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「これでどう動くでしょうか」
敵の指揮所だと思われる丘へと、次々に砲弾が弾着してゆく様を眺めながらケマル大尉が言った。
「ともかく。これでしばらくは敵の命令系統は断絶する。上手くいけば、永遠にな」
ラミール・アルメルガー准将は、顎を撫でながら答えた。
いやまぁ、多分。と言うか十中八九。この砲撃で死ぬような指揮官じゃないだろうが。
その確信に近い予想は、胸の中へ留めておく事にした。
「砲兵に伝令。砲弾は手持ち分、全弾射申して構わん。次の野砲一斉砲撃の後、第3大隊は突撃。第1大隊は一度後方へ下げて再編させろ。敵の命令系統が混乱しているこの機を逃すなよ」
「行けますね」
ケマルは明るい声を出した。
「どうだろうな。やはり、攻撃正面が狭すぎる。実際に戦闘に参加できるのは一個中隊が精々だろう」
アルメルガーは不審そうな顔を浮かべた後で、大きく肩を落とした。
「これが開けた平地なら、とっくの昔に終わってるはずなんだがなぁ」
彼は川に対して漏斗状に広がっている広場と、その両脇を囲む森を忌々しげに睨んでい言った。
「だがまぁ、指揮官からの命令が途絶している最中に、六度も波状攻撃を凌がにゃならんと思えば、辛いはずだ」
アルメルガーは自分へ言い聞かせるように呟いた。
敵の伝令が姿を見せないという報告も聞いていたが、恐らくは何処か、こちらからは観測が難しい位置に連絡用の塹壕、連絡壕を構築しているのだろう。
あれほど手際のよい敵だ。その程度の準備は怠っていないはずだと信頼していた。
そもそも、敵の指揮官が戦闘中の部隊に対して伝令など一度たりとも送っていない、という事実など予想だにすらなかった。
「前衛陣地は持ちこたえております。渡渉した敵からの突撃を受けたようですが、殲滅しましたようです」
「素晴らしい」
爆炎と轟音に包まれた丘を背に、ヴェルナー曹長からの報告を聞いたヴィルハルト・シュルツは両手を叩き合わせながら答えた。
〈帝国〉軍の砲兵隊が前進するのを確認した彼らは、指揮所よりもさらに後方まで下がってきていた。
「白兵になったようです」
ヴェルナーが重要な事のように付け加えた。
ヴィルハルトは彼の言葉の意味を誤解せずに頷いた。
大陸世界に在る各国軍隊が、今日において銃器を主力兵器として採用している理由は多々あるが、その事を説明する際に最もよく使われる言葉の一つが“経済性”というものである。
理由としては、兵器として見た銃が、前時代に使われていた剣や槍、弓などと比べて優れている点は、その威力や射程はもちろんとして、何よりも習熟に掛かる時間が大きく短縮される事だった。
剣士として、戦場で一人前に剣を振るえるようになるには、幼い頃から剣に慣れ親しんで育つか、相応の訓練を受けねばならなかった。
特に、前時代における遠距離兵器であった弓は、扱えるように訓練するだけで最低一年、戦場で扱えるほどに熟練する為にはさらに三、四年を掛けて育成せねば、まともな弓兵にはならない。
そして、そのような長い時間をかけて育成した兵が、次々に消えてゆくのが戦場である。
対して銃は、操作方法さえ覚えてしまえば良い。
後は三か月も訓練を続けて軍の規則を叩き込み、体力や部隊行動を身に付ければ、個々の練度に多少差が出来る事は仕方のない事として、ただの農民を戦場に耐えうる兵士へと作り変える事が出来た。
つまり、前時代で剣や弓を扱うだけの技量を持った兵士を一人育成するのに多大な時間と金穀が必要であり、それ故に彼らの多くは家が裕福な者、つまり貴族の子弟に限定されていたのだった。
だが、銃はただの一週間で、その辺の農民をあっさりと彼らに匹敵、或いは凌駕するほどの力を与える。
これこそが、銃のもたらす効用に他ならない。
ただし、槍兵だけはやや事情が異なる。
