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「来るぞ! 次発装填急げ!」
〈王国〉軍独立捜索第41大隊第3中隊が展開する、左翼防御陣地の壕内に響いたのは、たとえ銃声や砲声に満ち、罵声や怒声が飛び交う戦場であっても決して聞き逃しようのない、流麗な鈴の音を思わせる声であった。
「射撃の瞬間まで、姿勢を低く保て。姿を晒さなければ、敵弾に当たる事は無い」
その声の主、アレクシア・カロリング大尉の姿勢はしかし、部下へ命じる内容とはまったく正反対であった。
すっと背筋を伸ばしたまま、真正面から敵に相対し続けている。
「右翼陣地に敵が殺到しております!」
兵の一人が叫んだ。アレクシアは視線を逸らせると、友軍の籠る陣地を確認する。
放っておいても問題は無いようだった。
「中隊長殿、後続部隊が川を渡りきります」
この大隊へ来る前からの付き合いである、カナリス曹長が大声を出して報告する。
彼女は頷くと、突然、すぐそこまで迫り来ている敵を前にくるりと背を向けた。
「第3中隊、射撃用意! 行くぞ、諸君! 我らが〈王国〉へと侵攻した、かの侵略者たちに正義の鉄槌を下せ!」
アレクシアと目のあった何名かの兵士は、その顔をぐっと引き締めた。
再び、彼女は敵へと臨む。
すでに必中距離にまで迫っていた敵へ向け、腰に吊った軍剣を居抜きざまに振るった。
「撃てぇ!!」
勢いよく駆けていた敵の何名かが弾かれるように後ろへ吹き飛び、地面に倒れ伏した。
後を追う者たちの足が、たたらを踏む。
そこへ生き残った者たちの最先任であるらしい少尉が自らの軍剣を引き抜くと、先頭へと躍り出た。
彼は部下たちに突撃を叫ぶと、走り出す。
自らが何者であるかを思いだした〈帝国〉トルクス自治領軍猟兵たちは、即座にその後に続いた。
「第3中隊、総員銃剣装着!」
射撃だけでは撃退出来ない事を悟ったアレクシアは、高らかにそう命じた。
手に握っている見事な拵えの長剣、カロリング家に代々伝わる一振りを天へと掲げる。
陽光を受け、彼女の肩口で切りそろえられた見事な銀髪と、手にした白銀の刀身が白く燃え上がるように輝く。
その様はまさに、神話に登場する戦女神そのものであった。
兵士たちは恐怖も怯えも忘れて、彼女の命令に従った。
勇敢な戦神に仕える、勇猛な英雄のような面持ちで銃剣の装着された小銃を持ち直す。
「応戦準備!」
カナリス曹長が自身の小銃を構え直しながら、兵士たちを叱咤する。
アレクシアは迫りくる敵を視界の真正面に収めつつ、周囲の兵たちを鼓舞した。
「諸君! 諸君らは間違いなく〈王国〉軍の最精兵であると私が確約しよう! その諸君が守らずして、一体誰が祖国を守るというのか? 恐れず戦え! 護国の防人たちよ!」
最初に壕へ飛び込んできたのは、やはりあの少尉だった。
「総員、我に続けぇっ!!」
水晶碗を弾くような号令と共に、アレクシアはその少尉を颯爽と切り伏せた。
後ろから、彼女の部下たちが勇猛な雄叫びを上げ、続々と殺到してくる敵兵に応戦を開始した。
それは、神話の一幕のような情景であった。
否、まさしく神話の再現だった。
今この瞬間、この場所には神々の軍隊が現出していた。
――そこへ、敵陣から恐ろしい鉄の唸りが轟いた。
擲弾砲よりもさらに重々しい、地響きのような砲声。
対岸の後方で、一斉に白煙が発生した。
野砲によるものであった。
右翼陣地で戦いを続けるユンカースがその砲声を耳にしたのは、六人目の敵に止めを差した時であった。
殺した人数を数えないように努めても、彼の脳は彼らの今際の顔を忘れる事を拒んでいる。
「敵が退きます!!」
盛大に地面を揺らしている轟音に勝るとも劣らぬ軍曹の大声が彼の耳に届いた。
「退避!!」
ユンカースは弾けるように怒鳴り返した。
兵士たちが一斉に、猟犬に追い立てられる羊のように退避壕へと向かって走り出した。
間に合うか。遅いかも知れない。クソ。畜生。
内心が恐怖と不安で一杯になる。
まさか。まさか、敵は味方の兵士ごと俺たちを吹っ飛ばすつもりかという、予想が頭の中で渦巻き始める。
