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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第二幕 〈王国〉東部防衛戦

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53

 陽が沈むまでの時間、大隊には特にやることが無かった。

 当然と言えば当然で、成すべき準備は全て終えている。

 任務が始まってから準備を整える軍隊など存在しない。

 結果、多くの軍人たちがそうであるように“眠れるうちに寝ておく”という先人の教えに従い、ほとんどの者たちは木陰に身を横たえていた。

 大隊長であるヴィルハルトがそれを許した。

 ただし、警戒だけは怠らぬように哨兵は立たせてある。

 その彼は眠り込む部下たちを尻目に、歩き回っていた。

 寝ておいた方が良い事は自身でも理解しているが、草に身を任せても、木々に背中を預けても、とてもでは無いが目をつぶれる状態では無かった。

 瞼を閉じるなりウェストの言葉が脳裏に浮かびあがり、自己嫌悪と自己批判が込み上げて絶叫したいほどの衝動に襲われるからだった。

 そして、真っ暗な視界では過去の映像が再生される。


 それは教会での五年間だった。

 誰もが真剣な面持ちで祈っている、安息日の講堂。

 祈るべき誰かを信じていない彼はひたすら無心で時間が過ぎるのを待っていた。

 毎夜のように語られる信仰の規範とされる殉教者たち。

 どうしても納得のいかない、彼らの最期。

 それでも、彼は教えに従った。懸命に、忠実に従った。

 それが正しいのだと信じて。

 だが、心からは従えなかった。

 だからせめて、態度だけは完璧に取り繕った。

 あの人間の善性のみで形作られた土人形のようなエマ院長にさえも疑われないほどの名演を、彼は演じてきた。

 それは、何もかもが欺瞞に満ちた毎日だった。

 それでも彼は信じ続けた。

 この世には素晴らしいものが、美しいものが、確かに確実に存在するのだと。

 そして、それはあった。

 確かにあった。目の前に。

 いや、違う。彼は知っていた。

 忘れていただけだ。

 ウェストの独白で、ヴィルハルトはそれを思いだした。

 教会で出会った、他者のため、己を顧みることなく尽くす事が出来る人々。

 エマ院長が自分たちへ示した、疑う余地のない慈悲と慈愛を。

 きっと今、心底から自分を心配してくれているだろう弟を。

 17年前。

 十日余りを彷徨い歩き、襤褸切れのようになった幼いヴィルハルトと弟を見つけた時、「済まない。遅くなった、済まない」と涙を流して何度も詫びた兵士たち。

 誰も彼もが素晴らしい。

 そしてきっと、彼らが正しい。

 間違っているのは、俺だけだ。

 俺は。


「大隊長殿?」

 誰かの声で、ヴィルハルトは思考の坩堝るつぼから抜け出した。

 意識を現実へと帰還させる。

「どうしたんですか、こんな所に」

 そう彼に声をかけていたのは、エルンスト・ユンカース中尉だった。

 木の根元に腰を下ろしていた彼はすぐに立ち上がると、形式ばかりの敬礼を行う。

「君こそ、何をしているんだ。ユンカース中尉」

 ユンカースに答礼しつつ、ヴィルハルトは辺りを見回した。

 周囲に兵の姿は見えなかった。

 いつの間にか、大隊の集結地点から少し離れた場所まで歩いてきていたらしい。

「ああ、いえ」

 ヴィルハルトに聞き返されたユンカースは、言い淀んだように後頭部を掻いた。

「少し、その、ぼんやりと。この贅沢は暫く出来そうにないですから」

 答えた彼の表情は普段と変わらず、やはり何かに後悔しているようだった。

 彼の内心については深く触れずに、ヴィルハルトは頷きを返した。

 ユンカースの言った通り、ぼんやりと出来る贅沢とは暫く無縁である事は確かだったからだ。


 風がさぁと吹いて、辺りの梢が一斉に震えた。

 大陸北部中央に位置する〈王国〉の夏は比較的過ごしやすい。

 代わりに冬はと言えば、大きな流れのある大河は無理にしても、湖水地帯である北東部では、湖の上を歩いて渡る事も出来る程の極寒になるのだが。

 しばし、ヴィルハルトとユンカースは〈王国〉の夏を堪能した。

 確かに。戦場に居るにも関わらず、これは贅沢かも知れないとヴィルハルトが思っていると、唐突にユンカースが口を開いた。

