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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第二幕 〈王国〉東部防衛戦

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「何事か」

 再び静寂へと包まれた夜の中。

 〈帝国〉軍親衛隊が取り囲んでいる豪奢な馬車から、ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフの感情が削ぎ落とされたような声が発せられた。

 指揮を執っていた〈帝国〉親衛隊指揮官の大佐が下馬し、馬車へとひざまずく。

「殿下。夜分に御宸襟ごしんきんをお騒がせし、真に申し訳ございません」

「良い、何があった」

 聞き返したミハイルの声は、少し間延びしていた。

 どうやら眠っていたらしい。

「賊がおりました。既に排除いたしましたが、念のため周辺の捜索を行います。安全の確認が済むまで、殿下をしばしの間お待たせしてしまう事になりますが、どうぞ、お許しください」

「・・・・・・よろしい。速やかにな」

「は」

 ミハイルの特に感情の籠っていない返答に、親衛隊指揮官は恭しく頭を下げる。

 立ち上がった彼の視界に、すぐ後ろの馬車で控えていた〈帝国〉親征軍参謀長であるマラート・イヴァノヴィッチ・ダンハイム大佐が足早に近寄ってくるのが見えた。

「何があった」

 感情のたっぷりと含まれた彼の質問に、親衛隊指揮官は〈帝国〉上級貴族に対する礼節を完全に満たした態度で応じた。

「敵です。どうやら、叛徒の正規兵であったかと。兵は逃がしましたが、指揮官らしき人物は討ちました。今、部下に確認させています」

 彼の報告に、ダンハイムは顔面を不快そうに顰めた。

「叛徒の軍が、なぜこのようなところに。前線はまだ10リーグは先であるぞ」

「分かりません。敵の長距離斥候という可能性もあります。接近を許したのは小官の責。深く陳謝致します」

 親衛隊指揮官は腰を折った。そして顔を上げる。

「ですから、まずは周辺の確認を行います。叛徒の賊がまだ周囲に潜んでいないとは限りません故。それまでお待ちいただく事は、殿下よりご了承を賜っております」

「例の農民の徒党では無いのか。この国の軍は我が軍と比べればよほど脆弱ではあるものの、予備役の頭数だけは揃えているようだからな。そやつらが制服を持っていたとしても不思議はない」

 ダンハイムは、今回の〈帝国〉親征軍事実上の総指揮官であるリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将が先日、司令部へ寄せた報告を思い出しつつ言った。

 農村に立て籠もり、我軍に反逆するはただの農民に非ず。叛徒の手勢、その予備を含むものなり。見縊れば、手痛い損害を被る危険有り。以後、鎮圧に臨む者たちは過信を捨てよ。

 全軍に布告されたこの言葉を、しかしダンハイムは歯牙にもかけていなかった。

 たかが予備役将校、それも率いているのは農民。何が出来るというのか。

 ある意味で、彼の考えは当たっていた。

 鎮圧にあたる〈帝国〉軍が彼の期待を裏切らなかったというのもあるが、ここ数日の内に農村に立て籠もっている叛徒の抵抗は終焉を迎えつつあった。

 ただし、それは占領地の制圧、鎮圧にあたる部隊の将兵たちがリゼアの言葉通りに、過信を捨てたからという事実は無視できないのだが。


「失礼します」

 参謀長と親衛隊指揮官、二人の大佐の会話が途切れた頃を見計らい、オスカー・ウェストの遺体を確認していた〈帝国〉親衛隊の軍曹が、囁くように言った。

 親衛隊指揮官が頷くのを見ると、彼はダンハイムへと一礼してから口を開いた。

「確認できた戦果は一名のみでありました。どうやら、敵軍の将校殿、大尉であったようです。ただ、部隊章の類は身に帯びておりませんでした。正規の部隊では無いのかもしれません」

 軍曹の報告に、ダンハイムが頷いた。

「これで分かった。部隊章も付けていないのならば、やはり叛徒の予備役士官だろう。恐らくは農村に立て籠もる愚を悟り、遊撃戦に打って出た、というところか。我が〈帝国〉に歯向かうという救いようの無い浅慮さを無視するならば、判断自体は間違ってはいない」

 そう結論したダンハイムを無能と判断する事は難しい。

 現状、彼らが得た情報は兵を率いていた敵軍の将校、その遺体だけ。

 敵軍の事情、ヴィルハルト・シュルツの率いる〈王国〉軍独立捜索第41大隊は、確かに正規の部隊としてまだ認められてはいないため、部隊章などは存在しないという事まで看破できる人間など居ないだろうからだ。