だが、どうにか、最初の弾着までに自身も壕内へと滑り込んだユンカースはほっと息を吐くと同時に、何かかがおかしい事に気付いた。
まず、砲声の位置がおかしい。
昨日までよりもずっと近い距離から響いていた。
そして、砲弾は彼らの頭上を越えて飛翔しているようだった。
疑問の答えを求めて、意を決し外へと踏み出したユンカースの眼前で、最初の着弾による爆発が起こった。
「なっ……」
彼は絶句した。
〈帝国〉軍野砲の砲弾は、彼らの陣地後方にある二つの丘へと降り注いでいた。
ただの緑の丘だったそこは、たちまち爆炎に包まれて、今や活火山とそう変わりの無い様相に転じている。
「畜生。そうか」
全てに得心が言った口調で、ユンカースは呟いた。
敵はこれが目的だったのだ。
足の軽い擲弾砲を前進させ、その支援を受けた猟兵による強硬突撃。その間に野砲を押し出す。
目的は、今まで射程に収める事の出来なかった指揮所と、こちらの砲兵隊だ。
呆れかえるほどに大胆ではあるが、良い手だった。
対砲迫撃射を受けるとは思わなかったのか。いや、むしろ、味方の砲兵は何故それを行わなかったのだ。
指揮所の位置からならば、敵陣の動きは手に取るように分かるはずなのに。
「大隊長は……」
何を考えているのか。
火を噴く丘を見つめながら、ユンカースはぽつりと口に出た言葉の続きを飲み込んだ。
何を言った所で、今更どうにもならないからであった。
「中隊長殿!」
軍曹が駆けて来た。
「軍曹、先ほどの損害を報告しろ」
ユンカースの声はすでに冷静さを取り戻していた。
「戦死四名。負傷11名であります」
「それで済んだか……」
顔に付着していた返り血を軍服の袖で拭いながらユンカースはくぐもった声を出した。
砲撃がこの場所とは異なる地点に弾着している事を知った兵士たちが壕から姿を現した。
誰も彼も血塗れであった。
〈王国〉軍の空色を模した軍服が、夕焼けよりも真っ赤に染まっている。
「どうなさいますか」
砲弾が落下し続けている丘を一瞥した後で、軍曹が尋ねた。
「どうもしない」
ユンカースは答えた。
「俺たちは既に、任務を達せられている。この場所を後三日間守り抜く事だ。その命令は、未だ撤回されていない」
「かしこまりました」
軍曹は当然のようにユンカースの言葉を受け入れた。
対岸では、再び擲弾砲の砲声が上がり始めていた。
「成程な。指揮所を狙った重点射撃で、指揮命令を途絶させる事が敵の狙いなのだろう」
ユンカースと同じように、敵を撃退した途端に再開された〈帝国〉軍の野砲による砲撃が狙っているのが前衛陣地では無いと看破したアレクシアは、今、轟々と打ち震えている丘を眺めて立っていた。
いくらか土と血で汚れた軍装を身に纏っている彼女からは、奇妙な神々しさのようなものが滲んでいる。
「これすらも、あの大隊長の目論見通りなのだろうか。どう思う、カナリス」
「ご自身まで囮に使うというのは、いささかやり過ぎであるように思われます」
カナリスが硬い態度で答えると、アレクシアはふぅっと息を吐き出して、口元に微笑みを作った。
「さて。敵が来る。曹長、兵どもを再度、戦闘に備えさせろ」
「は」
彼らは当然のように任務へと戻った。
指揮所が滅多打ちにされているにも関わらず、その態度には微塵の動揺も見られない。
当たり前であった。
いや。彼らにとってのみではあるが、それは予定された必然の事態であった。
隊列を組まず、小部隊同士が密接な連携を保ちつつ機動する、散兵による浸透戦術。
実現の為に求められるのは兵士の高い練度と士気、何より彼らを直接指揮する小隊長や中隊長と言った下級将校の高い自立性と的確な判断力。命令が途絶しても、独断で任務を遂行できるだけの精神力。
彼らが所属する〈王国〉軍独立捜索第41大隊は、ヴィルハルト・シュルツの考案したその新戦術を実現する為の部隊であり、その為の三年間であった。
命令により目的が定められた以上、今さら指揮官が倒れようが、指揮所が吹き飛ぼうが何も変わらない。
任務を完遂するか、命令が撤回されるか、最後の一兵が死に絶えるその時まで。
続きは2日後。




