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ドライ川東方渡河点にて、〈王国〉軍部隊と対陣している〈帝国〉トルクス自治領軍、第1猟兵旅団へと補給が届けられたのは、五ノ月八日の朝であった。
「それじゃあ、さっさとおっぱじめるか」
ようやく到着した弾薬をすぐさま部隊に配分した後で、〈帝国〉軍ラミール・アルメルガー准将は待ちかねたように言った。
「ケマル、背後の捜索は済んでいるんだよな?」
「はい、閣下。この二日間で、周囲10リーグ圏内をくまなく捜索させましたが、敵の影も形もありません。よほど森の奥深くに潜んでいるか、或いは輸送部隊襲撃後、速やかに撤退したのだと思われます」
旅団長付副官のアリー・ケマル大尉の言葉に、アルメルガーは満足そうに頷いた。
「よろしい。ただし、後方警戒は怠るなよ。では、野砲、撃ち方開始!」
敵を前にして、二日も我慢させられていたアルメルガーは意気揚々と命じた。
すぐにでも砲声を耳にしたくて堪らない様子だった。
命令は即座に伝達された。すぐに、最初の砲が唸りを上げる。
敵陣へと向かい、いくつもの鉄球が空中へと吐き出される。
そして、着弾。
直後に起こったのは、彼らの期待を超えた大爆発であった。
「なっ……」
たった数発の砲弾が敵陣に叩き込まれた途端、その場にあったものが何もかも吹き飛んだ光景に、さしものアルメルガーも絶句した。
全ての弾着が終わったあとも、敵陣地では至る所で爆発が生じている。
敵陣後方の二つの丘は、本物の火山よろしく火と煙を吐き出していた。
「閣下、これは……」
ようやくの事で、声を取り戻したケマルが唖然としたまま呟いた。
「やりやがった、アイツら」
アルメルガーは唸り声で応じた。
「撤退ついでに陣地吹っ飛ばすのを、俺たちに任せやがったんだ」
彼は手で目元を隠しながら、肩を震わせていた。
「まさか、昨日までは、確かに敵の姿が」
ケマルは混乱したように頭を抱えた。
「夜の内に爆薬仕掛けて撤退したんだろう。時間はたっぷりあった。この二日、俺たちは散発的な砲撃以外に何もしてないんだからな」
「陣地に籠っていたとはいえ、こちらに比べて敵の損害はかなり軽微なはずです……恐ろしく練度の高い部隊ですよ。或いは、敵の教導部隊だったのでは」
吹き飛ぶ敵陣を苦い顔で眺めながら、ケマルは敵について冷静な評価を下していた。
そうでもしなければ相手を信仰しかねないほど、敵の手腕は見事といわざるを得なかった。
「兎にも角にも」
アルメルガーが、何かを抑えつけているような声で言った。
「俺たちの任務は、見事に失敗したというわけだ。さて、参謀長殿にはどう言い訳をしたものか」
「輸送部隊と一緒に、伝令が来ました。ようやく、今回の遠征軍司令官殿がご到着成されたそうです。参謀長殿よりは話の通じる方であるはずですから……まあ、閣下ならば大丈夫でしょう」
「この戦争が始まってから二番目にいい話だ、それは。ところで、ケマル!!」
アルメルガーは、遂に耐え切れなくなったように大声を出した。
「はっ」
突如、激しい口調で名を呼ばれた彼はぴしりと姿勢を正して応じた。
「司令部に戻ったら、すぐにあの敵部隊について調べろ。詳しく、念入りにだ。特に指揮官の名前と軍歴について」
全ての言葉を叫ぶように発音したアルメルガーの顔には、地獄へと臨む英雄のような、凄絶な笑みが浮かんでいた。
「ふっ……ははは、あはははははははははは!!」
大規模な爆発の轟音が響き、黒煙が背後の草原から昇っているのを目にしたヴィルハルトは、大口を開けて笑い出した。