槍は元々、これといった訓練を受けていない農民を戦力に組みこむために発達したものであったからだ。
無論、槍とて熟練した使い手が持てば恐るべき兵器になるのだが、基本的に突く事にのみ特化しているこの武器を扱う事自体はそれほど難しいものでは無い。
端的に言ってしまえば、人間を一列に並べて槍を構えさせればそれだけで強力な壁、槍衾が出来上がる。
こうした戦術は、現在における銃兵の密集隊形に引き継がれている。
やや話がずれたが、要約すれば剣や弓を扱える兵士を育てるよりも、銃を扱える兵士を訓練する方が遥かに時間と金が掛からないのだ。
それこそが銃器を主力兵器に採用している主な理由、“経済性”であった。
その他に、農民のほうが、戦闘の専門家である騎士を兵士として使うよりも安上がりだという身も蓋も無い現実も確かに存在している(この時代の大陸世界には命の貴賤というものが明確に区別されていた)。
詰まる所、戦争とは様々な手段をもって行われている経済活動の一つに過ぎないのだった。
しかし、もう一つ。
ヴィルハルトは思う。
銃器が剣や槍、そして弓と取って代わって戦場の主役へとなりおおせたのは、“経済性”などという理屈よりもさらに重要な理由があるのではないかと。
恐らくそれは、人としての本能。即ち、人は人を殺せないという一つの事実を忘れてはならないのではと考えていた。
どれほど憎んでいる相手が居て、その死を望んでいたとしても、多くの人がそれを実行に移さない事を思えば、それは当たり前の事であるかもしれない。
そしてそれは一つの真実として、歴史に記録されていた。
かつて行われた戦争、戦闘の多くは、相対しているどちらかの指揮官が討ち取られた段階で、敗北した側、勝利した側を問わず、ほとんどの兵士たちが戦う事を放棄している。
それどころか、指揮官の目が届かない場所に居る兵士たちは戦闘に参加する事すらなかったという事がままあった。
懸命に命乞いをする敵兵に手が止まり、他の敵によって殺された者の話は上げ始めれば枚挙にいとまがない。
つまり、人間というのはどれほど追いつめられようと、例えば戦場で自らの命が危険に晒されているその時であってさえ、人間を殺す事に抵抗を覚えるのだった。
だが、人々の営みが続く中には現実に、戦争という名の殺し合いが確かに存在している。
それを遂行する為に軍隊があり、兵士が居る。
戦争が起こった以上、敵を打ち倒さねば勝利は無い。
勝利が無ければ、敗北があるのみだからだ。
そして敗北の後にやってくるのは平和では無く、後悔と恥辱に満ちた日々だけ。
であるからこそ、まったく現実的な理由から軍隊は、兵士たちが殺人に対して抱く抵抗感や拒否感といったものを軽減する必要があった。
それらはまず教育から始まる。
祖国に対する愛国心、軍に対する忠誠心、部隊に対する愛情、命令に対する従順さ。
これによって、彼らの心理に任務、敵兵を殺す事に対する義務感を植え付ける。
次に、信賞必罰によりそれらをさらに強制的なものへと昇華させてゆく。
戦場で多くの敵を打ち倒した者には名誉と栄光を。
命令不服従、敵前逃亡を図った者には極刑をもって断罪を。
殺人という本来ならば唾棄されるべき行為に崇高な理由付けを施し、褒章を与える代わりに、それを拒否するものを乏しめる事により、兵士たちは従わざるを得なくなる。
集団の中で異を唱える者は排斥の対象にならざるを得ない。
そして多くの者たちは集団の中で無ければ生きて行けない。
話が長くなったが、そうした様々な試みの末に、軍が見つけた答えの一つが銃だった。
剣で首を跳ねる、槍を敵の心臓に突き立てるといった必要も無く、弓のように弦を引き絞り、敵兵にじっくりと狙いを付ける必要も無く、ただ照準を合わせて指先を動かすだけで、殺人という大事業が成し遂げられる。
殺人行為の簡略化こそが、銃の最大の利点であるとヴィルハルトは思っていた。
小隊や中隊単位による一斉射撃という戦術が、その効果を更に高めている。
