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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第一幕 河川陣地防御戦

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 右翼陣地へと足を踏み入れたヴィルハルトは、後悔と自責の念を幾らか和らげる事が出来た。

 少なくとも、エルンスト・ユンカース中尉をその場の指揮官に任じたのは間違いでは無かったと確信できたからであった。

「ここ数日、随分と叩かれていたようだが大丈夫か、ユンカース中尉?」

「大隊長殿」

 壕の上に現れたヴィルハルトに声を掛けられたユンカースは、さっと軍服の汚れを払うと敬礼した。

 いや、まぁ。汗をたっぷりと吸い込み、泥と血に塗れた制服を手で叩いたところでどうにもならないのだが。

 予備隊が敵を追い払ってくれたお陰で、右翼陣地はようやく一息つけたところだった。

 ヴィルハルトは地面に尻をついている兵士たちに向かって、そのままで良いと手振りで示してからユンカースへと顔を向ける。

「中隊の様子は。何か問題は無いか」

「特に支障はありません。強いて言えば、連日連夜砲撃されっぱなしで少々寝不足気味な事でしょうか」

 ユンカースは肩を竦めながら、そう答えた。

「だとしても。部下は抑えておけよ、中尉」

 一瞬で険しい表情を浮かべ、ヴィルハルトが言った。

「壕からは決して出るなと。各小隊に言い聞かせてあります」

 ヴィルハルトは頷いた。

「よろしい。それについては大隊長命令だと伝達しておけ。これを破った者は、厳罰を持って処断すると。銃弾薬についてはどうだ。不足は無いか」

 尋ねられたユンカースは、傍らに立つ軍曹へとちらりと視線を送った。

 万事了解と言った顔つきで軍曹が進み出る。

「先ほど、再配分しました。残弾数は兵一人当たり53発です。あと一、二度の交戦であれば十分に可能です。ただ、食糧の方が。あまり旨いとは言えない携行食糧でも、兵どもは壕に籠りっぱなしですから、その」

 軍曹の言葉が尻切れになっていくのを聞いて、ヴィルハルトは頷いた。

 何もすることが無い間、兵士たちが携行食糧を摘まんでいるのだろう。

「あとで補給を送るように、兵站担当士官に伝えておく。ところで軍曹、君、甘いものは好きか」

「三度の飯よりも」

 ヴィルハルトの質問に、軍曹がにやりとして応じた。

「濃く淹れた、熱い珈琲があれば文句のつけようもないんですが」

 彼はそう付け加えた。

 ヴィルハルトは声を上げて笑った。

 その様子を傍から見ていたユンカースは、内心で呆れつつも、彼のその姿に羨望を抱いていた。

 まったく。本当に。大したものだ、この人は。

 今こそ、何故この大隊が初めての実戦をこうも易々とこなしているいるのか、その実際のところが分かったような気がした。

「君は。中尉。何か、欲しいものでもあるか」

「あ、いえ、自分は」

 突然、自分に話を振られてユンカースは慌てた。

 どうしたものか。この大隊長は、どうやら部下からの遠慮を嫌うらしいし。

 増援でも欲しいと言ってみるか。いや。冗談では無いのだが。

 そう悩んでいると、目の前に立つ上官から微かだが、血と硝煙以外の香りが漂っている事に気が付いた。

 ユンカースは口の端を悪戯っぽく捻じ曲げると、施しを求める浮浪者のように手を差しだして言った。

「そうですね。煙草があれば」

 ヴィルハルトの顔に、微妙な表情が浮かんだ。

 だがすぐに表情を切り替え、ふっと息を漏らすと懐に手を突っ込み、紙巻を入れている袋を取り出す。

「今はこれで我慢しろ」

 そう言って、ヴィルハルトは袋を投げた。

 空中でそれを受け取ったユンカースは、そっと袋の中身を確認した。

 一本しか入っていなかった。

「有り難く、頂戴します」

「任務はまだ二日残っている。それまでは、よろしく頼むぞ」

 言い残して、ヴィルハルトは陣地から去っていった。

「ふぅ」

 大隊長の背中を見送った後で、ユンカースはどっかりと壕に尻もちをついた。

 貰ったばかりの煙草を咥えて、一緒に入っていた燐寸を擦る。

 元々、好んで煙草を吸うような事は無かったが、このところ昂ぶり続けだった神経を、紫煙の香りがいくらか緩めてくれた。

 久方ぶりに吸ったせいだろうか。やけに頭がくらくらした。

 思考が弛緩していく。

 だからかもしれないが、対岸からの砲撃が再開した音が響いた時、彼は咥え煙草のまま、何気ない態度で部下たちに退避を命じた。

 その姿に兵士たちは、呆れを通り越して頼もしさを覚えた程だった。

 ユンカースの野戦指揮官ぶりも、ヴィルハルトに負けず劣らずであった。


「ここに来て、予備隊のお出ましか」

 敵陣から退いてくる兵士の姿を眺めながら、〈帝国〉軍ラミール・アルメルガー准将はしかし、上機嫌な様子だった。

「まったく。感心するより他にないなぁ、あの敵は」

「擲弾砲と野砲による全力射撃、一個大隊の総力を掛けた突撃でも落とせませんか。あの敵陣地は」

 嬉しそうにぼやく上官とは正反対に、旅団長付副官であるアリー・ケマル大尉は渋い顔をしていた。

「如何しますか、閣下」

「如何も何もない」

 アルメルガーはふんと鼻を鳴らして答えた。

「あの予備隊。アレが敵さんの最後の手札だ。つまり、奴らは切り札を切った。連中の手の内、その底は見えた。今回は敵に逆襲を行う機会を与えたが、次はそうはいかない」

 そう言っているアルメルガーは、実に楽しそうに見えた。

 いや。事実、楽しんでいるのだろう。ケマルはそう思った。

 好敵手と会いまみえた事が、嬉しくて仕方が無いのだ。

 だからこそ、この人は祖国防衛戦争でただ一人、あの〈帝国〉軍を相手に勝ち続けたのだ。

 〈帝国〉に降ってからは、そうした敵と出会う機会は少なかった。

「副官、伝令を送れ。擲弾砲中隊並びに砲兵隊はさらに前進。残弾全て射耗するまで、砲撃を止めるな。何、構いやしない。どうせ、明後日には補給が届くんだ。そうすれば、無傷で温存してきた第3大隊を投入して一気にカタを付けられる」

 アルメルガーは自らが思う勝利までの道筋を述べつつ、しかし内心の何処かで、敵が何かまた、これ以上の手を打ってくるのではないだろうかと期待していた。

続きは2日後。

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