今までの人生で、これほど愉快な気分になった事は無かった。
「何もかも、上手く行ったようですね」
ヴェルナー曹長が言った。
彼もまた、明るい表情を浮かべていた。
かつて、そして今、再びこの国を蹂躙した〈帝国〉軍相手に一度ならず泡を吹かせた事に満足感を覚えているのだった。
しかし、彼の言葉にヴィルハルトは首を振って答えた。
「俺は何もしていない。今回の成功は君たちの訓練、三年間の成果の結実に過ぎない」
恐ろしくまじめな顔でヴィルハルトは言った。
本気でそう思っていた。
実際、彼は計画を立案し、命令を発しただけだ。
後はほとんど何もしていない。
「しかし、この大隊をお作りになったのは貴方ですが」
ヴェルナーが反論するように、そっと付け足した。
「うん? ああ、そう言えばそうだった。有難う。曹長」
ヴィルハルトは年上の部下に対して、丁寧に礼を言った。
さて。
顔面に愉快さを張り付けたまま、ヴィルハルトは考えた。
これで、連中に少しでも思い知らせる事が出来ただろうか。
我々を舐めて掛かれば、手痛い反撃に遭うと。
そもそも、大隊を相手にするのならば、連隊を相手取るくらいの気構えで挑むべきなのだ。
連隊相手ならば、旅団を。師団相手ならば、一軍を。
一軍相手ならば……はてさて。
戦場に絶対など無い。
古今、慢心によって国を滅ぼした諸将の話には事欠かない。
それが〈王国〉軍の唯一の勝機ではあるが。
今回、俺たちが手際良く任務を達成したせいで〈帝国〉軍が〈王国〉軍の評価を書き換えたとしたら……。
そこまで思考を弄んだところで、ヴィルハルトは上機嫌な表情のまま首を振った。
彼は周囲に居る者たちを見回した。
誰も彼も、その表情は初の実戦を終え生き残った安堵と、任務を無事達成した喜びに満ちている。
彼らは全員、忘れているのだった。
ヴィルハルトは忘れていない。
だからこそ、生涯を全うしようとしている、善良な老人のような笑みで、彼は笑っていた。
〈王国〉軍に、いや、〈王国〉に勝機など無い。
当然だ。
それほどまでに、彼我の力量は隔絶している。
かたや大陸外れの極小国家である〈王国〉と、かたや大陸過半を版図に収める巨大軍事国家〈帝国〉。
軍事力は言うに及ばず、経済力、生産力、工業力、それらを支える屋台骨である人口。
何から何まで、ありとあらゆる点で〈王国〉が〈帝国〉に勝っているところなど、何一つとしてない。
どう足掻いたところで、〈帝国〉軍には勝てない。
絶対に負ける。
それだけは絶対に確定している事実であった。
彼らは、その定められた結末へ向けて進まねばならなかった。
かくして、〈王国〉軍独立捜索第41大隊は撤退した。
ドライ川東渡河点における遅滞戦闘任務、後にドライ川攻防戦の名で歴史に刻まれる事となったこの一連の戦いの中は、ヴィルハルト・シュルツの名が歴史上に初めて登場する出来事となった。
〈帝国〉軍はこの戦いで、三個大隊に近い損害を被った。
対する〈王国〉軍独立捜索第41大隊の損害は、戦死37名。負傷72名。
遅滞戦闘という任務の性質上、勝敗については曖昧なものであるが、彼らは味方の損害を最低限に抑え、敵軍へ最大限の損害を与え、任務を完遂した事だけは確かであった。
ただし、ヴィルハルト・シュルツという人物がこの後、〈王国〉と、そして大陸世界の歴史に対して与えた影響から見れば、余りにも些細な出来事であった。
これにて、第一幕は閉幕。
続きの書き溜めがほとんど無いため、大変申し訳ないのですが一週間ほど更新をお休みします。
それでは。
ここまで拙作にお付き合い頂いたみなさまには心よりの感謝とともに、今後も宜しくお願い申し上げます。




