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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第二幕 〈王国〉東部防衛戦

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 その爆発は戦場全体を睥睨していた〈帝国〉軍の総指揮官、リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将の目にも見えていた。

 やはり、前線から2リーグも離れていない手頃な丘の頂上、先日まで〈王国〉軍の立て籠もっていた特火点を再利用している司令部からは、友軍陣地の一部が盛大に吹き飛ぶ光景が良く見えた。

 彼女の傍らに控える参謀団の中には、〈帝国〉トルクス自治領軍第1猟兵旅団長のラミール・アルメルガー准将の姿もあった。

 彼は、先日の戦いで大きく損耗したために、しばらくは前線復帰が出来そうにない部隊の監督に飽き果て、現在はリゼア配下の作戦参謀役を買って出ていた(といっても、表向きは客将としての扱いであり、本来の作戦参謀に対して口を挟む、程度の発言権しか与えられていないが)。

「何事か」

 爆発の余韻が大気を震わせている中で、リゼアが女神でさえも羨むような形の良い眉をぴくりと動かし、短く言った。

 応じるように、参謀の一人がさっと望遠筒を覗き込む。

「あれは、第82独立砲兵大隊の布陣地点ですな……」

「敵弾による被害か」

 リゼアの問いに、砲兵参謀の中佐が素早く応じる。

「はい、閣下。いえ、それは考えられません。敵が特火点で使用しているのは、射程の短い平射砲です。あそこはまだ、敵の射程外であるはずです」

「ならば、まさか歴戦の〈帝国〉軍砲兵ともあろう者たちが火薬の取り扱いを誤ったとでもいうのか」

 リゼアの言葉に、砲兵参謀はむぅと唸った。

「弾着精度を無視して良いのであれば、砲の下に土でも盛って無理矢理に仰角を付ければ、届かない距離では無いですが」

 自分でもあまりに儚い可能性に縋っていることを自覚しつつ言った砲兵参謀を遮ったのは、望遠筒を覗き込んでいた参謀の叫ぶような報告であった。

「炎上している我軍陣地から、前線へ向けて行動している部隊を発見! 制服の色から、まず間違いなく敵です! 規模はおよそ一個大隊、銃兵だと思われます!」

 それに誰よりも早く反応したのはアルメルガーだった。

 腰かけていた椅子を突き飛ばすようにして立ち上がると、報告をしている参謀から望遠筒をひったくる。

 拡大鏡によって切り取られた数リーグ先の景色を視界に収め、食い入るように見つめる。

 そして、黒煙を吹いている〈帝国〉軍砲兵陣地であった場所と、前衛部隊の間を何度か行き来したところで、それを見つけた。

 血や泥といったもので薄汚れてはいるが、敵軍が着ているものと同じ空色を模した軍服。

 間違いなく敵。後方に潜り込んでいたのか。

 そしてこの時機。一個大隊。

 頭の中に浮かんだ幾つかの符号が、瞬く間に組み上がって行く。

 アルメルガーは望遠筒から目を離した。

 その顔に浮かぶのは、驚喜であった。

「成程。道理でね」

 そして、野性的な笑みのままで、納得したように呟いた。

 この数日の戦闘に、彼は小さな違和感を抱いていた。

 川沿いのちっぽけな陣地であれだけ見事に遅滞戦闘と撤退を演じて見せた指揮官がどこかに籠っているにしては、〈王国〉軍の防衛線が脆すぎるように感じていたのだった。 

「後ろか。こちらの輸送部隊や砲兵部隊を襲撃して、後方攪乱を狙ったか。いや……」

 声に出しつつ思考した後で、ある一つの可能性に思い至った彼は、唐突に大声で笑いだした。


 同じ光景を目にしたリゼアもまた、目を見開いていた。

 驚きは無論、ある。

 だが、それ以上の感情が彼女の蒼玉の瞳を、あらん限りの輝きで瞬かせていた。

 成程。後方への浸透、遊撃戦か。

「面白い事を考えたものだ」

 リゼアは尊大な態度で、鼻を鳴らした。

 もっとも、そんな仕草ですら彼女がすると可愛らしさを増すだけだったのだが。

「閣下?」

 すぐ横に立っていた次席参謀が、怪訝そうな顔をした。

 リゼアは、何かを言いかけた彼を手で制すと腕を組み、右手を上げ、人差し指を指さすように立てて額に当てた。

 この仕草が、彼女が何かを考えている時の癖であることをここ数日で知っていた次席参謀は、静かに一歩後ろへと下がった。

 リゼアは右手の人差し指を額から、口元まで滑らせる間に現実から受け取った情報を整理した。

 そして、考える。

 後方攪乱を狙ったにしては敵の行動が妙だ。

 何故、前線へ向けて突撃を仕掛ける? 

 今にも崩れそうな友軍の防衛線を援護する為か?

