へご報告せねばならないことがあるため、これで失礼する」

「少佐殿、司令官閣下は」

 砲兵大尉が、ヴィルハルトを呼び止めようとした。

 ヴィルハルトはそれに取り合わなかった。

「済まない。時間が無いのだ。君は君に与えられた任務を果たしたまえ」

 彼のその一言に、砲兵大尉は奇妙なほど覚悟を持った顔で敬礼した。

 ヴィルハルトは足早に去りながら、砲兵大尉のとった態度に疑問を覚える暇も無く、ぞんざいな答礼を行った。

続きは2日後。

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