 だが、親衛隊指揮官には別の見解があった。

「果たして、そうでしょうか。予備役士官にしては部下を逃がす際の行動に、動揺が少なく感じましたが」

 彼とて軍人だ。敵の動きを見れば、それがどれほどの訓練を積んでいるかくらいは分かる。

 それに、彼は周辺警戒に微塵の油断もしていなかった。

 であるにも関わらず、ミハイルの含まれているこの隊列のすぐそばまで敵が迫っている事を、察知する事が出来なかった。

 彼は確信していた。

 今討ち取った敵軍大尉は、間違いなく現役、そして部下を率い、何らかの目的をもって行動していた。

「もしも、我軍の前線後方に敵軍が潜り込んでいるのだとすれば、看過できるものではありません。全軍にこの情報を流すべきでしょう」

 ダンハイムはその進言に、心底どうでも良さげに応じた。

「好きにしろ。しかし、今は後回しだ。まずは殿下を司令部へとお連れしなければ。たかが叛徒の大尉風情に、殿下の親征を邪魔立てさせて良いものか」

「了解しました。ですが、まずは周辺の安全確認。移動はそれからです。これは殿下の御身をお守りする〈帝国〉親衛隊大佐としての決定です」

 乾いた声で告げ、親衛隊指揮官は丁寧に腰を折った。

 階級が同じではあるが、相手は〈帝国〉上級貴族である侯爵。

 一応以上の礼をもって接せねばならなかった。

 ダンハイムもまた、不機嫌そうではあるが彼に反論はしなかった。

 皇帝家守護に殉ずる彼ら親衛隊の忠誠心には、ダンハイムであっても一目置いている。

「よかろう。だが、急げよ。あまり悠長にしておれば、前線がどこまで行くかも分からん。あの――」

 そこで、ダンハイムは言葉を切った。

 あの小娘、と続けるつもりだったが、今はミハイルの耳があった。

 皇太子である彼が任命した指揮官に対して、下手な言葉を口にする訳にはいかなかった。

「あの、“辺領征伐姫へんりょうせいばつき”の異名高きリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将に追い付くころには、既に叛徒の首邑が落ちていたという事にもなりかねん」

 やや苦しい言葉の繋ぎ方ではあったが、どうやら会話を聞いていたらしいミハイルは馬車の中で楽しげな笑いを上げた。

「それは良い。もし本当にそうであったなら、私はこうして暫く、悠長に物見道中を堪能できるというものだ」

「殿下、それは……」

 苦言を呈するように、恐る恐るダンハイムが口を開いた。

 彼にとって勝利の瞬間、その場所に立つべきはたかが公爵家令嬢などでは無く、〈帝国〉至上の存在であるべきだと確定していたからだった。

「冗談だ。それでは、戦っている余の兵たちの献身を裏切る事になるからな。だが、急くのは好みでは無い。今は親衛隊指揮官の好きにさせよ」

「有り難くあります」

 ミハイルの言葉に、親衛隊指揮官は深々と腰を折り曲げた。


「しかし、すっかり眠気が覚めてしまった。ダンハイム、卿はしばし、私の歓談の相手をせよ」

「は」

 これ以上は無いだろう至福の喜びに身を震わせつつ、ダンハイムが応じた。

「それでは、一献如何でしょうか。西方領で醸造された清澄酒の、素晴らしい一瓶をご用意しております」

 それがミハイルの了承を得ると、ダンハイムは嬉々として隊列の後方へと向かった。

 彼らが運んでいるのは、たとえ野営であったとしても宮殿に居るのと何ら遜色のない環境を整える事の出来る品々だった。


 ようやくダンハイムから解放された親衛隊指揮官は、本人以外にはそうとは分からないほど自然な動作で肩から力を抜いた。

 帝室尊崇の念に不足の無い彼ではあるが、名実ともに〈帝国〉至上主義の狂信者であるダンハイムを前にすればそれなりに緊張を覚えるのだった。

 下手に不況を買えば、今まで彼が積み上げてきた人生が一瞬のうちに台無しになりかねない。

 ついと視線をずらすと、先ほどから所在なさげに立っていた軍曹と目が合った。

「敵兵の遺体を収容せよ。朝になったら、所持品を詳しく調べる。兵には何一つ手を触れさせるな。我が軍の将校を遇するように、丁寧に扱え」

「は」

 背筋を伸ばして応じた軍曹は、足早に去っていった。

 ようやく誰の目も無くなったそこで、親衛隊指揮官は小さく嘆息した。

 確かに彼は〈帝国〉と皇帝を守護する為ならば全身全霊を捧げる親衛隊の一員ではある。

 だが、それ以前に一人の軍人でもある事を忘れてはいなかった。

 ダンハイムのように、敵の全てを〈帝国〉に逆らう愚者と断じる事が彼には出来なかった。

 しかし。それにしても。

 後方とはいえ、ここは戦場。そこで一献とは。

 親衛隊指揮官はわずかに眉を潜め、思った。

 彼は親衛隊への入隊が叶うまで、数多の激戦を潜り抜けて来た。

 肉体と人生全てを〈帝国〉へと捧げてきた者だけが親衛隊の栄誉を浴する事が出来るのだから当然ではあるが、彼の今の地位は言ってしまえば戦場で得たものだった。

 そんな彼にとって戦場とは、何人も侵しがたい神聖な場所であるのだった。

 それが今、汚されたような気がしていた。

続きは2日後。

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