 いや、違う。

 もしそうであるならば、むしろ我軍の輸送部隊や、今やって見せたように砲兵部隊を叩いて回った方がよほど利がある。

 何故、そうしない。

 そこまで考えたところで、リゼアの脳内で女性特有の直感が囁いた。

「そうか」

 艶のある唇が綻んだ。

 ほぼ同時に、アルメルガーが笑い声を上げていた。

 司令部を狙ったのだ。成る程、一撃で我が軍を無力化するにはそれが最も効率が良い。

 だが、諦めた。

 何故か?

 その理由については分かり切っている。

 恐らく、彼らはこの軍の総司令官が誰であるかを知ったのだ。

 親衛隊が囲む馬車を見れば、そこにいるのがどのような人物かぐらい判断も付くだろう。

 それがミハイル殿下であることまで知ったかどうかは分からないが、〈帝国〉帝室に連なる者を害しでもすれば、動員令でもなんでも発令してかき集められた、100万を下らない〈帝国〉軍の軍勢がこの国を大陸から消滅させることだけは間違いない。

 あの、半ば伝説になりかけている史実は、未だ〈帝国〉にとっての事実であることに変わりはないから。

 きっとその時は、あの爺様たち。

 〈帝国〉六元帥の全員が重い腰を上げることになるのだろう。

 それはそれで、見てみたい気もするけれど。


 そして、目的を達成できぬとなれば、あの部隊の指揮官が成すべきことはただ一つ。

 一人でも多くの部下を生きて還すこと。

 当然、現在戦闘中の友軍に対して、出来る限りの援護をすることも望まれる。

 それらの目的と欲求を満たすために、我軍の砲兵部隊を叩き、火線に穴を開けた。

 友軍の局所における一時的な優位の確立と、前線を強引に突破して生き残るために。

 アルメルガーの楽しそうな笑い声につられて、リゼアもまたくすくすと笑いだしていた。

 周囲の参謀たちが呆れたような顔を見合わせ合っていることを無視して、〈帝国〉軍指揮官としてでは無い、年相応の女性に思考を戻すと彼女は思った。

 それにしても、危ないところだったわね。

 もし、彼らが私を目指していたら。

 さて、どうなったかしら。

 公爵家とはいえ、現帝室との血縁はとうの昔に薄れきっている。

 私が排除されたところで、〈帝国〉軍が総軍を上げて蹶起立つことも無い。

 むしろ、上層部には祝杯をあげる者まで出るでしょうね。

 盛大にか、密やかにかは別として。

 もちろん、唯々諾々と殺されてあげるつもりはさらさらないのだけれど。


 先日、ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフの含まれる馬車列が〈王国〉軍による襲撃を受けたことについて、この時のリゼアはまだ知らされていなかった。

 〈帝国〉軍参謀長であるマラート・イヴァノヴィッチ・ダンハイム大佐が、優先度の低い情報として扱ったことが主な理由である。

 であるにも関わらず、ここまでヴィルハルト・シュルツたちの行動を看破して見せたことは、彼女の軍事的才能が疑う余地もなく、当時の大陸世界最優であることの証明だったかもしれない。


「いかがしますか、閣下」

 ともかくの結論がリゼアの中で導き出されたらしいことを見て取った次席参謀が、やや動揺の抑えきれぬ声で言った。

 だが、彼に答えたのはアルメルガーだった。

「駄目だな。ありゃあ、もう間に合わねぇ。また、逃げられるか」

 見事な芸を演じてみせた劇団を称賛するような口調で彼は言った。

 アルメルガーのその態度に、次席参謀は一瞬、厳しい眼差しを向けた。

 それに気付いたアルメルガーはリゼアに対して肩を竦めてみせる。

「アルメルガーの言う通りだ。あれは駄目だな。砲兵からの支援が止んだため、あの場に限りだが、陣地に籠る敵軍に分があるだろう。そこへ来て、背側から一個大隊の突撃を受けるとなっては。手本のような挟撃だ。あの場に居る者たちだけではどうする事もできまい」

 リゼアのその言葉を、次席参謀は努力して飲み込んだ。

 彼自身もまた、ダンハイムほどではないにしろ、十分以上に〈帝国〉至上主義、帝室尊崇の念に染め上げられているからであった。

 〈帝国〉軍がたかが叛徒のとった自暴自棄としか思えない行動に対して、手も足も出せないなどと認めることは許容しかねるものなのだった。

 しかし、どれだけ彼が望んだとしても、現実は易々と甘い顔を見せるものではない。

 強引な撤退を計ろうとする敵部隊を押し止められないのは事実だった。

「まぁ、所詮は戦場の一幕。敵が優位を掴んだといっても所詮は局所、それも一時的なものに過ぎませんからな」

 悔しげに絞り出された次席参謀の声に、リゼアもまた頷いた。

「その通りだ。大勢で我が〈帝国〉軍が有利であることには、何ら変わりがない」

 そして、呟くように付け加えた。

「それにしても、惜しい」

続きは2日後。

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