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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第一幕 河川陣地防御戦

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 夜も開けぬ間に撤退の手順を纏め、計画を立案した後に〈王国〉軍独立捜索第41大隊、大隊長ヴィルハルト・シュルツ少佐は、朝焼けの広がりつつある頃に大隊将校たちに本部への集合を命じた。

「任務ご苦労だった、ユンカース中尉。見事だった」

 前衛右翼陣地で第2中隊の指揮を執っていたエルンスト・ユンカース中尉が本部の天幕をくぐると、ヴィルハルトは彼に素直な称賛を贈った。

「いえ。それもこれも、付けて頂いた下士官のお陰です」

 ユンカースは謙遜で返した。ヴィルハルトは頷いただけだった。

 そのやり取りに、先に来ていた何名かの将校の内、第1中隊長のオスカー・ウェスト大尉と、大隊兵站担当士官のエルヴィン・ライカ中尉が振り向いた。

「いや、実際に中尉、貴様は良くやった。正直なところ、俺は貴様があの下士官どもを使いこなせるかどうか疑問だったのだ」

 ウェストはユンカースに近づくと、大隊長よりもよほど貫禄のある表現で彼を労った。

 分かりにくいが、彼なりに褒めているのだった。

「はぁ、恐れ入ります」

 その言葉をどう受け取ったら良いものかと困っているユンカースが視線を彷徨わせると、ヴィルハルトの近くに居るエルヴィンと目が合った。

 彼は何処か焦点の定まらない目つきだったが、ユンカースと目が合うと会釈をした。

 ユンカースがエルヴィンを最後に目にしたのは五日ほど前だったが、随分と人相が変わってしまっていた。

 具体的に言うと、やつれている。

 頬がこけ、目の下には黒々としたくまが浮き上がり、無精ひげまで生えていた。

 誰よりも激戦を戦ってきたような有様だった。

 それもそのはずで、ユンカースたちが敵と戦っている間に、彼も彼で戦っていたのだ。

 主に、日ごと倍々に増えて行く書類の軍勢と。

 いや、戦いはまだ続いていた。書類にペンを走らせ続けている。

 何かを計算しているようだった。

「失礼。遅れてしまいましたか」

 第3中隊長のアレクシア・カロリング大尉が、指揮下に残った一名の少尉を連れてやって来た。

 彼女はさっと天幕にいる者たちの顔を見回して、ヴィルハルトの姿に顔を翳らせる。

 それからユンカースを見つけると、やはり彼を評価する言葉を口にした。

「全員、揃ったようだな」

 ヴィルハルトはそれぞれのやり取りがいったん落ち着くまで待ってから、腰を上げた。

 天幕内が静まり返る。彼は頷いた。

「よろしい。前衛両翼陣地の奮闘と、ウェスト大尉が敵輸送部隊襲撃を成功させた事により、現在、敵は身動きが取れないでいる。次に敵が補給を受ける事が出来るのは、恐らく二、三日後になるだろう。交易街から現在地まで、どれだけ馬を急がせたところでそれぐらいはかかるからな。よって、我が大隊は任務を完遂した。これより撤退準備に移る」

「具体的には」

 ウェストが口を挟んだ。

「我々の後方で迎撃準備を整えている東部方面軍は、防衛線を三段階に分けて布陣している。我々の撤退目標はここから北西へ20リーグ程、第一次防衛線司令部のあるレシュゲンの街だ。足の遅い砲兵たちは、今日中に出発してもらう」

 一度言葉を切ると、ヴィルハルトは砲兵中隊長のデーニッツ中尉へ顔を向けた。

 彼はふてぶてしく笑いながら頷いた。

 ヴィルハルトは各中隊長たちを睨んだ。

「銃兵中隊については、兵に荷物を纏めさせた後も前衛及び予備隊は期限である明日の日暮れ、第18刻までは現在の配置を維持する事。砲兵の支援を受けられない事を忘れるなよ。敵が突発的な行動に出ないとも限らない」