「あの質問。大隊長は最後までお答えになりませんでしたね」

 ヴィルハルトはその言葉に、ユンカースの横顔に目を向けた。

 彼の視線は夏の森に向けられたままだった。

「何の為に、という、ライカ中尉のあれか?」

「はい」

 ユンカースは頷いた。

 瞳の奥で、何かを思い出しているようだった。

「自分も、最初の頃は家族の為に戦っているのだと思っていました」

 ユンカースが話の前後を省略して口にしたその言葉に、ヴィルハルトはさして驚きもせずに頷いた。

 彼もまた、ウェストのあの独白を思い返しているだろう事は分かっていたからだった。

「自分も王都に、母と妹がいます。父は早くに亡くしました」

「君の苦労は、僅かばかりだが理解できると思う」

 この上なく無機質な声でヴィルハルトは応じた。

 同時に、ユンカースに対して醜い事この上ない感情を自分が抱いている事も自覚していた。

 ――たとえ、片親でも。

 幼稚な嫉妬である事は分かっていた。

 だからこそ、彼はその感情を胸の何処か奥深くへと沈めた。

 ユンカースは気付かなかった。

「ありがとうございます」

 そう言って、小さく頭を下げた。

 それが単なる上官に対する処世術に過ぎない事を見て取ったヴィルハルトは、肩を竦める。

「それで? 不幸自慢のつもりでは無いんだろう。君は言っていたな、最初は家族の為だと思っていたと。今は違うのか」

「ええ、はい」

 ヴィルハルトの問いかけに、ユンカースは顔面に後悔を滲ませ、言った。

「……自分には、その、色々と後悔の種が多くありまして」

 ヴィルハルトは無言で頷いた。顔を見れば分かる事だった。

「こうしている今でも、どうして自分はあの時、士官学校を選んだのか。軍に入ってしまったのか。そもそも、どうして自分は今ここに居るのか。他の選択肢を選んでいれば、どうなっていたか。挙げればきりがないほどでして」

「俺には随分、羨ましい話に聞こえるが」

 ヴィルハルトは本心からそう言った。

 彼の人生で与えられた事のある選択肢はただ一つだった。

 神学校へ行き聖職者になるか、士官学校へ行き軍人になるか。

 そして彼は一つしか選べなかった。

 いや、そもそも彼にとって、それは選択肢などでは無かった。

 選べたかも知れない未来があっただけマシでは無いかと思った。

 やはり、幼稚な嫉妬だ。

 自己嫌悪が酷くなった。

「そうでしょうか。いや、そうなのかもしれません」

 ユンカースはヴィルハルトの言った言葉の意味を、無理矢理納得したような声を出した。

 そしてどこか自分を説得するような口調で言った。

「まぁ、ともかく。自分はそういった人間なわけです。ただ、」

 ユンカースはそこで言葉を飲むと、溜息を吐いた。

 そして彼は、その胸の中身を吐き出した。

「ただ、戦っている間は。戦闘中は、後悔をしている暇がありません。それよりも、どう部下を生き残らせるか。効率的に敵を排除するにはどうするべきか、それだけを考えていればいいので」

「指揮官としては当然だな」

 何の話をしているのか、今度は自分が分からない番になったヴィルハルトは首に手を当てた。いつの間にか、虫に刺されていた。

 まったくと思いつつ、懐から煙草を取り出す。咥えて、火を点けようとした時だった。

「……それは、とても楽なのです。だから、自分は戦争が好きなんでしょう」

 ユンカースが恥じるように、ぽつりと零した。

 ああ。成程。

 ヴィルハルトはようやく理解した。

 そう言う話か。

 確固たる信念を持たず、愛する者や守るべき者の為に命を捧げるわけでもなく、ただ己の浅ましい願望の為だけに戦争を好む自分。

 ユンカースはそれを恥じているのだった。

 燐寸を擦る。

 そして、紫煙とともに声を漏らした。

「それはまったく。何とも救われないな。お互いに」

 慰めたわけでは無かった。

 ただ単に、自分たちの状況を要約しただけだった。

 同情を求めていたわけではないユンカースには、それで十分だった。

「ええ、自分でも嫌になります」

 心底から後悔して彼は言った。

 そして顔を上げた。ヴィルハルトへと向く。

「それで、大隊長はどうなのですか? まさか、自分と同じという事でもないでしょう」


 結局、ユンカースはそれだけが聞きたかったのだった。

 多少の不幸はあれど、それなりに人並みの人生を生きて来たにも関わらず、後悔に苛まれて戦争を好む自分。

 では、ヴィルハルト・シュルツは?

