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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第二幕 〈王国〉東部防衛戦

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更新が遅くなり、本当に申し訳ございません。


お待たせした分、楽しんで頂けることを願うばかりです。

 〈王国〉東部方面軍が構築した防衛線、その第一次線での戦いは、僅か半日で趨勢が決していた。


 〈王国〉軍が火力陣地を据えた丘は、次々と鉄と煙を吐き出す火山群に成り果て、〈帝国〉軍砲兵隊が、叫び返すような砲声の連なりでもって応える。

 まさに鉄火の楽園と化している草原で、〈帝国〉軍最先鋒、トルクス自治領軍第1猟兵旅団の将兵が疾駆する。

 敵と味方の砲弾が雨あられと降り注ぐ中を、微塵の恐怖も無く突き進む焦げ茶色の勇者たち。

 彼らの先頭が丘の上に据えられている敵特火点へと肉薄し、その幾つかを占領する様を目にした〈帝国〉親征軍第一軍団長、リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将は、敵へ対する欠片の慈悲も無く、次なる命令を下したからであった。

「よし。アルメルガーが橋頭堡を築いた。では、〈帝国〉親征第二軍に総攻撃への参加を許可する。ミハイル殿下のお言葉通り、我らの道を塞ぐあらゆる抵抗を打ち砕け」

 農村で出会った、あの素晴らしい若者の事はもちろん憶えている。

 だが、だからと言って〈王国〉を滅ぼす事について、彼女が躊躇する事は在り得なかった。

 むしろ〈帝国〉の属領の一部としてしまう事こそが、彼らのような若者に報いる事に他ならぬと考えていた。

 彼のような人物の死を、無駄死ににせぬことこそが国家の務めだ。

 この国はその義務を果たしていない。

 ならば、いずれ自分が大権を握るだろう祖国の一部と成してしまえば良い。

 そこでは、誰の一人も無駄死になどさせない。

 それこそが己の使命であり、そして己には必ずそれが成せると、リゼアは確信していた。


 事実上の軍総司令官より参戦を命じられた、赤衣に身を包んだ本領軍より構成される〈帝国〉親征第二軍は、その命令に歓声をあげて応えた。

 彼らにとって、それは待ちわびた命令であった。

 〈帝国〉四軍で唯一の、皇帝直参の軍であるという意識に満ち溢れている彼らにとり、戦場に在りながら戦闘へと参加しない事は恥であると思っていた。

 それも、目の前でたかだか辺領の軍に過ぎぬ西方領軍と、元叛徒の者どもで編成された部隊が血路を拓く様を見せつけられる事は、耐えがたい恥辱ですらあった。

 であるからこそ。

 解き放たれた彼らが、それまで溜め込んでいた戦意の全ては、ただ行動のみをもってこの世に発現した。


 統一された一個の意志によって動く、巨人のような赤い群れ。

 いや、軍隊とはまさに無数の個人を一つの細胞として組み込み形作られる、一体の巨人に他ならない。

 脳髄たる司令部から下された命令は、各級指揮官たちによって構築される指揮系統という神経網を伝い、骨子である下士官に支えられた肉体が兵という筋肉によって稼働する。

 砲兵の操る野砲が吐き出す轟音は、巨人の口から発せられる咆哮であり、突き出される無数の銃剣が、振り下ろされる巨大なかいなとなって敵を打ち砕く。

 そして騎兵たちが駆る軍馬の、猛る蹄鉄の連なりこそが、その破壊的な歩みに他ならない。


 その光景はまさに、侵略であった。

 〈帝国〉本領軍14万の将兵をもってこの世に顕現した赤い巨人の参戦により、〈王国〉軍の防衛線は瞬く間に引き裂かれた。

 そのあまりにも圧倒的な、あまりにも暴虐な巨人の暴力を前に、第一次防衛線で直接指揮を執っていたライナー・シュトライヒ少将には成す術が無かった。

 そもそもが彼の指揮する第一線に布陣した〈王国〉軍部隊は、東部方面軍七万の内の二万であった。

 とてもではないが、元から20万の軍勢を相手に戦えるような数では無い。

 もちろん、その数を補うための陣地と火力網の構築をしたのだが、やはり絶望的なまでの兵力差をひっくり返す事など出来なかった。

 いや、〈王国〉東部方面軍司令官のアーバンス・ディックホルスト大将の計画したこの作戦が順調に推移するのならば、それでも良かったのだ。

 まずは二万で敵の足を止める。適当な損害を与えたところで、後退。

 後方に控えている第二次線の戦力二万と合流。再びの抗戦。

 こうして、順次兵力を増して行く防衛線の対応で〈帝国〉軍が疲弊しきったところへ、最終防衛線で反撃に転ずる。

 だが、そもそもの大前提が間違っていた。

 如何に無数の陣地と綿密な火力網を構築したところで、〈帝国〉軍がそれを歯牙にもかけなかったからであった。

 〈王国〉軍は、今こそ思い知ったであろう。

 慢心していたのは、他ならぬ自分たちの方であったのだと。