自分の撃った弾が、どの敵兵に当たったのかが曖昧になるからだ。
兵士たちはともすれば、目の前で倒れた敵兵を見ながらも、奴を殺したのは俺じゃないかも知れない。俺の弾は何処かへ逸れて、地面にでも埋まっているんじゃないだろうか。いや、きっとそのはずだ、という素晴らしい言い訳に逃げる事すら出来た。
恐らく、銃は今後、永遠に主力兵器として採用し続けられるだろう。
しかし、その素晴らしい兵器にも未だに欠点が多くある。
主に再装填に時間が掛かり過ぎる事や不発の多さという構造上の欠陥、そして命中精度の低さ。
そうした要因から、銃だけでは突撃してくる敵兵を殲滅する事は不可能であり、結果として行われるのは、銃口先に銃剣を装着しての白兵戦であった。
「前時代と何も変わらない。斬り殺し、刺し殺し、殴り殺す、血みどろの乱闘。それを右翼は信頼により、左翼は気高さにより、部下を統率し、指揮し、自らの義務と責任を果たしている。まさに、彼は将校では無いか」
ヴィルハルトは、銃のもたらす恩恵、その全てを失ってなお戦い続けている彼らに、まるでその様を見て来たかのような称賛を送った。
「そして、その方々を率いていらっしゃるのは貴方ですが、大隊長殿」
神聖な偶像を仰ぐようにして、ヴェルナ―が言った。
「まさに。俺が彼らの指揮官だ」
ヴィルハルトは、厳かに頷いた。
そして神託を告げるように言った。
「であるならば、彼らの奮闘を無駄にしてはならない」
さっと振り返る。そこにはウェスト大尉が残していった、第1中隊の主力が整列していた。
「砲兵たちは敵の砲撃が止むまで、後退して待機。無理に応戦して、無駄な損害を出す事は無い。しょせん、ここでの戦いは時間稼ぎ。この先、砲兵は何にも増して必要になるだろう」
ヴィルハルトは懐から紙巻を取り出し、咥えた。あと一本と、頭の中で数えた。
ヴェルナーが淀みの無い手つきで燐寸を擦り、火を点ける。
「しかし、砲兵からの火力支援を受けられない前衛だけでは敵の突撃を防ぎきることは不可能だろう。必ず、敵の一部が突出してくる」
紫煙の向こうから現れた彼の表情は、真冬の吹雪のような冷たさと激しさに満ちていた。
何かを懸命に耐えているような様子さえある。
「よって、予備隊をもってこれを迎撃、粉砕する」
ヴェルナーへと視線を向けた。
「曹長、何か意見は」
「ございません、大隊長殿」
「予備隊、準備は万全か」
整列した予備隊の中から一人の少尉が進み出た。
「常に。何時如何なる時でも。大隊長殿」
ウォーレンという名の、若い少尉は言った。
士官学校を卒業して一年しか経っていない。しかし、その一年をこの大隊で過ごしていた。
何もかもに口煩いウェストの下でしごかれ続けている為か、少尉の中でもその能力は頭一つ分ほど突き抜けていた。
ヴィルハルトは彼の答えに満足そうに頷いた。
「よろしい。予備隊はこれより俺が直卒する」
そしてヴェルナーへと向き直る。
「さて、それでは一つ、戦争に付き合ってもらうぞ、曹長」
「願っても無い事です、大隊長殿」
ヴェルナーは敬礼を捧げた。予備隊を率いるウォーレン少尉が抜刀した。
兵士たちがそれに続き、一斉に銃を掲げた。
ヴィルハルトは答礼を返しつつ、彼らの顔を眺めた。
彼らの表情には微塵の動揺も浮かんでいない。
その理由を、ヴェルナ―は寸分たがわずに言葉にする事が出来た。
過酷とも、無慈悲ともいえる厳しい訓練の日々。
それは経験した事の無い戦場をひたすら想像し、そこに立つ自分を思い描く為の毎日であった。
大隊長が彼らに示した、誰一人生きて帰れないような状況から、生きて帰るための三年間であった。
ヴィルハルトの執念と狂気によって練り上げられた部隊は、今やその成果を余すことなく発揮している。
とどのつまり、現在、この場で行われている戦争は彼らが信じ込まされてきた戦争とは程遠い現実であった。
続きは2日後。