 大隊に来てから聞いた話で、孤児の出だという事は聞いていた。

 成程、自分よりもよほど不幸な人生だったに違いない。

 それならば、多少狂ってしまっても仕方が無い。

 しかし、今回は度を越えている。

 人間という動物は、本当に狂ってでもいない限り、己の存命を第一に考える生き物だから。

 幾ら自身で考え出したとは言え、自殺のような決死の作戦を前に平然としていられる人間など居ないはずだ。

 いや、或いはこの人は本当に。


 ユンカースがその正気を疑った上官はしかし、困ったように頭を掻いていた。

「そんなに気になるのか、俺の戦う理由が。そもそも、問われる程の事でも無いと思うのだが」

 首を傾げつつ、彼は当然のように、その理由を口にした。

「軍人が与えられた命令を遂行する事の何処に、不思議があるというのだ」

 それだけだった。

 本当に、ただそれだけだった。

 だからこそ、ヴィルハルトはエルヴィンからの質問に答えられなかった。

 いや、正確に言えば、何故そのような質問をするのかが理解できなかった。

 彼にとってその質問は、言ってしまえば「人は何故呼吸をするのか」という子供の問いかけと同等のものだったから。

 軍人が命令を下され、与えられた任務を遂行する。

 疑念の余地もない。当然の責務。自分の役割。

 それはあの五年間と何も変わらない。

 ただの一度も神など信じた事も無いくせに、教えられたまま、望まれたままの態度で振る舞ったあの五年間と。

 彼にとっての人生とはそれだった。

 だからこそ、ウェストの口から語られた想いに、ヴィルハルトは衝撃を受けた。

 己の浅はかさを呪った。

 誰もがそうであって当然だという考えは、傲慢でも無い幼稚な思い上がりに過ぎない事を、自分は知っていたはずなのに。

 どうして俺は忘れていたのだろう。

 そんなに戦争が楽しいか。

 馬鹿野郎。この大馬鹿野郎。


 陽光がすっかり沈み、満月の放つ明かりにしっとりと世界が濡れだした頃。

 〈王国〉軍独立捜索第41大隊は、行動を開始すべく立ち上がった。

 目的はただ一つ。

 〈王国〉唯一の勝機と彼らが信ずる、〈帝国〉軍総司令官の抹殺あるのみ。

 たとえ、その為に屍山血河を踏み越えねばならぬとしても。

「前衛警戒及び索敵は第1中隊に一任する。第2、3中隊は両翼及び後方の警戒に当たれ。事前の説明通り、目標以外の敵との戦闘は戦友と己の命を救うために、何があっても避けられぬ場合を除き固く禁止する。回避行動については各中隊長の判断に任せる。森を出れば、身の隠す場所の少ない平原だ。影のように静かに、かつ迅速に行動し、敵総司令官を討つ。明日の日の出までにそれが叶わぬ場合、この作戦は失敗する」

 最終調整の為に集めた指揮官たちの前で、ヴィルハルトは軍帽を被りなおした。

「それと、最後に一つだけ。この面々が一堂に会するのは最後になるかもしれない。だから、言っておく」

 ヴィルハルトは、彼にしては珍しく全員の顔を真正面から見据えると続けた。

「俺の命令の下、この作戦に参加する諸君に感謝はしない。それは将校が果たすべき、当然の義務だからだ。だが、」

 見回した最後、オスカー・ウェスト大尉の顔を見て、彼は言った。

「俺は、俺の思い付きと思い込みで君たちをこの地獄へと連れて来た。その事にだけは謝罪しよう。まことに済まない。以上だ。諸君の奮闘に期待する。無論、俺は大隊長としてそれに全身全霊で報いるつもりだ」

 まるでそれが、昼間のやり取りの返答だというように。

 ヴィルハルトはウェストへ向けて、素っ気なくそう告げた。

 ウェストの表情は、すでに普段通りの不機嫌そのものに戻っていた。

 それに、ヴィルハルトもまた常の通り目つきを凶悪なものへと戻して応じた。

「お前が死んだら、俺が大隊長だ」

 ウェストが突きつけるようにそう言った。

「では、俺よりも長生きする事だ」

 数寸の間。

 悪意や嫌悪などでは表しきれない、険しい視線を交錯させた後で。

 彼らはどちらともなく片手を持ち上げると、軍礼式上完璧な敬礼を交わし合った。


 かくして、〈王国〉軍独立捜索第41大隊は漆黒の夜空に浮かぶ、金色の満月の下、影のように行動を開始した。




 オスカー・ウェスト戦死の報せがヴィルハルト・シュルツの下へ届けられたのは、それよりおよそ十刻後。

 払暁の空が、あけに染まり始めた頃であった。

続きは2日後。



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