 彼らがそれぞれの態度で頷いたのを確認すると、ヴィルハルトは「それから」と言葉を続けた。

「撤退準備の他に、前衛の両中隊にはもう一仕事してもらう」

 これに、アレクシアは僅かに片方の眉を上げ、ユンカースは不思議そうな表情になった。

「いや、何、難しい事じゃない」

 二人の疑問に答えるように、ヴィルハルトは手を振った。

「ただ、少し陣地を工作して欲しいのだ」

「どのような?」

 ユンカースが尋ねた。

「陣地を吹き飛ばす。この戦いの初日、敵にやったのと同じように」

 ヴィルハルトは、何でもないような口調でそう答えた。

「爆薬は十分に余っています。設置個所は前衛陣地両翼と指揮所。現在、必要量の算定中ですが……」

「余らせても仕方が無い。どうせ持っていけないのだから、全部使え」

 捕捉するように口を開いたエルヴィンを遮って、ヴィルハルトは言った。

 陣地を爆破するという物騒な話をしている割に、実に楽しげだった。

「お尋ねしてよろしいでしょうか」

 その彼へ、アレクシアが進み出た。

「よろしくないわけが無い。作戦計画について疑問があるならば、直ちに問いただすよう、俺は君がこの大隊へと着任したその日に命じたはずだ」

 やはり、この世の全てを呪っているような目つきをしながら、彼は機嫌良く、そう応じた。

「この陣地を爆破する理由について、お聞かせ願いたい」

 アレクシアは硬い声で尋ねた。

「何。嫌がらせだ」

 ヴィルハルトはさっぱりと、そう答えた。

「相変わらず、こういう悪だくみをさせたら先輩の右に出る者は居ませんね」

 エルヴィンがいくらか元気を取り戻したように、そう茶化した。

 アレクシアは眉を更に吊り上がらせた。

 ヴィルハルトは彼女を見て、心底面倒そうな顔を浮かべて溜息を吐いた。

 あの一件以来、すっかり冗談が通じなくなっている。

 いや、この場合、蒸し返すような話をした俺が悪いのか。

 言い訳をするように、ヴィルハルトは口を開いた。

「それだけが理由では無いが。みすみすこの陣地を敵に明け渡せば、〈帝国〉軍は我が軍の陣地構築技術を徹底的に調べ上げ、分析するだろう。その場合、我々が認識していない弱点を見つけるかも知れない」

 つまりは、敵に与える情報は少なければ少ないほど良いというだけの話であった。

 それは戦争でも、人生でも、恋愛でも同じことだ。

 若しくは他人からの評価にも視線にも無自覚な、頭の緩い女を口説くように、相手が知りたいと望む情報を何から何まで与えてやるか。

 人は世界を見たいように見るし、聞きたいように聞く。

 誰かが、自分がそうであって欲しいと望む言葉を口にしている時、その真偽について考えない。

 甘言ばかりに耳を傾けた者はやがて、反対意見に耳を閉ざすようになる。

 そして、最後のその時になってようやく現実を知る。

 独善的な幻想に閉じこもり続けた報いを受ける。

 それは恋愛においては破局を、人生においては破滅を、そして戦争においては敗北を意味する。

 勝利の為には疑う事を忘れてはならない。

「まぁ、そんなところだ」

 流石に女性であるアレクシアに対して、そこまであからさまな言葉をいう事は出来ず、ヴィルハルトは最後に曖昧な事を言って話を打ち切った。

 アレクシアの表情は未だ険しいが、ひとまずは納得したようだった。

「さ、命令は以上だ。爆破の為、工兵隊の残していった手引き書がある。それに目を通した後、直ちに取り掛かれ」

「最初から、爆破する気だったのですか」

 ユンカースがはぁと呆れたような息を漏らした。

 それから、思い出したように懐に手を入れる。

「ああ、そうだ。大隊長殿、こちらをお返しします。まぁ、中は空ですが」

 そう言って彼は、ヴィルハルトへ煙草入れを差し出した。

「ん。ああ」

 ヴィルハルトは受け取った後で、すぐに戦況図の広げられている台の上へ放り投げた。

「何だ、ユンカース中尉。煙草が欲しかったのか」

 そこで突然、ウェストが割り込んできた。

 ヴィルハルトの使っている麻袋とは違う、木製の煙草入れを懐から取り出す。

 彼は妙に機嫌の良さげな様子で一本取り出すと、ユンカースへ薦めた。

 礼を言いながら受け取ったユンカースに、わざわざ火まで差し出してくれる。

 ウェストはそのまま、自分も吸い始めた。

「どうだ。大陸南方産の刻み葉だ。どこぞの大隊長殿から頂いたものよりも、香りが良かろう」

 ふぅと紫煙を吐き出しながら、ウェストは意地の悪い表情で言った。

「あー、いや、あの時はとても香りを楽しんでいるような余裕も無くてですね……」

 ユンカースは、自分は一体、何に巻き込まれているのか分からないまま、言葉を濁しつつ応じた。

 ちらりと視線を泳がせるとアレクシアは呆れたような顔を、エルヴィンは何処か憐れむような顔を彼に向けていた。

 ごほんと、ヴィルハルトの咳払いが天幕に響いた。

「ウェスト大尉。あのな……」

「貴様にはやらん」

 煙草を咥えたまま、酷薄な表情を浮かべたウェストがヴィルハルトを遮るように言う。

 エルヴィンが突然、堰の切れたように笑いだした。

「ライカ中尉」

「い、いや、すみません……! 大隊、長、殿っ!」

 流石に不機嫌な顔になった上官から睨みつけられても、彼は笑いこけていた。

 彼の笑いには不思議な伝染力があった。少尉が肩を震わせ始める。

 アレクシアでさえ、僅かに口元を引きつらせていた。

 今まで以上に凶悪な目つきをしたままヴィルハルトは天幕の中の一同を見渡し、外から顔だけを覗かせて中の様子を窺っていたヴェルナー曹長と目が合った。

 目じりが痙攣している。

「君たち。我々は未だ任務の最中にある。さっさと命令を実行しろ」

 腹の底から恐ろしい唸り声を絞り出したところで、身を竦ませるものは皆無だった。

続きは二日後。

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