 そして、思いだしたように現実を直視した。

 大陸世界最大最強の〈帝国〉軍と戦うという真実を。

 既に、〈王国〉は滅びの渦中にあるのであった。



 ヴィルハルト・シュルツ少佐率いる〈王国〉軍独立捜索第41大隊は、その滅びの最前線に立っていた。

 黒煙を上げて燃え盛るレシュゲンの町を眺めていたヴィルハルトの背に、アレクシア・カロリングの乾いた声が届いた。

「大隊長殿」

 短いその呼びかけには、しかし全てが詰まっていた。

 ヴィルハルトは腰に吊っている軍剣の柄に手を載せると、ゆっくりと振り向いた。

 そこには各隊の指揮官たちが居並んでいる。その後ろでは、兵たちが途方にくれたような顔で整列していた。

 誰もが彼もが無言であった。

 周囲は時折、町の中から何かが爆ぜる音が聞こえる以外、全くの静寂で包まれていた。

 しかし、その静けさは耳に痛いほどの抗議で満ちている。

 我々は貴方に従って、ここまで来た。

 唯一の勝機を信じて。

 だが、決死で挑んだその作戦は失敗した。

 我々は圧倒的な敵陣の中へ取り残され、今や、司令部のあった場所はただの廃墟となって燻っている。

 一体、これからどうするのだ。

 いや、無論彼らもヴィルハルトを恨んでも仕方のない事くらい分かっている。

 作戦の失敗はともかく、友軍の防衛線が崩壊したことまで彼のせいには出来ない。

 しかし、だからと言って。

 はい、そうですかと割り切れるほど、誰もが聖人君子でいられるわけでもなかった。

 どこかに。誰かに。こうなってしまった原因を見いださずにはいられない、人として当然の感情だった。

 一方、恨みがましい目つきを向けられているヴィルハルト自身は、彼らの態度を当然のものとして受け取っていた。

 むしろ、今、彼らがこのような状況にある事は全て、指揮官である自分の責任であることを疑っていない。

 だからこそか。

 幾つもの視線の槍衾やりぶすまに晒されていながら、ヴィルハルトは平静を保ち続けていた。


 彼の、その態度が崩れたのは、数寸の沈黙の後であった。

「どうにも。現実が見えていなかったのは俺の方らしい」

 反省するように言ったヴィルハルトの言葉はしかし、世俗での何もかもを洗い流された僧侶のように穏やかに響いた。

 アレクシアが怪訝そうに眉を顰めた。

 彼が諦めたのではないかと疑ったのだった。

 しかし、それについて問いただすより前に、ヴィルハルトが言葉を続けた。

「この期に及んで、ようやく分かった。この戦争が始まってからずっと、俺は何かを探しているような気がしていた。忌まわしいような、それでいて何処か懐かしい、この感情が何なのか。今、ようやく分かった」

 誰もが疑うような顔つきになった。

 だが、次にヴィルハルトが顔を上げた瞬間、そこに浮かんでいた表情に、誰もが唖然となった。

 もはや絶望以下であるはずの、この状況下で。

 彼らの上官、ヴィルハルト・シュルツは、心からの安らぎを得たように、穏やかに微笑んでいたからであった。

「ここは17年前の南部だ。俺が、弟とともに彷徨い歩いたあの荒野だ」

 彼の言葉に、誰も答えなかった。

 いや、何も答えられなかった。

 唐突に始まった大隊長の告白に、どう応じたら良いのか分からない。

 そんな彼らへ向けて、ヴィルハルトはさらに告げた。

「ようやく分かった。ここは俺の故郷なのだ」

 やはり、誰も何も言わなかった。

 絶句しているというよりも、話が飲み込めていないようだった。

 まぁ、そうだろうなとヴィルハルトは内心で笑うと、俯き、目を閉じた。

 大体、自分でも一体何を言っているのか分からない。


 だが、ここは彼の故郷だった。

 一度、軍に入ってから初めて与えられた長期休暇(といっても、四日ほどのものだが)に弟を連れて、彼らが助け出された場所、〈王国〉南部へと出向いたことがあった。

 そこにあったのは、大河によって育まれた肥沃な大地。

 風に揺れる、青々とした麦畑。

 そこで逞しく生きる人々。子供たちの笑い声がさざめく、再建された村々。

 何もかもが彼の記憶とは違う、その光景。

 そこはもう、彼の故郷では無かった。

 ――ならば、今のこの場所は。

 町が焼ける音。大気にこびりついた血と硝煙の香り。

 遠くから響いてくる銃声、砲声。

 きっと何処かで上がっているに違いない、無数の悲鳴。

 17年前。赤ん坊だった弟を抱いて、襤褸ぼろ切れのようになって彷徨った、彼の最初の記憶にある風景。


 ヴィルハルトは再び顔を上げた。視線を、部下たちへ巡らせる。

 今、彼の両腕に赤ん坊は抱かれていない。

 その代わりに、彼の両肩には数百人の部下の命がのしかかっていた。

「諸君、ようこそ地獄へ。そして、俺の帰郷に付き合わせてしまって申し訳ない」

 彼は照れたように謝罪した。

 それは、17年間。焦がれに焦がれた帰郷であった。

続きは二日後。


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